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冥土の土産

冥土の土産 (主人公×猪狩守)

 左手が出る、というのは、猪狩が本気で怒っている証拠だった。サウスポーである猪狩が、自らの左手を粗末に扱うことは断じてない。粗末に扱うどころか、いつだって何よりも大切にしているものだ。だから、叩かれた頬の痛みよりも、オレはそっちの方に驚いていた。あまりの怒りに、猪狩は思わず利き手でオレを殴ったらしかった。
「キミは、本当にバカだ」
「馬鹿じゃない。オレは、ずっと考えてたことだよ。猪狩、それがやっぱりオレたちの…いや、おまえのためになると思うんだ」
 猪狩は答えない。握りしめられたままの猪狩の左手は、密やかに震えていた。オレはもう、猪狩の左手が気に掛かって、喧嘩どころではなくなってしまっていた。お前の左手に、指先に、ピッチャーとしての生命線に、何かあろうものなら。
 しかし、そんなことを言うのも許されないほど猪狩は怒っていた。こんな猪狩は、見たことがない。オレは、さっきから戸惑ってばかりだ。上手いことが何も言えない。最後くらいは笑って別れたいと、そんなことを思っていた自分の甘さにほとほと愛想が尽きそうだ。
「キミが…キミから始めたんじゃないか」
「そうだよ。だから、ずっと考えてた。いつまでもこのままじゃいられないって…」
「ボクのことがキライになったのか」
「そんなわけないだろ」
 いよいよ別れ話の終幕に相応しいやり取りになってきた。オレと猪狩は、付き合っていた。高校2年の、初めのことだ。我慢出来なくなったオレが猪狩に手を出したのがきっかけで、そのままなし崩しに今日まで関係は続いていた。
 楽しかったし、猪狩も楽しそうにみえた。猪狩からは一度も好きだと言われたことはなかったけど、それで良かった。オレが、猪狩を好きだったから。猪狩といられれば、それで良かった。だけど、それももう、終わりだ。高校3年の冬。もうすぐ、春がやってくる。春が来れば、オレも猪狩も新しい生活が待っている。甲子園優勝をも果たしたオレたちは、揃ってプロ入りを決めたのだった。
「もうすぐ、卒業式だろ。それまでに、おまえとのこと、きちんとしておきたかったんだ」
「……」
「プロになったら忙しくなるだろう。生半可なことでは、やっていけないだろう。それに、オレとおまえは男同士だ。この辺で終わりにしておいた方が、いいんだ」
「パワプロ。最後にひとつだけ聞かせろ」
「なんだ?」
「キミは、ボクのことが好きなのか。嫌いなのか」
「……」
「答えろ」
「好きに決まってる…」
 思い切り振りかぶった猪狩の拳に、オレは再びぶん殴られた。先ほどとは比べ物にもならない衝撃に、後ろに吹き飛んで倒れる。そんなオレに猪狩は馬乗りになって、なおも殴りつけようとしてくる。
「やめろ猪狩、左手は使うな!落ち着け!」
「……」
「ん!?」
 乱暴に胸ぐらを掴んでオレの身体を起こした猪狩は、そのまま自らの唇を重ねるのだった。互いの唇の輪郭をなぞるような、柔らかくて甘いキス。初めて猪狩からなされたそれに、オレは驚いて声も出なかった。殴られた頬と、触れ合う唇が熱い。猪狩は何度か角度を変えながらキスをすると、名残惜しそうに離れていくのだった。
「キミは、バカだ」
「…それは、さっき聞いたよ」
「バカのくせに、理屈だとか、将来のことだとか、もっともらしく言うな」
「…うん」
「もう二度と言うな」
「…うん。ごめん」
「なあ猪狩、おまえは」
「キミのことが、好きだ」
 初めて聞いた猪狩の告白に、オレは返事の代わりとばかりに今度は自分から唇を重ねるのだった。そっと瞼を下ろした猪狩を抱き締めながら、オレは馬鹿だから、もう一生離してやらないぞと、そんなことを考えていた。



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※冥土の土産…冥土へ行く際に持参する土産 それを手に入れて初めて安心して死ねるような事物をいう

久しぶりにガチめの主守。だいすき。

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