僕の名前は
僕の名前は(猪狩進)
僕は野球が好きだった。そういうことに気が付いたのは、自分が野球を出来ない身体になってしまってからのことだ。ある日大型トラックに轢かれ、交通事故に巻き込まれた僕は、今まで日常として過ごしていた一切のことを失った。野球どころか、入院当初は日常生活すらままならなかったし、当然学校にも通えなくなり、一向に回復の兆候をみせないリハビリは長い入院生活を思わせた。
そういう僕の名前を猪狩進といって、高校野球界の中ではそれなりに存在を知られていた方であったと思う。それは僕自身にまつわることではなく、あかつき高校の猪狩守の弟、兄弟バッテリーを組んでいるキャッチャーの方、という意味での風聞である。そういう意味において、僕の名前は「猪狩の弟」であると言っておおむね差し支えがないだろう。
兄は何に対しても真っ直ぐな人で、それは野球にしても僕にしてもそうであったので、事故に遭った僕のことをそれはもう心配していた。見舞いに来たところで容態などたいして変わらぬというのに、兄は忙しい練習の合間を縫って毎日僕の顔を見に病院へやって来た。
そんな日々を繰り返していたある日、僕は気が付いた。もう本当に野球が出来ないのだな。知っていたけれど、ようやく理解として腑に落ちたのだった。不思議な感覚だった。
今にして思い返してみれば、僕はそれほど野球が好きではなかったように思う。始めたきっかけはやはり兄で、キャッチボールの相手として選定されたのが弟の僕であったというだけのことだ。それからは成り行きで、いつの間にか野球をすることが当たり前になっていたけれど、自分から特別に執着することはなかった。猪狩兄弟バッテリーなどと広く呼ばれるようになってからは、そうすることが一番自然である気がして、何の疑問も抱かずに野球をしていた。
それが、どうだろう。野球が出来ない、そう気が付いたいま、自分の中で何かが弾ける感覚があった。僕は、野球がしたい。好きとか嫌いとかそういうことではなくて、ただ野球がしたかった。それは、他の何を犠牲にしたとしても、最優先すべき感情に思えた。いま、そうだ、いま野球が出来なければ、自分が生きている意味はないとまで思った。
だから僕は、その誘いに乗ったのだろう。プロペラ団、世界最大のプロモーター、甲子園のスター発掘、ピッチャーへの転向、それに伴うリスクと待遇、事情は何でも良かった。聞かされた話の大半は右から左に流れ、僕が求めたのはただ一点のみだった。この誘いに乗れば、僕は野球が出来る。
名前を捨てたつもりも、兄へのコンプレックスへの当て付けのつもりもなかったけれど、その日から僕は猪狩進ではなくなった。何者でもなく、ただ野球がしたいだけの一人の人間。
僕の名前は、野球マスク。
了
ーーーーーーー
唐突にやきゅますのこと考えてのたうち回るの、あるあるnightですね
僕は野球が好きだった。そういうことに気が付いたのは、自分が野球を出来ない身体になってしまってからのことだ。ある日大型トラックに轢かれ、交通事故に巻き込まれた僕は、今まで日常として過ごしていた一切のことを失った。野球どころか、入院当初は日常生活すらままならなかったし、当然学校にも通えなくなり、一向に回復の兆候をみせないリハビリは長い入院生活を思わせた。
そういう僕の名前を猪狩進といって、高校野球界の中ではそれなりに存在を知られていた方であったと思う。それは僕自身にまつわることではなく、あかつき高校の猪狩守の弟、兄弟バッテリーを組んでいるキャッチャーの方、という意味での風聞である。そういう意味において、僕の名前は「猪狩の弟」であると言っておおむね差し支えがないだろう。
兄は何に対しても真っ直ぐな人で、それは野球にしても僕にしてもそうであったので、事故に遭った僕のことをそれはもう心配していた。見舞いに来たところで容態などたいして変わらぬというのに、兄は忙しい練習の合間を縫って毎日僕の顔を見に病院へやって来た。
そんな日々を繰り返していたある日、僕は気が付いた。もう本当に野球が出来ないのだな。知っていたけれど、ようやく理解として腑に落ちたのだった。不思議な感覚だった。
今にして思い返してみれば、僕はそれほど野球が好きではなかったように思う。始めたきっかけはやはり兄で、キャッチボールの相手として選定されたのが弟の僕であったというだけのことだ。それからは成り行きで、いつの間にか野球をすることが当たり前になっていたけれど、自分から特別に執着することはなかった。猪狩兄弟バッテリーなどと広く呼ばれるようになってからは、そうすることが一番自然である気がして、何の疑問も抱かずに野球をしていた。
それが、どうだろう。野球が出来ない、そう気が付いたいま、自分の中で何かが弾ける感覚があった。僕は、野球がしたい。好きとか嫌いとかそういうことではなくて、ただ野球がしたかった。それは、他の何を犠牲にしたとしても、最優先すべき感情に思えた。いま、そうだ、いま野球が出来なければ、自分が生きている意味はないとまで思った。
だから僕は、その誘いに乗ったのだろう。プロペラ団、世界最大のプロモーター、甲子園のスター発掘、ピッチャーへの転向、それに伴うリスクと待遇、事情は何でも良かった。聞かされた話の大半は右から左に流れ、僕が求めたのはただ一点のみだった。この誘いに乗れば、僕は野球が出来る。
名前を捨てたつもりも、兄へのコンプレックスへの当て付けのつもりもなかったけれど、その日から僕は猪狩進ではなくなった。何者でもなく、ただ野球がしたいだけの一人の人間。
僕の名前は、野球マスク。
了
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