泳ぎ方は知らないけど
友猪
猪狩守は水族館が好きらしい。ということを友沢が知ったのはつい先日のことである。
さらに、ペンギンが大のお気に入りらしいということに気が付いたのはほんの30分前の話である。
そのようなことをなぜ友沢が知り得たかというと、現在友沢と猪狩は二人で水族館へ来ており、そしてこの30分猪狩がペンギンの水槽前から全く動こうとしないためである。
正直に言えば、友沢は目の前のペンギンに対してとっくに飽きていた。初めのうちこそそれなりに真剣に眺めていたが(隣の猪狩があまりに嬉しそうに見ているのでどんなものかと思ったのだ)、5分もすれば飽きがきた。だってそりゃそうだ、ペンギンときたらべつに何か特別なことをするというわけではないんだもの。
後ろで突っ立っているやつだとか水中を泳いでいるやつ、よちよちと歩いているやつ、確かにかわいいとは思うが、5分も見れば十分である。
なにより友沢は、この人混みに参っていた。日曜の水族館というのは、こんなにも混むものなのか。チケットを買うだけで数十分も待たされ、友沢の予想では隣の猪狩が真っ先に文句を垂れるはずだった。
端的に言えば、猪狩はわがままである。よく言えば自分の欲求に正直であるし、わるく言えば自分中心にしか物事を考えない。そんな猪狩であるので、この人混みを見た瞬間に友沢は猪狩が帰ると言い出さないかと考えていた。
「ちょっと待ってくださいよ、あんたが来たいって言ったんでしょ」いつものようにたしなめ、ぶちぶちと文句を言う猪狩を引き連れて歩く水族館、というのが友沢の描いたシナリオだった。しかし、友沢の予想は大きく外れた。
チケット売り場の列で待っている猪狩は、文句を言うどころか「こんなに混んでいるなんてすごいな」と言って目を輝かせていたのだ。待ちきれないのか、そわそわと辺りを見回しては嬉しそうにしている。
その証拠に、「ほら、友沢、イルカショー」などと言って始終友沢をせっつくのだ。猪狩が指さしたポスターを眺めながら、こんなに喜ぶのならもっと早くに来ていれば良かったなあと友沢は少しだけ反省した。
よくよく考えてみれば、このようないかにも普通の「デート」らしいデートと言えばこれが初めてではないのか。握りこんだ掌が急に熱を持つ。そうか、これはデートなのか。
きっかけは、猪狩の誕生日であった。自分の誕生日を盛大に祝ってもらってしまったという経緯があった友沢は、一応感謝の意も込めて「何か欲しいものありますか」と分かりやすく尋ねた。
余談ではあるけれども、猪狩が用意した誕生祝いとは友沢の常識を吹き飛ばすのに十分たるものだった。貸切だよと言って招待されたそこにはやたらとでかい船があり、何も聞かされずに連れて来られた友沢はぽかんとしながら、「ワンナイトクルーズさ」と言って笑う猪狩の顔を眺めていた。
予期せぬことであったし、猪狩に誕生祝いをしてもらえると思わなかった友沢は素直に浮かれたが、いま思い返せば、あれはただ猪狩が貸切のクルージングをしたかっただけに違いない。そうだとしても、友沢には十分すぎるほど嬉しい出来事であった。
そういうわけで祝ってもらった夏からあっという間に時間は流れ、季節は冬である。まもなく猪狩の誕生日だということで、友沢は思い切って本人に欲しいものを尋ねた。自分には猪狩ほどの財力などとてもなかったし、なにをすれば猪狩が喜ぶのか友沢はいまいちよく分からなかった。なにより、気に入らないものをやったところで喜ばないだろう。とにかく自分に正直な人なのだ、この人は。
「猪狩さん、もうすぐ誕生日ですね」
「そういえば、そうだな。よく覚えていたね」
「猪狩さんの誕生日、覚えやすいですから。それに、あんただってオレの誕生日覚えてたでしょ。何か欲しいものありますか?」
まどろっこしいのはきらいである。友沢は直球勝負で尋ねた。そんなの自分で考えるんだね、と一蹴されるのも覚悟していたが、意外にも猪狩は考えるそぶりをみせた。どうやら欲しいものがあるようである。何が欲しいのか、何をして欲しいのか、友沢にはさっぱり見当もつかない。少しだけわくわくしながら待つと、猪狩にしては珍しく、ごにょごにょと言葉を濁しながら言った。
「水族館に、行きたい、な」
「水族館?」
全く予期していなかった返答に、友沢は自分でもびっくりするほど素っ頓狂な声を出してしまった。だって、どうして、いきなり水族館になるのだろう。猪狩と水族館の組み合わせ、誕生日に水族館をねだる意味が友沢にはさっぱり分からなかった。
「あんた、水族館に行きたいんですか。魚、好きなんですか?」
我ながら変なことを言っているなあと思いながら友沢は尋ねた。今まで猪狩に魚を愛でるような趣味があっただろうか。そこまで考えて、そういえば自分たちの間には野球ばかりであるなと、友沢は思う。野球以外に猪狩が何に興味があるのか、そういえばほとんど知らない。訝しげな顔をしている友沢に、猪狩はもごもごと続ける。
「昔、進と一緒に行ったことがあるんだ」
もう随分と前の話だけどね、面映ゆい様子で、それでも確かに嬉しそうな顔で猪狩は言った。友沢が黙ったままなので、猪狩は言い訳めいた口調でなぜ水族館なのかと話し続けている。
猪狩の話によると、この前テレビでどこかの水族館の特集をしていたらしい。そんなものを猪狩がいつ見ていたのかそれ自体友沢には不思議であったが、要約するとつまり、昔弟と行ったきりの水族館が懐かしくなったということである。
正直に言えば、友沢としては「またか」という思いであった。猪狩自身は否定するが、友沢は彼のことを重度のブラコンだと思っている。自分にも弟と妹が一人ずついるのでかわいいという気持ちはもちろん分かるが、猪狩はまさしくブラザーコンプレックスのそれであった。本人の自覚がない分たちが悪いとも思っている。
普段はなんともない顔をしているが、ひとたび弟の話が始まるとさも自分の自慢話のように長々と話し出すのだ。同じチームメイトであるので見ていれば分かるし聞かなくても知っているのだが、弟の話をして機嫌良さそうにしている猪狩を友沢は遮ることができなかった。
弟の方はどうやらそれをよく思っていないようだと感じていた友沢には、余計に猪狩の態度を持て余すこととなっている。進の方とは特別親しくしているわけではなかったが、そんなのは見ていれば分かる。なんと言ったってチームメイトなのだ。
この前猪狩から聞いた話を友沢は何度も自分の中で反芻していた。一人暮らしをしている進のもとへ訪れた猪狩が、挨拶もそこそこにすぐに追い出されてしまったという話である。
僕は僕でやっていますから、大丈夫です。
そのように言って進は猪狩を早々に帰してしまったそうである。友沢としては、猪狩がわざわざいらぬことを言ったか、そもそも訪ねる頻度が多すぎるのかその辺りに要因があると思っているが、帰ってきた猪狩は分かりやすく落ち込んでいた。
べつに、ボクは気にしてないけどね。そう言いながらシュウマイの上に乗っかっているグリンピースを箸でつついた猪狩は明らかにめちゃくちゃ気にしていたし、ショックを受けている様子だった。夕飯の支度を終えて共に席についた友沢は白飯をかきこみながら考える。食事の支度をするのはいつだって友沢だったし、猪狩はいつも出されたそれを食べるだけであった。
「友沢、行こう」
「もういいんですか」
自らの思考に沈んでいた友沢は、急に声を掛けられて驚いた。さっきまでペンギンに向けられていたはずの視線は今、真っ直ぐと友沢へと向けられている。
「だってキミ、全然見てないだろ」
「見てますよ」
「嘘つくな。さっきのイルカショーのときだってずっとぼんやりしてただろ」
ぼんやりなんてしていない。オレはショーを見てるあんたを見てたんだ。もちろんそんなことを言えるはずもなく、友沢はいつものポーカーフェイスでやり過ごした。
ぐい、と乱暴に袖口を掴んだ猪狩が言う。
「結構疲れたしね。もう帰る」
こちらの声など全く耳も貸さず、ぐいぐいと歩みを進める猪狩を追いかけるので友沢は必死である。伸ばした手は人混みに遮られ猪狩には届かない。ようやく追いついた時には、そこはもう出口であった。猪狩は今にも出て行こうとしている。思わず、その手を掴んでいた。
びっくりしたように猪狩は友沢を見つめたが、気にせずに口を開く。どさくさまぎれに、掴んだ猪狩の掌ごとパーカーのポケットに突っこんでやった。
「おい友沢!人が見てる」
「人混みに紛れて分かんないですよ」
そのまま猪狩を引っ張るように歩き出して、友沢はずんずんと進んでいく。目当ての先には土産物の店がある。落ち着かない様子でまごまごしている猪狩をよそに、友沢は綺麗な細工がしてあるイルカの置物だとかしゃらしゃらと揺れるキーホルダーの束を眺めた。翔太と朋恵の土産に買っていったら、きっと喜ぶだろう。
「オレこれ買ってくるんで、猪狩さんはあそこで待っててください」
手を離すと、猪狩はこれ幸いにと友沢から距離をとって幼い仕草で顎を引いた。心底ホッとしているその様子は若干心外ですらある。そんなにオレと手を繋ぐのが嫌なんですかと子供じみた小言のひとつやふたつは漏れてしまいそうだ。もちろん、猪狩がそのような態度をとる理由は分かっているし、そんなことを言うほど友沢は子供ではない。
猪狩が背を向けたのを確認してから、友沢は目当ての土産と手元のそれを一緒に取って会計へと向かった。
「お待たせしました」
「なにを買ったんだい」
「翔太と朋恵にちょっと土産を」
「ふうん」
「あんたには、こっち」
ふたつある袋のうちひとつを猪狩の手に握らせた。首をかしげながらも、猪狩は早速袋の中からそれを取り出す。中から出てきたのはぬいぐるみだった。
「なんだい、これ」
「見れば分かるでしょ、ペンギンのぬいぐるみです」
「これをボクに?」
「だって、あんたペンギン好きでしょ」
べつに好きじゃないよ、などとのたまっているが、嬉しそうな様子は隠しきれないようで、猪狩はペンギンを掴みながらにこにこと笑った。土産物屋に入ったときから猪狩がこのぬいぐるみをちらちらと見ていること、友沢にはとっくにお見通しだった。
「でも、ふたつもあるよ。結局キミも好きなんじゃないか」
「オレの分じゃないです」
「じゃあ、誰のだい」
「進さんの分です」
猪狩はきょとんとしたまま友沢を見つめている。青く大きな瞳がくりくりと瞬いていた。これはいつ見てもきれいであると、友沢は常々思っている。透明感のある深いブルーは精一杯疑問の色をにじませていた。
「進さんもあんたと一緒でぬいぐるみとか好きそうじゃないですか」
「……」
「お土産だって言って渡して、今度はまた進さんと来たらいいですよ」
「友沢」
ぐ、と握りしめられたペンギンがへこんで、ぴいと鳴いた。思わず二人顔を見合わせる。もう一度猪狩がペンギンの腹を押すと、確かに声が鳴った。何度も何度も猪狩はペンギンを押したりひっこめたりを繰り返して、そのたびにぴいぴいとかわいらしい声でペンギンが鳴く。
「ペンギンの鳴き声ってこんなでしたっけ?」
「さあね」
笑った猪狩がかわいらしかったので、友沢は猪狩の手からペンギンを取り上げて腹を押してみた。ぴい。一度だけ鳴らして猪狩へと返す。
嬉しそうにペンギンを抱く猪狩がとてもかわいかったので、なんと言われても今日は手を繋いで帰ろうと友沢は一人で勝手に決めたのだった。
―――――――――――
らぶらぶですね
たまにはこういう二人もいいと思います
猪狩守は水族館が好きらしい。ということを友沢が知ったのはつい先日のことである。
さらに、ペンギンが大のお気に入りらしいということに気が付いたのはほんの30分前の話である。
そのようなことをなぜ友沢が知り得たかというと、現在友沢と猪狩は二人で水族館へ来ており、そしてこの30分猪狩がペンギンの水槽前から全く動こうとしないためである。
正直に言えば、友沢は目の前のペンギンに対してとっくに飽きていた。初めのうちこそそれなりに真剣に眺めていたが(隣の猪狩があまりに嬉しそうに見ているのでどんなものかと思ったのだ)、5分もすれば飽きがきた。だってそりゃそうだ、ペンギンときたらべつに何か特別なことをするというわけではないんだもの。
後ろで突っ立っているやつだとか水中を泳いでいるやつ、よちよちと歩いているやつ、確かにかわいいとは思うが、5分も見れば十分である。
なにより友沢は、この人混みに参っていた。日曜の水族館というのは、こんなにも混むものなのか。チケットを買うだけで数十分も待たされ、友沢の予想では隣の猪狩が真っ先に文句を垂れるはずだった。
端的に言えば、猪狩はわがままである。よく言えば自分の欲求に正直であるし、わるく言えば自分中心にしか物事を考えない。そんな猪狩であるので、この人混みを見た瞬間に友沢は猪狩が帰ると言い出さないかと考えていた。
「ちょっと待ってくださいよ、あんたが来たいって言ったんでしょ」いつものようにたしなめ、ぶちぶちと文句を言う猪狩を引き連れて歩く水族館、というのが友沢の描いたシナリオだった。しかし、友沢の予想は大きく外れた。
チケット売り場の列で待っている猪狩は、文句を言うどころか「こんなに混んでいるなんてすごいな」と言って目を輝かせていたのだ。待ちきれないのか、そわそわと辺りを見回しては嬉しそうにしている。
その証拠に、「ほら、友沢、イルカショー」などと言って始終友沢をせっつくのだ。猪狩が指さしたポスターを眺めながら、こんなに喜ぶのならもっと早くに来ていれば良かったなあと友沢は少しだけ反省した。
よくよく考えてみれば、このようないかにも普通の「デート」らしいデートと言えばこれが初めてではないのか。握りこんだ掌が急に熱を持つ。そうか、これはデートなのか。
きっかけは、猪狩の誕生日であった。自分の誕生日を盛大に祝ってもらってしまったという経緯があった友沢は、一応感謝の意も込めて「何か欲しいものありますか」と分かりやすく尋ねた。
余談ではあるけれども、猪狩が用意した誕生祝いとは友沢の常識を吹き飛ばすのに十分たるものだった。貸切だよと言って招待されたそこにはやたらとでかい船があり、何も聞かされずに連れて来られた友沢はぽかんとしながら、「ワンナイトクルーズさ」と言って笑う猪狩の顔を眺めていた。
予期せぬことであったし、猪狩に誕生祝いをしてもらえると思わなかった友沢は素直に浮かれたが、いま思い返せば、あれはただ猪狩が貸切のクルージングをしたかっただけに違いない。そうだとしても、友沢には十分すぎるほど嬉しい出来事であった。
そういうわけで祝ってもらった夏からあっという間に時間は流れ、季節は冬である。まもなく猪狩の誕生日だということで、友沢は思い切って本人に欲しいものを尋ねた。自分には猪狩ほどの財力などとてもなかったし、なにをすれば猪狩が喜ぶのか友沢はいまいちよく分からなかった。なにより、気に入らないものをやったところで喜ばないだろう。とにかく自分に正直な人なのだ、この人は。
「猪狩さん、もうすぐ誕生日ですね」
「そういえば、そうだな。よく覚えていたね」
「猪狩さんの誕生日、覚えやすいですから。それに、あんただってオレの誕生日覚えてたでしょ。何か欲しいものありますか?」
まどろっこしいのはきらいである。友沢は直球勝負で尋ねた。そんなの自分で考えるんだね、と一蹴されるのも覚悟していたが、意外にも猪狩は考えるそぶりをみせた。どうやら欲しいものがあるようである。何が欲しいのか、何をして欲しいのか、友沢にはさっぱり見当もつかない。少しだけわくわくしながら待つと、猪狩にしては珍しく、ごにょごにょと言葉を濁しながら言った。
「水族館に、行きたい、な」
「水族館?」
全く予期していなかった返答に、友沢は自分でもびっくりするほど素っ頓狂な声を出してしまった。だって、どうして、いきなり水族館になるのだろう。猪狩と水族館の組み合わせ、誕生日に水族館をねだる意味が友沢にはさっぱり分からなかった。
「あんた、水族館に行きたいんですか。魚、好きなんですか?」
我ながら変なことを言っているなあと思いながら友沢は尋ねた。今まで猪狩に魚を愛でるような趣味があっただろうか。そこまで考えて、そういえば自分たちの間には野球ばかりであるなと、友沢は思う。野球以外に猪狩が何に興味があるのか、そういえばほとんど知らない。訝しげな顔をしている友沢に、猪狩はもごもごと続ける。
「昔、進と一緒に行ったことがあるんだ」
もう随分と前の話だけどね、面映ゆい様子で、それでも確かに嬉しそうな顔で猪狩は言った。友沢が黙ったままなので、猪狩は言い訳めいた口調でなぜ水族館なのかと話し続けている。
猪狩の話によると、この前テレビでどこかの水族館の特集をしていたらしい。そんなものを猪狩がいつ見ていたのかそれ自体友沢には不思議であったが、要約するとつまり、昔弟と行ったきりの水族館が懐かしくなったということである。
正直に言えば、友沢としては「またか」という思いであった。猪狩自身は否定するが、友沢は彼のことを重度のブラコンだと思っている。自分にも弟と妹が一人ずついるのでかわいいという気持ちはもちろん分かるが、猪狩はまさしくブラザーコンプレックスのそれであった。本人の自覚がない分たちが悪いとも思っている。
普段はなんともない顔をしているが、ひとたび弟の話が始まるとさも自分の自慢話のように長々と話し出すのだ。同じチームメイトであるので見ていれば分かるし聞かなくても知っているのだが、弟の話をして機嫌良さそうにしている猪狩を友沢は遮ることができなかった。
弟の方はどうやらそれをよく思っていないようだと感じていた友沢には、余計に猪狩の態度を持て余すこととなっている。進の方とは特別親しくしているわけではなかったが、そんなのは見ていれば分かる。なんと言ったってチームメイトなのだ。
この前猪狩から聞いた話を友沢は何度も自分の中で反芻していた。一人暮らしをしている進のもとへ訪れた猪狩が、挨拶もそこそこにすぐに追い出されてしまったという話である。
僕は僕でやっていますから、大丈夫です。
そのように言って進は猪狩を早々に帰してしまったそうである。友沢としては、猪狩がわざわざいらぬことを言ったか、そもそも訪ねる頻度が多すぎるのかその辺りに要因があると思っているが、帰ってきた猪狩は分かりやすく落ち込んでいた。
べつに、ボクは気にしてないけどね。そう言いながらシュウマイの上に乗っかっているグリンピースを箸でつついた猪狩は明らかにめちゃくちゃ気にしていたし、ショックを受けている様子だった。夕飯の支度を終えて共に席についた友沢は白飯をかきこみながら考える。食事の支度をするのはいつだって友沢だったし、猪狩はいつも出されたそれを食べるだけであった。
「友沢、行こう」
「もういいんですか」
自らの思考に沈んでいた友沢は、急に声を掛けられて驚いた。さっきまでペンギンに向けられていたはずの視線は今、真っ直ぐと友沢へと向けられている。
「だってキミ、全然見てないだろ」
「見てますよ」
「嘘つくな。さっきのイルカショーのときだってずっとぼんやりしてただろ」
ぼんやりなんてしていない。オレはショーを見てるあんたを見てたんだ。もちろんそんなことを言えるはずもなく、友沢はいつものポーカーフェイスでやり過ごした。
ぐい、と乱暴に袖口を掴んだ猪狩が言う。
「結構疲れたしね。もう帰る」
こちらの声など全く耳も貸さず、ぐいぐいと歩みを進める猪狩を追いかけるので友沢は必死である。伸ばした手は人混みに遮られ猪狩には届かない。ようやく追いついた時には、そこはもう出口であった。猪狩は今にも出て行こうとしている。思わず、その手を掴んでいた。
びっくりしたように猪狩は友沢を見つめたが、気にせずに口を開く。どさくさまぎれに、掴んだ猪狩の掌ごとパーカーのポケットに突っこんでやった。
「おい友沢!人が見てる」
「人混みに紛れて分かんないですよ」
そのまま猪狩を引っ張るように歩き出して、友沢はずんずんと進んでいく。目当ての先には土産物の店がある。落ち着かない様子でまごまごしている猪狩をよそに、友沢は綺麗な細工がしてあるイルカの置物だとかしゃらしゃらと揺れるキーホルダーの束を眺めた。翔太と朋恵の土産に買っていったら、きっと喜ぶだろう。
「オレこれ買ってくるんで、猪狩さんはあそこで待っててください」
手を離すと、猪狩はこれ幸いにと友沢から距離をとって幼い仕草で顎を引いた。心底ホッとしているその様子は若干心外ですらある。そんなにオレと手を繋ぐのが嫌なんですかと子供じみた小言のひとつやふたつは漏れてしまいそうだ。もちろん、猪狩がそのような態度をとる理由は分かっているし、そんなことを言うほど友沢は子供ではない。
猪狩が背を向けたのを確認してから、友沢は目当ての土産と手元のそれを一緒に取って会計へと向かった。
「お待たせしました」
「なにを買ったんだい」
「翔太と朋恵にちょっと土産を」
「ふうん」
「あんたには、こっち」
ふたつある袋のうちひとつを猪狩の手に握らせた。首をかしげながらも、猪狩は早速袋の中からそれを取り出す。中から出てきたのはぬいぐるみだった。
「なんだい、これ」
「見れば分かるでしょ、ペンギンのぬいぐるみです」
「これをボクに?」
「だって、あんたペンギン好きでしょ」
べつに好きじゃないよ、などとのたまっているが、嬉しそうな様子は隠しきれないようで、猪狩はペンギンを掴みながらにこにこと笑った。土産物屋に入ったときから猪狩がこのぬいぐるみをちらちらと見ていること、友沢にはとっくにお見通しだった。
「でも、ふたつもあるよ。結局キミも好きなんじゃないか」
「オレの分じゃないです」
「じゃあ、誰のだい」
「進さんの分です」
猪狩はきょとんとしたまま友沢を見つめている。青く大きな瞳がくりくりと瞬いていた。これはいつ見てもきれいであると、友沢は常々思っている。透明感のある深いブルーは精一杯疑問の色をにじませていた。
「進さんもあんたと一緒でぬいぐるみとか好きそうじゃないですか」
「……」
「お土産だって言って渡して、今度はまた進さんと来たらいいですよ」
「友沢」
ぐ、と握りしめられたペンギンがへこんで、ぴいと鳴いた。思わず二人顔を見合わせる。もう一度猪狩がペンギンの腹を押すと、確かに声が鳴った。何度も何度も猪狩はペンギンを押したりひっこめたりを繰り返して、そのたびにぴいぴいとかわいらしい声でペンギンが鳴く。
「ペンギンの鳴き声ってこんなでしたっけ?」
「さあね」
笑った猪狩がかわいらしかったので、友沢は猪狩の手からペンギンを取り上げて腹を押してみた。ぴい。一度だけ鳴らして猪狩へと返す。
嬉しそうにペンギンを抱く猪狩がとてもかわいかったので、なんと言われても今日は手を繋いで帰ろうと友沢は一人で勝手に決めたのだった。
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らぶらぶですね
たまにはこういう二人もいいと思います
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