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だからさよなら

猪狩兄弟の話/プロ入り後の主人公と猪狩


「ボクは、もしかしたらずっと間違っていたのかもしれない」

手の中でグラスを弄びながら言った猪狩は、そのまま一気に中身を飲み干してしまった。ごくごくと喉が鳴って、ビールは猪狩の腹の中に溜まっていく。
ふう、大きく息をついた猪狩が新しいアルコールをグラスへと注ぐ。ぎりぎりのところで留まった泡が頼りなく揺れていた。
二人して黙ったままグラスを傾けるだけの時間が続く。



猪狩守がオレのマンションへやってきたのは半刻ほど前のことだ。
見たいテレビもないのでそろそろ寝ようかと思ったところへインターホンが鳴ったのだった。
誰だよ、こんな時間に…すでにベッドへと横になっていたオレはしつこいインターホンの呼び出しに根負けしてしぶしぶと起き上がった。
こんな時間にやってくる人間は一体誰だろうと訝りながらインターホンの画面をのぞくと、なんとそこには猪狩の姿があるではないか。オレは驚いて、すぐに扉を開けた。

「猪狩!どうしたんだよ、こんな時間に。しかも突然」
「失礼するよ」

オレの質問には答えずに猪狩は靴を脱ぐとさっさと部屋へと上がりこんでしまうのだった。
こんなときでも脱いだ靴を律儀に揃えていくのがいかにも猪狩らしい。キレイな靴をぼんやりと眺めてからオレは急いで猪狩の背中を追う。
その手には大きなビニール袋が下げられていた。

「その格好を見ると、もう寝ていたのかい?」
「いや、寝てはなかったけど。それにしてもどうしたんだよ猪狩。なんかあったのか?」

オレの質問には答えずに、猪狩は下げていたビニール袋を下ろして、自身もどっかと腰を下ろした。
猪狩の部屋とは違ってオレの狭い部屋にはソファなんてないから、カーペットの上にそのまま胡坐をかく。
猪狩にしてはぞんざいな動きである。
黙って見ていると、今度はビニール袋の中身をがさがさと取り出し始めた。大きな袋の中から出てきたのは、大量の缶ビールとつまみの数々だった。

「パワプロ、突っ立ってないでグラスを出してくれ」
「なんだよ、今から飲むのか?お前が自分から酒を飲みたがるなんて珍しいな」
「たまにはね。そういう気分なんだ」

ビールとつまみを机に並べている猪狩を横目で見ながらオレは黙ってグラスを取りに行くことにした。猪狩の目が少しだけ赤く腫れているのを見てしまったからだった。
こんな時間に猪狩が自分のマンションへ訪ねてくること、苦手なアルコールを飲もうとしていること、コンビニの安い酒とつまみを持参してきたこと、そのすべてが猪狩らしくないのは言うまでもない。
オレはグラスと皿を持って猪狩の真正面に腰を下ろしたのだが、猪狩はさして気にした風でもなく、手渡されたグラスにさっそくビールを注ぎ始めた。とっとっと、注がれた小麦色の液体を猪狩は一口だけ飲んでこちらを向いた。

「たくさん買ってきたから、キミも飲むといいよ」
「てか、買いすぎだろ。ぬるくなるから、残りは冷蔵庫入れとくぞ」

猪狩は黙ってビールを傾けている。残りの酒を冷蔵庫に入れて戻ると、猪狩はスルメをかじっているところだった。
こういうのも意外とおいしいものなんだな、独り言のように言った猪狩はさらに新しいつまみの袋を開けていった。
その様子を見ながらオレもビールの蓋を開けて口をつける。猪狩のようにわざわざグラスへ注ぐことはしない。一気に半分ほど飲み干してぷはっと息をつく。ビールはいつ飲んだって美味いものだ。猪狩がそう思っているのかどうかは分からない。こいつはアルコールが苦手のはずだった。

「進が、来年プロ入りする」
「え、進くんが!良かったなあ」

猪狩はそれだけを言うとまた黙ってしまった。スルメをかじりながらちびりちびりとビールを舐めるばかりである。猪狩とスルメ、似合わない組み合わせだ。
オレは猪狩の買ってきたつまみを勝手に開けて食べ始めたが、猪狩は何も言わなかった。
チーズ鱈をもぐもぐと咀嚼しながらオレはあっという間にビールを一缶開けてしまった。先ほど自分がしまったばかりのビールを冷蔵庫から取り出すために席を立つ。猪狩はそんなオレの様子をぼんやりと眺めながらやっぱりスルメをかじっていた。気に入ったんだろうか。惰性で口に入れているだけのような気もする。

席を立ったついでに、オレは冷凍の枝豆を取り出した。確か猪狩は枝豆が好きだったはずだ。飲み屋に行ってもほとんど飲まない猪狩は枝豆ばかりつまんでいたような気がする。安物の冷凍枝豆が口に合うかどうかは知らないが、適当に湯で流して皿に盛る。まだ半分くらい凍っているだろうがまあいいだろう。

「良かったら食えよ」

机の上に置くと猪狩はさっそく枝豆をつまみ出した。もぐもぐと黙って食べている様子は珍しくかわいかったが、少々不気味でもある(いつもだったらまだ凍っているだの塩気が薄いだのいろいろとうるさい)。
出された枝豆が半分ほどなくなった頃、猪狩はぽつりと言葉を零した。顔が赤い。

「ボクは、もしかしたらずっと間違っていたのかもしれない」

唐突な言葉の意味をオレは理解することができなかった。そもそも独り言のような気もする。
それきり猪狩も黙ってしまったものだから、オレも静かにビールを開けた。ビールはあっという間に空になってしまって、オレはそのたびに何度も腰を上げなければならないのだった。
何本の缶ビールが空いたことだろう、その頃には猪狩は耳まで真っ赤に染め上げて情けない顔をしていた。いつもの嫌味で高飛車な猪狩はどこにいってしまったのだろう。
凛々しい眉がへにょんと垂れているのをみて、オレは不覚にも動揺した。明らかに飲みすぎだ。

「猪狩、もうその辺でやめとけよ。お前もともと酒強くないだろ」
「うるさいな。このくらいどうってことないよ」
「鏡で自分の顔を見てから言えよ。今のお前すっごい情けない顔してるぞ。天才猪狩守の名が泣くぞ」

猪狩は返事をしない。酒がまわってふらふらしているようだった。完全につぶれている。
とうとう机に突っ伏してしまった猪狩を軽くさすりながらオレは声をかけた。

「おい、猪狩大丈夫か」
「すすむが、ボクのことをきらいだっていうんだ」
「なんだって?」
「すすむはボクのことがきらいだそうだよ」

要領の得ないことを言う猪狩にオレの声は届いていないようだった。もごもごと聞き取りにくい声量で猪狩の独り言は続いた。

「“僕は兄さんのことがずっと嫌いでした。プロ入りをして、僕は変わります。もう、兄さんの後ろをついていく僕ではありません”そうやっていうんだ」
「ほんとに進くんがそんなこと言ったのか?」
「ボクのかおをまっすぐみながらいったよ。あんなすすむははじめてみた」
「進くんどうしたんだろう…」
「さすがのボクもこたえたな」

そう言うと猪狩はとろんとした瞼を完全に下してしまった。ベッドへ行くように促すといやいやをするように頭を振っていやがった。

「ボクは、もしかしたらずっとまちがっていたのかもしれない」

先程と同じ言葉を繰り返した猪狩は、少しだけ起き上がってそれきりまた力なく机へ倒れ込んでしまった。
そんなことないだろう、なあ猪狩、舌先まで出かかったオレの言葉は声になることなく胃の中のビールと一緒に腹の中へ溜まっていく。猪狩の目に涙を見たからだった。目じりからほろほろと流れるそれにオレは何も言葉が出てこなかった。

掌で適当に涙をぬぐってやってから、完全に寝入ってしまった猪狩を運ぶためにオレは立ち上がった。
いくら毎日鍛えているとはいえ、同じように鍛え上げられている成人男性を一人でベッドまで運ぶのは骨が折れた。力の抜けた人間というのはこんなにも重いものなのか。以前にも酔っぱらった猪狩を自宅まで送り届けたことがあったが、あのときの猪狩はまだ意識があった。

ベッドへ猪狩を横たえ布団をかける。その間猪狩は全く起きなかった。ぐっすりというよりはぐったりとした様子で眠っている。この様子では明日は二日酔いかもしれない。
あの天才猪狩が二日酔い、らしくない。少しだけくすっと笑ってしまってから、眠る猪狩を見てオレは顔をひきしめた。

彼ら兄弟の間で何があったのかは知らない。オレはずっと、仲の良い兄弟だと思っていた。そして、実際そうだったのだろう。あの猪狩が弟の進くんについて話すときはいつも誇らしげに目をキラキラさせている様子をオレは何度も見ていたし、高校時代にバッテリーを組んでいた彼らは確かに最高のパートナーだった。
あのとき兄さんを尊敬していますと言った進くんの言葉は、きっと嘘ではないんだろう。
ただ、それだけではなかったのかもしれない。こうして思い返してみれば、進くんは猪狩の弟として見られていることが多かったような気がするし、どうしても言動が派手な兄の猪狩の方が目立っていた。

進くんはどうして今になって猪狩にあんなことを言ったのだろう。そう考えると、オレや猪狩にとっては「突然」の話であっても、進くんからすればたぶんそうではなかったんだろう。ずっと思っていたことを、今回たまたま吐き出しただけにちがいない。
そうだとすれば、彼らの間に横たわる問題は、一朝一夕のものではない。そしてそれは、猪狩もうすうす分かっているのではないだろうか。猪狩はばかじゃない。それでも、猪狩は猪狩なりに弟を慈しんできたのだろう。猪狩が家族をとても大切にすることをオレは知っていた。

進くんがどういうつもりで、どういう気持ちで猪狩にあのようなことを言ったのかオレには分からない。
ただ、彼らは、そろそろ兄弟離れをする時期がきたのかもしれないと思った。
猪狩は猪狩、進くんは進くんで歩き出す時がきたのだ。なあ猪狩、お前も本当は分かっているんだろ。進くんの言動は、そのための一歩だった。あのように言わなければその一歩を踏み出せなかった進くんの気持ちはオレには計り知れなかったけれど、それでも、彼ら兄弟が今までとは違う形で道を歩んでいくための大きな一歩だったのだろう。

だから猪狩、しばらくの間はさよならをするんだよ。
お前は悲しむかもしれないけど、たぶんそういう時期がきてしまったんだ。お前って、オレの予想以上にブラコンだったんだな。オレですらそう思うんだから、進くんにそれが伝わっていないはずがないよ。だから、大丈夫。

明日起きたら、二日酔いを訴えるお前を引っ張って河原へ行こう。
キャッチボールももちろんいいし、久しぶりに勝負するのもいいな。
お前の全力ストレート、見えないところまでかっ飛ばしてやる。
だから、今はもう少しだけ眠っていていいよ。


―――――――――――
ピクシブよりお引越し

時系列無視、完全妄想ですがこれも意外と気に入ってます

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