一生言わない
一生言わない
帰って来てリビングの扉を開けた瞬間、鼻をつくその匂いに猪狩は眉を顰めた。自分を待っていたのは、酒の匂いと散らばる空き瓶や空き缶、そしてソファにひっくり返って寝ているパワプロの姿だった。換気扇を回し、窓を開けて換気する。真冬の冷たい風が吹き抜けていったが、悪臭こもった室内よりは随分とマシだ。一体いつから飲んでいたのか、赤い顔をして呑気に寝ている家主が起きることはない。
十二月二十四日。何の日かといって、それは勿論、当然にして、猪狩の誕生日であった。一緒に誕生日を祝いたい、そういう要望を口にしたパワプロが、わざわざ猪狩を待っていてこんなことになっているのは、容易に想像がついた。だからこそ猪狩は腹を立てている。待たなくていいと、きちんと伝えていたからだ。それにパワプロも納得をしたはずで、その代わりに二十五日はキミのために一日空けておくと、猪狩にしては大層な大盤振る舞いを約束していたのだ。それなのに、パワプロは待っていたらしい。その心理が、猪狩にはどうにも分からなかった。
パワプロの言葉をそのまま借りるのならば、猪狩の家は、金持ちだ。そんじょそこらの金持ちではない、息子が望んだという理由だけで野球球場をぽんとひとつプレゼントしてしまうくらいの金持ちだった。猪狩コンツェルン。猪狩の父たる猪狩茂が一代で築き上げたという驚くべき経歴を持つ会社であり、子会社も数えきれないほど無数に存在する。手掛ける事業は、小売・製造・インフラ・不動産・金融・農業に至るまで、挙げればキリがないほど多岐に渡る。
そういう家の長男として、猪狩守は産まれた。世継ぎ、長男たる守の誕生を喜び、祝福するのは息をするのと同義であり、当たり前のことであった。要するに、猪狩の誕生日には、毎年盛大なパーティが開かれるのが習わしであるということだ。誕生パーティという名目から、猪狩コンツェルンの跡取り息子お披露目の場となりつつあるのは、ここ数年のことであったが。
だから猪狩は、パワプロに待たなくて良いと言った。ボクは今夜、帰れない。そう伝えた猪狩が、普段よりも早く切り上げてここに来ていること自体が、パワプロの願う気持ちと同じであることを証明しているのだが、いかんせん猪狩は気付かない。なにせ、こんな風に過ごす二十四日は今年が初めてなのだ。パワプロも同じ思いであったが、無論猪狩は知らない。
十二月二十四日。猪狩守の誕生日。クリスマス・イブ。イブの日には恋人同士で過ごすのが習わしなどと、そんなことを言い出したのは、どこのどいつだ。苦々しい気持ちで、猪狩は換気のために開けていた窓を閉める。そんなことがなければ、こいつはこんな風にして待っていることもなかっただろうに。
散々冬の風が吹き込んだ室内は寒いのか、ソファで転がっていたパワプロが小さく丸まっている。そこでようやく猪狩は手袋を外し、巻いていたマフラーをとって、ソファへ近付いた。飲みすぎたせいなのか、猪狩が隣にやって来てもパワプロは全然気が付かない。
しゃがみ込み、頬にキスをしようとして、猪狩は思い直して唇にそれを押し当てた。途端酒臭い匂いが猪狩の鼻をついて、すぐに後悔した。本当に、バカだな。寝顔にそう、言い聞かせた。
野球が出来なくなっても、跡取り息子じゃなくなっても、キミがいればいいなんて、一生言わない。そんなこと、言わなくてもとっくに知っているだろうから。
パワプロが起きるまで、あと少し。二十四日の寿命はまだ、残っている。
了
ーーーーーーーーーー
守さん、おめでとうございます。
今年のあなたも素敵でした。来年のあなたもきっともっとずっと素敵なんだと思います。
ありがとう、おめでとう、大好き!
帰って来てリビングの扉を開けた瞬間、鼻をつくその匂いに猪狩は眉を顰めた。自分を待っていたのは、酒の匂いと散らばる空き瓶や空き缶、そしてソファにひっくり返って寝ているパワプロの姿だった。換気扇を回し、窓を開けて換気する。真冬の冷たい風が吹き抜けていったが、悪臭こもった室内よりは随分とマシだ。一体いつから飲んでいたのか、赤い顔をして呑気に寝ている家主が起きることはない。
十二月二十四日。何の日かといって、それは勿論、当然にして、猪狩の誕生日であった。一緒に誕生日を祝いたい、そういう要望を口にしたパワプロが、わざわざ猪狩を待っていてこんなことになっているのは、容易に想像がついた。だからこそ猪狩は腹を立てている。待たなくていいと、きちんと伝えていたからだ。それにパワプロも納得をしたはずで、その代わりに二十五日はキミのために一日空けておくと、猪狩にしては大層な大盤振る舞いを約束していたのだ。それなのに、パワプロは待っていたらしい。その心理が、猪狩にはどうにも分からなかった。
パワプロの言葉をそのまま借りるのならば、猪狩の家は、金持ちだ。そんじょそこらの金持ちではない、息子が望んだという理由だけで野球球場をぽんとひとつプレゼントしてしまうくらいの金持ちだった。猪狩コンツェルン。猪狩の父たる猪狩茂が一代で築き上げたという驚くべき経歴を持つ会社であり、子会社も数えきれないほど無数に存在する。手掛ける事業は、小売・製造・インフラ・不動産・金融・農業に至るまで、挙げればキリがないほど多岐に渡る。
そういう家の長男として、猪狩守は産まれた。世継ぎ、長男たる守の誕生を喜び、祝福するのは息をするのと同義であり、当たり前のことであった。要するに、猪狩の誕生日には、毎年盛大なパーティが開かれるのが習わしであるということだ。誕生パーティという名目から、猪狩コンツェルンの跡取り息子お披露目の場となりつつあるのは、ここ数年のことであったが。
だから猪狩は、パワプロに待たなくて良いと言った。ボクは今夜、帰れない。そう伝えた猪狩が、普段よりも早く切り上げてここに来ていること自体が、パワプロの願う気持ちと同じであることを証明しているのだが、いかんせん猪狩は気付かない。なにせ、こんな風に過ごす二十四日は今年が初めてなのだ。パワプロも同じ思いであったが、無論猪狩は知らない。
十二月二十四日。猪狩守の誕生日。クリスマス・イブ。イブの日には恋人同士で過ごすのが習わしなどと、そんなことを言い出したのは、どこのどいつだ。苦々しい気持ちで、猪狩は換気のために開けていた窓を閉める。そんなことがなければ、こいつはこんな風にして待っていることもなかっただろうに。
散々冬の風が吹き込んだ室内は寒いのか、ソファで転がっていたパワプロが小さく丸まっている。そこでようやく猪狩は手袋を外し、巻いていたマフラーをとって、ソファへ近付いた。飲みすぎたせいなのか、猪狩が隣にやって来てもパワプロは全然気が付かない。
しゃがみ込み、頬にキスをしようとして、猪狩は思い直して唇にそれを押し当てた。途端酒臭い匂いが猪狩の鼻をついて、すぐに後悔した。本当に、バカだな。寝顔にそう、言い聞かせた。
野球が出来なくなっても、跡取り息子じゃなくなっても、キミがいればいいなんて、一生言わない。そんなこと、言わなくてもとっくに知っているだろうから。
パワプロが起きるまで、あと少し。二十四日の寿命はまだ、残っている。
了
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守さん、おめでとうございます。
今年のあなたも素敵でした。来年のあなたもきっともっとずっと素敵なんだと思います。
ありがとう、おめでとう、大好き!
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