夏過ぎて
夏過ぎて(主守)
なんで、手を繋いでいるんだっけ。なんで、オレは猪狩とこうしているんだったっけ?
隣を歩く猪狩が黙ったままでいるから、オレも何も言わないでいる。夕暮れを過ぎて日が落ちた、夏の河原。こっそり横を見てみるけど、街灯の薄明かりでは猪狩の細かな表情まで窺い知ることはできなかった。
暑くはないけれど涼しくもないぬるい風が、夏の終わりを知らせていく。もう、夏が終わるのだ。人生で一度きり、高校三年の夏。地方大会決勝戦、オレたちパワフル高校野球部は、猪狩率いるあかつき大附属高校に敗北した。甲子園行きのラストチャンスを逃したオレは、負けた悔しさと同時に、不思議な満足感も味わっていた。それは、相手が他ならぬ猪狩だったからかもしれない。
遠くで虫の鳴く声がする。夏の終わりどころか、一気に秋がやって来てしまったようで、時の流れの早さに驚いた。猪狩とは、あの最後の試合以来に会った。顔を見たら話したいことがいくつもあったはずなのに、実際にこうして出くわしてみるとなにも出てこない。甲子園優勝、おめでとう。オレたちに勝ったんだから、そのくらい当然だよな。猪狩に会ったらそうやって軽口を叩いてやろうと思っていたのに、久しぶりに河原で会った猪狩を見たら、すっかり言う気が失せてしまった。当たり前だろうと鼻を鳴らす猪狩の表情まで、想像していたというのに。
甲子園の決勝戦は、部室のテレビで見た。示し合わせたわけでもないのに、どこからともなくみんなやって来て、結局部員のほとんどが集まって見ていた。猪狩くん、いつも通りでやんすね。矢部くんがそう言った通り、マウンドに立つ猪狩は甲子園であっても、テレビ越しであっても、いつも通りの様子だった。好戦的な眼を見せてボールを掴むと、一度だけ帽子を被り直し、ロジンを触る。オレはテレビでそれを見ながら、その視線の先にいるのがどうしてオレじゃないんだろうと、ぼんやり考えていた。
抜けるように青い空と、見慣れた猪狩の青いユニフォームが、やたらと目に染みた。
川縁をゆっくりと歩く。猪狩と幾度となく三球勝負をした河原だ。あの日々が昨日のことのように思われたし、それでいてずいぶんと昔のことのようにも感じられた。夏が終わる。そういう感傷的な気持ちが、オレに猪狩の手を取らせたのかもしれない。せっかく久しぶりに会ったのに、猪狩はいつもの嫌味も言わないうちに立ち去ろうとするものだから、つい引き止めてしまった。掴んだ手をどうすればいいのか分からなくて、でも、まだ猪狩とは別れたくなくて、なんとなくそのまま歩き出した。やめろとか、なんだとか、そういうことを言うと思ったのに、猪狩は意外にも黙っている。そういえば、オレって野球以外の猪狩のこと、ほとんど知らないな。
「おい」
「ん?」
「ボクは、こっちが帰り道だから」
ようやく喋ったと思えばそんなことで、なんとなくいつも猪狩がやって来る方向へ向かって歩いていたのだが、ここがその終わりらしい。そうなんだと答えて、オレは手を離した。たった今まで手を繋いでいたのが嘘のように、温もりはすぐに離れて消えた。
「じゃあ」
「あのさ、猪狩」
行こうとする猪狩に、オレは声を掛けた。
「連絡先、教えてよ」
夏が終わる。オレたちの関係性も、今までとは少しくらい変わったっていいだろう。嬉しそうに笑ってみせた猪狩の顔が想像以上にかわいくて、オレはここが外で、そして夜であることに感謝した。
了
ーーーーーーーーー
夏は主守の季節ですからね
なんで、手を繋いでいるんだっけ。なんで、オレは猪狩とこうしているんだったっけ?
隣を歩く猪狩が黙ったままでいるから、オレも何も言わないでいる。夕暮れを過ぎて日が落ちた、夏の河原。こっそり横を見てみるけど、街灯の薄明かりでは猪狩の細かな表情まで窺い知ることはできなかった。
暑くはないけれど涼しくもないぬるい風が、夏の終わりを知らせていく。もう、夏が終わるのだ。人生で一度きり、高校三年の夏。地方大会決勝戦、オレたちパワフル高校野球部は、猪狩率いるあかつき大附属高校に敗北した。甲子園行きのラストチャンスを逃したオレは、負けた悔しさと同時に、不思議な満足感も味わっていた。それは、相手が他ならぬ猪狩だったからかもしれない。
遠くで虫の鳴く声がする。夏の終わりどころか、一気に秋がやって来てしまったようで、時の流れの早さに驚いた。猪狩とは、あの最後の試合以来に会った。顔を見たら話したいことがいくつもあったはずなのに、実際にこうして出くわしてみるとなにも出てこない。甲子園優勝、おめでとう。オレたちに勝ったんだから、そのくらい当然だよな。猪狩に会ったらそうやって軽口を叩いてやろうと思っていたのに、久しぶりに河原で会った猪狩を見たら、すっかり言う気が失せてしまった。当たり前だろうと鼻を鳴らす猪狩の表情まで、想像していたというのに。
甲子園の決勝戦は、部室のテレビで見た。示し合わせたわけでもないのに、どこからともなくみんなやって来て、結局部員のほとんどが集まって見ていた。猪狩くん、いつも通りでやんすね。矢部くんがそう言った通り、マウンドに立つ猪狩は甲子園であっても、テレビ越しであっても、いつも通りの様子だった。好戦的な眼を見せてボールを掴むと、一度だけ帽子を被り直し、ロジンを触る。オレはテレビでそれを見ながら、その視線の先にいるのがどうしてオレじゃないんだろうと、ぼんやり考えていた。
抜けるように青い空と、見慣れた猪狩の青いユニフォームが、やたらと目に染みた。
川縁をゆっくりと歩く。猪狩と幾度となく三球勝負をした河原だ。あの日々が昨日のことのように思われたし、それでいてずいぶんと昔のことのようにも感じられた。夏が終わる。そういう感傷的な気持ちが、オレに猪狩の手を取らせたのかもしれない。せっかく久しぶりに会ったのに、猪狩はいつもの嫌味も言わないうちに立ち去ろうとするものだから、つい引き止めてしまった。掴んだ手をどうすればいいのか分からなくて、でも、まだ猪狩とは別れたくなくて、なんとなくそのまま歩き出した。やめろとか、なんだとか、そういうことを言うと思ったのに、猪狩は意外にも黙っている。そういえば、オレって野球以外の猪狩のこと、ほとんど知らないな。
「おい」
「ん?」
「ボクは、こっちが帰り道だから」
ようやく喋ったと思えばそんなことで、なんとなくいつも猪狩がやって来る方向へ向かって歩いていたのだが、ここがその終わりらしい。そうなんだと答えて、オレは手を離した。たった今まで手を繋いでいたのが嘘のように、温もりはすぐに離れて消えた。
「じゃあ」
「あのさ、猪狩」
行こうとする猪狩に、オレは声を掛けた。
「連絡先、教えてよ」
夏が終わる。オレたちの関係性も、今までとは少しくらい変わったっていいだろう。嬉しそうに笑ってみせた猪狩の顔が想像以上にかわいくて、オレはここが外で、そして夜であることに感謝した。
了
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夏は主守の季節ですからね
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