好きって言わない
好きって言わない(主守)
オレの恋人は、わがままで、高飛車で、口も態度も特大に立派で、そういうところだけ見るととんでもないやつのように聞こえるが、その実誰よりも努力家で、自分に厳しいストイックな人間であった。そういう恋人の名前を猪狩守といって、猪狩とは学生時代からの縁である。
オレも猪狩も野球をしているから、出会いもきっかけもすべてはそこから始まった。いつだったか歩いていた河原で肩がぶつかったのを皮切りに、猪狩とは幾度となく小競り合いを繰り返しては勝負をし、高校三年の夏には甲子園行きの切符を懸けて戦った。
その頃から猪狩という人間は全然変わらない。いつのまにか恋人になってからも、まるで変わらない。猪狩は学生の頃からとても目立つ存在で、それこそ高校生の頃にはエースで四番、マウンドに立てば誰よりも力強く華のある投球を、打席に立てば文句なしの場外ホームランを飛ばしていたものだから、目立たない方が無理だった。
加えて猪狩は外見も飛び抜けて綺麗だったから、当時の雑誌インタビューなんかには、「マウンドの貴公子」だの「高校野球界の王子様」なんて見出しがよく踊っていた。なんなら今でも踊っている。猪狩のスタイルはプロ入りしてからも変わらないし、口も態度も相変わらずだ。
オレは猪狩の外見に関して特別何かを思ったことはないが、そういうことを言えば、「キミの目は節穴か?」と言って眼科に行くことを勧められるに違いないので黙っている。どうやらこだわりのあるらしい前髪だけは、もう少し切った方がいいんじゃないかと昔から思っているが、まあ、もっとよく見たい時には近くで覗き込んでやればいいのだから、問題ないだろう。
そっと髪をかき上げて瞳を覗き込んでやると、猪狩はいつものおしゃべりをとんとやめて静かになる。そういうときの猪狩はかわいかったけれど、その口は決してオレのことを好きだなんて言わないのだ。
そういうことに、オレは猪狩との出会いから十余年経って、ようやく気が付いた。付き合っていて、この数年は一緒に暮らしているのに、そういえば一度も好きだと言われたことがない。オレはよく猪狩にばかだの間抜けだのと言われるが、本当にそうなのかもしれないと、気付いたその日には本気で思った。
「猪狩ってさ、オレのこと好き?」
「は?なんだい、その質問」
「いやだから、オレのこと好きかって、聞いてるんだけど」
「ボクがキライな人間と一緒に過ごすわけがないだろう」
「だからそういうことじゃなくて」
この辺りからだんだん雲行きが怪しくなってきて、最終的には本格的な喧嘩になった。なんてくだらない。くだらないが、オレにとっては重要なことだった。今回ばかりは譲る気にはなれなくて、仕様もないことにかれこれ猪狩とは一ヶ月ばかりまともに口を聞いていない。なんてこった。いつもならオレの方から適当に折れてなし崩しに仲直りしていたものだから、オレも猪狩も加減が分からなくなっていた。
そういうわけで、猪狩とまともに口を利かなくなって一ヶ月と数日。まだ宵の口にも関わらず、オレはベッドに入っていた。不思議なもので、横になっていると自然と眠気がやって来て瞼が重くなる。遠くで猪狩がドライヤーを使って髪を乾かしている音が聞こえる。もうどのくらい猪狩の髪に触っていないだろうか。そういえば、また少し前髪が伸びていたな。
そんなことをうつらうつらと考えていたら、寝室の戸が開いたので驚いた。くだらないことにオレたちは喧嘩を始めてからというもの、どちらかが寝室で眠っている時、もう一人はソファで眠るようになっていたのだった。
思わず寝たふりをすると、猪狩が布団の中に潜り込んでくる。さらに驚くべきことに、そっぽを向いているオレの背中に、ぴったりと寄り添うようにくっ付いてくるではないか。オレにはそれが、「言えない」猪狩の精一杯だと十分に分かったが、どうしたらいいのかは分からなくて、やっぱり知らないふりを続けてしまった。心臓がドキドキする。背中が温かい。久しぶりの猪狩だ。顔は見えないけれど、何も聞こえないけれど、あの猪狩が出来ないなりに気持ちを伝えようとしていることがよく分かった。いよいよ振り返ろうとしたところで、背中に押し付けられた猪狩の口からくぐもった声が聞こえた。
「キミのことが、好きだ」
思わずがばりと身体を起こして猪狩を見ると、今まで一度も見たことのない顔をしていたものだから、オレは返す言葉が見つからなかった。そういうオレの顔を見て、猪狩はいつものように、ばかだなと呟いた。恋人にこんな顔をさせているオレは、確かに馬鹿に違いなかった。布団の中、がばりと勢いよく猪狩を抱き締める。
「オレも猪狩のこと、好き。大好き」
「フン。どうだかな」
「ごめん。本当に、好きだよ」
「キミなんかより、ボクの方が、好きだ」
「オレの方が好きだよ」
「いや、ボクだ」
「オレだって」
腕の中、耐えきれなくなったように猪狩が笑ったから、オレも笑った。布団の中でひっついたまま好きだ好きだと喧嘩をする男二人は、結構馬鹿だった。笑ってしまう。腕の中の猪狩を抱きしめ直して、柔らかく髪をかき上げる。そのまま指を絡めて、久しぶりの感触を楽しんだ。
「キスしてもいい?」
「そんなこと聞くな」
またしてもばかだと言われてしまう前に、オレは猪狩の唇を自分のそれで塞いでしまった。やっぱり聞こえはしないけれど、猪狩の唇は、確かにオレを好きだと言っていた。
了
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百回書いたっていいじゃない。主守だもの。
オレの恋人は、わがままで、高飛車で、口も態度も特大に立派で、そういうところだけ見るととんでもないやつのように聞こえるが、その実誰よりも努力家で、自分に厳しいストイックな人間であった。そういう恋人の名前を猪狩守といって、猪狩とは学生時代からの縁である。
オレも猪狩も野球をしているから、出会いもきっかけもすべてはそこから始まった。いつだったか歩いていた河原で肩がぶつかったのを皮切りに、猪狩とは幾度となく小競り合いを繰り返しては勝負をし、高校三年の夏には甲子園行きの切符を懸けて戦った。
その頃から猪狩という人間は全然変わらない。いつのまにか恋人になってからも、まるで変わらない。猪狩は学生の頃からとても目立つ存在で、それこそ高校生の頃にはエースで四番、マウンドに立てば誰よりも力強く華のある投球を、打席に立てば文句なしの場外ホームランを飛ばしていたものだから、目立たない方が無理だった。
加えて猪狩は外見も飛び抜けて綺麗だったから、当時の雑誌インタビューなんかには、「マウンドの貴公子」だの「高校野球界の王子様」なんて見出しがよく踊っていた。なんなら今でも踊っている。猪狩のスタイルはプロ入りしてからも変わらないし、口も態度も相変わらずだ。
オレは猪狩の外見に関して特別何かを思ったことはないが、そういうことを言えば、「キミの目は節穴か?」と言って眼科に行くことを勧められるに違いないので黙っている。どうやらこだわりのあるらしい前髪だけは、もう少し切った方がいいんじゃないかと昔から思っているが、まあ、もっとよく見たい時には近くで覗き込んでやればいいのだから、問題ないだろう。
そっと髪をかき上げて瞳を覗き込んでやると、猪狩はいつものおしゃべりをとんとやめて静かになる。そういうときの猪狩はかわいかったけれど、その口は決してオレのことを好きだなんて言わないのだ。
そういうことに、オレは猪狩との出会いから十余年経って、ようやく気が付いた。付き合っていて、この数年は一緒に暮らしているのに、そういえば一度も好きだと言われたことがない。オレはよく猪狩にばかだの間抜けだのと言われるが、本当にそうなのかもしれないと、気付いたその日には本気で思った。
「猪狩ってさ、オレのこと好き?」
「は?なんだい、その質問」
「いやだから、オレのこと好きかって、聞いてるんだけど」
「ボクがキライな人間と一緒に過ごすわけがないだろう」
「だからそういうことじゃなくて」
この辺りからだんだん雲行きが怪しくなってきて、最終的には本格的な喧嘩になった。なんてくだらない。くだらないが、オレにとっては重要なことだった。今回ばかりは譲る気にはなれなくて、仕様もないことにかれこれ猪狩とは一ヶ月ばかりまともに口を聞いていない。なんてこった。いつもならオレの方から適当に折れてなし崩しに仲直りしていたものだから、オレも猪狩も加減が分からなくなっていた。
そういうわけで、猪狩とまともに口を利かなくなって一ヶ月と数日。まだ宵の口にも関わらず、オレはベッドに入っていた。不思議なもので、横になっていると自然と眠気がやって来て瞼が重くなる。遠くで猪狩がドライヤーを使って髪を乾かしている音が聞こえる。もうどのくらい猪狩の髪に触っていないだろうか。そういえば、また少し前髪が伸びていたな。
そんなことをうつらうつらと考えていたら、寝室の戸が開いたので驚いた。くだらないことにオレたちは喧嘩を始めてからというもの、どちらかが寝室で眠っている時、もう一人はソファで眠るようになっていたのだった。
思わず寝たふりをすると、猪狩が布団の中に潜り込んでくる。さらに驚くべきことに、そっぽを向いているオレの背中に、ぴったりと寄り添うようにくっ付いてくるではないか。オレにはそれが、「言えない」猪狩の精一杯だと十分に分かったが、どうしたらいいのかは分からなくて、やっぱり知らないふりを続けてしまった。心臓がドキドキする。背中が温かい。久しぶりの猪狩だ。顔は見えないけれど、何も聞こえないけれど、あの猪狩が出来ないなりに気持ちを伝えようとしていることがよく分かった。いよいよ振り返ろうとしたところで、背中に押し付けられた猪狩の口からくぐもった声が聞こえた。
「キミのことが、好きだ」
思わずがばりと身体を起こして猪狩を見ると、今まで一度も見たことのない顔をしていたものだから、オレは返す言葉が見つからなかった。そういうオレの顔を見て、猪狩はいつものように、ばかだなと呟いた。恋人にこんな顔をさせているオレは、確かに馬鹿に違いなかった。布団の中、がばりと勢いよく猪狩を抱き締める。
「オレも猪狩のこと、好き。大好き」
「フン。どうだかな」
「ごめん。本当に、好きだよ」
「キミなんかより、ボクの方が、好きだ」
「オレの方が好きだよ」
「いや、ボクだ」
「オレだって」
腕の中、耐えきれなくなったように猪狩が笑ったから、オレも笑った。布団の中でひっついたまま好きだ好きだと喧嘩をする男二人は、結構馬鹿だった。笑ってしまう。腕の中の猪狩を抱きしめ直して、柔らかく髪をかき上げる。そのまま指を絡めて、久しぶりの感触を楽しんだ。
「キスしてもいい?」
「そんなこと聞くな」
またしてもばかだと言われてしまう前に、オレは猪狩の唇を自分のそれで塞いでしまった。やっぱり聞こえはしないけれど、猪狩の唇は、確かにオレを好きだと言っていた。
了
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百回書いたっていいじゃない。主守だもの。
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