奇跡は起こすもの
主守
今日はパーティがあるからね。
そう言ってオレの電話を切った猪狩はやっぱりいつもの猪狩だった。
そういえばあいつ、今日でいくつになったんだっけ?
今日はクリスマス・イブ。そして猪狩の生まれた日である。
猪狩はオレの恋人だ。
そんな今日がめでたくなくて、一体いつがめでたいというのだろう!
などというルンルン気分でかけたオレの電話は、およそ数十秒で玉砕と散ることになってしまったわけだ。
今日はパーティだって、言ってなかったかい?
悪びれもせず言った猪狩は、少し早口で続けた。
クリスマスとボクの誕生日を兼ねて、この日は毎年パーティをするんだ。今日は一日家から出ることはないね。
じゃあ、またねと言って電話を切った猪狩は終始慌ただしそうであった。おそらくパーティの準備で忙しいのだろう。そりゃそうだ、主役がいなくちゃどうにもならない。
分かっていたことではあったが、嫌でも庶民の自分と猪狩との違いを実感させられてしまう。受話器に向かって溜息をついたところで猪狩の耳に届くことはない。
そのようなやり取りをしたのが、かれこれ何時間前の話だろうか。
今はもう、あと少しで日付が変わってしまうほどの深夜である。
往生際の悪いオレは、どうしても今日この日の猪狩との逢瀬を諦めきれなくて、猪狩邸まで出向いてしまったのだった。そしてそこであっさりと諦めた。
頑丈な鉄門で閉ざされたそこはまるで要塞である。いつ見てもでかい。為す術もなく、オレはすごすごと帰ってきた。今頃猪狩のやつときたら、美味いもんを食べてよく分からないダンスなんか踊ったりしてパーティを満喫しているに違いないのだ。こんな深夜まで?というツッコミは不在である。オレに金持ちのやることは分からない。
はあ~あ、と吐く息は白く、それは空中に少し留まってすぐに消えた。
早く帰ればいいのに、オレというやつはうだうだと深夜の公園で暇をつぶしているのであった。つい先ほど買ったばかりのホットコーヒーはあっという間に冷たくなってしまっていた。
ほんの少し遊具があるだけの小さな公園。
当たり前だが、こんな時間に他の人影はない。それでもオレがこんなところに居たがったのは、ここに猪狩との大切な思い出があるからだった。猪狩は恥ずかしがってこの話題を出されるのを嫌がるが、なんとここはオレと猪狩がファーストキッスを交わした場所なのである。
どうしてそんなことになったのかは忘れた。たぶん、またいつものようにくだらないことで喧嘩をしていたのだろう。ぎゃあぎゃあと言い争いをして、猪狩は珍しく涙ぐんでいた。その様子にぎょっとしたのをよく覚えている。
「そうだ、ブランコにも乗ったんだよな」
あの日のことを思い出して、オレはブランコに手をかけた。誰もいないのは分かっているのだが、一応辺りを見回して誰もいないのを確認してからブランコに乗る。
こぎ出すと意外に楽しく、ブランコはどんどんと高度を上げて勢いは増していった。
ああそうだ、猪狩はブランコに乗ったことがないと言っていたのだ。嘘だあというオレの言葉を遮って、猪狩は決意の形相でブランコに手をかけた。
「ナイス着地、と」
ポーンとブランコから飛び出して、オレは見事に着地を決めた。あの日の猪狩のように転んだりはしない。あの日、まさか転ぶとは思わなかったので、ぽかんと口を開けてオレは見入ってしまった。起き上がった猪狩はぶすっとした顔で「もう一回やる」と言ったのだった。そして今度こそ見事な着地を決めた。
負けず嫌いなオレたちは、それから阿呆のようにどれだけ遠くに飛べるのか勝負をしたのだった。
近いような遠いような不思議な記憶だ。まだそれほど前のこととも思えないし、その一方で随分と昔のことのようにも思える。
ブランコの次はジャングルジムに上ったオレは、遠い空を眺めてそっくり返った。
お世辞にも満点の星空とは言えず、いくつかの星がちらちらと瞬いているばかりだった。そういえば、お天気お姉さんが、今夜は雪が降るかもしれませんと言っていたことを思い出す。ホワイトクリスマスですねと言って笑った顔が印象的だった。もしそうだとしたら早く降ってきてくれないか。寂しいオレを慰める、そんな少しのサプライズがあったっていいだろう。
なんてったって、今日はクリスマス・イブ。そして猪狩の生まれた日。
いかにも何かが起きそうな、そんな予感。ちょっとくらい、奇跡が起こったっていいだろう。
オレはその少しの奇跡を信じて、この寒空の下で待っていたのだ。
だってほら、
「キミはほんとうにバカだな」
公園の入り口に誰かが立っていた。外灯の灯りが丁度逆光になっていて顔は見えなかったが、誰なのかは明白だった。
確かな足取りで近づいてくる。ジャングルジムの上から見下ろすと、その人が怒っていることだけはしっかりと確認できた。
「猪狩。来てくれたんだ」
「何が来てくれたんだ、だ。しらじらしい。あんなメールを送っておいて」
「えへへ、見ちゃった?」
「一体、何時間前からここにいたんだ」
降りて来い、と猪狩が怖い顔で言うのでオレはおとなしくジャングルジムから降りることにした。猪狩の隣に立って顔を覗き込むも、どうにもこうにも猪狩は怒っているようだった。
「パワプロ、ボクは朝言ったよな」
「うん」
「今日はパーティだからって」
「うん」
「明日会う約束もしてただろう」
「うん」
「それなのに、どうしてキミはこんなところにいるんだ」
凛々しい眉をぎゅーっと上げて猪狩の怒りは収まらないようだったので、オレは作戦を変更することにした。本当はもう少しロマンチックな雰囲気で渡したかったのだが、この際仕方ない。
ベンチに置きっぱなしになっていたプレゼントの包みをがさがさと取り出す。
「どうしても、今日お前に会いたかったんだよ」
「…」
「おめでとうも、言いそびれちゃったし」
「…」
「迷惑かけたのは謝るよ、ごめん。だから、これでちょっとは機嫌直して」
がさがさと取り出したのは、マフラーだった。派手な猪狩が好きそうなものを、そう思って色は赤にした。正直オレはどうかと思うが、黒や白より猪狩が明るい色を好むことをオレはよく知っていた。そして、明るい色は猪狩によく映えるのだ。
いかにも上等そうなコートを着ているが、首元が寒そうな猪狩にマフラーを渡す。
そのまま巻いてやろうと思うのだが、いかんせん手がかじかんで上手く巻いてやることができない。わたわたと何度もマフラーを掴むオレの手を、猪狩は制した。
ぐいと胸倉をつかまれる。間近で見た猪狩の瞳は燃えていた。
「プロの選手なら、体調管理をするのは当たり前のことだ。どうせキミは、ボクが来なければ朝まででもこんなところにいるんだろう。バカだ、ほんとうに。キミはもう少し自覚を持て」
「ご、ごめん。だけど、猪狩」
続く言葉は猪狩の唇に飲み込まれてしまった。熱い、猪狩の唇。少しだけ離れて、今度は確かめるようにゆっくりと重なった。
長い間外にいたせいでかさかさになってしまったオレの唇を、猪狩の舌がなぞるように触れていく。ちろちろと探るような動きがくすぐったい。それでも黙ったまま、されるがままにしていると、猪狩の舌はそのまま歯列を割ってオレの口内に侵入してきた。寒さから、奥の方で縮こまっていた舌を絡め取られる。深く侵入してくる猪狩の口付けは珍しいものだった。いつの間にか両手で顔を固定されていて、苦しくても逃げることができない。
唇を離す頃には、息苦しさと興奮がないまぜになって息が上がっていた。
「猪狩」
「こんなに冷えて、やっぱりバカだキミは」
「そればっかだな」
猪狩の背に腕を回すと、猪狩も黙ってオレの身体を抱きしめた。
そのまましばらく抱き合っていたが、急に我に返ったらしい猪狩はオレの腕からすり抜けて言った。
「ボクにはまだやらなくちゃいけないことがあるんだった」
「大変だな、主役は」
「全くだね、どこかのバカには振り回されるしね」
「相変わらず辛辣だな~」
出口に向かいながら、くるりと振り返った猪狩が言った。
「これ、キミにしてはセンスがいいね。気に入ったよ」
「そりゃ良かった。明日のデートでつけてきてよ」
「…フン」
「猪狩」
「なんだい」
「誕生日おめでとう。愛してるよ」
にっこり笑ってそう言うと、猪狩はほんの少し驚いた顔をして、もう過ぎてるけどねと言って今度こそ本当に帰ってしまった。
残されたオレは、一人携帯を取り出してディスプレイで時刻を確認する。
「ありゃ、ほんとうだ」
どうやら奇跡は、ほんの少し時間切れだったらしい。
ふふふと笑って猪狩が出て行った方向を見やる。そのまま空を見上げると、雪がちらちらと落ちてくるところだった。
唇をぺろりと舐める。明日は、今日のことでほんの少し猪狩をからかって、奇跡の続きを存分に楽しむことにしよう。
――――――――
守さん、ハッピーハッピーバースデイ!
おめでたすぎて逆にどうしたらいいのか分かりませんが、心の底から、おめでとう!
今日はパーティがあるからね。
そう言ってオレの電話を切った猪狩はやっぱりいつもの猪狩だった。
そういえばあいつ、今日でいくつになったんだっけ?
今日はクリスマス・イブ。そして猪狩の生まれた日である。
猪狩はオレの恋人だ。
そんな今日がめでたくなくて、一体いつがめでたいというのだろう!
などというルンルン気分でかけたオレの電話は、およそ数十秒で玉砕と散ることになってしまったわけだ。
今日はパーティだって、言ってなかったかい?
悪びれもせず言った猪狩は、少し早口で続けた。
クリスマスとボクの誕生日を兼ねて、この日は毎年パーティをするんだ。今日は一日家から出ることはないね。
じゃあ、またねと言って電話を切った猪狩は終始慌ただしそうであった。おそらくパーティの準備で忙しいのだろう。そりゃそうだ、主役がいなくちゃどうにもならない。
分かっていたことではあったが、嫌でも庶民の自分と猪狩との違いを実感させられてしまう。受話器に向かって溜息をついたところで猪狩の耳に届くことはない。
そのようなやり取りをしたのが、かれこれ何時間前の話だろうか。
今はもう、あと少しで日付が変わってしまうほどの深夜である。
往生際の悪いオレは、どうしても今日この日の猪狩との逢瀬を諦めきれなくて、猪狩邸まで出向いてしまったのだった。そしてそこであっさりと諦めた。
頑丈な鉄門で閉ざされたそこはまるで要塞である。いつ見てもでかい。為す術もなく、オレはすごすごと帰ってきた。今頃猪狩のやつときたら、美味いもんを食べてよく分からないダンスなんか踊ったりしてパーティを満喫しているに違いないのだ。こんな深夜まで?というツッコミは不在である。オレに金持ちのやることは分からない。
はあ~あ、と吐く息は白く、それは空中に少し留まってすぐに消えた。
早く帰ればいいのに、オレというやつはうだうだと深夜の公園で暇をつぶしているのであった。つい先ほど買ったばかりのホットコーヒーはあっという間に冷たくなってしまっていた。
ほんの少し遊具があるだけの小さな公園。
当たり前だが、こんな時間に他の人影はない。それでもオレがこんなところに居たがったのは、ここに猪狩との大切な思い出があるからだった。猪狩は恥ずかしがってこの話題を出されるのを嫌がるが、なんとここはオレと猪狩がファーストキッスを交わした場所なのである。
どうしてそんなことになったのかは忘れた。たぶん、またいつものようにくだらないことで喧嘩をしていたのだろう。ぎゃあぎゃあと言い争いをして、猪狩は珍しく涙ぐんでいた。その様子にぎょっとしたのをよく覚えている。
「そうだ、ブランコにも乗ったんだよな」
あの日のことを思い出して、オレはブランコに手をかけた。誰もいないのは分かっているのだが、一応辺りを見回して誰もいないのを確認してからブランコに乗る。
こぎ出すと意外に楽しく、ブランコはどんどんと高度を上げて勢いは増していった。
ああそうだ、猪狩はブランコに乗ったことがないと言っていたのだ。嘘だあというオレの言葉を遮って、猪狩は決意の形相でブランコに手をかけた。
「ナイス着地、と」
ポーンとブランコから飛び出して、オレは見事に着地を決めた。あの日の猪狩のように転んだりはしない。あの日、まさか転ぶとは思わなかったので、ぽかんと口を開けてオレは見入ってしまった。起き上がった猪狩はぶすっとした顔で「もう一回やる」と言ったのだった。そして今度こそ見事な着地を決めた。
負けず嫌いなオレたちは、それから阿呆のようにどれだけ遠くに飛べるのか勝負をしたのだった。
近いような遠いような不思議な記憶だ。まだそれほど前のこととも思えないし、その一方で随分と昔のことのようにも思える。
ブランコの次はジャングルジムに上ったオレは、遠い空を眺めてそっくり返った。
お世辞にも満点の星空とは言えず、いくつかの星がちらちらと瞬いているばかりだった。そういえば、お天気お姉さんが、今夜は雪が降るかもしれませんと言っていたことを思い出す。ホワイトクリスマスですねと言って笑った顔が印象的だった。もしそうだとしたら早く降ってきてくれないか。寂しいオレを慰める、そんな少しのサプライズがあったっていいだろう。
なんてったって、今日はクリスマス・イブ。そして猪狩の生まれた日。
いかにも何かが起きそうな、そんな予感。ちょっとくらい、奇跡が起こったっていいだろう。
オレはその少しの奇跡を信じて、この寒空の下で待っていたのだ。
だってほら、
「キミはほんとうにバカだな」
公園の入り口に誰かが立っていた。外灯の灯りが丁度逆光になっていて顔は見えなかったが、誰なのかは明白だった。
確かな足取りで近づいてくる。ジャングルジムの上から見下ろすと、その人が怒っていることだけはしっかりと確認できた。
「猪狩。来てくれたんだ」
「何が来てくれたんだ、だ。しらじらしい。あんなメールを送っておいて」
「えへへ、見ちゃった?」
「一体、何時間前からここにいたんだ」
降りて来い、と猪狩が怖い顔で言うのでオレはおとなしくジャングルジムから降りることにした。猪狩の隣に立って顔を覗き込むも、どうにもこうにも猪狩は怒っているようだった。
「パワプロ、ボクは朝言ったよな」
「うん」
「今日はパーティだからって」
「うん」
「明日会う約束もしてただろう」
「うん」
「それなのに、どうしてキミはこんなところにいるんだ」
凛々しい眉をぎゅーっと上げて猪狩の怒りは収まらないようだったので、オレは作戦を変更することにした。本当はもう少しロマンチックな雰囲気で渡したかったのだが、この際仕方ない。
ベンチに置きっぱなしになっていたプレゼントの包みをがさがさと取り出す。
「どうしても、今日お前に会いたかったんだよ」
「…」
「おめでとうも、言いそびれちゃったし」
「…」
「迷惑かけたのは謝るよ、ごめん。だから、これでちょっとは機嫌直して」
がさがさと取り出したのは、マフラーだった。派手な猪狩が好きそうなものを、そう思って色は赤にした。正直オレはどうかと思うが、黒や白より猪狩が明るい色を好むことをオレはよく知っていた。そして、明るい色は猪狩によく映えるのだ。
いかにも上等そうなコートを着ているが、首元が寒そうな猪狩にマフラーを渡す。
そのまま巻いてやろうと思うのだが、いかんせん手がかじかんで上手く巻いてやることができない。わたわたと何度もマフラーを掴むオレの手を、猪狩は制した。
ぐいと胸倉をつかまれる。間近で見た猪狩の瞳は燃えていた。
「プロの選手なら、体調管理をするのは当たり前のことだ。どうせキミは、ボクが来なければ朝まででもこんなところにいるんだろう。バカだ、ほんとうに。キミはもう少し自覚を持て」
「ご、ごめん。だけど、猪狩」
続く言葉は猪狩の唇に飲み込まれてしまった。熱い、猪狩の唇。少しだけ離れて、今度は確かめるようにゆっくりと重なった。
長い間外にいたせいでかさかさになってしまったオレの唇を、猪狩の舌がなぞるように触れていく。ちろちろと探るような動きがくすぐったい。それでも黙ったまま、されるがままにしていると、猪狩の舌はそのまま歯列を割ってオレの口内に侵入してきた。寒さから、奥の方で縮こまっていた舌を絡め取られる。深く侵入してくる猪狩の口付けは珍しいものだった。いつの間にか両手で顔を固定されていて、苦しくても逃げることができない。
唇を離す頃には、息苦しさと興奮がないまぜになって息が上がっていた。
「猪狩」
「こんなに冷えて、やっぱりバカだキミは」
「そればっかだな」
猪狩の背に腕を回すと、猪狩も黙ってオレの身体を抱きしめた。
そのまましばらく抱き合っていたが、急に我に返ったらしい猪狩はオレの腕からすり抜けて言った。
「ボクにはまだやらなくちゃいけないことがあるんだった」
「大変だな、主役は」
「全くだね、どこかのバカには振り回されるしね」
「相変わらず辛辣だな~」
出口に向かいながら、くるりと振り返った猪狩が言った。
「これ、キミにしてはセンスがいいね。気に入ったよ」
「そりゃ良かった。明日のデートでつけてきてよ」
「…フン」
「猪狩」
「なんだい」
「誕生日おめでとう。愛してるよ」
にっこり笑ってそう言うと、猪狩はほんの少し驚いた顔をして、もう過ぎてるけどねと言って今度こそ本当に帰ってしまった。
残されたオレは、一人携帯を取り出してディスプレイで時刻を確認する。
「ありゃ、ほんとうだ」
どうやら奇跡は、ほんの少し時間切れだったらしい。
ふふふと笑って猪狩が出て行った方向を見やる。そのまま空を見上げると、雪がちらちらと落ちてくるところだった。
唇をぺろりと舐める。明日は、今日のことでほんの少し猪狩をからかって、奇跡の続きを存分に楽しむことにしよう。
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守さん、ハッピーハッピーバースデイ!
おめでたすぎて逆にどうしたらいいのか分かりませんが、心の底から、おめでとう!
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