忍者ブログ

幸せになれる魔法の紙

2010イメージ/主守


「猪狩、ちょっとお願いがあるんだけど。ここにお前のサインと印鑑が欲しいんだ」

向かいに座ったパワプロはごく真面目な顔でそう言うと、こちらの返事を待つようにじっと見つめてきた。
そんなやつの顔を眺めること数秒、手元に視線を落とすと、一枚の紙とボールペンと朱肉が用意されていた。
こんなものどこから用意した、しかも突然。
返事を待っているらしい、パワプロは真摯な表情でこちらの様子を窺っている。
お茶を濁す意味合いで、猪狩は少し冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
深夜のファミリーレストランである。
客足はまばらで、人目につきにくい角の席に座っているので周りの目を気にすることもない。
食事をとった後、こうしてのんびりとコーヒーをすするのが猪狩のお気に入りだった。

「あのな、パワプロ」
「うん」
「それ、どう見ても婚姻届なんだが」
「うん」
「うんじゃない。キミは一体何を考えているんだ?」

ご丁寧に記入が済まされているその用紙を手に取って猪狩は嘆息する。
なるほど、あとはこちらのサインと捺印さえあれば完成するらしい。こんなもの、一体どうしろというのだ。
普段から突拍子のないことを言ったりしたりするやつではあるが、今回ほど考えが読めないこともそうそうない。
一体何を考えているんだ。

「この前、区役所でもらってきたんだ」
「まあ、そうだろうな」
「必要なとこは書いといたから、あとはお前のサインと印鑑だけだ」
「それは見れば分かる」
「お前、今日印鑑持ってるだろ?」
「そんなの…」

持っていないと言おうとして、そういえば今日は契約の更新をしてきたばかり、確かに印鑑を持っているということを思い出した。
契約更新の内容は、昨年の年俸よりもまたさらに上乗せされた、実績と努力に見合った内容であった。
それはさておきである、わざわざそれを見越してパワプロは今日こんなものを用意してきたわけになる。
ますます意味が分からない。

「パワプロ、ちょっと落ち着け」
「オレは落ち着いてるよ」
「全然落ち着いてない。わけがわからないぞ」
「どこら辺が?」
「まず、ボクたちは男同士だ」
「そうだな」
「男同士は、結婚できない」
「そうだね」
「ついでに、ボクに結婚する意志はない」
「なるほど」
「そもそも、なぜいきなり婚姻届なのかわからない」
「理由を聞いたら書いてくれる?」
「それとこれとは別問題だ。だけど、キミが何を考えてこんなことをしているのか、少し興味があるね」

うーんなるほどー、間延びした返答をよこしながら、パワプロは手元のジュースを一気に飲み干した。
メロンソーダはパワプロのお気に入りである。
ご丁寧にグラスに残った氷までも口に入れて、グラスはあっという間に空になってしまった。

「あのさ、猪狩」
「うん」
「オレ、お前のこと好きなんだよね」
「そんなの、知っている」
「で、お前もオレのこと好きじゃん」
「あえて否定はしない」
「相変わらずかわいくねーなー。ま、そういうとこがいいんだけど」
「で、なんだ」
「オレさ、お前と付き合うようになってから決めたことがあるんだ」
「決めたこと?」
「お前と同じ場所に立てたとき、結婚しようって」
「…」
「なあ、これってプロポーズなんだけど、まだ分かんない?」

ニコニコと笑いながらパワプロは婚姻届を手に取った。

「今日、契約の更新交渉の日だっただろ」
「ああ」
「オレ、一軍に上がって初めての更新なんだ」
「そうだな。まあ、キミにしてはよくやったんじゃないか。少し時間がかかりすぎたけどね」
「お前のおかげだよ、猪狩。オレ、お前に追いつきたくて、高校生だったあの頃の気持ちを思い出したんだ。だから今日まで頑張ってこれた」
「…」
「思えば、オレって高校生の頃からお前のこと好きだったんだよなー。気づいたのは最近だけどさ。お前も、あの時からオレのこと好きだっただろ?」
「思い上がりもはなはだしいな、キミは」
「はは。昔から変わらないな、猪狩。そういうところが好きだよ」
「…今日は本当に、どうしたっていうんだ」
「さっきも言ったけど、オレ決めてたんだ。お前と同じラインに立てたら、お前にプロポーズしようって。プロポーズなんて言うと大袈裟かな…ただ、これからもずっと一緒にいたいって、そういう約束みたいなのが欲しかったっていうか」
「それでこの婚姻届なのか?」
「そうそう」
「突飛すぎるんだ、キミはいつも」
「そんなことないと思うけどなぁ。いい考えだと思うし」
「…」
「さすがにオレだって、男同士で結婚できないことくらい知ってるよ」
「良かった、さすがのキミでもそのくらいのことは知っていたんだな。安心したよ」

これはね…そう言って婚姻届を掲げたパワプロは、今日いちばんの笑顔で言った。

「幸せになれる魔法の紙なんだ」
「なに?」
「一種のおまじないみたいなもんかな。オレとお前の名前がここに並んでるだけで、なんか幸せになれる気がしない?」
「そんなの…」
「結婚とか、婚姻とか、そんなのってただの法律上の問題だろ。男同士が結婚できないのってそういうことだし。だけど、オレのこの気持ちは、法律なんて全然関係ないもん。ただお前のことが好きってだけで。だけどさ、愛を誓う手段としては確かに有効だろ、婚姻届って」
「だから、キミとボクで書くのか」
「そう!なんかよくない?」
「キミの思考回路を一度覗いてみたいものだよ。どうやったらそんな考えにたどり着くのか」
「婚姻届なんて、ただの紙きれだ。だけどこれは、幸せになれる魔法の紙なんだよ。オレとお前の気持ちが詰まった、ね」
「勝手にボクを巻き込まないでくれ」
「そんなこと言って。ほんとはもう結構乗り気だろ、お前。お前がオレのことを好きなのも、案外ロマンチストなのもこっちは全部知ってるんだからな」
「…」
「法的拘束力のないただの紙きれで、ついでに言えばオレの自己満足だ。だけど、これがオレの気持ち。好きだよ、猪狩」
「…」
「二人で、幸せになろう」

そのとき、自分がなんと答えたのかは覚えていない。
覚えているのは、いつの間にか欄の埋まっていた婚姻届と、それを眺めて嬉しそうにしているパワプロの顔だけだ。
若気の至りであったと、今なら思うだろう。どうしてあんなことをしてしまったのかボクにも分からない。
ただ、あの時点で自分の思考も大分パワプロに毒されてしまっていたのだということだけはよく分かった。

「猪狩、なにしてんの?」
「キミは、まだこんなものを持っていたのか…」
「当たり前だろ、オレの宝物だもん。幸せになれる魔法の紙」
「幸せにはなれたか?」
「もちろん。オレはずっと幸せだよ。お前は?」
「不本意ながら、ボクも同じだ」
「なんだよ、不本意って。ったく、お前はほんとに昔から変わんねーなー」
「そういうところが好きなんだろ、キミは」
「おっ、よく知ってるじゃん。お前もほんとオレのこと好きだね」
「フン」
「へへ、懐かしいなあ、これ。よく見つけたな」
「引き出しを整頓していたら出てきたんだ。キミは、もう少し整理整頓を心がけたらどうだ?」
「いいのいいの、猪狩が片付けてくれるから」
「どうしようもないな」
「な、それよりキャッチボールしに行かない?」
「久しぶりのオフなのにか?」
「久しぶりのオフだからだよ」

パワプロは笑って、グラブとボールを持った。ぽいとボールを渡されて、一度だけ思い切り握りしめてみる。
この感覚も、あのときから何も変わらない。
あのときから、ボクとこいつの間には野球があった。そして、今もやっぱり二人で野球をしている。

「そうだ、お前のあれ、受けてやるよ」
「ソニックライジングか」
「そうそう、それ」
「フン、とれないくせに」
「何をー!一緒に特訓してやったのはオレだろ!」
「アハハ、そういえばそうだったね」
「猪狩、行こう」

差しのべられた手を自然と掴む。
ボクとしたことが、こういうのも悪くはないものだとつい頬が緩んでしまったのだが、深くかぶった帽子のおかげでパワプロには見えなかったことだろう。
それでいい。こうしてボクらは、これからも同じ時間を過ごしていくんだ。


―――――――――
ピクシブよりお引越し

全体的に何が起こっているのかよく分かりません

拍手

PR

カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

最新記事

ブログ内検索

忍者アナライズ