すべては愛に起源する
ラブレターの続き
猪狩兄弟
鞄の中をいくら探してみても目当てのものは見当たらなかった。ボクとしたことが、辞書を部室に置き忘れてきたようだ。
教科書や辞書の類を学校に置いたままにできないボクは、当然のように今日も鞄の中にきちんとしまった。確かにそのはずだったのだが、家に帰って鞄を開けるとそこに辞書はない。おかしいなと思って記憶を探ると、そういえば部室で古典のプリントをやっていたパワプロに貸してやったのだった。
なぜわざわざこんなところで、とは思うのだが、パワプロが言うには今日が期限であるそれをすっかり忘れていたらしい。話を聞くとそのプリントは再提出をくらったものらしく、どうしても今日中に出さないとまずいという。
パワプロが大騒ぎしながら取り掛かっている問題のプリントをちらりと覗き見ると、ボクのクラスではとっくに終わっている範囲であった。しかも内容もそれほど難しいものではない。20、30分もあれば片付くだろう。しかしパワプロにとってはそうではないらしく、唸りながら周りに泣きつくも全く進んでいないようだった。その様子がうっとうしく、なによりあまりにもでたらめな解答に見かねて口を出してしまったところ、パワプロのやつはこれ幸いにと今度はボクに泣きついてきた。
猪狩、頼む、あとでなんでもおごってやるから!
縋り付くパワプロの気迫はすさまじくそれを無視することもできないまま、なにより今日は気分も良かったのでボクは少しだけ勉強をみてやることにした。ほんの暇つぶし、気まぐれである。
いつもパワプロの酷い点数を目にしていたボクは(部室でいつも矢部や他の連中と競い合っている。ボクからすれば全員どんぐりの背比べに変わりない)、野球はともかく勉学に関してはどうしようもないやつだと思っていた。しかし、隣で少し教えてやったことでボクはその認識を改めることになった。
言われたことはきちんと理解できるし、なにより呑み込みが早い。ボクが少しアドバイスをしてやると、パワプロはみるみるうちに空白のプリントを埋めていって、結局ものの数十分で片付けてしまった。野球と一緒でやればできるやつなのだ、こいつは。
乗り掛かった船なので仕方なく最後まで付き合ってやったのだが、パワプロは大袈裟に礼を言った後、猪狩って意外といいやつだよな!などとのたまうのだった。意外とは余計である。
失礼な発言に腹も立ったが、ぶんぶんと振り回しながら手を握られたのではそれ以上なにも言えない。
かくしてパワプロのプリントは無事に提出され、ボクは辞書を部室へ置き忘れてきたのだった。
「進、ボクだ。開けるぞ」
さてどうしようかと思い立ち、結局ボクは弟のものを借りることにした。学校指定のものなので、学年が違っても使っているものは一緒である。弟もボクと一緒できちんと教科書類を持ち帰る性分であること、また電子辞書より紙の辞書を好むということも知っていた。
電子辞書は嫌いだ。勉強するのなら紙の辞書をめくると決めている。紙を繰ってページを探したほうが勉強になるし、なにより頭によく入るのだ。
コンコンとノックをして待つも返答がなく、ボクは呼び掛けながら弟の部屋を開けた。やはり進はいないようだ。
そういえばさっき誰かがキッチンを使っていたような気がするが、あれが進だったのかもしれない。弟は昔から料理が得意だったし、キッチンに立つのが好きだった。
特に最近は菓子作りに凝っているらしく、この頃はケーキだのクッキーだのを作っていることが多い。つい先日も甘い香りに誘われてキッチンへと向かったのだが、そこには焼きたてのケーキと奮闘する弟の姿があり、試作でも良いのならといってシフォンケーキを食べさせてもらった。それは今まで食べたことがないくらいにふわふわしていておいしかった。
弟は野球も勉強も料理だってなんでもできる。
弟の部屋はいつだってきちんと整理整頓されている。探せば辞書くらいどこかにあるのだろうが、さすがに勝手に持って行くのは気が引ける。もう少ししたらまた来ようと思って、ボクはそのまま部屋を後にしようとした。
しかし扉を閉める際、開きっぱなしの鞄がふと目についた。進にしてはだらしがなく開きっぱなしにされたそれは中身が丸見えになっており、いちばん上に乗っかっている薄桃色の封筒が目に入った。宛名部分に弟の名前が書かれているだけのそれに合点がいってボクはほんの少しだけ複雑な気持ちになる。ラブレターにちがいなかった。弟もこういうものをもらう年になったのだなあとしみじみと感慨深くもあった。
普段野球部の練習を見ているだけでも進が女生徒に人気があるのはよく知っていたが、しかしボクにとって弟というのはいつまで経っても弟のままである。さみしいような面映ゆいような、不思議な心持だ。あの手紙の主に進はなんといって返答するのであろう。
「兄さん。なにか用ですか?」
唐突に呼ばれて振り返ると、両手に皿を持った進がにこにこと笑っていた。辺りが甘い香りでいっぱいになる。皿に乗っているのは山盛りになったクッキーだった。
「僕に用でした?」
「ああ、辞書を借りようと思って…」
ボクが答えると、進はああなるほどねと言って部屋へと入っていった。ボクには「なるほどね」の部分が何を指しているのか分からなかったのだが、得心がいっているらしい進はボクが何も言わなくても黙って古典の辞書を差し出してきた。にっこりと笑う弟に礼を言って辞書を受け取る。
「クッキー、たくさん焼いたんだな」
「ええ。たくさんありますし、兄さんも少し食べます?」
まだ焼きたてですから、とすすめられたので、ボクは遠慮なくクッキーをいただくことにした。進の言う通り焼きたてらしいそれはまだ温かく、柔らかかった。香ばしいアーモンドの香りとチョコレートの甘さがほど良く合っていておいしい。そういえば進はアーモンドをはじめとしたナッツの類をあまり好まないような気がしていたのだが、ボクの気のせいだっただろうか。
「美味いな」
「ほんとう?今回はちょっと自信なかったんですよ。自分で食べてみてもよく分からなくて」
はにかみながら笑う弟はどこまでも愛らしく、女生徒から「かわいい」と言って評されているのがよく分かった。
甘いクッキーに感化されたのかもしれない、普段はこんなことを言わないのだが、ボクはほんの出来心でさっき見かけた手紙について進に尋ねてみた。相変わらず開いたままの鞄からは手紙が丸見えになっている。視線をそっとそちらに向けると、進もそれに気が付いたようだった。
「進は、やっぱりモテるんだな」
「やめてくださいよ。兄さんまで」
兄さんまで、ということは、他の誰かにもこのように囃し立てられたことがあるのだろうか。やっぱりボクの弟はモテるのだなと他人事ながら鼻が高くなるような気持ちだった。
「だいたい、僕には必要のないものですしね」
そう言って立ち上がった進は鞄の中から手紙をつまみ上げると、なんでもない顔をしてそれをくずかごへ放った。あまりに自然な動作に反応が遅れたが、やっぱりにこにこと笑っている進にボクは絶句をして押し黙った。上手い言葉がでてこない。そこでようやく、ボクは進の笑顔に違和感を覚えた。
「そういえば兄さん、最近パワプロさんと仲良いですよね」
「パワプロ?突然なんの話だ」
「あの人は僕のですから、いくら兄さんでも手を出したら許しませんよ」
唇に乗る笑みはいつもの通りだったが、眼差しはボクの方を真っ直ぐと捉えたまま動くことがない。ごくりと生唾を飲み込む。進が何を言っているのかよく分からなかったし、どうして突然こんなことになっているのか理解が追いつかなかった。ボクは何も言葉にすることができないままただ黙るばかりであった。
「兄さん、辞書いるんでしょ?」
「あ、ああ…」
「今日は僕もう使いませんから、返すのは明日でいいですよ」
「…分かった」
「じゃあ、おやすみなさい」
半ば締め出されるような形で僕は手に辞書を持たされ弟の部屋をあとにした。しばらく閉められたドアを眺めていたが、当然のようにドアの向こうは静かなままなんの反応もない。
長い廊下は甘い匂いでいっぱいになっており、それは自分の部屋に戻る道までずっと続いていた。
――――――――――――
まさかの続き。進くんコエーヒエー
なんかまだ続きそうですよね~えっあなたがかいてくださるんですかヤッタ~!
猪狩兄弟
鞄の中をいくら探してみても目当てのものは見当たらなかった。ボクとしたことが、辞書を部室に置き忘れてきたようだ。
教科書や辞書の類を学校に置いたままにできないボクは、当然のように今日も鞄の中にきちんとしまった。確かにそのはずだったのだが、家に帰って鞄を開けるとそこに辞書はない。おかしいなと思って記憶を探ると、そういえば部室で古典のプリントをやっていたパワプロに貸してやったのだった。
なぜわざわざこんなところで、とは思うのだが、パワプロが言うには今日が期限であるそれをすっかり忘れていたらしい。話を聞くとそのプリントは再提出をくらったものらしく、どうしても今日中に出さないとまずいという。
パワプロが大騒ぎしながら取り掛かっている問題のプリントをちらりと覗き見ると、ボクのクラスではとっくに終わっている範囲であった。しかも内容もそれほど難しいものではない。20、30分もあれば片付くだろう。しかしパワプロにとってはそうではないらしく、唸りながら周りに泣きつくも全く進んでいないようだった。その様子がうっとうしく、なによりあまりにもでたらめな解答に見かねて口を出してしまったところ、パワプロのやつはこれ幸いにと今度はボクに泣きついてきた。
猪狩、頼む、あとでなんでもおごってやるから!
縋り付くパワプロの気迫はすさまじくそれを無視することもできないまま、なにより今日は気分も良かったのでボクは少しだけ勉強をみてやることにした。ほんの暇つぶし、気まぐれである。
いつもパワプロの酷い点数を目にしていたボクは(部室でいつも矢部や他の連中と競い合っている。ボクからすれば全員どんぐりの背比べに変わりない)、野球はともかく勉学に関してはどうしようもないやつだと思っていた。しかし、隣で少し教えてやったことでボクはその認識を改めることになった。
言われたことはきちんと理解できるし、なにより呑み込みが早い。ボクが少しアドバイスをしてやると、パワプロはみるみるうちに空白のプリントを埋めていって、結局ものの数十分で片付けてしまった。野球と一緒でやればできるやつなのだ、こいつは。
乗り掛かった船なので仕方なく最後まで付き合ってやったのだが、パワプロは大袈裟に礼を言った後、猪狩って意外といいやつだよな!などとのたまうのだった。意外とは余計である。
失礼な発言に腹も立ったが、ぶんぶんと振り回しながら手を握られたのではそれ以上なにも言えない。
かくしてパワプロのプリントは無事に提出され、ボクは辞書を部室へ置き忘れてきたのだった。
「進、ボクだ。開けるぞ」
さてどうしようかと思い立ち、結局ボクは弟のものを借りることにした。学校指定のものなので、学年が違っても使っているものは一緒である。弟もボクと一緒できちんと教科書類を持ち帰る性分であること、また電子辞書より紙の辞書を好むということも知っていた。
電子辞書は嫌いだ。勉強するのなら紙の辞書をめくると決めている。紙を繰ってページを探したほうが勉強になるし、なにより頭によく入るのだ。
コンコンとノックをして待つも返答がなく、ボクは呼び掛けながら弟の部屋を開けた。やはり進はいないようだ。
そういえばさっき誰かがキッチンを使っていたような気がするが、あれが進だったのかもしれない。弟は昔から料理が得意だったし、キッチンに立つのが好きだった。
特に最近は菓子作りに凝っているらしく、この頃はケーキだのクッキーだのを作っていることが多い。つい先日も甘い香りに誘われてキッチンへと向かったのだが、そこには焼きたてのケーキと奮闘する弟の姿があり、試作でも良いのならといってシフォンケーキを食べさせてもらった。それは今まで食べたことがないくらいにふわふわしていておいしかった。
弟は野球も勉強も料理だってなんでもできる。
弟の部屋はいつだってきちんと整理整頓されている。探せば辞書くらいどこかにあるのだろうが、さすがに勝手に持って行くのは気が引ける。もう少ししたらまた来ようと思って、ボクはそのまま部屋を後にしようとした。
しかし扉を閉める際、開きっぱなしの鞄がふと目についた。進にしてはだらしがなく開きっぱなしにされたそれは中身が丸見えになっており、いちばん上に乗っかっている薄桃色の封筒が目に入った。宛名部分に弟の名前が書かれているだけのそれに合点がいってボクはほんの少しだけ複雑な気持ちになる。ラブレターにちがいなかった。弟もこういうものをもらう年になったのだなあとしみじみと感慨深くもあった。
普段野球部の練習を見ているだけでも進が女生徒に人気があるのはよく知っていたが、しかしボクにとって弟というのはいつまで経っても弟のままである。さみしいような面映ゆいような、不思議な心持だ。あの手紙の主に進はなんといって返答するのであろう。
「兄さん。なにか用ですか?」
唐突に呼ばれて振り返ると、両手に皿を持った進がにこにこと笑っていた。辺りが甘い香りでいっぱいになる。皿に乗っているのは山盛りになったクッキーだった。
「僕に用でした?」
「ああ、辞書を借りようと思って…」
ボクが答えると、進はああなるほどねと言って部屋へと入っていった。ボクには「なるほどね」の部分が何を指しているのか分からなかったのだが、得心がいっているらしい進はボクが何も言わなくても黙って古典の辞書を差し出してきた。にっこりと笑う弟に礼を言って辞書を受け取る。
「クッキー、たくさん焼いたんだな」
「ええ。たくさんありますし、兄さんも少し食べます?」
まだ焼きたてですから、とすすめられたので、ボクは遠慮なくクッキーをいただくことにした。進の言う通り焼きたてらしいそれはまだ温かく、柔らかかった。香ばしいアーモンドの香りとチョコレートの甘さがほど良く合っていておいしい。そういえば進はアーモンドをはじめとしたナッツの類をあまり好まないような気がしていたのだが、ボクの気のせいだっただろうか。
「美味いな」
「ほんとう?今回はちょっと自信なかったんですよ。自分で食べてみてもよく分からなくて」
はにかみながら笑う弟はどこまでも愛らしく、女生徒から「かわいい」と言って評されているのがよく分かった。
甘いクッキーに感化されたのかもしれない、普段はこんなことを言わないのだが、ボクはほんの出来心でさっき見かけた手紙について進に尋ねてみた。相変わらず開いたままの鞄からは手紙が丸見えになっている。視線をそっとそちらに向けると、進もそれに気が付いたようだった。
「進は、やっぱりモテるんだな」
「やめてくださいよ。兄さんまで」
兄さんまで、ということは、他の誰かにもこのように囃し立てられたことがあるのだろうか。やっぱりボクの弟はモテるのだなと他人事ながら鼻が高くなるような気持ちだった。
「だいたい、僕には必要のないものですしね」
そう言って立ち上がった進は鞄の中から手紙をつまみ上げると、なんでもない顔をしてそれをくずかごへ放った。あまりに自然な動作に反応が遅れたが、やっぱりにこにこと笑っている進にボクは絶句をして押し黙った。上手い言葉がでてこない。そこでようやく、ボクは進の笑顔に違和感を覚えた。
「そういえば兄さん、最近パワプロさんと仲良いですよね」
「パワプロ?突然なんの話だ」
「あの人は僕のですから、いくら兄さんでも手を出したら許しませんよ」
唇に乗る笑みはいつもの通りだったが、眼差しはボクの方を真っ直ぐと捉えたまま動くことがない。ごくりと生唾を飲み込む。進が何を言っているのかよく分からなかったし、どうして突然こんなことになっているのか理解が追いつかなかった。ボクは何も言葉にすることができないままただ黙るばかりであった。
「兄さん、辞書いるんでしょ?」
「あ、ああ…」
「今日は僕もう使いませんから、返すのは明日でいいですよ」
「…分かった」
「じゃあ、おやすみなさい」
半ば締め出されるような形で僕は手に辞書を持たされ弟の部屋をあとにした。しばらく閉められたドアを眺めていたが、当然のようにドアの向こうは静かなままなんの反応もない。
長い廊下は甘い匂いでいっぱいになっており、それは自分の部屋に戻る道までずっと続いていた。
――――――――――――
まさかの続き。進くんコエーヒエー
なんかまだ続きそうですよね~えっあなたがかいてくださるんですかヤッタ~!
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