浅い眠り
浅い眠り(主人公と猪狩進と神童)
窓から入る春風が頬を撫でていく、午後の昼下がり。初めて上がるその部屋は広くてきれいで、その居心地の良さに僕は完全に気が緩んでしまっていた。
お茶を淹れてくると言ったその人の背中を眺めながら、奥にある広々としたキッチンを見て、いつかここで得意な手料理を振る舞って、一緒に食卓を囲むことが出来たらどんなにいいだろうかと夢想した。彼はチームメイトで、僕はただの後輩で、今日だって「昨日の投球内容を確認したい」なんて適当な理由を付けて家に上げてもらっただけだ。
初めは、利用するために近付いた。それこそが、わざわざ逆指名でオリックスに入団した理由のすべてだ。兄と同じ投球スタイルの彼を見て、「これ」なら上手くいけば兄を倒せる、この投手を使って、僕のリードで、そう、僕の力で、ようやく兄に打ち勝つことが出来る。僕にとってそれはもはや勝ち負けというよりも、呪いからの解放といった意味合いに近しい。幼少期からついて回った兄の影を、ここで断ち切る。兄の弟ではない、猪狩二号ではなく、ひとりのプロ野球選手として、胸を張って立つために。
そう思っていたのに、いつの間にか状況はずいぶんと変わってしまった。いつの間にかどころではない、自分でも自覚するほど明確に、この人に惹かれていた。そうでなければ、オフの日に理由を付けて、人の家に上がり込むような真似などするわけがない。
利用するためにこの人のことが知りたかったはずなのに、今はただ、この人のことをひとつでも多く知れることが単純に嬉しい。そして、僕のことも知ってほしい。僕のことを見てほしい。僕が、この人のことを見ているように。
「進くん、起きた?」
撫でる手の平の感覚に、目が覚めた。いつの間にかうたた寝をしていたらしい。ソファから身体を起こすと、目の前のその人は柔らかい笑顔を見せて笑った。
「ごめんなさい。僕、寝てたみたいで……」
「いいよいいよ、気にしないで」
紅茶の匂いがする。僕が好んでよく飲むアールグレイティーに違いなかった。爽やかなベルガモットの香りが鼻をくすぐる。開いた窓から入り込んだ風はカーテンを揺らして、春風が一陣吹き抜けた。
頭は、まだぼんやりしていた。ここは夢の中でみた「あの人」の部屋ではない。僕の「恋人」の部屋だった。
「進くんみたいにまだ上手く淹れらんないんだけど。良かったら、どうぞ」
「ありがとうございます」
照れ臭そうにして頬をかくのは、この先輩の癖だった。見慣れた仕草に僕はいつもの顔で笑ってみせて、ティーカップを持ち上げる。前に僕が遊びに来たときに持って来た紅茶だった。
「おいしいです」
「よかったー」
僕と違って砂糖とミルクをたくさん入れて飲むその先輩は、無邪気に笑いながら自分もカップを傾けた。それを見ながら、あの人は僕と同じでストレートで飲むのだったなと、そんなことを思い出していた。
先輩は兄と同級生で、学生時代には甲子園行きの切符をかけて戦ったこともある。僕は猪狩守の弟として、この人と対峙していた。今は、チームメイトであり、よき先輩、よき後輩の仲である……というのは世間体としての建前で、僕たち二人は少し前から交際関係が始まっていた。告白したのは、僕だ。
「今日はどうする?進くん疲れてるみたいだし、ゆっくりしようか」
「いえ、予定通り買い物に行きましょう。久しぶりに、スポーツショップの新商品も見たいですし」
そうだねと答えた先輩の手の平に自分のそれを重ねると、先輩はほんのり頬を染めて、静かになってしまった。黙ってしまった先輩にもたれかかり、その肩口に頭を乗せる。
あの人のことを忘れるために付き合い始めたのに、一人でいるときよりも多く思い出すようになっている。目を閉じると、今でもあの人の笑っている顔を鮮明に思い出すことが出来た。神童さんは、こんなふうに優しく頭を撫でてくれたことなんて、一度もなかったのに。
了
ーーーーーーーーーー
騙されたと思って進くんのWikipedia頁を一度読んでみてほしい。こういうことが書いてあるので、マジで
窓から入る春風が頬を撫でていく、午後の昼下がり。初めて上がるその部屋は広くてきれいで、その居心地の良さに僕は完全に気が緩んでしまっていた。
お茶を淹れてくると言ったその人の背中を眺めながら、奥にある広々としたキッチンを見て、いつかここで得意な手料理を振る舞って、一緒に食卓を囲むことが出来たらどんなにいいだろうかと夢想した。彼はチームメイトで、僕はただの後輩で、今日だって「昨日の投球内容を確認したい」なんて適当な理由を付けて家に上げてもらっただけだ。
初めは、利用するために近付いた。それこそが、わざわざ逆指名でオリックスに入団した理由のすべてだ。兄と同じ投球スタイルの彼を見て、「これ」なら上手くいけば兄を倒せる、この投手を使って、僕のリードで、そう、僕の力で、ようやく兄に打ち勝つことが出来る。僕にとってそれはもはや勝ち負けというよりも、呪いからの解放といった意味合いに近しい。幼少期からついて回った兄の影を、ここで断ち切る。兄の弟ではない、猪狩二号ではなく、ひとりのプロ野球選手として、胸を張って立つために。
そう思っていたのに、いつの間にか状況はずいぶんと変わってしまった。いつの間にかどころではない、自分でも自覚するほど明確に、この人に惹かれていた。そうでなければ、オフの日に理由を付けて、人の家に上がり込むような真似などするわけがない。
利用するためにこの人のことが知りたかったはずなのに、今はただ、この人のことをひとつでも多く知れることが単純に嬉しい。そして、僕のことも知ってほしい。僕のことを見てほしい。僕が、この人のことを見ているように。
「進くん、起きた?」
撫でる手の平の感覚に、目が覚めた。いつの間にかうたた寝をしていたらしい。ソファから身体を起こすと、目の前のその人は柔らかい笑顔を見せて笑った。
「ごめんなさい。僕、寝てたみたいで……」
「いいよいいよ、気にしないで」
紅茶の匂いがする。僕が好んでよく飲むアールグレイティーに違いなかった。爽やかなベルガモットの香りが鼻をくすぐる。開いた窓から入り込んだ風はカーテンを揺らして、春風が一陣吹き抜けた。
頭は、まだぼんやりしていた。ここは夢の中でみた「あの人」の部屋ではない。僕の「恋人」の部屋だった。
「進くんみたいにまだ上手く淹れらんないんだけど。良かったら、どうぞ」
「ありがとうございます」
照れ臭そうにして頬をかくのは、この先輩の癖だった。見慣れた仕草に僕はいつもの顔で笑ってみせて、ティーカップを持ち上げる。前に僕が遊びに来たときに持って来た紅茶だった。
「おいしいです」
「よかったー」
僕と違って砂糖とミルクをたくさん入れて飲むその先輩は、無邪気に笑いながら自分もカップを傾けた。それを見ながら、あの人は僕と同じでストレートで飲むのだったなと、そんなことを思い出していた。
先輩は兄と同級生で、学生時代には甲子園行きの切符をかけて戦ったこともある。僕は猪狩守の弟として、この人と対峙していた。今は、チームメイトであり、よき先輩、よき後輩の仲である……というのは世間体としての建前で、僕たち二人は少し前から交際関係が始まっていた。告白したのは、僕だ。
「今日はどうする?進くん疲れてるみたいだし、ゆっくりしようか」
「いえ、予定通り買い物に行きましょう。久しぶりに、スポーツショップの新商品も見たいですし」
そうだねと答えた先輩の手の平に自分のそれを重ねると、先輩はほんのり頬を染めて、静かになってしまった。黙ってしまった先輩にもたれかかり、その肩口に頭を乗せる。
あの人のことを忘れるために付き合い始めたのに、一人でいるときよりも多く思い出すようになっている。目を閉じると、今でもあの人の笑っている顔を鮮明に思い出すことが出来た。神童さんは、こんなふうに優しく頭を撫でてくれたことなんて、一度もなかったのに。
了
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騙されたと思って進くんのWikipedia頁を一度読んでみてほしい。こういうことが書いてあるので、マジで
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