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月がきれいな夜に

月がきれいな夜に(猪狩守)

「あ、猪狩じゃん」
 どうして、こんな日に出くわすのだろう。よりにもよって、こんな日に。今は何時になるのだろうか。夜、月明かりが頼りの河川敷で、その男は手を上げてボクを呼んだ。名前をパワプロといって、パワフル高校に通う野球部員であった。なんの偶然か、因果か、やたらと鉢合わせするのでそのたびに三球勝負をしている、ただそれだけの間柄だった。
「オレはコンビニ行ってきた帰りなんだけど。こんな時間に会うの、珍しいよな」
 病院からの帰り道、疲れ切っていたボクは返事をする気にもならないで、そのまま黙っていた。パワプロは気にした様子もなく、無邪気に話しかけてくる。今日は暑いよな。そうだ、暑い、今日は特別に暑い日だった。日が暮れているにも関わらず妙に蒸し暑い、ぬるい風が頬を撫ぜていく。この暑さが、弟の集中力を奪ったのだろうか。
「…どうかしたのか?」
 いい加減、黙ったままでいるボクの様子をおかしいと思ったのか、そんなことを言う。ボクは答えなかった。
 弟が交通事故に遭った。数時間前のことだ。いつもと変わりなく、共に部活動をこなし、もう少し練習していくからと一人残ったボク、先に帰った弟、連絡を受けたボク、トラックに轢かれた弟。病院に駆け付けると、大型トラックに撥ねられたにも関わらず、弟は幸いにも意識があり、病院のベッドの上で身体を起こし、口をきくことが出来た。最悪の事態を想定していたボクは、静かに胸を撫で下ろした。
 その後のことは、よく覚えていない。進の安否を確認して、ボクは気が抜けてしまったのかもしれない。また明日、そう言い合って、ボクは病室をあとにした。
「猪狩、泣いてるのか?」
 そんなわけないだろう。そう言いたかったはずなのに、声にはならなかった。高校三年の、夏。もうまもなく夏の大会の予選が始まるところであった。そう思った瞬間、何かが堰を切ったように溢れ返った。止まらない。思いついたまま話す、時には支離滅裂のそれをパワプロは黙って聞いていた。暑いはずなのに背筋が妙に冷え、ボクは身震いをするように腕を掻き抱いた。弟は、もう、野球が出来ない。医者に言われた言葉を反芻して、ボクの話は終わった。
 パワプロは何も言わなかった。生温い風が全身を撫ぜていく。月夜の晩、河川敷には二人きりだった。他に誰もいない取り残された世界で、ボクはもう一度だけ泣いた。

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