かごめかごめ籠の外
11/主人公と友沢
「オレはお前のことが大嫌いだ」
友沢にそう言われたとき、オレは一体なんと答えたのだろうか。なんにも言わなかったような気もするし、そうなんだ、なんて適当に返してしまったような気もする。分からない。そのくらい、オレは動揺していた。喉の奥で言葉が詰まってしまったようになんにも出てこない。
そうこうしている内にも友沢の零す嗚咽はどんどん大きくなっていって、ついには声を上げて泣き出してしまった。オレはただただ面食らっているばかりでどうすることも出来ない。だって、あの友沢が泣いているのだ。こうも無防備に零れる雫は頬を伝って、いくら友沢が乱暴に手の甲で拭ってもそれは溢れんばかりに落ちてくる。小さな子供のように、友沢は泣いていた。嗚咽にまぎれて、掠れた友沢の声が混じる。
「なんでお前は、いつもそうなんだよ、オレのことなんて放っておけばいい、いいのに、わざわざ首突っ込んで、退部になって、それで、こんな」
「友沢」
「なんで、笑って、へらへらしてるんだ、オレのこと助けたせいで、なんでって言ってオレを責めろよ、嫌えよ、オレはっ…オレは今日まで惨めだった、どうしようもなく、惨めだった、ほんとうは、ほんとうはオレだって、あんな」
「友沢、もういいから」
「それでも、おれは野球をしなくちゃいけない、プロに、ならなくちゃいけない」
そこまで言って、友沢は音もなく大粒の涙をこぼした。とめどなく溢れる涙は次から次に落ちてくる。
成人男子がみっともない、そんなことオレはこれっぽっちも思わなかったし、友沢の真摯な気持ちがこれ以上ないほどに伝わってきた。分かっているから、どうかもう泣かないでほしい。友沢が一体どんな決意と使命を持って野球をしているのかオレは全然知らないけれど、友沢の真剣な気持ちは痛いほどによく分かっている。だから、もういいだろう。友沢がこんな風に泣く理由はどこにもないはずだった。
今日もいつものように下井先輩たちと練習をしたオレは、近道をするために公園を横切って帰路に着くところだった。
あの日、帝王野球部を退部になったオレは、矢部くんと一緒に旧グラウンドで練習をしていた。確かに今までの野球部と比べれば設備も練習メニューも何もかもが劣っていたが、オレは大学生になってから今がいちばん充実した時間を過ごせていると感じていた。野球をするのが楽しい。みんなと野球をしているのが楽しい。目一杯好きなことをして、オレは何不自由のない毎日を送っていた。
元の野球部に全く未練がないかと聞かれればそれはもちろん多少の心残りくらいはあったが、それも今となってはどうでもいい話である。下井先輩と、矢部くんと、みんなと、わいわい泥まみれになって練習する時間がこの上なく楽しかったからだ。順位を落とさないように、レギュラー入り出来るように、レギュラーになったらそのポジションを奪われないように、ただひたすらそんなことに固執していたあの2年間が嘘のようで、オレは高校生までの自分が抱いていた野球への気持ちを思い出したのだった。
だから、野球部を退部になったって、一軍のグラウンドを使えなくたって、何も辛いことはなかった。そんなことを考えながらへとへとの体を引きずって家へ帰る途中、友沢に出くわしたのだ。
近道になる公園を足早に抜けようとすると、外灯の下に誰か立っていた。遠目でも印象的なそのシルエットで、オレはそこに誰がいるのかすぐに分かった。友沢が顔を上げると、トレードマークのサングラスがちらりと光った。外灯に照らされた顔はいつもより元気がなく、さらに言うなら具合が悪そうにも見えた。しかし、なにぶん周りは真っ暗で、頼りない外灯の灯りだけではよく判別がつかなかった。
オレが驚いて何も言わないままでいると、明後日の方を向いていた友沢はおもむろに顔を上げいつもの仏頂面で口を開くのだった。
「よう」
「どうしたんだよ友沢、こんなところで」
「それはこっちのセリフだ」
イライラするように言った友沢は乱暴に言葉を吐き捨てた。切れ長の瞳がゆらゆらと瞬いてこちらを睨む。覗き込むようにして見てみると、友沢の瞳は燃えるように怒っているのだった。迫力に押されてオレは生唾を飲み込む。何がこうも友沢を駆り立てているのか全く見当がつかなかった。
「パワプロ」
「うん?」
「お前、旧グラウンドで練習してるんだってな」
「…」
「今まで退部になった連中と一緒に、第二野球部なんて言ってるみたいだな」
「なんでそれを」
沈黙が辺りを包み込む。どうしてそれを友沢が知っているのか、そもそもなぜそんなことを言うのか、オレには分からなかった。わざわざ帰り道に待ち伏せしているということも解せない。友沢はいつからここにいたのだろうか。
「友沢、お前こんなところにいていいのかよ。今日、バイトは。だいたい、練習にはちゃんと出たのか?」
「だから!!」
叫ぶように声を絞り出した友沢は、唐突に近づいてオレの胸倉を掴みあげた。突然のことにただ驚くばかりでオレはされるがままの状態だ。
そのまま吐息が触れるほどの距離で友沢が言う。
「なんでお前はいつもいつも人の事ばっかり気にするんだよ、目障りなんだよ、迷惑なんだよ!」
「……」
「オレのことなんか放っておけよ、どうでもいいだろ!」
「友沢」
「お前が勝手に首を突っ込んでくるから、わざわざちょっかいかけて監督を怒らせるから、それで退部になったんだろ、なのにお前は!」
「オレはあのときのことを後悔なんてしてないし、友沢が気にすることなんてなにもないんだ」
思い切りオレを突き飛ばした友沢は、今までに見たこともない顔をしていた。声を掛けようとして思いとどまり、すんでのところまで出かかった言葉もすべて引っ込んでしまった。外灯に照らされた友沢の影が揺れる。握りしめられた拳はわなわなと震えているのだった。
「オレはお前のことが大嫌いだ」
そう言ってからの友沢は、堰を切ったように泣いた。とにかく泣いた。嗚咽と一緒に零れる声は今にも消え入りそうで、なんのてらいもなく泣いているその様子はまるで子供のようだった。ぽたぽたと惜しみなく落ちるそれは友沢の衣服を濡らし、アスファルトに黒い染みを作っていった。まるで涙の分だけ友沢の本音も零れていくようだ。今まで聞くことのない、これが友沢の本当の気持ちだった。
プロにならなくちゃいけない、友沢は何度もそう繰り返し、あんなに鍛えられ逞しいと感じていた双肩は頼りなく揺れていた。その肩へ、オレは無意識に手を伸ばしていた。驚いたらしい友沢は濡れた目でこちらを見ている。
鼻の頭まで真っ赤にして泣いている友沢を見て、オレはほんの少しだけ笑ってしまった。それに面白くない顔をしたのは友沢だ。いつの間にかすっかり涙も引っ込んでしまったらしい、友沢は唇を尖らせるとこの上なく不機嫌そうな顔を作ってオレを睨んでくるのだった。
「なに笑ってんだ、ムカつく」
「だって、友沢が一生懸命で」
「は」
「しかも、なんかオレのこと大好きみたいだから」
「ばっ、ふざけるな、お前なんか嫌いだって言ってるだろ」
外灯のおぼつかない灯りでも分かるほどに、友沢は耳まで真っ赤に染めて暴言を吐いた。なんてかわいくないことだろう。そうか、友沢ってこういうやつだったんだ。第一印象からぶれることのない友沢の本質に触れてオレは少しだけ得意げな気持ちになる。やっぱりオレは間違ってなんかいなかった。
赤くなっている友沢の鼻の頭を摘まみ上げる。
「なにすんだよ!」
「大丈夫だよ、友沢。オレだってプロになりたいけど、大学野球だけがその道じゃない。社会人だってあるし、入団テストを受けたっていい。なんとでもなるんだよ」
「……」
「だから、そんな顔するなよ」
「パワプロ」
「また、一緒に野球やろうぜ。大学の部活だけが野球のできる場所じゃない。そんで、二人でプロ入ってさ」
「…オレはもちろんプロ入りするけど、お前の実力じゃどうかな」
「なんだとー!」
生意気そうに唇の端を上げて笑う、いつもの友沢だった。さっきまで泣いていたのが嘘のように自信満々だ。これで良かったのだと、オレはもう一度だけ胸の中で呟いた。
なあ、と呼び掛けた友沢はいつになくすっきりした顔をしていて、気分の良いオレは友沢をキャッチボールに誘った。こんなに暗くて出来るわけないだろと言った友沢は、そうは言いながらも照明のありそうな場所を探してきょろきょろするのだった。
なんなら、公園の外まで駆けっこ勝負でもいいぞ。友沢、オレはお前になんか負けない自信があるからさ。
―――――――――――――――
このあと紅白戦をして、またすぐ一緒に野球するんですね
11の主人公ちゃんもイケメンがすぎる…お前は退部にならなくて良かったなと言われたとき、友沢の胸は打ち抜かれたようにギュンギュンしたことでしょう…
いろいろ我慢して背負って頑張っている友沢くん格好良いです
「オレはお前のことが大嫌いだ」
友沢にそう言われたとき、オレは一体なんと答えたのだろうか。なんにも言わなかったような気もするし、そうなんだ、なんて適当に返してしまったような気もする。分からない。そのくらい、オレは動揺していた。喉の奥で言葉が詰まってしまったようになんにも出てこない。
そうこうしている内にも友沢の零す嗚咽はどんどん大きくなっていって、ついには声を上げて泣き出してしまった。オレはただただ面食らっているばかりでどうすることも出来ない。だって、あの友沢が泣いているのだ。こうも無防備に零れる雫は頬を伝って、いくら友沢が乱暴に手の甲で拭ってもそれは溢れんばかりに落ちてくる。小さな子供のように、友沢は泣いていた。嗚咽にまぎれて、掠れた友沢の声が混じる。
「なんでお前は、いつもそうなんだよ、オレのことなんて放っておけばいい、いいのに、わざわざ首突っ込んで、退部になって、それで、こんな」
「友沢」
「なんで、笑って、へらへらしてるんだ、オレのこと助けたせいで、なんでって言ってオレを責めろよ、嫌えよ、オレはっ…オレは今日まで惨めだった、どうしようもなく、惨めだった、ほんとうは、ほんとうはオレだって、あんな」
「友沢、もういいから」
「それでも、おれは野球をしなくちゃいけない、プロに、ならなくちゃいけない」
そこまで言って、友沢は音もなく大粒の涙をこぼした。とめどなく溢れる涙は次から次に落ちてくる。
成人男子がみっともない、そんなことオレはこれっぽっちも思わなかったし、友沢の真摯な気持ちがこれ以上ないほどに伝わってきた。分かっているから、どうかもう泣かないでほしい。友沢が一体どんな決意と使命を持って野球をしているのかオレは全然知らないけれど、友沢の真剣な気持ちは痛いほどによく分かっている。だから、もういいだろう。友沢がこんな風に泣く理由はどこにもないはずだった。
今日もいつものように下井先輩たちと練習をしたオレは、近道をするために公園を横切って帰路に着くところだった。
あの日、帝王野球部を退部になったオレは、矢部くんと一緒に旧グラウンドで練習をしていた。確かに今までの野球部と比べれば設備も練習メニューも何もかもが劣っていたが、オレは大学生になってから今がいちばん充実した時間を過ごせていると感じていた。野球をするのが楽しい。みんなと野球をしているのが楽しい。目一杯好きなことをして、オレは何不自由のない毎日を送っていた。
元の野球部に全く未練がないかと聞かれればそれはもちろん多少の心残りくらいはあったが、それも今となってはどうでもいい話である。下井先輩と、矢部くんと、みんなと、わいわい泥まみれになって練習する時間がこの上なく楽しかったからだ。順位を落とさないように、レギュラー入り出来るように、レギュラーになったらそのポジションを奪われないように、ただひたすらそんなことに固執していたあの2年間が嘘のようで、オレは高校生までの自分が抱いていた野球への気持ちを思い出したのだった。
だから、野球部を退部になったって、一軍のグラウンドを使えなくたって、何も辛いことはなかった。そんなことを考えながらへとへとの体を引きずって家へ帰る途中、友沢に出くわしたのだ。
近道になる公園を足早に抜けようとすると、外灯の下に誰か立っていた。遠目でも印象的なそのシルエットで、オレはそこに誰がいるのかすぐに分かった。友沢が顔を上げると、トレードマークのサングラスがちらりと光った。外灯に照らされた顔はいつもより元気がなく、さらに言うなら具合が悪そうにも見えた。しかし、なにぶん周りは真っ暗で、頼りない外灯の灯りだけではよく判別がつかなかった。
オレが驚いて何も言わないままでいると、明後日の方を向いていた友沢はおもむろに顔を上げいつもの仏頂面で口を開くのだった。
「よう」
「どうしたんだよ友沢、こんなところで」
「それはこっちのセリフだ」
イライラするように言った友沢は乱暴に言葉を吐き捨てた。切れ長の瞳がゆらゆらと瞬いてこちらを睨む。覗き込むようにして見てみると、友沢の瞳は燃えるように怒っているのだった。迫力に押されてオレは生唾を飲み込む。何がこうも友沢を駆り立てているのか全く見当がつかなかった。
「パワプロ」
「うん?」
「お前、旧グラウンドで練習してるんだってな」
「…」
「今まで退部になった連中と一緒に、第二野球部なんて言ってるみたいだな」
「なんでそれを」
沈黙が辺りを包み込む。どうしてそれを友沢が知っているのか、そもそもなぜそんなことを言うのか、オレには分からなかった。わざわざ帰り道に待ち伏せしているということも解せない。友沢はいつからここにいたのだろうか。
「友沢、お前こんなところにいていいのかよ。今日、バイトは。だいたい、練習にはちゃんと出たのか?」
「だから!!」
叫ぶように声を絞り出した友沢は、唐突に近づいてオレの胸倉を掴みあげた。突然のことにただ驚くばかりでオレはされるがままの状態だ。
そのまま吐息が触れるほどの距離で友沢が言う。
「なんでお前はいつもいつも人の事ばっかり気にするんだよ、目障りなんだよ、迷惑なんだよ!」
「……」
「オレのことなんか放っておけよ、どうでもいいだろ!」
「友沢」
「お前が勝手に首を突っ込んでくるから、わざわざちょっかいかけて監督を怒らせるから、それで退部になったんだろ、なのにお前は!」
「オレはあのときのことを後悔なんてしてないし、友沢が気にすることなんてなにもないんだ」
思い切りオレを突き飛ばした友沢は、今までに見たこともない顔をしていた。声を掛けようとして思いとどまり、すんでのところまで出かかった言葉もすべて引っ込んでしまった。外灯に照らされた友沢の影が揺れる。握りしめられた拳はわなわなと震えているのだった。
「オレはお前のことが大嫌いだ」
そう言ってからの友沢は、堰を切ったように泣いた。とにかく泣いた。嗚咽と一緒に零れる声は今にも消え入りそうで、なんのてらいもなく泣いているその様子はまるで子供のようだった。ぽたぽたと惜しみなく落ちるそれは友沢の衣服を濡らし、アスファルトに黒い染みを作っていった。まるで涙の分だけ友沢の本音も零れていくようだ。今まで聞くことのない、これが友沢の本当の気持ちだった。
プロにならなくちゃいけない、友沢は何度もそう繰り返し、あんなに鍛えられ逞しいと感じていた双肩は頼りなく揺れていた。その肩へ、オレは無意識に手を伸ばしていた。驚いたらしい友沢は濡れた目でこちらを見ている。
鼻の頭まで真っ赤にして泣いている友沢を見て、オレはほんの少しだけ笑ってしまった。それに面白くない顔をしたのは友沢だ。いつの間にかすっかり涙も引っ込んでしまったらしい、友沢は唇を尖らせるとこの上なく不機嫌そうな顔を作ってオレを睨んでくるのだった。
「なに笑ってんだ、ムカつく」
「だって、友沢が一生懸命で」
「は」
「しかも、なんかオレのこと大好きみたいだから」
「ばっ、ふざけるな、お前なんか嫌いだって言ってるだろ」
外灯のおぼつかない灯りでも分かるほどに、友沢は耳まで真っ赤に染めて暴言を吐いた。なんてかわいくないことだろう。そうか、友沢ってこういうやつだったんだ。第一印象からぶれることのない友沢の本質に触れてオレは少しだけ得意げな気持ちになる。やっぱりオレは間違ってなんかいなかった。
赤くなっている友沢の鼻の頭を摘まみ上げる。
「なにすんだよ!」
「大丈夫だよ、友沢。オレだってプロになりたいけど、大学野球だけがその道じゃない。社会人だってあるし、入団テストを受けたっていい。なんとでもなるんだよ」
「……」
「だから、そんな顔するなよ」
「パワプロ」
「また、一緒に野球やろうぜ。大学の部活だけが野球のできる場所じゃない。そんで、二人でプロ入ってさ」
「…オレはもちろんプロ入りするけど、お前の実力じゃどうかな」
「なんだとー!」
生意気そうに唇の端を上げて笑う、いつもの友沢だった。さっきまで泣いていたのが嘘のように自信満々だ。これで良かったのだと、オレはもう一度だけ胸の中で呟いた。
なあ、と呼び掛けた友沢はいつになくすっきりした顔をしていて、気分の良いオレは友沢をキャッチボールに誘った。こんなに暗くて出来るわけないだろと言った友沢は、そうは言いながらも照明のありそうな場所を探してきょろきょろするのだった。
なんなら、公園の外まで駆けっこ勝負でもいいぞ。友沢、オレはお前になんか負けない自信があるからさ。
―――――――――――――――
このあと紅白戦をして、またすぐ一緒に野球するんですね
11の主人公ちゃんもイケメンがすぎる…お前は退部にならなくて良かったなと言われたとき、友沢の胸は打ち抜かれたようにギュンギュンしたことでしょう…
いろいろ我慢して背負って頑張っている友沢くん格好良いです
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毒入り手料理事件
カイザース/主進
ことこと煮られた鍋を見つめながら、そろそろ頃合いかもしれないと箸を持った。意味もなくぐるりとひと混ぜしてみる。料理などほとんどしたことがないので見よう見真似である。以前作ってくれた彼の仕草を思い出しながらそろそろとボウルを掴んだ。
中には溶き卵が入っている。割るときに入ってしまった殻はさっき苦労して取り出したところだ。片手でぱかんと卵を割って笑う彼を思い出しながらゆっくりと卵を溶き入れた。
弱火で熱されたそれはいい具合に煮込まれ、米と卵がしっかり絡んで美味そうに見えた。初めてにしては上出来だろう。少し蒸らすと美味しくなるんですよ、確か彼はそう言っていたはずだと蓋を被せる。
その間に皿とスプーンを用意して、買ったばかりの風邪薬を取り出した。病気をしないので常備薬は置いていないと言っていた言葉の通り、彼の家には薬箱やそれに類するものは何もなかった。なんにでも用意周到に臨む彼にしては意外なことだと思う。
火を切って蓋を開けるとふわふわと白い湯気が立ち上った。作った粥を椀によそって、仕上げに刻んだネギを振りかけた。なかなか見た目は美味そうだ。自分の分もたっぷりよそっていると、待ってましたとばかりにぐうと腹が鳴る。昨日の夜ここにやってきてから、実は何も食べていないのだった。
二人分の食事と薬を盆に持って、オレは彼の寝ている寝室のドアを開けた。呼びかけても返事はない。さっきまで起きていたのに、また眠ってしまったようだ。しかし39度も熱があるのなら仕方ないことだ。これでも少しは下がってきた方だった。
どうしようかと少しだけ悩んで、やっぱり自分だけでも食べてしまおうとスプーンを持つ。ベッド脇であぐらをかいて行儀の悪いことこの上ないが、このくらいはどうか許してほしい。少しでも傍にいたいが、なにはともあれ腹が減っては戦はできないのである。返事をするように、腹の虫がきゅるると情けない声で鳴いた。
いただきます、小さく手を合わせてスプーンを持つ。ふうふうと十分に冷ましてからゆっくりと口に運んだ。まるで毒味のようである。一体どんな出来栄えかと心配だったが、食べてみると普通の卵粥だった。可もなく不可もないといった感じだ。
「うん、まあ食べれるな」
「パワプロさん」
呼び掛けた進くんがくるりと寝返りを打ってこちらを見ていた。額に乗っかっていた濡れタオルが枕の上に落ちる。それを拾い上げながら、オレは立ち上がって彼の瞼にかかった前髪をかきあげた。そのまま指に絡めるようにして優しく髪をすく。
「進くん。起こしちゃったかな、ごめん」
「いえ、僕こそ寝てばっかりで…」
「病人が何言ってんの」
「美味しそうな匂いがします」
少しだけつらそうに眉をしかめて、進くんはベッドに体を起こした。それはふわふわと頼りない動作で、うるんだ瞳は瞬きをするたびに揺れていた。少し見ているだけで、かなり無理をしているのが分かる。
「いいから寝てなって」
「それ、パワプロさんが作ったんですか?」
視線は、横に置かれた粥を真っ直ぐに見つめていた。
「ああ、うん。進くんが作ってくれたのを思い出しながら見よう見真似でね。食べれたらと思ったんだけど、まだつらそうだし今は寝てなよ」
「僕、食べたいです」
「だいじょうぶ?」
「はい」
「じゃあ、ちょっとだけでも。卵粥だよ」
進くんに粥の入った椀とスプーンを差し出そうとして思いとどまった。変なところで動きを止めたオレを進くんが不思議そうな顔で眺めている。
スプーンで粥をひとすくいして、オレはそのまま彼の口元まで持っていった。
「せっかくだしオレが食べさせてあげる」
「そんな、悪いですよ」
「いいの、オレがやりたいんだから」
ふうふうと冷まして改めて彼の方へ差し出した。戸惑いがちに開かれた唇へゆっくりとスプーンを持っていく。ぱくりと粥を食べた進くんは、美味しいですと言った後、だけど予想以上に恥ずかしいですねと言ってほんの少し顔を伏せた。熱で火照った顔がさらに赤くなったような気がする。
「進くんが作ったみたいに美味しくなくて悪いんだけど、まあ食えるから、今回はこれで勘弁してやって」
「…」
「進くん?」
「僕、変ですね、風邪を引いたことがこんなに嬉しいなんて」
力ない笑顔ではあったが、はにかんだ顔はいつもの進くんだった。見ていると、今度は彼の方からあーんと言って口を開いた。そこでようやくオレもこの行為の気恥ずかしさに気付いたのだが、いまさら引っ込めるわけにもいかず、オレは彼の要求するままスプーンを口に運んだ。ゆっくりとではあったが、もぐもぐと咀嚼する彼はとても美味しそうに粥をたいらげてしまうのだった。
「ごちそうさまでした」
「結局全部食べちゃったね」
「とっても美味しかったです」
にこにこと笑う進くんは満足そうだった。くしゃと髪をかき混ぜるように撫でるとくすぐったそうに笑った。その仕草にオレはたまらない気持ちになる。
薬を飲んだ進くんは、再び横になるとぽつぽつと話し始めた。
「起きたときにいつでもパワプロさんがいてくれるなんて夢みたいです」
「夢じゃないから、安心して寝てていいよ」
「ふふ。パワプロさんだいすき」
「…照れるなあ」
「おかゆ、おいしかったです」
「なんとか食べられるものが出来て良かったよ」
「また今度、パワプロさんの作ったごはんが食べたいです」
オレは進くんの手料理が食べたいけどなあ、そう言ったときにはもう彼は瞼を下ろしており、しばらくすると寝息が聞こえてきた。すうすうと安らかそうな寝息を立ててはいるものの、顔はどこか苦しそうだ。
布団を首までかけてあげてから、オレはタオルを冷水で絞りなおした。体温を測るように額に触れてそっと冷たいタオルを乗せる。完全に寝入った顔を見届けてから、オレは自分の分の粥を持った。うん、ごく普通の卵粥だ。
オレが彼の住むマンションにやってきたのは昨日の夜のことだ。風邪を引いて動けないというメールをもらってすぐにすっとんできた。
オフシーズン、まもなく年末年始の足音が聞こえてくる頃、進くんからの連絡が突然ぷっつりと途絶えたのだった。返信のない1日目はそれほど気にならなかったが、3日経った辺りでだんだん心配になってきた。あの几帳面な彼が返信をせずに3日も放っておくなんて今までにはなかったことだ。加えて電話をかけても一切の音沙汰なし。どうしようかと思っているところに届いたのが一通のメールだった。
返信できてなくてごめんなさい。風邪をこじらせたようで、ベッドから動けません。
ディスプレイを眺めるのもそこそこに、オレは財布と上着を掴んで飛び出したのだった。
もらっていた合いカギで部屋に入ると、メールの文面通り進くんはベッドに横になっていた。ひどく衰弱している様子で、少しの受け答えにも息が切れるようだった。行きがけに買ってきたスポーツドリンクを一口飲ませると、彼はおいしそうに喉を鳴らし結局一本を一気に飲み干してしまうのだった。聞くと、丸一日ほとんど飲まず食わずで横になっていたらしい。薬の置いてある場所を尋ねたが、薬はおろか体温計も何もないと言うので、オレは看病に必要だと思われるものを超特急で買い出しに出かけて一晩中彼の横にくっ付いていた。
熱を測ると40度近くもあり、あまりに苦しそうに息を吐く様子が心配でたまらず救急車を呼ぶことも真剣に考えた。しかし、頑なに大丈夫だと言い張る彼の言葉を聞いてオレはしぶしぶその言葉に従った。点滴を打てば随分楽になると思うのだが、何度言っても「病院は嫌い」の一点張りで進くんが首を縦に振ることはなかった。
そうこうしているうちに夜が明け、一晩ぐっすり寝たら大分楽になったようなのでオレは胸をなでおろした。
ホッとすると同時に急激な空腹を覚えたオレは、無断ながらに冷蔵庫を開けて食べられそうなものを探した。そこで見つけたのが、冷凍された米とパックに入ったままの卵だった。綺麗に真空パックされた米の袋を取り出しながら、卵粥を作ろうと思い立つ。卵粥はオレの好物でもあった。
「子供の頃、風邪のときしか食べれないと思うと余計おいしく感じてさ」
「確かに、そういうのってありますよね。あ、良かったら僕今から作りますよ」
ちょうど卵もたくさんありますしね。そんな会話がきっかけで、あの日を境に進くんはよくオレに卵粥を作ってくれるようになった。彼の料理の腕前は一級品で何を作らせても完璧だったが、卵粥はその中でも特に美味しかった。
安らかに眠っている進くんの寝顔を眺める。
毎日のように彼の作ったご飯を食べていたせいで、たった一週間ほど食べていないだけでずいぶんと口寂しく感じていた。見真似で作った自作の粥のせいでその気持ちは余計に大きくなってしまった。
彼の作ったご飯はなぜあんなに美味しいのだろう。何を入れたらそんなにおいしくなるの?半分冗談で、しかし半分は本気で尋ねてみたことがあった。
「秘密のエッセンスが入っているんですよ」
なんちゃってねと言ってあのとき彼は悪戯っぽく笑ったが、まさしくその通りに違いないと今のオレならば分かる。それはきっと、オレにしか効かない特別な調合のエッセンスに違いない。だってこんなにも効果抜群なのだ。
もしかして毒でも入ってんじゃないの?なんてふざけて言ってみても、眠っている進くんが答えることはない。
「君の作ったものだったら、毒入りでも大歓迎なんだけどね」
返事がないのをいいことに、オレは自分でも寒気のするような甘いセリフを2、3呟いて一人赤面している。一体何をやっているんだか。進くんがいないとオレはこんな風になってしまうのである。
だから、早くよくなってね。
もう一度だけ彼の髪に触れ、オレはぬるくなってしまったタオルの水を替えるべくそっと立ち上がった。
――――――――
公式が大正義だから仕方ないね
高校生のあの時から進は薬と病院がだいきらい だったら私が萌える
ことこと煮られた鍋を見つめながら、そろそろ頃合いかもしれないと箸を持った。意味もなくぐるりとひと混ぜしてみる。料理などほとんどしたことがないので見よう見真似である。以前作ってくれた彼の仕草を思い出しながらそろそろとボウルを掴んだ。
中には溶き卵が入っている。割るときに入ってしまった殻はさっき苦労して取り出したところだ。片手でぱかんと卵を割って笑う彼を思い出しながらゆっくりと卵を溶き入れた。
弱火で熱されたそれはいい具合に煮込まれ、米と卵がしっかり絡んで美味そうに見えた。初めてにしては上出来だろう。少し蒸らすと美味しくなるんですよ、確か彼はそう言っていたはずだと蓋を被せる。
その間に皿とスプーンを用意して、買ったばかりの風邪薬を取り出した。病気をしないので常備薬は置いていないと言っていた言葉の通り、彼の家には薬箱やそれに類するものは何もなかった。なんにでも用意周到に臨む彼にしては意外なことだと思う。
火を切って蓋を開けるとふわふわと白い湯気が立ち上った。作った粥を椀によそって、仕上げに刻んだネギを振りかけた。なかなか見た目は美味そうだ。自分の分もたっぷりよそっていると、待ってましたとばかりにぐうと腹が鳴る。昨日の夜ここにやってきてから、実は何も食べていないのだった。
二人分の食事と薬を盆に持って、オレは彼の寝ている寝室のドアを開けた。呼びかけても返事はない。さっきまで起きていたのに、また眠ってしまったようだ。しかし39度も熱があるのなら仕方ないことだ。これでも少しは下がってきた方だった。
どうしようかと少しだけ悩んで、やっぱり自分だけでも食べてしまおうとスプーンを持つ。ベッド脇であぐらをかいて行儀の悪いことこの上ないが、このくらいはどうか許してほしい。少しでも傍にいたいが、なにはともあれ腹が減っては戦はできないのである。返事をするように、腹の虫がきゅるると情けない声で鳴いた。
いただきます、小さく手を合わせてスプーンを持つ。ふうふうと十分に冷ましてからゆっくりと口に運んだ。まるで毒味のようである。一体どんな出来栄えかと心配だったが、食べてみると普通の卵粥だった。可もなく不可もないといった感じだ。
「うん、まあ食べれるな」
「パワプロさん」
呼び掛けた進くんがくるりと寝返りを打ってこちらを見ていた。額に乗っかっていた濡れタオルが枕の上に落ちる。それを拾い上げながら、オレは立ち上がって彼の瞼にかかった前髪をかきあげた。そのまま指に絡めるようにして優しく髪をすく。
「進くん。起こしちゃったかな、ごめん」
「いえ、僕こそ寝てばっかりで…」
「病人が何言ってんの」
「美味しそうな匂いがします」
少しだけつらそうに眉をしかめて、進くんはベッドに体を起こした。それはふわふわと頼りない動作で、うるんだ瞳は瞬きをするたびに揺れていた。少し見ているだけで、かなり無理をしているのが分かる。
「いいから寝てなって」
「それ、パワプロさんが作ったんですか?」
視線は、横に置かれた粥を真っ直ぐに見つめていた。
「ああ、うん。進くんが作ってくれたのを思い出しながら見よう見真似でね。食べれたらと思ったんだけど、まだつらそうだし今は寝てなよ」
「僕、食べたいです」
「だいじょうぶ?」
「はい」
「じゃあ、ちょっとだけでも。卵粥だよ」
進くんに粥の入った椀とスプーンを差し出そうとして思いとどまった。変なところで動きを止めたオレを進くんが不思議そうな顔で眺めている。
スプーンで粥をひとすくいして、オレはそのまま彼の口元まで持っていった。
「せっかくだしオレが食べさせてあげる」
「そんな、悪いですよ」
「いいの、オレがやりたいんだから」
ふうふうと冷まして改めて彼の方へ差し出した。戸惑いがちに開かれた唇へゆっくりとスプーンを持っていく。ぱくりと粥を食べた進くんは、美味しいですと言った後、だけど予想以上に恥ずかしいですねと言ってほんの少し顔を伏せた。熱で火照った顔がさらに赤くなったような気がする。
「進くんが作ったみたいに美味しくなくて悪いんだけど、まあ食えるから、今回はこれで勘弁してやって」
「…」
「進くん?」
「僕、変ですね、風邪を引いたことがこんなに嬉しいなんて」
力ない笑顔ではあったが、はにかんだ顔はいつもの進くんだった。見ていると、今度は彼の方からあーんと言って口を開いた。そこでようやくオレもこの行為の気恥ずかしさに気付いたのだが、いまさら引っ込めるわけにもいかず、オレは彼の要求するままスプーンを口に運んだ。ゆっくりとではあったが、もぐもぐと咀嚼する彼はとても美味しそうに粥をたいらげてしまうのだった。
「ごちそうさまでした」
「結局全部食べちゃったね」
「とっても美味しかったです」
にこにこと笑う進くんは満足そうだった。くしゃと髪をかき混ぜるように撫でるとくすぐったそうに笑った。その仕草にオレはたまらない気持ちになる。
薬を飲んだ進くんは、再び横になるとぽつぽつと話し始めた。
「起きたときにいつでもパワプロさんがいてくれるなんて夢みたいです」
「夢じゃないから、安心して寝てていいよ」
「ふふ。パワプロさんだいすき」
「…照れるなあ」
「おかゆ、おいしかったです」
「なんとか食べられるものが出来て良かったよ」
「また今度、パワプロさんの作ったごはんが食べたいです」
オレは進くんの手料理が食べたいけどなあ、そう言ったときにはもう彼は瞼を下ろしており、しばらくすると寝息が聞こえてきた。すうすうと安らかそうな寝息を立ててはいるものの、顔はどこか苦しそうだ。
布団を首までかけてあげてから、オレはタオルを冷水で絞りなおした。体温を測るように額に触れてそっと冷たいタオルを乗せる。完全に寝入った顔を見届けてから、オレは自分の分の粥を持った。うん、ごく普通の卵粥だ。
オレが彼の住むマンションにやってきたのは昨日の夜のことだ。風邪を引いて動けないというメールをもらってすぐにすっとんできた。
オフシーズン、まもなく年末年始の足音が聞こえてくる頃、進くんからの連絡が突然ぷっつりと途絶えたのだった。返信のない1日目はそれほど気にならなかったが、3日経った辺りでだんだん心配になってきた。あの几帳面な彼が返信をせずに3日も放っておくなんて今までにはなかったことだ。加えて電話をかけても一切の音沙汰なし。どうしようかと思っているところに届いたのが一通のメールだった。
返信できてなくてごめんなさい。風邪をこじらせたようで、ベッドから動けません。
ディスプレイを眺めるのもそこそこに、オレは財布と上着を掴んで飛び出したのだった。
もらっていた合いカギで部屋に入ると、メールの文面通り進くんはベッドに横になっていた。ひどく衰弱している様子で、少しの受け答えにも息が切れるようだった。行きがけに買ってきたスポーツドリンクを一口飲ませると、彼はおいしそうに喉を鳴らし結局一本を一気に飲み干してしまうのだった。聞くと、丸一日ほとんど飲まず食わずで横になっていたらしい。薬の置いてある場所を尋ねたが、薬はおろか体温計も何もないと言うので、オレは看病に必要だと思われるものを超特急で買い出しに出かけて一晩中彼の横にくっ付いていた。
熱を測ると40度近くもあり、あまりに苦しそうに息を吐く様子が心配でたまらず救急車を呼ぶことも真剣に考えた。しかし、頑なに大丈夫だと言い張る彼の言葉を聞いてオレはしぶしぶその言葉に従った。点滴を打てば随分楽になると思うのだが、何度言っても「病院は嫌い」の一点張りで進くんが首を縦に振ることはなかった。
そうこうしているうちに夜が明け、一晩ぐっすり寝たら大分楽になったようなのでオレは胸をなでおろした。
ホッとすると同時に急激な空腹を覚えたオレは、無断ながらに冷蔵庫を開けて食べられそうなものを探した。そこで見つけたのが、冷凍された米とパックに入ったままの卵だった。綺麗に真空パックされた米の袋を取り出しながら、卵粥を作ろうと思い立つ。卵粥はオレの好物でもあった。
「子供の頃、風邪のときしか食べれないと思うと余計おいしく感じてさ」
「確かに、そういうのってありますよね。あ、良かったら僕今から作りますよ」
ちょうど卵もたくさんありますしね。そんな会話がきっかけで、あの日を境に進くんはよくオレに卵粥を作ってくれるようになった。彼の料理の腕前は一級品で何を作らせても完璧だったが、卵粥はその中でも特に美味しかった。
安らかに眠っている進くんの寝顔を眺める。
毎日のように彼の作ったご飯を食べていたせいで、たった一週間ほど食べていないだけでずいぶんと口寂しく感じていた。見真似で作った自作の粥のせいでその気持ちは余計に大きくなってしまった。
彼の作ったご飯はなぜあんなに美味しいのだろう。何を入れたらそんなにおいしくなるの?半分冗談で、しかし半分は本気で尋ねてみたことがあった。
「秘密のエッセンスが入っているんですよ」
なんちゃってねと言ってあのとき彼は悪戯っぽく笑ったが、まさしくその通りに違いないと今のオレならば分かる。それはきっと、オレにしか効かない特別な調合のエッセンスに違いない。だってこんなにも効果抜群なのだ。
もしかして毒でも入ってんじゃないの?なんてふざけて言ってみても、眠っている進くんが答えることはない。
「君の作ったものだったら、毒入りでも大歓迎なんだけどね」
返事がないのをいいことに、オレは自分でも寒気のするような甘いセリフを2、3呟いて一人赤面している。一体何をやっているんだか。進くんがいないとオレはこんな風になってしまうのである。
だから、早くよくなってね。
もう一度だけ彼の髪に触れ、オレはぬるくなってしまったタオルの水を替えるべくそっと立ち上がった。
――――――――
公式が大正義だから仕方ないね
高校生のあの時から進は薬と病院がだいきらい だったら私が萌える
うたうように
主守
「…猪狩くん?」
はっとして顔を上げると、教壇に立っていたはずの教師が目の前に立っていた。仰ぎ見ると、気遣うような目でこちらを見ている視線とぶつかる。
そこでようやくボクは、今が授業中であり、古典の時間で、今の今まで教師の話を全く聞いていなかったということに気が付いた。
「猪狩くんがぼんやりしてるなんて珍しいわね。体調悪いの?大丈夫?」
「あ、いえ。大丈夫です、すみませんでした」
「そう、ならいいんだけど。じゃあ、今のところ、訳してくれる?」
「はい」
教壇に戻る教師の背中を見届けてから、教科書に視線を落とす。得意な古典だ。難しいことはない。
「“川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流は分かれるが、二つに分かれてもまた一つに合流するように、今は別れ別れになっても、また逢うことができると信じている”」
「そうね、完璧な訳だわ。この歌は、崇徳院が詠んだもので…」
ふう、と息をついて、ボクはそそくさと板書の続きを始めた。続きといってもノートは真っ白で、今日はまだ何も書いていないということに気付く。あわててペンを走らせ、蛍光ペンで大切なところをマークする。
天才猪狩守が、野球のみの天才だと思ったらそれは大きな間違いである。僕は勉学も得意だ。だから、授業中はもちろん集中していなくてはならない。教師が口頭で言うことをさらさらと書き留め、ここはテストに出そうだと大きく赤で印をつけた。この教師は板書したところからはほとんどテストに出ないのが特徴だった。
あらかた書き終えて息をつく。ふっと窓の外を見ると文句のない晴天だった。雲はひとつもなく、能天気なほどに晴れ渡っている。まるであいつみたいだ。
中学ぶりに再会したあいつは、何も変わっていなかった。全国大会で見たあのときと同じように、このボクからなんなくヒットを打っていったのだった。相変わらずセコい当たりではあったけれど、あいつに打たれるまで完封していたボクにとってはそれだけで十分すぎるほどだった。
ああ、早く野球がしたい。血のにじむような練習も、吐くほどの特訓も、苦だと思ったことはない。努力は裏切らないということをボクはよく知っていた。練習をすればその分だけ、それは自分に返ってくる。それこそが、ボクが天才猪狩守という所以のすべてである。
次に会うとき、あいつは一体どんな顔でボクの前に立ちふさがってくるのだろう。必ずもう一度ボクの前に現れる、そんなある種の確信めいた自信があった。
敵であるにもかかわらず、どんな風に仕上げてくるのか楽しみに思う気持ちがいちばんに先立って、ボクはどうしようもない胸の高鳴りを隠せないでいた。こんな気持ちになるのはいつぶりだろう。ああ、早くマウンドに立ちたい。投げたい。マウンドで打者と対峙するあの瞬間、ボールがミットに収まる快感、空を切るバット…
「先ほどの歌についてですが」
はっと、我に返った。またしても、教師の話など全く聞いていないのだった。黒板の半分はもう消されていて、新しい文字がびっしりと並んでいた。慌ててペンを握りなおす。
「これは、たとえ今は邪魔が入って離れ離れとなっていても、後にはきっと一緒になろうとする強い決意の歌です。激情と力強い意志の中で恋心を歌っており…」
教師の言葉に、胸が跳ねた。一体何に反応したのか自分でもよく分からない。ごまかすように教科書を繰って、歌意の部分に目を落とした。
それを読んでいると、ボクはどうしようもなくドキドキしてしまっていてもたってもいられない気持ちになるのだった。どうしたというのだろう。今日のボクはなんだかおかしい。教師の言うとおり、体調が優れないのかもしれない。
おかしいと言えば、あいつに会ってからのボクはずっと変な感じのままなのである。胸の真ん中にもやもやとしたわだかまりがあるようで、急にあいつの顔が浮かんでは息苦しくなったりするし、ほうっておくと顔が熱くなって困った。一体ボクはどうしてしまったんだろう。
早く部活に行きたい。野球をしているときだけは、この正体不明のドキドキを忘れていられるのだった。
「では、今日はここまで。みなさん、来週の小テストでは良い点をとってくださいね」
手早く黒板を消した教師はそのように言ってにっこりと笑った。どうやら来週はテストがあるらしい。またも教師の話を全然聞いていなかったため、ボクはテスト範囲を聞き逃すというあり得ない失態をしてしまうのだった。
いろいろと諦めて窓の外を見ると、やっぱり外は完璧なまでの晴天で、空は澄みわたるように青かった。
さあ、授業は終わりだ。ボクはさっさと机の上を片づけると勢いよく席を立った。
――――――――
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
掛詞が好きなうたでした
「…猪狩くん?」
はっとして顔を上げると、教壇に立っていたはずの教師が目の前に立っていた。仰ぎ見ると、気遣うような目でこちらを見ている視線とぶつかる。
そこでようやくボクは、今が授業中であり、古典の時間で、今の今まで教師の話を全く聞いていなかったということに気が付いた。
「猪狩くんがぼんやりしてるなんて珍しいわね。体調悪いの?大丈夫?」
「あ、いえ。大丈夫です、すみませんでした」
「そう、ならいいんだけど。じゃあ、今のところ、訳してくれる?」
「はい」
教壇に戻る教師の背中を見届けてから、教科書に視線を落とす。得意な古典だ。難しいことはない。
「“川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流は分かれるが、二つに分かれてもまた一つに合流するように、今は別れ別れになっても、また逢うことができると信じている”」
「そうね、完璧な訳だわ。この歌は、崇徳院が詠んだもので…」
ふう、と息をついて、ボクはそそくさと板書の続きを始めた。続きといってもノートは真っ白で、今日はまだ何も書いていないということに気付く。あわててペンを走らせ、蛍光ペンで大切なところをマークする。
天才猪狩守が、野球のみの天才だと思ったらそれは大きな間違いである。僕は勉学も得意だ。だから、授業中はもちろん集中していなくてはならない。教師が口頭で言うことをさらさらと書き留め、ここはテストに出そうだと大きく赤で印をつけた。この教師は板書したところからはほとんどテストに出ないのが特徴だった。
あらかた書き終えて息をつく。ふっと窓の外を見ると文句のない晴天だった。雲はひとつもなく、能天気なほどに晴れ渡っている。まるであいつみたいだ。
中学ぶりに再会したあいつは、何も変わっていなかった。全国大会で見たあのときと同じように、このボクからなんなくヒットを打っていったのだった。相変わらずセコい当たりではあったけれど、あいつに打たれるまで完封していたボクにとってはそれだけで十分すぎるほどだった。
ああ、早く野球がしたい。血のにじむような練習も、吐くほどの特訓も、苦だと思ったことはない。努力は裏切らないということをボクはよく知っていた。練習をすればその分だけ、それは自分に返ってくる。それこそが、ボクが天才猪狩守という所以のすべてである。
次に会うとき、あいつは一体どんな顔でボクの前に立ちふさがってくるのだろう。必ずもう一度ボクの前に現れる、そんなある種の確信めいた自信があった。
敵であるにもかかわらず、どんな風に仕上げてくるのか楽しみに思う気持ちがいちばんに先立って、ボクはどうしようもない胸の高鳴りを隠せないでいた。こんな気持ちになるのはいつぶりだろう。ああ、早くマウンドに立ちたい。投げたい。マウンドで打者と対峙するあの瞬間、ボールがミットに収まる快感、空を切るバット…
「先ほどの歌についてですが」
はっと、我に返った。またしても、教師の話など全く聞いていないのだった。黒板の半分はもう消されていて、新しい文字がびっしりと並んでいた。慌ててペンを握りなおす。
「これは、たとえ今は邪魔が入って離れ離れとなっていても、後にはきっと一緒になろうとする強い決意の歌です。激情と力強い意志の中で恋心を歌っており…」
教師の言葉に、胸が跳ねた。一体何に反応したのか自分でもよく分からない。ごまかすように教科書を繰って、歌意の部分に目を落とした。
それを読んでいると、ボクはどうしようもなくドキドキしてしまっていてもたってもいられない気持ちになるのだった。どうしたというのだろう。今日のボクはなんだかおかしい。教師の言うとおり、体調が優れないのかもしれない。
おかしいと言えば、あいつに会ってからのボクはずっと変な感じのままなのである。胸の真ん中にもやもやとしたわだかまりがあるようで、急にあいつの顔が浮かんでは息苦しくなったりするし、ほうっておくと顔が熱くなって困った。一体ボクはどうしてしまったんだろう。
早く部活に行きたい。野球をしているときだけは、この正体不明のドキドキを忘れていられるのだった。
「では、今日はここまで。みなさん、来週の小テストでは良い点をとってくださいね」
手早く黒板を消した教師はそのように言ってにっこりと笑った。どうやら来週はテストがあるらしい。またも教師の話を全然聞いていなかったため、ボクはテスト範囲を聞き逃すというあり得ない失態をしてしまうのだった。
いろいろと諦めて窓の外を見ると、やっぱり外は完璧なまでの晴天で、空は澄みわたるように青かった。
さあ、授業は終わりだ。ボクはさっさと机の上を片づけると勢いよく席を立った。
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瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
掛詞が好きなうたでした
スパコミありがとうございました!
先日のスパーク、お疲れ様でした!ありがとうございました!!
生まれて初めてのサークル参加でドッキドキでしたが、とても楽しい時間を過ごすことが出来て幸せいっぱいでした。
改めまして、スペースにお立ち寄りいただいた方、どうもありがとうございます。
拙作をお手に取っていただけ、感無量でした。
差し入れまでいただいてしまったときにはほんとうに夢のように嬉しく、生きていて良かったと確信しました。本気です。
ぱわぷろのお話がたくさんできて、とにかくもう、楽しかったです!嬉しかったです!
やっぱり、ぱわぷろっていいですね…大好きですね…
もっともっとぱわぷろの輪が広まればいいなあと強く思ってしまいました
ぱわぷろしようよ!
なんだか言葉が上手くまとまらなくってダメ~いつものこと~
今回発行した本は、今まで抱いてきた自分の気持ちを込めに込めたものだったので、これが最初で最後、大袈裟に言うといっそ遺書のようなつもりで書いたのですが
本当にめっちゃくちゃ楽しかったので、機会があればまた書きたいしイベント参加もしてみたいと思ってしまいました
やはり生の触れ合いというのは大変貴重かつ素晴らしいものですね…生守ですよ…
ぱわぷろあいしてる(^▽^)
ほんとうに、ありがとうございました!!
相変わらず日本語が不自由なので、この気持ちをうまく表現することができなくて口惜しいです
感謝と歓喜の気持ちでいっぱいです。
今後も目一杯ぱわぷろしていきたいと思いますのでよろしくお願いします~!まもる~!
今回のことはぜんぶ一生の宝物です。
心ごとぜんぶ形状記憶にできればいいのにね
ぱわぷろに関われて幸せです。好きだ好きだ好きだ大好きだ愛してる!
ほんとうにありがとうございました^^
(以下は発行した本の言い訳?あとがき?になりますので、ご興味ある方のみどうぞ…)
生まれて初めてのサークル参加でドッキドキでしたが、とても楽しい時間を過ごすことが出来て幸せいっぱいでした。
改めまして、スペースにお立ち寄りいただいた方、どうもありがとうございます。
拙作をお手に取っていただけ、感無量でした。
差し入れまでいただいてしまったときにはほんとうに夢のように嬉しく、生きていて良かったと確信しました。本気です。
ぱわぷろのお話がたくさんできて、とにかくもう、楽しかったです!嬉しかったです!
やっぱり、ぱわぷろっていいですね…大好きですね…
もっともっとぱわぷろの輪が広まればいいなあと強く思ってしまいました
ぱわぷろしようよ!
なんだか言葉が上手くまとまらなくってダメ~いつものこと~
今回発行した本は、今まで抱いてきた自分の気持ちを込めに込めたものだったので、これが最初で最後、大袈裟に言うといっそ遺書のようなつもりで書いたのですが
本当にめっちゃくちゃ楽しかったので、機会があればまた書きたいしイベント参加もしてみたいと思ってしまいました
やはり生の触れ合いというのは大変貴重かつ素晴らしいものですね…生守ですよ…
ぱわぷろあいしてる(^▽^)
ほんとうに、ありがとうございました!!
相変わらず日本語が不自由なので、この気持ちをうまく表現することができなくて口惜しいです
感謝と歓喜の気持ちでいっぱいです。
今後も目一杯ぱわぷろしていきたいと思いますのでよろしくお願いします~!まもる~!
今回のことはぜんぶ一生の宝物です。
心ごとぜんぶ形状記憶にできればいいのにね
ぱわぷろに関われて幸せです。好きだ好きだ好きだ大好きだ愛してる!
ほんとうにありがとうございました^^
(以下は発行した本の言い訳?あとがき?になりますので、ご興味ある方のみどうぞ…)
サークル参加のお知らせ
4/28更新
2013年5月4日 SUPER COMIC CITY22への参加について
当日のおしながきとお知らせになります~!
▼場所/東4ホールこ30b
▼サークル名/エースナンバー
▼おしながき
①『八月の風』
オフセット本/A5/42P/¥200
・舞台はパワポケ1ですが、パワプロ・パワポケ設定まぜまぜで野球マスク本
・ホモなしRなし、全年齢対象健全仕様
・主人公(極亜久)、猪狩守、猪狩進、3人分の視点で野球マスクについて妄想こねこね
②『にゃんと鳴いたらわんと答えるふたりの話』
コピー本/A5/16P/無料配布
・一冊まるっと主守本
・ほのぼのらぶらぶあまあまなおふたり
というわけで!
これでなんとか予定していたものがすべて揃いました~私にしてはよくやった方だと思います
守さんパワーだ!パワプロだいすき!
無料配布もございますので、ぜひお気軽にお立ち寄りくださいね^^
がんばって書いたので読んでいただけたら嬉しいです!
では、当日お会いできるのを楽しみにしていますvv
2013年5月4日 SUPER COMIC CITY22への参加について
当日のおしながきとお知らせになります~!
▼場所/東4ホールこ30b
▼サークル名/エースナンバー
▼おしながき
①『八月の風』
オフセット本/A5/42P/¥200
・舞台はパワポケ1ですが、パワプロ・パワポケ設定まぜまぜで野球マスク本
・ホモなしRなし、全年齢対象健全仕様
・主人公(極亜久)、猪狩守、猪狩進、3人分の視点で野球マスクについて妄想こねこね
②『にゃんと鳴いたらわんと答えるふたりの話』
コピー本/A5/16P/無料配布
・一冊まるっと主守本
・ほのぼのらぶらぶあまあまなおふたり
というわけで!
これでなんとか予定していたものがすべて揃いました~私にしてはよくやった方だと思います
守さんパワーだ!パワプロだいすき!
無料配布もございますので、ぜひお気軽にお立ち寄りくださいね^^
がんばって書いたので読んでいただけたら嬉しいです!
では、当日お会いできるのを楽しみにしていますvv
拍手コメントお返事です
いただいたメッセージのお返事になります。恐縮です。
お心当たりのある方はつづきからどうぞ^^
ぱちぱちしてくださる方も閲覧してくださる方もほんっとおお~うありがとうございます!
いつも元気をいただいております!
お心当たりのある方はつづきからどうぞ^^
ぱちぱちしてくださる方も閲覧してくださる方もほんっとおお~うありがとうございます!
いつも元気をいただいております!
星降り
2010イメージ/主守
恋愛運急上昇、気になる彼と急接近の予感!?
高校の同級生が気になっているあなたは素直な気持ちを伝えると吉!
ラッキーカラー:ブルー
ラッキースポット:二軍球場
ぶるぶると震えながらパワスポを握りしめていた猪狩守は、ふうと大きく息を吐き出し手元の雑誌を机に置いた。
愛読のパワスポ、何気なく目に入った記事は占いコーナーのページであった。占いなどくだらない、そう思いながらもページを繰って自身の星座を探したのはほんの気まぐれである。一枚ページをめくると目当ての記事は見つかり、そこにはかわいいのかどうか判断に困る、微妙な顔をした山羊がこちらを見ていた。
普段はこんな記事気にもとめないのだが、なぜだか今日は読んでみようという気になった。手の平にじんわりと汗が浮かんでくる。くだらない、確かにくだらないけれど、まるで信憑性がないとも思えなかった。短い文章の羅列をもう一度上から下までなぞる。もしもこれが自分のことを言っているとしたら、そう思うといてもたってもいられないというのは本当だった。
思い浮かぶ顔はひとつしかない。気になる彼。高校の同級生。自分の気持ちを置いてけぼりにして、胸ばかりがドキドキと高鳴っている。ばかげている、だけど。
幸い時間には余裕があった。それに、二軍球場の近くに用事もある。ひとつ頷くと、猪狩は青いジャケットを手にとり、タクシーを呼ぶべく携帯電話を探した。
「キミ、また手がとまってるぞ」
「わー!オレ、ホソミーの巻頭グラビアなんか見てないって!」
「なに一人で騒いでいるんだい」
紐で結んだ雑誌を脇によけて、猪狩は額の汗をぬぐった。これだけの量になると、たかが雑誌の片付けとはいえかなりの重労働であった。山積みにされた雑誌の束、一体これで何年分になるのだろう。
今日は久々のオフである。猪狩は、片付けのできないパワプロの尻を叩きながらわざわざオフを返上して部屋の掃除を手伝っていた。そうだというのに、当のパワプロときたらたびたび手を休めてはよそごとをしている。何かを引っ張り出してきてはいちいち騒いだり眺めたりと作業はちっとも進まない。
手元を見ると、そこにはパワスポが握られていた。どうやらパワプロは、ホソミーという女子アナの巻頭グラビアページを読むのに忙しかったらしい。フンと鼻をならし、猪狩は呆れた口調で話し出した。
「全く。こんな古いものをとっておいてあるなんて信じられないね」
「だって、捨てるタイミングとか分かんなくて」
「だからキミは片付けができないんだよ」
おっしゃる通りでございます…一応反省の意を示しているらしいパワプロは神妙に頷くと今度こそ雑誌の整頓を始めた。それを見て猪狩も再び作業に戻る。ふと、先ほどパワプロが見ていたパワスポが目に入った。今度は真剣に片づけているらしいパワプロに隠れて猪狩はこっそりとページをめくってみた。表紙になんとなく見覚えがあったのだ。
ぱらぱらと流し読みをしながら、星占いのページが目に入った。普段はこんなもの気にもとめないのだが、イラストとして描かれている変な顔の山羊が記憶の糸に引っかかった。
山羊と目が合い、なんとなく感じていた既視感がはっきりとした記憶となって猪狩の中に蘇る。
「なに笑ってんだよ猪狩」
「いや、ちょっと懐かしくてね」
「?なにが?」
「ボクも若かったなと思っただけだよ」
要領を得ない顔でパワプロは首を捻っている。猪狩だけが口元を緩めて微笑んでいた。若い記憶だった。
思えば、あの占いは恐ろしいほどに的中していた。それは、今ここにいる猪狩とパワプロが証明していることだった。
温かな感情が猪狩を満たし、たまにはこういうのもいいかもしれないと猪狩は人知れず微笑む。
「なあパワプロ」
「ん?」
「キミは、なんでボクがいまここにいるんだと思う?」
「それは、だから、オレが片付けできないからだろ。ごめんって。今度はちゃんとやるよ」
「半分は正解で、半分は不正解だ」
「というと?」
「ボクはキミのことが好きだから、いまここにいるんだ」
きょとん、パワプロは大きな目をぱちくりと瞬かせて猪狩を見つめた。
そんなパワプロに猪狩はじりじりとにじり寄る。フローリングの床の上、指先が触れ合った。
「えっと?猪狩?」
「キミはどうなんだい」
「え?」
「ボクのこと、好きか」
そんなの、口ごもったパワプロはそれ以上言葉を紡ぐことができなくなってしまった。猪狩の唇に吸い込まれてしまったからである。
戯れのように重なった唇はすぐに離れた。そのまま触れるほど近い距離で猪狩は続ける。
「たまにはね。素直になるのもいいものだよ」
「なんかオレ全然ついていけてないんだけど…」
「ハハ、だからキミは鈍くさいしモテないんだよ」
モテないは余計だろ、ぷりぷりと怒るパワプロに猪狩は笑っている。昔から変わらない、これが二人の距離だった。
「ところで、キミはさっきからなにをしているんだ」
「え?」
「勝手に服を脱がさないでくれるかい」
楽しそうにぷちぷちとボタンを外しているパワプロの手を制する。しかし、掴んだ手は逆に引き寄せられ、そのまま唇を押し付けられてしまった。にやりと笑ったパワプロは猪狩の耳元で囁く。
「だって、ちゃんと返事をしないと」
「返事って」
「オレがお前のこと好きかどうか」
「そんなまわりくどいことしなくても分かってるさ」
「いーや、お前は分かってないね、全然分かってない」
愛してるよ、猪狩
本日二度目のキスはあきれるほどに甘く、猪狩はうっとりと目を閉じながらたまにはこんな日も悪くないと考えていた。
―――――――――――――
ただのヤオイ 主守っていいですね
恋愛運急上昇、気になる彼と急接近の予感!?
高校の同級生が気になっているあなたは素直な気持ちを伝えると吉!
ラッキーカラー:ブルー
ラッキースポット:二軍球場
ぶるぶると震えながらパワスポを握りしめていた猪狩守は、ふうと大きく息を吐き出し手元の雑誌を机に置いた。
愛読のパワスポ、何気なく目に入った記事は占いコーナーのページであった。占いなどくだらない、そう思いながらもページを繰って自身の星座を探したのはほんの気まぐれである。一枚ページをめくると目当ての記事は見つかり、そこにはかわいいのかどうか判断に困る、微妙な顔をした山羊がこちらを見ていた。
普段はこんな記事気にもとめないのだが、なぜだか今日は読んでみようという気になった。手の平にじんわりと汗が浮かんでくる。くだらない、確かにくだらないけれど、まるで信憑性がないとも思えなかった。短い文章の羅列をもう一度上から下までなぞる。もしもこれが自分のことを言っているとしたら、そう思うといてもたってもいられないというのは本当だった。
思い浮かぶ顔はひとつしかない。気になる彼。高校の同級生。自分の気持ちを置いてけぼりにして、胸ばかりがドキドキと高鳴っている。ばかげている、だけど。
幸い時間には余裕があった。それに、二軍球場の近くに用事もある。ひとつ頷くと、猪狩は青いジャケットを手にとり、タクシーを呼ぶべく携帯電話を探した。
「キミ、また手がとまってるぞ」
「わー!オレ、ホソミーの巻頭グラビアなんか見てないって!」
「なに一人で騒いでいるんだい」
紐で結んだ雑誌を脇によけて、猪狩は額の汗をぬぐった。これだけの量になると、たかが雑誌の片付けとはいえかなりの重労働であった。山積みにされた雑誌の束、一体これで何年分になるのだろう。
今日は久々のオフである。猪狩は、片付けのできないパワプロの尻を叩きながらわざわざオフを返上して部屋の掃除を手伝っていた。そうだというのに、当のパワプロときたらたびたび手を休めてはよそごとをしている。何かを引っ張り出してきてはいちいち騒いだり眺めたりと作業はちっとも進まない。
手元を見ると、そこにはパワスポが握られていた。どうやらパワプロは、ホソミーという女子アナの巻頭グラビアページを読むのに忙しかったらしい。フンと鼻をならし、猪狩は呆れた口調で話し出した。
「全く。こんな古いものをとっておいてあるなんて信じられないね」
「だって、捨てるタイミングとか分かんなくて」
「だからキミは片付けができないんだよ」
おっしゃる通りでございます…一応反省の意を示しているらしいパワプロは神妙に頷くと今度こそ雑誌の整頓を始めた。それを見て猪狩も再び作業に戻る。ふと、先ほどパワプロが見ていたパワスポが目に入った。今度は真剣に片づけているらしいパワプロに隠れて猪狩はこっそりとページをめくってみた。表紙になんとなく見覚えがあったのだ。
ぱらぱらと流し読みをしながら、星占いのページが目に入った。普段はこんなもの気にもとめないのだが、イラストとして描かれている変な顔の山羊が記憶の糸に引っかかった。
山羊と目が合い、なんとなく感じていた既視感がはっきりとした記憶となって猪狩の中に蘇る。
「なに笑ってんだよ猪狩」
「いや、ちょっと懐かしくてね」
「?なにが?」
「ボクも若かったなと思っただけだよ」
要領を得ない顔でパワプロは首を捻っている。猪狩だけが口元を緩めて微笑んでいた。若い記憶だった。
思えば、あの占いは恐ろしいほどに的中していた。それは、今ここにいる猪狩とパワプロが証明していることだった。
温かな感情が猪狩を満たし、たまにはこういうのもいいかもしれないと猪狩は人知れず微笑む。
「なあパワプロ」
「ん?」
「キミは、なんでボクがいまここにいるんだと思う?」
「それは、だから、オレが片付けできないからだろ。ごめんって。今度はちゃんとやるよ」
「半分は正解で、半分は不正解だ」
「というと?」
「ボクはキミのことが好きだから、いまここにいるんだ」
きょとん、パワプロは大きな目をぱちくりと瞬かせて猪狩を見つめた。
そんなパワプロに猪狩はじりじりとにじり寄る。フローリングの床の上、指先が触れ合った。
「えっと?猪狩?」
「キミはどうなんだい」
「え?」
「ボクのこと、好きか」
そんなの、口ごもったパワプロはそれ以上言葉を紡ぐことができなくなってしまった。猪狩の唇に吸い込まれてしまったからである。
戯れのように重なった唇はすぐに離れた。そのまま触れるほど近い距離で猪狩は続ける。
「たまにはね。素直になるのもいいものだよ」
「なんかオレ全然ついていけてないんだけど…」
「ハハ、だからキミは鈍くさいしモテないんだよ」
モテないは余計だろ、ぷりぷりと怒るパワプロに猪狩は笑っている。昔から変わらない、これが二人の距離だった。
「ところで、キミはさっきからなにをしているんだ」
「え?」
「勝手に服を脱がさないでくれるかい」
楽しそうにぷちぷちとボタンを外しているパワプロの手を制する。しかし、掴んだ手は逆に引き寄せられ、そのまま唇を押し付けられてしまった。にやりと笑ったパワプロは猪狩の耳元で囁く。
「だって、ちゃんと返事をしないと」
「返事って」
「オレがお前のこと好きかどうか」
「そんなまわりくどいことしなくても分かってるさ」
「いーや、お前は分かってないね、全然分かってない」
愛してるよ、猪狩
本日二度目のキスはあきれるほどに甘く、猪狩はうっとりと目を閉じながらたまにはこんな日も悪くないと考えていた。
―――――――――――――
ただのヤオイ 主守っていいですね
すべては愛に起源する
ラブレターの続き
猪狩兄弟
鞄の中をいくら探してみても目当てのものは見当たらなかった。ボクとしたことが、辞書を部室に置き忘れてきたようだ。
教科書や辞書の類を学校に置いたままにできないボクは、当然のように今日も鞄の中にきちんとしまった。確かにそのはずだったのだが、家に帰って鞄を開けるとそこに辞書はない。おかしいなと思って記憶を探ると、そういえば部室で古典のプリントをやっていたパワプロに貸してやったのだった。
なぜわざわざこんなところで、とは思うのだが、パワプロが言うには今日が期限であるそれをすっかり忘れていたらしい。話を聞くとそのプリントは再提出をくらったものらしく、どうしても今日中に出さないとまずいという。
パワプロが大騒ぎしながら取り掛かっている問題のプリントをちらりと覗き見ると、ボクのクラスではとっくに終わっている範囲であった。しかも内容もそれほど難しいものではない。20、30分もあれば片付くだろう。しかしパワプロにとってはそうではないらしく、唸りながら周りに泣きつくも全く進んでいないようだった。その様子がうっとうしく、なによりあまりにもでたらめな解答に見かねて口を出してしまったところ、パワプロのやつはこれ幸いにと今度はボクに泣きついてきた。
猪狩、頼む、あとでなんでもおごってやるから!
縋り付くパワプロの気迫はすさまじくそれを無視することもできないまま、なにより今日は気分も良かったのでボクは少しだけ勉強をみてやることにした。ほんの暇つぶし、気まぐれである。
いつもパワプロの酷い点数を目にしていたボクは(部室でいつも矢部や他の連中と競い合っている。ボクからすれば全員どんぐりの背比べに変わりない)、野球はともかく勉学に関してはどうしようもないやつだと思っていた。しかし、隣で少し教えてやったことでボクはその認識を改めることになった。
言われたことはきちんと理解できるし、なにより呑み込みが早い。ボクが少しアドバイスをしてやると、パワプロはみるみるうちに空白のプリントを埋めていって、結局ものの数十分で片付けてしまった。野球と一緒でやればできるやつなのだ、こいつは。
乗り掛かった船なので仕方なく最後まで付き合ってやったのだが、パワプロは大袈裟に礼を言った後、猪狩って意外といいやつだよな!などとのたまうのだった。意外とは余計である。
失礼な発言に腹も立ったが、ぶんぶんと振り回しながら手を握られたのではそれ以上なにも言えない。
かくしてパワプロのプリントは無事に提出され、ボクは辞書を部室へ置き忘れてきたのだった。
「進、ボクだ。開けるぞ」
さてどうしようかと思い立ち、結局ボクは弟のものを借りることにした。学校指定のものなので、学年が違っても使っているものは一緒である。弟もボクと一緒できちんと教科書類を持ち帰る性分であること、また電子辞書より紙の辞書を好むということも知っていた。
電子辞書は嫌いだ。勉強するのなら紙の辞書をめくると決めている。紙を繰ってページを探したほうが勉強になるし、なにより頭によく入るのだ。
コンコンとノックをして待つも返答がなく、ボクは呼び掛けながら弟の部屋を開けた。やはり進はいないようだ。
そういえばさっき誰かがキッチンを使っていたような気がするが、あれが進だったのかもしれない。弟は昔から料理が得意だったし、キッチンに立つのが好きだった。
特に最近は菓子作りに凝っているらしく、この頃はケーキだのクッキーだのを作っていることが多い。つい先日も甘い香りに誘われてキッチンへと向かったのだが、そこには焼きたてのケーキと奮闘する弟の姿があり、試作でも良いのならといってシフォンケーキを食べさせてもらった。それは今まで食べたことがないくらいにふわふわしていておいしかった。
弟は野球も勉強も料理だってなんでもできる。
弟の部屋はいつだってきちんと整理整頓されている。探せば辞書くらいどこかにあるのだろうが、さすがに勝手に持って行くのは気が引ける。もう少ししたらまた来ようと思って、ボクはそのまま部屋を後にしようとした。
しかし扉を閉める際、開きっぱなしの鞄がふと目についた。進にしてはだらしがなく開きっぱなしにされたそれは中身が丸見えになっており、いちばん上に乗っかっている薄桃色の封筒が目に入った。宛名部分に弟の名前が書かれているだけのそれに合点がいってボクはほんの少しだけ複雑な気持ちになる。ラブレターにちがいなかった。弟もこういうものをもらう年になったのだなあとしみじみと感慨深くもあった。
普段野球部の練習を見ているだけでも進が女生徒に人気があるのはよく知っていたが、しかしボクにとって弟というのはいつまで経っても弟のままである。さみしいような面映ゆいような、不思議な心持だ。あの手紙の主に進はなんといって返答するのであろう。
「兄さん。なにか用ですか?」
唐突に呼ばれて振り返ると、両手に皿を持った進がにこにこと笑っていた。辺りが甘い香りでいっぱいになる。皿に乗っているのは山盛りになったクッキーだった。
「僕に用でした?」
「ああ、辞書を借りようと思って…」
ボクが答えると、進はああなるほどねと言って部屋へと入っていった。ボクには「なるほどね」の部分が何を指しているのか分からなかったのだが、得心がいっているらしい進はボクが何も言わなくても黙って古典の辞書を差し出してきた。にっこりと笑う弟に礼を言って辞書を受け取る。
「クッキー、たくさん焼いたんだな」
「ええ。たくさんありますし、兄さんも少し食べます?」
まだ焼きたてですから、とすすめられたので、ボクは遠慮なくクッキーをいただくことにした。進の言う通り焼きたてらしいそれはまだ温かく、柔らかかった。香ばしいアーモンドの香りとチョコレートの甘さがほど良く合っていておいしい。そういえば進はアーモンドをはじめとしたナッツの類をあまり好まないような気がしていたのだが、ボクの気のせいだっただろうか。
「美味いな」
「ほんとう?今回はちょっと自信なかったんですよ。自分で食べてみてもよく分からなくて」
はにかみながら笑う弟はどこまでも愛らしく、女生徒から「かわいい」と言って評されているのがよく分かった。
甘いクッキーに感化されたのかもしれない、普段はこんなことを言わないのだが、ボクはほんの出来心でさっき見かけた手紙について進に尋ねてみた。相変わらず開いたままの鞄からは手紙が丸見えになっている。視線をそっとそちらに向けると、進もそれに気が付いたようだった。
「進は、やっぱりモテるんだな」
「やめてくださいよ。兄さんまで」
兄さんまで、ということは、他の誰かにもこのように囃し立てられたことがあるのだろうか。やっぱりボクの弟はモテるのだなと他人事ながら鼻が高くなるような気持ちだった。
「だいたい、僕には必要のないものですしね」
そう言って立ち上がった進は鞄の中から手紙をつまみ上げると、なんでもない顔をしてそれをくずかごへ放った。あまりに自然な動作に反応が遅れたが、やっぱりにこにこと笑っている進にボクは絶句をして押し黙った。上手い言葉がでてこない。そこでようやく、ボクは進の笑顔に違和感を覚えた。
「そういえば兄さん、最近パワプロさんと仲良いですよね」
「パワプロ?突然なんの話だ」
「あの人は僕のですから、いくら兄さんでも手を出したら許しませんよ」
唇に乗る笑みはいつもの通りだったが、眼差しはボクの方を真っ直ぐと捉えたまま動くことがない。ごくりと生唾を飲み込む。進が何を言っているのかよく分からなかったし、どうして突然こんなことになっているのか理解が追いつかなかった。ボクは何も言葉にすることができないままただ黙るばかりであった。
「兄さん、辞書いるんでしょ?」
「あ、ああ…」
「今日は僕もう使いませんから、返すのは明日でいいですよ」
「…分かった」
「じゃあ、おやすみなさい」
半ば締め出されるような形で僕は手に辞書を持たされ弟の部屋をあとにした。しばらく閉められたドアを眺めていたが、当然のようにドアの向こうは静かなままなんの反応もない。
長い廊下は甘い匂いでいっぱいになっており、それは自分の部屋に戻る道までずっと続いていた。
――――――――――――
まさかの続き。進くんコエーヒエー
なんかまだ続きそうですよね~えっあなたがかいてくださるんですかヤッタ~!
猪狩兄弟
鞄の中をいくら探してみても目当てのものは見当たらなかった。ボクとしたことが、辞書を部室に置き忘れてきたようだ。
教科書や辞書の類を学校に置いたままにできないボクは、当然のように今日も鞄の中にきちんとしまった。確かにそのはずだったのだが、家に帰って鞄を開けるとそこに辞書はない。おかしいなと思って記憶を探ると、そういえば部室で古典のプリントをやっていたパワプロに貸してやったのだった。
なぜわざわざこんなところで、とは思うのだが、パワプロが言うには今日が期限であるそれをすっかり忘れていたらしい。話を聞くとそのプリントは再提出をくらったものらしく、どうしても今日中に出さないとまずいという。
パワプロが大騒ぎしながら取り掛かっている問題のプリントをちらりと覗き見ると、ボクのクラスではとっくに終わっている範囲であった。しかも内容もそれほど難しいものではない。20、30分もあれば片付くだろう。しかしパワプロにとってはそうではないらしく、唸りながら周りに泣きつくも全く進んでいないようだった。その様子がうっとうしく、なによりあまりにもでたらめな解答に見かねて口を出してしまったところ、パワプロのやつはこれ幸いにと今度はボクに泣きついてきた。
猪狩、頼む、あとでなんでもおごってやるから!
縋り付くパワプロの気迫はすさまじくそれを無視することもできないまま、なにより今日は気分も良かったのでボクは少しだけ勉強をみてやることにした。ほんの暇つぶし、気まぐれである。
いつもパワプロの酷い点数を目にしていたボクは(部室でいつも矢部や他の連中と競い合っている。ボクからすれば全員どんぐりの背比べに変わりない)、野球はともかく勉学に関してはどうしようもないやつだと思っていた。しかし、隣で少し教えてやったことでボクはその認識を改めることになった。
言われたことはきちんと理解できるし、なにより呑み込みが早い。ボクが少しアドバイスをしてやると、パワプロはみるみるうちに空白のプリントを埋めていって、結局ものの数十分で片付けてしまった。野球と一緒でやればできるやつなのだ、こいつは。
乗り掛かった船なので仕方なく最後まで付き合ってやったのだが、パワプロは大袈裟に礼を言った後、猪狩って意外といいやつだよな!などとのたまうのだった。意外とは余計である。
失礼な発言に腹も立ったが、ぶんぶんと振り回しながら手を握られたのではそれ以上なにも言えない。
かくしてパワプロのプリントは無事に提出され、ボクは辞書を部室へ置き忘れてきたのだった。
「進、ボクだ。開けるぞ」
さてどうしようかと思い立ち、結局ボクは弟のものを借りることにした。学校指定のものなので、学年が違っても使っているものは一緒である。弟もボクと一緒できちんと教科書類を持ち帰る性分であること、また電子辞書より紙の辞書を好むということも知っていた。
電子辞書は嫌いだ。勉強するのなら紙の辞書をめくると決めている。紙を繰ってページを探したほうが勉強になるし、なにより頭によく入るのだ。
コンコンとノックをして待つも返答がなく、ボクは呼び掛けながら弟の部屋を開けた。やはり進はいないようだ。
そういえばさっき誰かがキッチンを使っていたような気がするが、あれが進だったのかもしれない。弟は昔から料理が得意だったし、キッチンに立つのが好きだった。
特に最近は菓子作りに凝っているらしく、この頃はケーキだのクッキーだのを作っていることが多い。つい先日も甘い香りに誘われてキッチンへと向かったのだが、そこには焼きたてのケーキと奮闘する弟の姿があり、試作でも良いのならといってシフォンケーキを食べさせてもらった。それは今まで食べたことがないくらいにふわふわしていておいしかった。
弟は野球も勉強も料理だってなんでもできる。
弟の部屋はいつだってきちんと整理整頓されている。探せば辞書くらいどこかにあるのだろうが、さすがに勝手に持って行くのは気が引ける。もう少ししたらまた来ようと思って、ボクはそのまま部屋を後にしようとした。
しかし扉を閉める際、開きっぱなしの鞄がふと目についた。進にしてはだらしがなく開きっぱなしにされたそれは中身が丸見えになっており、いちばん上に乗っかっている薄桃色の封筒が目に入った。宛名部分に弟の名前が書かれているだけのそれに合点がいってボクはほんの少しだけ複雑な気持ちになる。ラブレターにちがいなかった。弟もこういうものをもらう年になったのだなあとしみじみと感慨深くもあった。
普段野球部の練習を見ているだけでも進が女生徒に人気があるのはよく知っていたが、しかしボクにとって弟というのはいつまで経っても弟のままである。さみしいような面映ゆいような、不思議な心持だ。あの手紙の主に進はなんといって返答するのであろう。
「兄さん。なにか用ですか?」
唐突に呼ばれて振り返ると、両手に皿を持った進がにこにこと笑っていた。辺りが甘い香りでいっぱいになる。皿に乗っているのは山盛りになったクッキーだった。
「僕に用でした?」
「ああ、辞書を借りようと思って…」
ボクが答えると、進はああなるほどねと言って部屋へと入っていった。ボクには「なるほどね」の部分が何を指しているのか分からなかったのだが、得心がいっているらしい進はボクが何も言わなくても黙って古典の辞書を差し出してきた。にっこりと笑う弟に礼を言って辞書を受け取る。
「クッキー、たくさん焼いたんだな」
「ええ。たくさんありますし、兄さんも少し食べます?」
まだ焼きたてですから、とすすめられたので、ボクは遠慮なくクッキーをいただくことにした。進の言う通り焼きたてらしいそれはまだ温かく、柔らかかった。香ばしいアーモンドの香りとチョコレートの甘さがほど良く合っていておいしい。そういえば進はアーモンドをはじめとしたナッツの類をあまり好まないような気がしていたのだが、ボクの気のせいだっただろうか。
「美味いな」
「ほんとう?今回はちょっと自信なかったんですよ。自分で食べてみてもよく分からなくて」
はにかみながら笑う弟はどこまでも愛らしく、女生徒から「かわいい」と言って評されているのがよく分かった。
甘いクッキーに感化されたのかもしれない、普段はこんなことを言わないのだが、ボクはほんの出来心でさっき見かけた手紙について進に尋ねてみた。相変わらず開いたままの鞄からは手紙が丸見えになっている。視線をそっとそちらに向けると、進もそれに気が付いたようだった。
「進は、やっぱりモテるんだな」
「やめてくださいよ。兄さんまで」
兄さんまで、ということは、他の誰かにもこのように囃し立てられたことがあるのだろうか。やっぱりボクの弟はモテるのだなと他人事ながら鼻が高くなるような気持ちだった。
「だいたい、僕には必要のないものですしね」
そう言って立ち上がった進は鞄の中から手紙をつまみ上げると、なんでもない顔をしてそれをくずかごへ放った。あまりに自然な動作に反応が遅れたが、やっぱりにこにこと笑っている進にボクは絶句をして押し黙った。上手い言葉がでてこない。そこでようやく、ボクは進の笑顔に違和感を覚えた。
「そういえば兄さん、最近パワプロさんと仲良いですよね」
「パワプロ?突然なんの話だ」
「あの人は僕のですから、いくら兄さんでも手を出したら許しませんよ」
唇に乗る笑みはいつもの通りだったが、眼差しはボクの方を真っ直ぐと捉えたまま動くことがない。ごくりと生唾を飲み込む。進が何を言っているのかよく分からなかったし、どうして突然こんなことになっているのか理解が追いつかなかった。ボクは何も言葉にすることができないままただ黙るばかりであった。
「兄さん、辞書いるんでしょ?」
「あ、ああ…」
「今日は僕もう使いませんから、返すのは明日でいいですよ」
「…分かった」
「じゃあ、おやすみなさい」
半ば締め出されるような形で僕は手に辞書を持たされ弟の部屋をあとにした。しばらく閉められたドアを眺めていたが、当然のようにドアの向こうは静かなままなんの反応もない。
長い廊下は甘い匂いでいっぱいになっており、それは自分の部屋に戻る道までずっと続いていた。
――――――――――――
まさかの続き。進くんコエーヒエー
なんかまだ続きそうですよね~えっあなたがかいてくださるんですかヤッタ~!
ラブレター
主進
握りしめると手の中でぐしゃりと潰れた。
もしかしたら多少なりとも価値のあったそれはたった今僕の手の中で紙くずになってしまった。白い封筒にハートマークのシールという、模範的とも古典的ともいえるそれを苦々しい気持ちで見つめる。
くしゃくしゃになったそれは確かにラブレターと呼ばれる類のものであった。
ぱかりと開いた下駄箱の蓋を持ち上げて奥をのぞく。手紙だけではない、まだ何か入っていた。
煮える頭を落ち着かせながら奥の方に突っ込まれていたそれを引っ張り出す。
手の平に乗るほどの小さい長方形の箱だった。
ピンク地の包装紙に淡い黄色のリボンが巻かれていた。手紙と共に贈られたプレゼントらしい。
センス悪いな。
先ほどつまみ上げた手紙と一緒に手近なゴミ箱へ放った。
ゴミ箱の中に入っていてもなお不愉快なそれらを目につかないように奥まで押し込む。
そこまでするとようやくスッキリとした心持になって、僕は人知れず薄く笑んだ。
顔を上げて時刻を確認する。もうすぐあの人がやってくる時間だ。
朝いちばん、誰よりも早く登校する僕には毎日行わなくてはならない日課があった。
早朝、人気のない昇降口、目当ては下駄箱の中身だった。
ぱかりと開けて、何も入っていないことを確認する。入っていれば中身を捨てるだけだ。
何も入っていないことが確認できたら、今度は駆け足で教室まで向かう。
目的地は自分のクラスがある階よりもひとつ上にある。普段用がなければ上がることもない階だった。
そっと扉を開けて静かに足を踏み入れる。昨日席替えが行われたことはすでに知っていた。
あの人の机を探し出し、僕は中身を覗いた。
腰をかがめて中を見ると、そこにはいつもの通り置きっぱなしの教科書が入っているだけだった。
間に折れたプリントがくしゃくしゃになって何枚か挟まっている。
全く仕方のない人だなあと心の中でお説教をしながらも僕はにこにこ顔でその場をあとにした。
昨日はそう、ラッピングされたお菓子が入っていたのだった。不味そうなクッキーだった。
もちろん捨てた。
朝の日課を終えた僕の足取りはとても軽やかだ。
爽やかな朝の陽ざしが廊下に差し込み、僕の心までも晴れやかにする。
だいたい、人の机や下駄箱にものを入れていく神経がつくづく僕には理解できない。
迷惑極まりないことであるし、だいたい下駄箱などに食べ物の類を入れるなど衛生的にも問題があるように思え、一体何を考えているのかと問い詰めてやりたい。
僕なら絶対にそんなことはしないし、だいたい僕だったらもっとセンスの良いプレゼントを選ぶし、もっとおいしいクッキーを焼く自信がある。
あの人だって褒めてくれるのだから、僕の思い違いや勘違いなんかではない。
進くんの焼いたクッキーは美味しいね
そのように言うあの人を想像して僕はこっそりと微笑んだ。
今度はマーブル模様のクッキーを焼いていこう。チョコレートクッキーでもいいかもしれない。
チョコレートはあの人の好物だった。
「あ、進くんおはよう」
「おはようございます、パワプロさん」
昇降口へ戻ると、ちょうどパワプロさんがやってくるところだった。
重そうな鞄を脇に置いてにっこりと笑うので、その眩しさに当てられながら僕も挨拶を返す。
「進くん、今日も早いね。どうしたの?」
「ええ、ちょっと教室まで忘れ物を取りに」
「進くんでも忘れ物するのか~」
パワプロさんが靴をしまっている横で僕も自分の下駄箱を開ける。ほんの少し驚いてどうしようかと迷っていると、いつの間にか隣に来ていたパワプロさんがにやにやと笑っていた。
「さすが進くん、モテるね」
「いやだな、やめてくださいよ」
「わ、すごい、本物のラブレターだ」
取り出されたそれは薄桃色の封筒で、表に「猪狩進さま」と記されていた。
ひっくり返してみても裏にはなにも書いておらず、差出人は不明だ。体裁だけを見ると、確かにパワプロさんの言うとおりラブレターらしかった。
「進くんかっこいいもんなあ」
「そんなんじゃあないですよ」
「女の子の気持ちわかるわかる」
「野球部が甲子園に出てからというもの、なんだか調子の狂うことばっかりです」
「確かにそれはあるね。この前矢部くんも女の子になんかもらってたしなあ~。くう~、なんでオレにはなんにもないんだ!!」
オーバーリアクションで騒ぐ彼を微笑ましく眺めながら、さてこの手の中のものをどうしようかと考える。
心底どうでも良かったが、彼の目の前でそのように扱うわけにもいくまい。
適当に鞄のポケットにしまって、パワプロさんの話に調子を合わせた。
「しっかし進くん、ほんとにいいの?オレの練習に付き合わせて、朝練よりもさらに早く来てもらってさ。って、今更か」
「僕でお役に立てるのなら喜んで。もうすぐ、パワプロさんのスライダーもものになりそうですしね」
「そうなんだ、やっと感覚が掴めてきたところなんだよね。それも全部進くんのおかげだよ」
靴を履き替えて、二人並んでグラウンドに向かうこの時間がなによりも至福だった。
他には誰もいない。他の部員はあと30分もすればやってくるので、まさしく貴重な時間である。
ほんの少しだけれど他愛のない話をして、確かに今ここは僕たち二人だけの世界なのだ。
誰の入り込む余地もなく、誰に侵されることもない。
「ねえパワプロさん、アーモンドココアと焼きチョコのクッキーだったらどっちがいいですか?」
「え、なにそれ美味そう」
「今度作ってみようかなと思って」
「進くんが?オレに?」
「ええ…ダメですか?」
「全然ダメじゃないよ!この前のもすっごい美味しかったし。でもなんか、いつも悪いじゃんか」
「僕がやりたいからいいんです」
「じゃあ、今度一緒にどっか甘いもんでも食べに行こうよ。いつものお礼でオレのおごりだよ」
「そんな、悪いです。僕が勝手にやってるだけなのに」
後輩は先輩の言うことを聞くもんだぞ!
わざと尊大な態度で大きな声を出したパワプロさんにくすくすと笑うことで返答する。
僕につられて笑ったパワプロさんの顔はやっぱりきらきらと眩しくて格好良かった。
ひとしきり笑ってから、それぞれグラブを掴む。
「さあ、今日もやるぞ!」
「よろしくお願いします」
こうして今日も僕の一日が始まる。
―――――――――――――――
自分のはクソほどもどうでもいいけど主人公ちゃん宛の手紙・プレゼントは許せない進くん
以前ツイッターで呟いたネタを起こしてみたら予想以上にこわい進くんになってしまって満足
握りしめると手の中でぐしゃりと潰れた。
もしかしたら多少なりとも価値のあったそれはたった今僕の手の中で紙くずになってしまった。白い封筒にハートマークのシールという、模範的とも古典的ともいえるそれを苦々しい気持ちで見つめる。
くしゃくしゃになったそれは確かにラブレターと呼ばれる類のものであった。
ぱかりと開いた下駄箱の蓋を持ち上げて奥をのぞく。手紙だけではない、まだ何か入っていた。
煮える頭を落ち着かせながら奥の方に突っ込まれていたそれを引っ張り出す。
手の平に乗るほどの小さい長方形の箱だった。
ピンク地の包装紙に淡い黄色のリボンが巻かれていた。手紙と共に贈られたプレゼントらしい。
センス悪いな。
先ほどつまみ上げた手紙と一緒に手近なゴミ箱へ放った。
ゴミ箱の中に入っていてもなお不愉快なそれらを目につかないように奥まで押し込む。
そこまでするとようやくスッキリとした心持になって、僕は人知れず薄く笑んだ。
顔を上げて時刻を確認する。もうすぐあの人がやってくる時間だ。
朝いちばん、誰よりも早く登校する僕には毎日行わなくてはならない日課があった。
早朝、人気のない昇降口、目当ては下駄箱の中身だった。
ぱかりと開けて、何も入っていないことを確認する。入っていれば中身を捨てるだけだ。
何も入っていないことが確認できたら、今度は駆け足で教室まで向かう。
目的地は自分のクラスがある階よりもひとつ上にある。普段用がなければ上がることもない階だった。
そっと扉を開けて静かに足を踏み入れる。昨日席替えが行われたことはすでに知っていた。
あの人の机を探し出し、僕は中身を覗いた。
腰をかがめて中を見ると、そこにはいつもの通り置きっぱなしの教科書が入っているだけだった。
間に折れたプリントがくしゃくしゃになって何枚か挟まっている。
全く仕方のない人だなあと心の中でお説教をしながらも僕はにこにこ顔でその場をあとにした。
昨日はそう、ラッピングされたお菓子が入っていたのだった。不味そうなクッキーだった。
もちろん捨てた。
朝の日課を終えた僕の足取りはとても軽やかだ。
爽やかな朝の陽ざしが廊下に差し込み、僕の心までも晴れやかにする。
だいたい、人の机や下駄箱にものを入れていく神経がつくづく僕には理解できない。
迷惑極まりないことであるし、だいたい下駄箱などに食べ物の類を入れるなど衛生的にも問題があるように思え、一体何を考えているのかと問い詰めてやりたい。
僕なら絶対にそんなことはしないし、だいたい僕だったらもっとセンスの良いプレゼントを選ぶし、もっとおいしいクッキーを焼く自信がある。
あの人だって褒めてくれるのだから、僕の思い違いや勘違いなんかではない。
進くんの焼いたクッキーは美味しいね
そのように言うあの人を想像して僕はこっそりと微笑んだ。
今度はマーブル模様のクッキーを焼いていこう。チョコレートクッキーでもいいかもしれない。
チョコレートはあの人の好物だった。
「あ、進くんおはよう」
「おはようございます、パワプロさん」
昇降口へ戻ると、ちょうどパワプロさんがやってくるところだった。
重そうな鞄を脇に置いてにっこりと笑うので、その眩しさに当てられながら僕も挨拶を返す。
「進くん、今日も早いね。どうしたの?」
「ええ、ちょっと教室まで忘れ物を取りに」
「進くんでも忘れ物するのか~」
パワプロさんが靴をしまっている横で僕も自分の下駄箱を開ける。ほんの少し驚いてどうしようかと迷っていると、いつの間にか隣に来ていたパワプロさんがにやにやと笑っていた。
「さすが進くん、モテるね」
「いやだな、やめてくださいよ」
「わ、すごい、本物のラブレターだ」
取り出されたそれは薄桃色の封筒で、表に「猪狩進さま」と記されていた。
ひっくり返してみても裏にはなにも書いておらず、差出人は不明だ。体裁だけを見ると、確かにパワプロさんの言うとおりラブレターらしかった。
「進くんかっこいいもんなあ」
「そんなんじゃあないですよ」
「女の子の気持ちわかるわかる」
「野球部が甲子園に出てからというもの、なんだか調子の狂うことばっかりです」
「確かにそれはあるね。この前矢部くんも女の子になんかもらってたしなあ~。くう~、なんでオレにはなんにもないんだ!!」
オーバーリアクションで騒ぐ彼を微笑ましく眺めながら、さてこの手の中のものをどうしようかと考える。
心底どうでも良かったが、彼の目の前でそのように扱うわけにもいくまい。
適当に鞄のポケットにしまって、パワプロさんの話に調子を合わせた。
「しっかし進くん、ほんとにいいの?オレの練習に付き合わせて、朝練よりもさらに早く来てもらってさ。って、今更か」
「僕でお役に立てるのなら喜んで。もうすぐ、パワプロさんのスライダーもものになりそうですしね」
「そうなんだ、やっと感覚が掴めてきたところなんだよね。それも全部進くんのおかげだよ」
靴を履き替えて、二人並んでグラウンドに向かうこの時間がなによりも至福だった。
他には誰もいない。他の部員はあと30分もすればやってくるので、まさしく貴重な時間である。
ほんの少しだけれど他愛のない話をして、確かに今ここは僕たち二人だけの世界なのだ。
誰の入り込む余地もなく、誰に侵されることもない。
「ねえパワプロさん、アーモンドココアと焼きチョコのクッキーだったらどっちがいいですか?」
「え、なにそれ美味そう」
「今度作ってみようかなと思って」
「進くんが?オレに?」
「ええ…ダメですか?」
「全然ダメじゃないよ!この前のもすっごい美味しかったし。でもなんか、いつも悪いじゃんか」
「僕がやりたいからいいんです」
「じゃあ、今度一緒にどっか甘いもんでも食べに行こうよ。いつものお礼でオレのおごりだよ」
「そんな、悪いです。僕が勝手にやってるだけなのに」
後輩は先輩の言うことを聞くもんだぞ!
わざと尊大な態度で大きな声を出したパワプロさんにくすくすと笑うことで返答する。
僕につられて笑ったパワプロさんの顔はやっぱりきらきらと眩しくて格好良かった。
ひとしきり笑ってから、それぞれグラブを掴む。
「さあ、今日もやるぞ!」
「よろしくお願いします」
こうして今日も僕の一日が始まる。
―――――――――――――――
自分のはクソほどもどうでもいいけど主人公ちゃん宛の手紙・プレゼントは許せない進くん
以前ツイッターで呟いたネタを起こしてみたら予想以上にこわい進くんになってしまって満足
泳ぎ方は知らないけど
友猪
猪狩守は水族館が好きらしい。ということを友沢が知ったのはつい先日のことである。
さらに、ペンギンが大のお気に入りらしいということに気が付いたのはほんの30分前の話である。
そのようなことをなぜ友沢が知り得たかというと、現在友沢と猪狩は二人で水族館へ来ており、そしてこの30分猪狩がペンギンの水槽前から全く動こうとしないためである。
正直に言えば、友沢は目の前のペンギンに対してとっくに飽きていた。初めのうちこそそれなりに真剣に眺めていたが(隣の猪狩があまりに嬉しそうに見ているのでどんなものかと思ったのだ)、5分もすれば飽きがきた。だってそりゃそうだ、ペンギンときたらべつに何か特別なことをするというわけではないんだもの。
後ろで突っ立っているやつだとか水中を泳いでいるやつ、よちよちと歩いているやつ、確かにかわいいとは思うが、5分も見れば十分である。
なにより友沢は、この人混みに参っていた。日曜の水族館というのは、こんなにも混むものなのか。チケットを買うだけで数十分も待たされ、友沢の予想では隣の猪狩が真っ先に文句を垂れるはずだった。
端的に言えば、猪狩はわがままである。よく言えば自分の欲求に正直であるし、わるく言えば自分中心にしか物事を考えない。そんな猪狩であるので、この人混みを見た瞬間に友沢は猪狩が帰ると言い出さないかと考えていた。
「ちょっと待ってくださいよ、あんたが来たいって言ったんでしょ」いつものようにたしなめ、ぶちぶちと文句を言う猪狩を引き連れて歩く水族館、というのが友沢の描いたシナリオだった。しかし、友沢の予想は大きく外れた。
チケット売り場の列で待っている猪狩は、文句を言うどころか「こんなに混んでいるなんてすごいな」と言って目を輝かせていたのだ。待ちきれないのか、そわそわと辺りを見回しては嬉しそうにしている。
その証拠に、「ほら、友沢、イルカショー」などと言って始終友沢をせっつくのだ。猪狩が指さしたポスターを眺めながら、こんなに喜ぶのならもっと早くに来ていれば良かったなあと友沢は少しだけ反省した。
よくよく考えてみれば、このようないかにも普通の「デート」らしいデートと言えばこれが初めてではないのか。握りこんだ掌が急に熱を持つ。そうか、これはデートなのか。
きっかけは、猪狩の誕生日であった。自分の誕生日を盛大に祝ってもらってしまったという経緯があった友沢は、一応感謝の意も込めて「何か欲しいものありますか」と分かりやすく尋ねた。
余談ではあるけれども、猪狩が用意した誕生祝いとは友沢の常識を吹き飛ばすのに十分たるものだった。貸切だよと言って招待されたそこにはやたらとでかい船があり、何も聞かされずに連れて来られた友沢はぽかんとしながら、「ワンナイトクルーズさ」と言って笑う猪狩の顔を眺めていた。
予期せぬことであったし、猪狩に誕生祝いをしてもらえると思わなかった友沢は素直に浮かれたが、いま思い返せば、あれはただ猪狩が貸切のクルージングをしたかっただけに違いない。そうだとしても、友沢には十分すぎるほど嬉しい出来事であった。
そういうわけで祝ってもらった夏からあっという間に時間は流れ、季節は冬である。まもなく猪狩の誕生日だということで、友沢は思い切って本人に欲しいものを尋ねた。自分には猪狩ほどの財力などとてもなかったし、なにをすれば猪狩が喜ぶのか友沢はいまいちよく分からなかった。なにより、気に入らないものをやったところで喜ばないだろう。とにかく自分に正直な人なのだ、この人は。
「猪狩さん、もうすぐ誕生日ですね」
「そういえば、そうだな。よく覚えていたね」
「猪狩さんの誕生日、覚えやすいですから。それに、あんただってオレの誕生日覚えてたでしょ。何か欲しいものありますか?」
まどろっこしいのはきらいである。友沢は直球勝負で尋ねた。そんなの自分で考えるんだね、と一蹴されるのも覚悟していたが、意外にも猪狩は考えるそぶりをみせた。どうやら欲しいものがあるようである。何が欲しいのか、何をして欲しいのか、友沢にはさっぱり見当もつかない。少しだけわくわくしながら待つと、猪狩にしては珍しく、ごにょごにょと言葉を濁しながら言った。
「水族館に、行きたい、な」
「水族館?」
全く予期していなかった返答に、友沢は自分でもびっくりするほど素っ頓狂な声を出してしまった。だって、どうして、いきなり水族館になるのだろう。猪狩と水族館の組み合わせ、誕生日に水族館をねだる意味が友沢にはさっぱり分からなかった。
「あんた、水族館に行きたいんですか。魚、好きなんですか?」
我ながら変なことを言っているなあと思いながら友沢は尋ねた。今まで猪狩に魚を愛でるような趣味があっただろうか。そこまで考えて、そういえば自分たちの間には野球ばかりであるなと、友沢は思う。野球以外に猪狩が何に興味があるのか、そういえばほとんど知らない。訝しげな顔をしている友沢に、猪狩はもごもごと続ける。
「昔、進と一緒に行ったことがあるんだ」
もう随分と前の話だけどね、面映ゆい様子で、それでも確かに嬉しそうな顔で猪狩は言った。友沢が黙ったままなので、猪狩は言い訳めいた口調でなぜ水族館なのかと話し続けている。
猪狩の話によると、この前テレビでどこかの水族館の特集をしていたらしい。そんなものを猪狩がいつ見ていたのかそれ自体友沢には不思議であったが、要約するとつまり、昔弟と行ったきりの水族館が懐かしくなったということである。
正直に言えば、友沢としては「またか」という思いであった。猪狩自身は否定するが、友沢は彼のことを重度のブラコンだと思っている。自分にも弟と妹が一人ずついるのでかわいいという気持ちはもちろん分かるが、猪狩はまさしくブラザーコンプレックスのそれであった。本人の自覚がない分たちが悪いとも思っている。
普段はなんともない顔をしているが、ひとたび弟の話が始まるとさも自分の自慢話のように長々と話し出すのだ。同じチームメイトであるので見ていれば分かるし聞かなくても知っているのだが、弟の話をして機嫌良さそうにしている猪狩を友沢は遮ることができなかった。
弟の方はどうやらそれをよく思っていないようだと感じていた友沢には、余計に猪狩の態度を持て余すこととなっている。進の方とは特別親しくしているわけではなかったが、そんなのは見ていれば分かる。なんと言ったってチームメイトなのだ。
この前猪狩から聞いた話を友沢は何度も自分の中で反芻していた。一人暮らしをしている進のもとへ訪れた猪狩が、挨拶もそこそこにすぐに追い出されてしまったという話である。
僕は僕でやっていますから、大丈夫です。
そのように言って進は猪狩を早々に帰してしまったそうである。友沢としては、猪狩がわざわざいらぬことを言ったか、そもそも訪ねる頻度が多すぎるのかその辺りに要因があると思っているが、帰ってきた猪狩は分かりやすく落ち込んでいた。
べつに、ボクは気にしてないけどね。そう言いながらシュウマイの上に乗っかっているグリンピースを箸でつついた猪狩は明らかにめちゃくちゃ気にしていたし、ショックを受けている様子だった。夕飯の支度を終えて共に席についた友沢は白飯をかきこみながら考える。食事の支度をするのはいつだって友沢だったし、猪狩はいつも出されたそれを食べるだけであった。
「友沢、行こう」
「もういいんですか」
自らの思考に沈んでいた友沢は、急に声を掛けられて驚いた。さっきまでペンギンに向けられていたはずの視線は今、真っ直ぐと友沢へと向けられている。
「だってキミ、全然見てないだろ」
「見てますよ」
「嘘つくな。さっきのイルカショーのときだってずっとぼんやりしてただろ」
ぼんやりなんてしていない。オレはショーを見てるあんたを見てたんだ。もちろんそんなことを言えるはずもなく、友沢はいつものポーカーフェイスでやり過ごした。
ぐい、と乱暴に袖口を掴んだ猪狩が言う。
「結構疲れたしね。もう帰る」
こちらの声など全く耳も貸さず、ぐいぐいと歩みを進める猪狩を追いかけるので友沢は必死である。伸ばした手は人混みに遮られ猪狩には届かない。ようやく追いついた時には、そこはもう出口であった。猪狩は今にも出て行こうとしている。思わず、その手を掴んでいた。
びっくりしたように猪狩は友沢を見つめたが、気にせずに口を開く。どさくさまぎれに、掴んだ猪狩の掌ごとパーカーのポケットに突っこんでやった。
「おい友沢!人が見てる」
「人混みに紛れて分かんないですよ」
そのまま猪狩を引っ張るように歩き出して、友沢はずんずんと進んでいく。目当ての先には土産物の店がある。落ち着かない様子でまごまごしている猪狩をよそに、友沢は綺麗な細工がしてあるイルカの置物だとかしゃらしゃらと揺れるキーホルダーの束を眺めた。翔太と朋恵の土産に買っていったら、きっと喜ぶだろう。
「オレこれ買ってくるんで、猪狩さんはあそこで待っててください」
手を離すと、猪狩はこれ幸いにと友沢から距離をとって幼い仕草で顎を引いた。心底ホッとしているその様子は若干心外ですらある。そんなにオレと手を繋ぐのが嫌なんですかと子供じみた小言のひとつやふたつは漏れてしまいそうだ。もちろん、猪狩がそのような態度をとる理由は分かっているし、そんなことを言うほど友沢は子供ではない。
猪狩が背を向けたのを確認してから、友沢は目当ての土産と手元のそれを一緒に取って会計へと向かった。
「お待たせしました」
「なにを買ったんだい」
「翔太と朋恵にちょっと土産を」
「ふうん」
「あんたには、こっち」
ふたつある袋のうちひとつを猪狩の手に握らせた。首をかしげながらも、猪狩は早速袋の中からそれを取り出す。中から出てきたのはぬいぐるみだった。
「なんだい、これ」
「見れば分かるでしょ、ペンギンのぬいぐるみです」
「これをボクに?」
「だって、あんたペンギン好きでしょ」
べつに好きじゃないよ、などとのたまっているが、嬉しそうな様子は隠しきれないようで、猪狩はペンギンを掴みながらにこにこと笑った。土産物屋に入ったときから猪狩がこのぬいぐるみをちらちらと見ていること、友沢にはとっくにお見通しだった。
「でも、ふたつもあるよ。結局キミも好きなんじゃないか」
「オレの分じゃないです」
「じゃあ、誰のだい」
「進さんの分です」
猪狩はきょとんとしたまま友沢を見つめている。青く大きな瞳がくりくりと瞬いていた。これはいつ見てもきれいであると、友沢は常々思っている。透明感のある深いブルーは精一杯疑問の色をにじませていた。
「進さんもあんたと一緒でぬいぐるみとか好きそうじゃないですか」
「……」
「お土産だって言って渡して、今度はまた進さんと来たらいいですよ」
「友沢」
ぐ、と握りしめられたペンギンがへこんで、ぴいと鳴いた。思わず二人顔を見合わせる。もう一度猪狩がペンギンの腹を押すと、確かに声が鳴った。何度も何度も猪狩はペンギンを押したりひっこめたりを繰り返して、そのたびにぴいぴいとかわいらしい声でペンギンが鳴く。
「ペンギンの鳴き声ってこんなでしたっけ?」
「さあね」
笑った猪狩がかわいらしかったので、友沢は猪狩の手からペンギンを取り上げて腹を押してみた。ぴい。一度だけ鳴らして猪狩へと返す。
嬉しそうにペンギンを抱く猪狩がとてもかわいかったので、なんと言われても今日は手を繋いで帰ろうと友沢は一人で勝手に決めたのだった。
―――――――――――
らぶらぶですね
たまにはこういう二人もいいと思います
猪狩守は水族館が好きらしい。ということを友沢が知ったのはつい先日のことである。
さらに、ペンギンが大のお気に入りらしいということに気が付いたのはほんの30分前の話である。
そのようなことをなぜ友沢が知り得たかというと、現在友沢と猪狩は二人で水族館へ来ており、そしてこの30分猪狩がペンギンの水槽前から全く動こうとしないためである。
正直に言えば、友沢は目の前のペンギンに対してとっくに飽きていた。初めのうちこそそれなりに真剣に眺めていたが(隣の猪狩があまりに嬉しそうに見ているのでどんなものかと思ったのだ)、5分もすれば飽きがきた。だってそりゃそうだ、ペンギンときたらべつに何か特別なことをするというわけではないんだもの。
後ろで突っ立っているやつだとか水中を泳いでいるやつ、よちよちと歩いているやつ、確かにかわいいとは思うが、5分も見れば十分である。
なにより友沢は、この人混みに参っていた。日曜の水族館というのは、こんなにも混むものなのか。チケットを買うだけで数十分も待たされ、友沢の予想では隣の猪狩が真っ先に文句を垂れるはずだった。
端的に言えば、猪狩はわがままである。よく言えば自分の欲求に正直であるし、わるく言えば自分中心にしか物事を考えない。そんな猪狩であるので、この人混みを見た瞬間に友沢は猪狩が帰ると言い出さないかと考えていた。
「ちょっと待ってくださいよ、あんたが来たいって言ったんでしょ」いつものようにたしなめ、ぶちぶちと文句を言う猪狩を引き連れて歩く水族館、というのが友沢の描いたシナリオだった。しかし、友沢の予想は大きく外れた。
チケット売り場の列で待っている猪狩は、文句を言うどころか「こんなに混んでいるなんてすごいな」と言って目を輝かせていたのだ。待ちきれないのか、そわそわと辺りを見回しては嬉しそうにしている。
その証拠に、「ほら、友沢、イルカショー」などと言って始終友沢をせっつくのだ。猪狩が指さしたポスターを眺めながら、こんなに喜ぶのならもっと早くに来ていれば良かったなあと友沢は少しだけ反省した。
よくよく考えてみれば、このようないかにも普通の「デート」らしいデートと言えばこれが初めてではないのか。握りこんだ掌が急に熱を持つ。そうか、これはデートなのか。
きっかけは、猪狩の誕生日であった。自分の誕生日を盛大に祝ってもらってしまったという経緯があった友沢は、一応感謝の意も込めて「何か欲しいものありますか」と分かりやすく尋ねた。
余談ではあるけれども、猪狩が用意した誕生祝いとは友沢の常識を吹き飛ばすのに十分たるものだった。貸切だよと言って招待されたそこにはやたらとでかい船があり、何も聞かされずに連れて来られた友沢はぽかんとしながら、「ワンナイトクルーズさ」と言って笑う猪狩の顔を眺めていた。
予期せぬことであったし、猪狩に誕生祝いをしてもらえると思わなかった友沢は素直に浮かれたが、いま思い返せば、あれはただ猪狩が貸切のクルージングをしたかっただけに違いない。そうだとしても、友沢には十分すぎるほど嬉しい出来事であった。
そういうわけで祝ってもらった夏からあっという間に時間は流れ、季節は冬である。まもなく猪狩の誕生日だということで、友沢は思い切って本人に欲しいものを尋ねた。自分には猪狩ほどの財力などとてもなかったし、なにをすれば猪狩が喜ぶのか友沢はいまいちよく分からなかった。なにより、気に入らないものをやったところで喜ばないだろう。とにかく自分に正直な人なのだ、この人は。
「猪狩さん、もうすぐ誕生日ですね」
「そういえば、そうだな。よく覚えていたね」
「猪狩さんの誕生日、覚えやすいですから。それに、あんただってオレの誕生日覚えてたでしょ。何か欲しいものありますか?」
まどろっこしいのはきらいである。友沢は直球勝負で尋ねた。そんなの自分で考えるんだね、と一蹴されるのも覚悟していたが、意外にも猪狩は考えるそぶりをみせた。どうやら欲しいものがあるようである。何が欲しいのか、何をして欲しいのか、友沢にはさっぱり見当もつかない。少しだけわくわくしながら待つと、猪狩にしては珍しく、ごにょごにょと言葉を濁しながら言った。
「水族館に、行きたい、な」
「水族館?」
全く予期していなかった返答に、友沢は自分でもびっくりするほど素っ頓狂な声を出してしまった。だって、どうして、いきなり水族館になるのだろう。猪狩と水族館の組み合わせ、誕生日に水族館をねだる意味が友沢にはさっぱり分からなかった。
「あんた、水族館に行きたいんですか。魚、好きなんですか?」
我ながら変なことを言っているなあと思いながら友沢は尋ねた。今まで猪狩に魚を愛でるような趣味があっただろうか。そこまで考えて、そういえば自分たちの間には野球ばかりであるなと、友沢は思う。野球以外に猪狩が何に興味があるのか、そういえばほとんど知らない。訝しげな顔をしている友沢に、猪狩はもごもごと続ける。
「昔、進と一緒に行ったことがあるんだ」
もう随分と前の話だけどね、面映ゆい様子で、それでも確かに嬉しそうな顔で猪狩は言った。友沢が黙ったままなので、猪狩は言い訳めいた口調でなぜ水族館なのかと話し続けている。
猪狩の話によると、この前テレビでどこかの水族館の特集をしていたらしい。そんなものを猪狩がいつ見ていたのかそれ自体友沢には不思議であったが、要約するとつまり、昔弟と行ったきりの水族館が懐かしくなったということである。
正直に言えば、友沢としては「またか」という思いであった。猪狩自身は否定するが、友沢は彼のことを重度のブラコンだと思っている。自分にも弟と妹が一人ずついるのでかわいいという気持ちはもちろん分かるが、猪狩はまさしくブラザーコンプレックスのそれであった。本人の自覚がない分たちが悪いとも思っている。
普段はなんともない顔をしているが、ひとたび弟の話が始まるとさも自分の自慢話のように長々と話し出すのだ。同じチームメイトであるので見ていれば分かるし聞かなくても知っているのだが、弟の話をして機嫌良さそうにしている猪狩を友沢は遮ることができなかった。
弟の方はどうやらそれをよく思っていないようだと感じていた友沢には、余計に猪狩の態度を持て余すこととなっている。進の方とは特別親しくしているわけではなかったが、そんなのは見ていれば分かる。なんと言ったってチームメイトなのだ。
この前猪狩から聞いた話を友沢は何度も自分の中で反芻していた。一人暮らしをしている進のもとへ訪れた猪狩が、挨拶もそこそこにすぐに追い出されてしまったという話である。
僕は僕でやっていますから、大丈夫です。
そのように言って進は猪狩を早々に帰してしまったそうである。友沢としては、猪狩がわざわざいらぬことを言ったか、そもそも訪ねる頻度が多すぎるのかその辺りに要因があると思っているが、帰ってきた猪狩は分かりやすく落ち込んでいた。
べつに、ボクは気にしてないけどね。そう言いながらシュウマイの上に乗っかっているグリンピースを箸でつついた猪狩は明らかにめちゃくちゃ気にしていたし、ショックを受けている様子だった。夕飯の支度を終えて共に席についた友沢は白飯をかきこみながら考える。食事の支度をするのはいつだって友沢だったし、猪狩はいつも出されたそれを食べるだけであった。
「友沢、行こう」
「もういいんですか」
自らの思考に沈んでいた友沢は、急に声を掛けられて驚いた。さっきまでペンギンに向けられていたはずの視線は今、真っ直ぐと友沢へと向けられている。
「だってキミ、全然見てないだろ」
「見てますよ」
「嘘つくな。さっきのイルカショーのときだってずっとぼんやりしてただろ」
ぼんやりなんてしていない。オレはショーを見てるあんたを見てたんだ。もちろんそんなことを言えるはずもなく、友沢はいつものポーカーフェイスでやり過ごした。
ぐい、と乱暴に袖口を掴んだ猪狩が言う。
「結構疲れたしね。もう帰る」
こちらの声など全く耳も貸さず、ぐいぐいと歩みを進める猪狩を追いかけるので友沢は必死である。伸ばした手は人混みに遮られ猪狩には届かない。ようやく追いついた時には、そこはもう出口であった。猪狩は今にも出て行こうとしている。思わず、その手を掴んでいた。
びっくりしたように猪狩は友沢を見つめたが、気にせずに口を開く。どさくさまぎれに、掴んだ猪狩の掌ごとパーカーのポケットに突っこんでやった。
「おい友沢!人が見てる」
「人混みに紛れて分かんないですよ」
そのまま猪狩を引っ張るように歩き出して、友沢はずんずんと進んでいく。目当ての先には土産物の店がある。落ち着かない様子でまごまごしている猪狩をよそに、友沢は綺麗な細工がしてあるイルカの置物だとかしゃらしゃらと揺れるキーホルダーの束を眺めた。翔太と朋恵の土産に買っていったら、きっと喜ぶだろう。
「オレこれ買ってくるんで、猪狩さんはあそこで待っててください」
手を離すと、猪狩はこれ幸いにと友沢から距離をとって幼い仕草で顎を引いた。心底ホッとしているその様子は若干心外ですらある。そんなにオレと手を繋ぐのが嫌なんですかと子供じみた小言のひとつやふたつは漏れてしまいそうだ。もちろん、猪狩がそのような態度をとる理由は分かっているし、そんなことを言うほど友沢は子供ではない。
猪狩が背を向けたのを確認してから、友沢は目当ての土産と手元のそれを一緒に取って会計へと向かった。
「お待たせしました」
「なにを買ったんだい」
「翔太と朋恵にちょっと土産を」
「ふうん」
「あんたには、こっち」
ふたつある袋のうちひとつを猪狩の手に握らせた。首をかしげながらも、猪狩は早速袋の中からそれを取り出す。中から出てきたのはぬいぐるみだった。
「なんだい、これ」
「見れば分かるでしょ、ペンギンのぬいぐるみです」
「これをボクに?」
「だって、あんたペンギン好きでしょ」
べつに好きじゃないよ、などとのたまっているが、嬉しそうな様子は隠しきれないようで、猪狩はペンギンを掴みながらにこにこと笑った。土産物屋に入ったときから猪狩がこのぬいぐるみをちらちらと見ていること、友沢にはとっくにお見通しだった。
「でも、ふたつもあるよ。結局キミも好きなんじゃないか」
「オレの分じゃないです」
「じゃあ、誰のだい」
「進さんの分です」
猪狩はきょとんとしたまま友沢を見つめている。青く大きな瞳がくりくりと瞬いていた。これはいつ見てもきれいであると、友沢は常々思っている。透明感のある深いブルーは精一杯疑問の色をにじませていた。
「進さんもあんたと一緒でぬいぐるみとか好きそうじゃないですか」
「……」
「お土産だって言って渡して、今度はまた進さんと来たらいいですよ」
「友沢」
ぐ、と握りしめられたペンギンがへこんで、ぴいと鳴いた。思わず二人顔を見合わせる。もう一度猪狩がペンギンの腹を押すと、確かに声が鳴った。何度も何度も猪狩はペンギンを押したりひっこめたりを繰り返して、そのたびにぴいぴいとかわいらしい声でペンギンが鳴く。
「ペンギンの鳴き声ってこんなでしたっけ?」
「さあね」
笑った猪狩がかわいらしかったので、友沢は猪狩の手からペンギンを取り上げて腹を押してみた。ぴい。一度だけ鳴らして猪狩へと返す。
嬉しそうにペンギンを抱く猪狩がとてもかわいかったので、なんと言われても今日は手を繋いで帰ろうと友沢は一人で勝手に決めたのだった。
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らぶらぶですね
たまにはこういう二人もいいと思います

