こたつとみかん
主守
ボクは今、多大なる衝撃を以てしてある事柄に悩まされているのだった。
「猪狩、早く風呂入れよ」
「ああ」
ボクは返答をしながら、風呂へ行くつもりなど全くなかった。
じんわりと温かく居心地の良いこの空間からしばらく出られそうもない。
食器を片づけて洗い物をしているパワプロの背を眺めながらボクはこたつの中に身を埋めた。
急に寒くなったから、こたつ出したんだ。
そう言ってパワプロはこいつを指さした。
以前までテーブルだったそれには布団がかかっていて、横からはコードが伸びていた。
全体的にもっさりとしたそれはとても見た目が良いとは言い難く、もともと美しくないパワプロの部屋の外観をさらに野暮ったいものにしていた。ボクはあからさまに眉をひそめた。そもそもこれが一体何なのか分からなかった。
尋ねるとパワプロは、まさかこたつを知らないの?と驚いた顔でボクを見た。
この物体はこたつというらしい。ボクはこたつを見るのも聞くのもこれが初めてなのであった。
いいから入ってみろよとパワプロに言われるままボクはこたつに足を入れた。
予想外のことに中は温かく、出先で冷えてしまった足先がじんわりと温もっていく。
驚いたボクはパワプロの顔を見た。
「冬は、こたつにみかんなんだ」
そう言ったパワプロは、先ほど買ったばかりのみかんを嬉しそうに机の上に並べるのだった。
生まれて初めてこたつというものに遭遇したボクは、こたつの機能性と心地よさに驚いていた。
こんなにもっさりしているというのに、こたつとはなんと心地の良いものであろうか。
美しいボクに似合うとは到底思えないが、なかなかどうしてこの心地よさには逆らい難い。
このままだとうたた寝すらしてしまいそうだ。
いつもなら夕食を済ませてシャワーを浴びるボクであったが、こたつから出られる気配がなく困っていた。
目の前にあるみかんをひとつ掴む。
「気に入ったみたいで良かったよ」
洗い物を終えたらしいパワプロがキッチンから戻ってくる。
そのままボクの正面にくる格好でこたつの中にもぐり込んだ。
パワプロがこたつの中で足をくっつけてくる。冷たい。こいつは冬でも靴下をはかない。
「汚いからやめろ」
「汚いはないだろ…」
「キミは靴下もスリッパも履かないからね」
「まあそうだけど」
適当にパワプロの相手をしながらみかんの皮をむく。ひとつ口の中に入れると甘酸っぱいみかんの味が口いっぱいに広がった。甘くておいしい。
そんなボクを物欲しそうな顔で見ていたパワプロが口を開ける。
「いっこちょうだい」
あーんとだらしなく開けっ放しになっている口の中にみかんをひとつ放り込む。
もぐもぐと咀嚼すると、もうひとつと言った。
「自分でむけばいいだろ」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
もうひとつ、もうひとつと繰り返しているうちにみかんはあっという間になくなってしまった。
せっかくむいたのにほとんど食べられなかったことを不満に思ったボクは新しいみかんを手にとる。
「猪狩に食べさせてもらうとおいしい」
「キミの気のせいだ」
「相変わらずクールだなあ」
そう言いながらパワプロはにこにこと笑ってくる。こたつの中で足を摺り寄せてきたのでボクは払いのけるように態勢を入れ替えた。
もうひとつむいたみかんは、さっきよりも少しだけ酸っぱかった。
「さっきよりも酸っぱいな」
「へえー、オレにもひとつ」
「いやだ」
「なんで」
「自分でむけばいいだろ」
今度こそ分けてやる気のないボクは、不満そうにしているパワプロの顔を横目に次々とみかんを口の中に入れていった。酸っぱいが、これはこれでおいしい。
最後の一粒を口に入れようとすると、その腕をパワプロに掴まれた。
そのまま引き寄せられてみかんは食べられてしまった。
「確かに酸っぱいけど、これはこれでおいしいね」
ボクの腕を掴んだままパワプロは言う。そのままパワプロはボクの指を口に入れるものだから、ボクはあからさまに嫌な顔をすると抗議の声を上げた。
「もうみかんはないぞ」
「うん。でもみかんよりおいしい」
ばかなことを言ったパワプロは相変わらずばかのようにボクの指を舐めている。
指先を舐めていた舌が下りてきて付け根の方をなぞり上げる。そんな動作を何度か繰り返して、とうとうボクの人差し指はパワプロの口の中にすっぽりと覆われて食べられてしまった。
「みかんより猪狩のこと食べたくなっちゃった」
「…ばかだな、キミは」
ばかだと思っているのに、ボクは無理な態勢で顔を近づけると、そのままパワプロの唇にキスをした。
――――――――
猪狩家にはこたつがなさそうだなあと思って、こたつを知らない守さんはかわいいなあと思っていたらこんなことになりました
ボクは今、多大なる衝撃を以てしてある事柄に悩まされているのだった。
「猪狩、早く風呂入れよ」
「ああ」
ボクは返答をしながら、風呂へ行くつもりなど全くなかった。
じんわりと温かく居心地の良いこの空間からしばらく出られそうもない。
食器を片づけて洗い物をしているパワプロの背を眺めながらボクはこたつの中に身を埋めた。
急に寒くなったから、こたつ出したんだ。
そう言ってパワプロはこいつを指さした。
以前までテーブルだったそれには布団がかかっていて、横からはコードが伸びていた。
全体的にもっさりとしたそれはとても見た目が良いとは言い難く、もともと美しくないパワプロの部屋の外観をさらに野暮ったいものにしていた。ボクはあからさまに眉をひそめた。そもそもこれが一体何なのか分からなかった。
尋ねるとパワプロは、まさかこたつを知らないの?と驚いた顔でボクを見た。
この物体はこたつというらしい。ボクはこたつを見るのも聞くのもこれが初めてなのであった。
いいから入ってみろよとパワプロに言われるままボクはこたつに足を入れた。
予想外のことに中は温かく、出先で冷えてしまった足先がじんわりと温もっていく。
驚いたボクはパワプロの顔を見た。
「冬は、こたつにみかんなんだ」
そう言ったパワプロは、先ほど買ったばかりのみかんを嬉しそうに机の上に並べるのだった。
生まれて初めてこたつというものに遭遇したボクは、こたつの機能性と心地よさに驚いていた。
こんなにもっさりしているというのに、こたつとはなんと心地の良いものであろうか。
美しいボクに似合うとは到底思えないが、なかなかどうしてこの心地よさには逆らい難い。
このままだとうたた寝すらしてしまいそうだ。
いつもなら夕食を済ませてシャワーを浴びるボクであったが、こたつから出られる気配がなく困っていた。
目の前にあるみかんをひとつ掴む。
「気に入ったみたいで良かったよ」
洗い物を終えたらしいパワプロがキッチンから戻ってくる。
そのままボクの正面にくる格好でこたつの中にもぐり込んだ。
パワプロがこたつの中で足をくっつけてくる。冷たい。こいつは冬でも靴下をはかない。
「汚いからやめろ」
「汚いはないだろ…」
「キミは靴下もスリッパも履かないからね」
「まあそうだけど」
適当にパワプロの相手をしながらみかんの皮をむく。ひとつ口の中に入れると甘酸っぱいみかんの味が口いっぱいに広がった。甘くておいしい。
そんなボクを物欲しそうな顔で見ていたパワプロが口を開ける。
「いっこちょうだい」
あーんとだらしなく開けっ放しになっている口の中にみかんをひとつ放り込む。
もぐもぐと咀嚼すると、もうひとつと言った。
「自分でむけばいいだろ」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
もうひとつ、もうひとつと繰り返しているうちにみかんはあっという間になくなってしまった。
せっかくむいたのにほとんど食べられなかったことを不満に思ったボクは新しいみかんを手にとる。
「猪狩に食べさせてもらうとおいしい」
「キミの気のせいだ」
「相変わらずクールだなあ」
そう言いながらパワプロはにこにこと笑ってくる。こたつの中で足を摺り寄せてきたのでボクは払いのけるように態勢を入れ替えた。
もうひとつむいたみかんは、さっきよりも少しだけ酸っぱかった。
「さっきよりも酸っぱいな」
「へえー、オレにもひとつ」
「いやだ」
「なんで」
「自分でむけばいいだろ」
今度こそ分けてやる気のないボクは、不満そうにしているパワプロの顔を横目に次々とみかんを口の中に入れていった。酸っぱいが、これはこれでおいしい。
最後の一粒を口に入れようとすると、その腕をパワプロに掴まれた。
そのまま引き寄せられてみかんは食べられてしまった。
「確かに酸っぱいけど、これはこれでおいしいね」
ボクの腕を掴んだままパワプロは言う。そのままパワプロはボクの指を口に入れるものだから、ボクはあからさまに嫌な顔をすると抗議の声を上げた。
「もうみかんはないぞ」
「うん。でもみかんよりおいしい」
ばかなことを言ったパワプロは相変わらずばかのようにボクの指を舐めている。
指先を舐めていた舌が下りてきて付け根の方をなぞり上げる。そんな動作を何度か繰り返して、とうとうボクの人差し指はパワプロの口の中にすっぽりと覆われて食べられてしまった。
「みかんより猪狩のこと食べたくなっちゃった」
「…ばかだな、キミは」
ばかだと思っているのに、ボクは無理な態勢で顔を近づけると、そのままパワプロの唇にキスをした。
――――――――
猪狩家にはこたつがなさそうだなあと思って、こたつを知らない守さんはかわいいなあと思っていたらこんなことになりました
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人はそれをデートと呼ぶ
高校生/主守
猪狩守がクレープを食べている。
慣れない手つきで悪戦苦闘しながらもぐもぐとクレープを食む猪狩の様子はどう考えても非日常的なものであり、オレは自分の食べる手をとめて思わず猪狩の顔をじっと見つめてしまった。
そんなオレの視線に気がついた猪狩は、なんだよとでも言いたそうな顔でこちらを一瞥するも、すぐにまた意識はクレープの方へ向いてしまったようで、再びおいしそうに食べ始めた。どうやらよほど気に入ったらしい。
きっかけは部室で話していた矢部くんとの会話だった。
どうやら駅前に新しくクレープのお店が出来て女子に大人気らしい、イケボーイのオイラとしては一度偵察に行ってみるつもりでやんす!と矢部くんは息巻いていた。
パワプロくんもどうでやんすか?矢部くんに誘われてもオレはさほど惹かれなかったのだが、どうやら猪狩がこのクレープ店に興味があるらしいと気が付いてしまってからは話が別だ。
あの猪狩がこちらを見ながら珍しく何かを言いかけてやめたのだった。物言いのはっきりしている猪狩が途中で自分の言葉を引っ込めるなんてことは滅多にない。
もしかして猪狩は話題の店のクレープが食べたいのかもしれない。
オレは矢部くんに場所を尋ねて、練習終わりにこっそり猪狩へ声をかけてみた。素直じゃないこいつはみんなの前で尋ねたところでフンとはねのけるに違いないと思ったからだ。
オレの予想は的中して、話しかけると猪狩はクレープ店について興味を示してきた。
どうやら猪狩は甘いものが好きなようである。意外だ。
俄然楽しくなってきたオレは、ほんの出来心で猪狩とクレープ店に行くことを提案してみた。
またまた意外なことに返事はオーケー。「キミがどうしてもと言うのなら、仕方がないな」いつものかわいげない返答ではあったが、まさか一緒に行くことになるとは思わなくてオレは驚いた。
立ち尽くしているオレに、猪狩はいつもの調子で早く行くぞと促してくるのだった。
お店の中はがやがやして騒がしい。テーブルは程よく埋まっていて、矢部くんの情報通り周りは女の子たちばかりだ。見ていると、テイクアウトして食べながら帰る人も多いみたいだった。
二人分持ってきた水を猪狩の前に差し出すと、猪狩は素直にそれを飲んだ。上品な手つきでナプキンをとるとこれまた優雅な動作で口をふいて、再びクレープに口をつける。今しがた拭いたところだというのに、猪狩のほっぺたにはもう生クリームがついていた。なんだか面白い。
なんとなく予想していたことだったが、猪狩はこういう店へ来ることに慣れていないらしい。
店に入ってからの猪狩は珍しくそわそわきょろきょろとしていた。
オレはといえば、店内に入った途端香る甘い匂いにお腹をぐうと鳴らしていた。生地の焼ける香ばしい匂いがたまらない。オレも甘いものが大好きだ。
オレはいちばん初めに目についた「今月のオススメ!」と書かれたクレープを頼むことにした。果物がたくさん入っているのが魅力的だし、アイスクリームまで乗っかっていてとてもおいしそうだ。
猪狩はどれにするんだろう。落ち着きなさそうにそわそわしている猪狩へオレは声をかけた。
「猪狩、どれにするか決めた?」
「いちごとチョコと…バナナのがいい」
「アレ?」
「ちがう、その隣だ」
「ああ、あれね。分かった。じゃあオレが買ってくるから、お前は席とっといてくれよ」
「…」
「猪狩?」
「あ、ああ、分かった…頼んだぞ。まちがえないでくれよ」
「分かってるって」
そういうわけでいま猪狩は「イチゴとバナナのチョコレートホイップカスタード」を食しているわけだ。
アイスの冷たさに頭をキンとさせながらオレは考える。
オレの頼んだ通りテーブルを確保して大人しく座っていた猪狩の様子はかわいらしかった。戻ってきたオレの姿を見て(正確にはクレープを見て?)顔を綻ばせた猪狩にオレも笑った。
代金を、という猪狩の申し出をやんわりと退けてオレはさっそくクレープにかじりついた。誘ったのはオレの方だし、いいよこのくらい。次はお前がおごってよ。
言うと、猪狩は大きな目をくりくりさせて驚いているようだった。今日は猪狩の珍しい様子を見てばかりだ。
クレープを受け取った猪狩は小さい声で礼を言うと、そろそろと口をつけた。
ぎこちなく初々しい様子にオレの頬はどうしようもなく緩んでしまう。あの猪狩がまるで子供みたいだ。
どうやら猪狩は、嫌味な人間というよりは不器用な人間であるらしいとオレが気付いたのはつい最近のことである。
不器用というのは、例えば動作のことでもあるし人間味における部分も指す。
高飛車でデカイことばかり言うのでどうしても他人に疎まれるのだが、猪狩は自分の言葉に責任を持つし、根拠のないことを言わない。時にチームメイトに対して辛辣なことを言うのもそいつのためを思ってのことだった。ただ、不器用で人間関係を構築するのが上手くないらしく、たびたび誤解をされている。
もう少し柔和という言葉を覚えればいいのだが、いかんせん猪狩は猪狩である。
それに、どうやら嫌味を言うということは猪狩にとって元気のバロメーターでもあるようなので、自信家のこいつはやっぱりこのままでいいのかもしれない。
例え誰が誤解をしようと、オレが間違えなければそれでいいのだ。
だいたい、嫌味じゃない猪狩なんてオレの方こそ調子が出ない。
「猪狩、甘いの好きなんだな」
「ああ、まあね」
「なんか意外。他に好きなものとかある?例えばケーキとかドーナツとか」
「ボクはロールケーキが好きだな。隣町にある店のパワロールがすごく美味しいんだ」
「へえ~、オレも食べてみたい」
「休日になるとよく進と一緒に買いに行くのさ」
甘味は猪狩の口をも饒舌にするらしい。機嫌が良さそうに猪狩はにこにこしながら話してくる。
嬉しいような、なんだか調子が狂うような面映ゆい感じだ。
もっと早くに猪狩といろんな話をしてみれば良かった。これからは積極的にたくさんのことを聞いてみよう。気分屋のこいつのことだから、時と場所とタイミングを見計らいながらではあるけれど。今度は矢部くんたちと一緒に来ても楽しいだろう。
猪狩の口の端には相変わらずチョコレートソースがついていたが、言うと面倒くさそうなので放っておく。
おいしく食べているのならそれがいちばん良い。
そう思って勢いよくクレープにかぶりついたオレは、顔に生クリームがついていることを猪狩に指摘されるのだった。まるで子供みたいだな、猪狩は得意げに笑ってみせる。うるせーと言って紙ナプキンを取ろうとしたオレより先に猪狩の手元がすっと動いた。
きょとんとしていると、猪狩は適当にオレの口元をぬぐってフフンと笑っている。ものすごく機嫌が良さそうだ。なんだこれ。動揺しているのはオレだけなのか。
心臓がどうしようもなく飛び跳ねて、オレはすっかりクレープの味も分からなくなってしまった。悔しかったので、オレは目の前にあった猪狩のクレープを思い切り頬張ってやった。
猪狩が抗議の声を上げたのは言うまでもない。
オマケ
「パワプロ」
「ん、なに?」
「今日、このあと時間があるかい」
「うん、大丈夫だよ。居残り練習か?付き合うぜ」
「そうじゃなくて…」
「?」
「前に、行っただろう、一緒に」
「なんだっけ?」
「ああもう、ほんとうにキミは察しが悪いな。クレープを食べに行っただろう」
「ああ、それか。で、それがどうかした?」
「今日は、このあと暇なんだろ」
「うん。…もしかして一緒に行こうって誘ってる?」
「それ以外になにがあるんだい」
「お前から誘ってくるなんて珍しいな」
「キミに借りをつくったままなのは嫌なんでね。今日はボクのおごりだよ」
「ほんとお前って素直じゃないのな~。はは、まあいいや、行こうぜ猪狩」
「ああ」
「今日はなに食べよっかな~」
人はそれをデートと呼びます
――――――――――
ピクシブよりお引越し
放課後デートって青春ですよね~主守ですよね~
猪狩守がクレープを食べている。
慣れない手つきで悪戦苦闘しながらもぐもぐとクレープを食む猪狩の様子はどう考えても非日常的なものであり、オレは自分の食べる手をとめて思わず猪狩の顔をじっと見つめてしまった。
そんなオレの視線に気がついた猪狩は、なんだよとでも言いたそうな顔でこちらを一瞥するも、すぐにまた意識はクレープの方へ向いてしまったようで、再びおいしそうに食べ始めた。どうやらよほど気に入ったらしい。
きっかけは部室で話していた矢部くんとの会話だった。
どうやら駅前に新しくクレープのお店が出来て女子に大人気らしい、イケボーイのオイラとしては一度偵察に行ってみるつもりでやんす!と矢部くんは息巻いていた。
パワプロくんもどうでやんすか?矢部くんに誘われてもオレはさほど惹かれなかったのだが、どうやら猪狩がこのクレープ店に興味があるらしいと気が付いてしまってからは話が別だ。
あの猪狩がこちらを見ながら珍しく何かを言いかけてやめたのだった。物言いのはっきりしている猪狩が途中で自分の言葉を引っ込めるなんてことは滅多にない。
もしかして猪狩は話題の店のクレープが食べたいのかもしれない。
オレは矢部くんに場所を尋ねて、練習終わりにこっそり猪狩へ声をかけてみた。素直じゃないこいつはみんなの前で尋ねたところでフンとはねのけるに違いないと思ったからだ。
オレの予想は的中して、話しかけると猪狩はクレープ店について興味を示してきた。
どうやら猪狩は甘いものが好きなようである。意外だ。
俄然楽しくなってきたオレは、ほんの出来心で猪狩とクレープ店に行くことを提案してみた。
またまた意外なことに返事はオーケー。「キミがどうしてもと言うのなら、仕方がないな」いつものかわいげない返答ではあったが、まさか一緒に行くことになるとは思わなくてオレは驚いた。
立ち尽くしているオレに、猪狩はいつもの調子で早く行くぞと促してくるのだった。
お店の中はがやがやして騒がしい。テーブルは程よく埋まっていて、矢部くんの情報通り周りは女の子たちばかりだ。見ていると、テイクアウトして食べながら帰る人も多いみたいだった。
二人分持ってきた水を猪狩の前に差し出すと、猪狩は素直にそれを飲んだ。上品な手つきでナプキンをとるとこれまた優雅な動作で口をふいて、再びクレープに口をつける。今しがた拭いたところだというのに、猪狩のほっぺたにはもう生クリームがついていた。なんだか面白い。
なんとなく予想していたことだったが、猪狩はこういう店へ来ることに慣れていないらしい。
店に入ってからの猪狩は珍しくそわそわきょろきょろとしていた。
オレはといえば、店内に入った途端香る甘い匂いにお腹をぐうと鳴らしていた。生地の焼ける香ばしい匂いがたまらない。オレも甘いものが大好きだ。
オレはいちばん初めに目についた「今月のオススメ!」と書かれたクレープを頼むことにした。果物がたくさん入っているのが魅力的だし、アイスクリームまで乗っかっていてとてもおいしそうだ。
猪狩はどれにするんだろう。落ち着きなさそうにそわそわしている猪狩へオレは声をかけた。
「猪狩、どれにするか決めた?」
「いちごとチョコと…バナナのがいい」
「アレ?」
「ちがう、その隣だ」
「ああ、あれね。分かった。じゃあオレが買ってくるから、お前は席とっといてくれよ」
「…」
「猪狩?」
「あ、ああ、分かった…頼んだぞ。まちがえないでくれよ」
「分かってるって」
そういうわけでいま猪狩は「イチゴとバナナのチョコレートホイップカスタード」を食しているわけだ。
アイスの冷たさに頭をキンとさせながらオレは考える。
オレの頼んだ通りテーブルを確保して大人しく座っていた猪狩の様子はかわいらしかった。戻ってきたオレの姿を見て(正確にはクレープを見て?)顔を綻ばせた猪狩にオレも笑った。
代金を、という猪狩の申し出をやんわりと退けてオレはさっそくクレープにかじりついた。誘ったのはオレの方だし、いいよこのくらい。次はお前がおごってよ。
言うと、猪狩は大きな目をくりくりさせて驚いているようだった。今日は猪狩の珍しい様子を見てばかりだ。
クレープを受け取った猪狩は小さい声で礼を言うと、そろそろと口をつけた。
ぎこちなく初々しい様子にオレの頬はどうしようもなく緩んでしまう。あの猪狩がまるで子供みたいだ。
どうやら猪狩は、嫌味な人間というよりは不器用な人間であるらしいとオレが気付いたのはつい最近のことである。
不器用というのは、例えば動作のことでもあるし人間味における部分も指す。
高飛車でデカイことばかり言うのでどうしても他人に疎まれるのだが、猪狩は自分の言葉に責任を持つし、根拠のないことを言わない。時にチームメイトに対して辛辣なことを言うのもそいつのためを思ってのことだった。ただ、不器用で人間関係を構築するのが上手くないらしく、たびたび誤解をされている。
もう少し柔和という言葉を覚えればいいのだが、いかんせん猪狩は猪狩である。
それに、どうやら嫌味を言うということは猪狩にとって元気のバロメーターでもあるようなので、自信家のこいつはやっぱりこのままでいいのかもしれない。
例え誰が誤解をしようと、オレが間違えなければそれでいいのだ。
だいたい、嫌味じゃない猪狩なんてオレの方こそ調子が出ない。
「猪狩、甘いの好きなんだな」
「ああ、まあね」
「なんか意外。他に好きなものとかある?例えばケーキとかドーナツとか」
「ボクはロールケーキが好きだな。隣町にある店のパワロールがすごく美味しいんだ」
「へえ~、オレも食べてみたい」
「休日になるとよく進と一緒に買いに行くのさ」
甘味は猪狩の口をも饒舌にするらしい。機嫌が良さそうに猪狩はにこにこしながら話してくる。
嬉しいような、なんだか調子が狂うような面映ゆい感じだ。
もっと早くに猪狩といろんな話をしてみれば良かった。これからは積極的にたくさんのことを聞いてみよう。気分屋のこいつのことだから、時と場所とタイミングを見計らいながらではあるけれど。今度は矢部くんたちと一緒に来ても楽しいだろう。
猪狩の口の端には相変わらずチョコレートソースがついていたが、言うと面倒くさそうなので放っておく。
おいしく食べているのならそれがいちばん良い。
そう思って勢いよくクレープにかぶりついたオレは、顔に生クリームがついていることを猪狩に指摘されるのだった。まるで子供みたいだな、猪狩は得意げに笑ってみせる。うるせーと言って紙ナプキンを取ろうとしたオレより先に猪狩の手元がすっと動いた。
きょとんとしていると、猪狩は適当にオレの口元をぬぐってフフンと笑っている。ものすごく機嫌が良さそうだ。なんだこれ。動揺しているのはオレだけなのか。
心臓がどうしようもなく飛び跳ねて、オレはすっかりクレープの味も分からなくなってしまった。悔しかったので、オレは目の前にあった猪狩のクレープを思い切り頬張ってやった。
猪狩が抗議の声を上げたのは言うまでもない。
オマケ
「パワプロ」
「ん、なに?」
「今日、このあと時間があるかい」
「うん、大丈夫だよ。居残り練習か?付き合うぜ」
「そうじゃなくて…」
「?」
「前に、行っただろう、一緒に」
「なんだっけ?」
「ああもう、ほんとうにキミは察しが悪いな。クレープを食べに行っただろう」
「ああ、それか。で、それがどうかした?」
「今日は、このあと暇なんだろ」
「うん。…もしかして一緒に行こうって誘ってる?」
「それ以外になにがあるんだい」
「お前から誘ってくるなんて珍しいな」
「キミに借りをつくったままなのは嫌なんでね。今日はボクのおごりだよ」
「ほんとお前って素直じゃないのな~。はは、まあいいや、行こうぜ猪狩」
「ああ」
「今日はなに食べよっかな~」
人はそれをデートと呼びます
――――――――――
ピクシブよりお引越し
放課後デートって青春ですよね~主守ですよね~
だからさよなら
猪狩兄弟の話/プロ入り後の主人公と猪狩
「ボクは、もしかしたらずっと間違っていたのかもしれない」
手の中でグラスを弄びながら言った猪狩は、そのまま一気に中身を飲み干してしまった。ごくごくと喉が鳴って、ビールは猪狩の腹の中に溜まっていく。
ふう、大きく息をついた猪狩が新しいアルコールをグラスへと注ぐ。ぎりぎりのところで留まった泡が頼りなく揺れていた。
二人して黙ったままグラスを傾けるだけの時間が続く。
猪狩守がオレのマンションへやってきたのは半刻ほど前のことだ。
見たいテレビもないのでそろそろ寝ようかと思ったところへインターホンが鳴ったのだった。
誰だよ、こんな時間に…すでにベッドへと横になっていたオレはしつこいインターホンの呼び出しに根負けしてしぶしぶと起き上がった。
こんな時間にやってくる人間は一体誰だろうと訝りながらインターホンの画面をのぞくと、なんとそこには猪狩の姿があるではないか。オレは驚いて、すぐに扉を開けた。
「猪狩!どうしたんだよ、こんな時間に。しかも突然」
「失礼するよ」
オレの質問には答えずに猪狩は靴を脱ぐとさっさと部屋へと上がりこんでしまうのだった。
こんなときでも脱いだ靴を律儀に揃えていくのがいかにも猪狩らしい。キレイな靴をぼんやりと眺めてからオレは急いで猪狩の背中を追う。
その手には大きなビニール袋が下げられていた。
「その格好を見ると、もう寝ていたのかい?」
「いや、寝てはなかったけど。それにしてもどうしたんだよ猪狩。なんかあったのか?」
オレの質問には答えずに、猪狩は下げていたビニール袋を下ろして、自身もどっかと腰を下ろした。
猪狩の部屋とは違ってオレの狭い部屋にはソファなんてないから、カーペットの上にそのまま胡坐をかく。
猪狩にしてはぞんざいな動きである。
黙って見ていると、今度はビニール袋の中身をがさがさと取り出し始めた。大きな袋の中から出てきたのは、大量の缶ビールとつまみの数々だった。
「パワプロ、突っ立ってないでグラスを出してくれ」
「なんだよ、今から飲むのか?お前が自分から酒を飲みたがるなんて珍しいな」
「たまにはね。そういう気分なんだ」
ビールとつまみを机に並べている猪狩を横目で見ながらオレは黙ってグラスを取りに行くことにした。猪狩の目が少しだけ赤く腫れているのを見てしまったからだった。
こんな時間に猪狩が自分のマンションへ訪ねてくること、苦手なアルコールを飲もうとしていること、コンビニの安い酒とつまみを持参してきたこと、そのすべてが猪狩らしくないのは言うまでもない。
オレはグラスと皿を持って猪狩の真正面に腰を下ろしたのだが、猪狩はさして気にした風でもなく、手渡されたグラスにさっそくビールを注ぎ始めた。とっとっと、注がれた小麦色の液体を猪狩は一口だけ飲んでこちらを向いた。
「たくさん買ってきたから、キミも飲むといいよ」
「てか、買いすぎだろ。ぬるくなるから、残りは冷蔵庫入れとくぞ」
猪狩は黙ってビールを傾けている。残りの酒を冷蔵庫に入れて戻ると、猪狩はスルメをかじっているところだった。
こういうのも意外とおいしいものなんだな、独り言のように言った猪狩はさらに新しいつまみの袋を開けていった。
その様子を見ながらオレもビールの蓋を開けて口をつける。猪狩のようにわざわざグラスへ注ぐことはしない。一気に半分ほど飲み干してぷはっと息をつく。ビールはいつ飲んだって美味いものだ。猪狩がそう思っているのかどうかは分からない。こいつはアルコールが苦手のはずだった。
「進が、来年プロ入りする」
「え、進くんが!良かったなあ」
猪狩はそれだけを言うとまた黙ってしまった。スルメをかじりながらちびりちびりとビールを舐めるばかりである。猪狩とスルメ、似合わない組み合わせだ。
オレは猪狩の買ってきたつまみを勝手に開けて食べ始めたが、猪狩は何も言わなかった。
チーズ鱈をもぐもぐと咀嚼しながらオレはあっという間にビールを一缶開けてしまった。先ほど自分がしまったばかりのビールを冷蔵庫から取り出すために席を立つ。猪狩はそんなオレの様子をぼんやりと眺めながらやっぱりスルメをかじっていた。気に入ったんだろうか。惰性で口に入れているだけのような気もする。
席を立ったついでに、オレは冷凍の枝豆を取り出した。確か猪狩は枝豆が好きだったはずだ。飲み屋に行ってもほとんど飲まない猪狩は枝豆ばかりつまんでいたような気がする。安物の冷凍枝豆が口に合うかどうかは知らないが、適当に湯で流して皿に盛る。まだ半分くらい凍っているだろうがまあいいだろう。
「良かったら食えよ」
机の上に置くと猪狩はさっそく枝豆をつまみ出した。もぐもぐと黙って食べている様子は珍しくかわいかったが、少々不気味でもある(いつもだったらまだ凍っているだの塩気が薄いだのいろいろとうるさい)。
出された枝豆が半分ほどなくなった頃、猪狩はぽつりと言葉を零した。顔が赤い。
「ボクは、もしかしたらずっと間違っていたのかもしれない」
唐突な言葉の意味をオレは理解することができなかった。そもそも独り言のような気もする。
それきり猪狩も黙ってしまったものだから、オレも静かにビールを開けた。ビールはあっという間に空になってしまって、オレはそのたびに何度も腰を上げなければならないのだった。
何本の缶ビールが空いたことだろう、その頃には猪狩は耳まで真っ赤に染め上げて情けない顔をしていた。いつもの嫌味で高飛車な猪狩はどこにいってしまったのだろう。
凛々しい眉がへにょんと垂れているのをみて、オレは不覚にも動揺した。明らかに飲みすぎだ。
「猪狩、もうその辺でやめとけよ。お前もともと酒強くないだろ」
「うるさいな。このくらいどうってことないよ」
「鏡で自分の顔を見てから言えよ。今のお前すっごい情けない顔してるぞ。天才猪狩守の名が泣くぞ」
猪狩は返事をしない。酒がまわってふらふらしているようだった。完全につぶれている。
とうとう机に突っ伏してしまった猪狩を軽くさすりながらオレは声をかけた。
「おい、猪狩大丈夫か」
「すすむが、ボクのことをきらいだっていうんだ」
「なんだって?」
「すすむはボクのことがきらいだそうだよ」
要領の得ないことを言う猪狩にオレの声は届いていないようだった。もごもごと聞き取りにくい声量で猪狩の独り言は続いた。
「“僕は兄さんのことがずっと嫌いでした。プロ入りをして、僕は変わります。もう、兄さんの後ろをついていく僕ではありません”そうやっていうんだ」
「ほんとに進くんがそんなこと言ったのか?」
「ボクのかおをまっすぐみながらいったよ。あんなすすむははじめてみた」
「進くんどうしたんだろう…」
「さすがのボクもこたえたな」
そう言うと猪狩はとろんとした瞼を完全に下してしまった。ベッドへ行くように促すといやいやをするように頭を振っていやがった。
「ボクは、もしかしたらずっとまちがっていたのかもしれない」
先程と同じ言葉を繰り返した猪狩は、少しだけ起き上がってそれきりまた力なく机へ倒れ込んでしまった。
そんなことないだろう、なあ猪狩、舌先まで出かかったオレの言葉は声になることなく胃の中のビールと一緒に腹の中へ溜まっていく。猪狩の目に涙を見たからだった。目じりからほろほろと流れるそれにオレは何も言葉が出てこなかった。
掌で適当に涙をぬぐってやってから、完全に寝入ってしまった猪狩を運ぶためにオレは立ち上がった。
いくら毎日鍛えているとはいえ、同じように鍛え上げられている成人男性を一人でベッドまで運ぶのは骨が折れた。力の抜けた人間というのはこんなにも重いものなのか。以前にも酔っぱらった猪狩を自宅まで送り届けたことがあったが、あのときの猪狩はまだ意識があった。
ベッドへ猪狩を横たえ布団をかける。その間猪狩は全く起きなかった。ぐっすりというよりはぐったりとした様子で眠っている。この様子では明日は二日酔いかもしれない。
あの天才猪狩が二日酔い、らしくない。少しだけくすっと笑ってしまってから、眠る猪狩を見てオレは顔をひきしめた。
彼ら兄弟の間で何があったのかは知らない。オレはずっと、仲の良い兄弟だと思っていた。そして、実際そうだったのだろう。あの猪狩が弟の進くんについて話すときはいつも誇らしげに目をキラキラさせている様子をオレは何度も見ていたし、高校時代にバッテリーを組んでいた彼らは確かに最高のパートナーだった。
あのとき兄さんを尊敬していますと言った進くんの言葉は、きっと嘘ではないんだろう。
ただ、それだけではなかったのかもしれない。こうして思い返してみれば、進くんは猪狩の弟として見られていることが多かったような気がするし、どうしても言動が派手な兄の猪狩の方が目立っていた。
進くんはどうして今になって猪狩にあんなことを言ったのだろう。そう考えると、オレや猪狩にとっては「突然」の話であっても、進くんからすればたぶんそうではなかったんだろう。ずっと思っていたことを、今回たまたま吐き出しただけにちがいない。
そうだとすれば、彼らの間に横たわる問題は、一朝一夕のものではない。そしてそれは、猪狩もうすうす分かっているのではないだろうか。猪狩はばかじゃない。それでも、猪狩は猪狩なりに弟を慈しんできたのだろう。猪狩が家族をとても大切にすることをオレは知っていた。
進くんがどういうつもりで、どういう気持ちで猪狩にあのようなことを言ったのかオレには分からない。
ただ、彼らは、そろそろ兄弟離れをする時期がきたのかもしれないと思った。
猪狩は猪狩、進くんは進くんで歩き出す時がきたのだ。なあ猪狩、お前も本当は分かっているんだろ。進くんの言動は、そのための一歩だった。あのように言わなければその一歩を踏み出せなかった進くんの気持ちはオレには計り知れなかったけれど、それでも、彼ら兄弟が今までとは違う形で道を歩んでいくための大きな一歩だったのだろう。
だから猪狩、しばらくの間はさよならをするんだよ。
お前は悲しむかもしれないけど、たぶんそういう時期がきてしまったんだ。お前って、オレの予想以上にブラコンだったんだな。オレですらそう思うんだから、進くんにそれが伝わっていないはずがないよ。だから、大丈夫。
明日起きたら、二日酔いを訴えるお前を引っ張って河原へ行こう。
キャッチボールももちろんいいし、久しぶりに勝負するのもいいな。
お前の全力ストレート、見えないところまでかっ飛ばしてやる。
だから、今はもう少しだけ眠っていていいよ。
―――――――――――
ピクシブよりお引越し
時系列無視、完全妄想ですがこれも意外と気に入ってます
「ボクは、もしかしたらずっと間違っていたのかもしれない」
手の中でグラスを弄びながら言った猪狩は、そのまま一気に中身を飲み干してしまった。ごくごくと喉が鳴って、ビールは猪狩の腹の中に溜まっていく。
ふう、大きく息をついた猪狩が新しいアルコールをグラスへと注ぐ。ぎりぎりのところで留まった泡が頼りなく揺れていた。
二人して黙ったままグラスを傾けるだけの時間が続く。
猪狩守がオレのマンションへやってきたのは半刻ほど前のことだ。
見たいテレビもないのでそろそろ寝ようかと思ったところへインターホンが鳴ったのだった。
誰だよ、こんな時間に…すでにベッドへと横になっていたオレはしつこいインターホンの呼び出しに根負けしてしぶしぶと起き上がった。
こんな時間にやってくる人間は一体誰だろうと訝りながらインターホンの画面をのぞくと、なんとそこには猪狩の姿があるではないか。オレは驚いて、すぐに扉を開けた。
「猪狩!どうしたんだよ、こんな時間に。しかも突然」
「失礼するよ」
オレの質問には答えずに猪狩は靴を脱ぐとさっさと部屋へと上がりこんでしまうのだった。
こんなときでも脱いだ靴を律儀に揃えていくのがいかにも猪狩らしい。キレイな靴をぼんやりと眺めてからオレは急いで猪狩の背中を追う。
その手には大きなビニール袋が下げられていた。
「その格好を見ると、もう寝ていたのかい?」
「いや、寝てはなかったけど。それにしてもどうしたんだよ猪狩。なんかあったのか?」
オレの質問には答えずに、猪狩は下げていたビニール袋を下ろして、自身もどっかと腰を下ろした。
猪狩の部屋とは違ってオレの狭い部屋にはソファなんてないから、カーペットの上にそのまま胡坐をかく。
猪狩にしてはぞんざいな動きである。
黙って見ていると、今度はビニール袋の中身をがさがさと取り出し始めた。大きな袋の中から出てきたのは、大量の缶ビールとつまみの数々だった。
「パワプロ、突っ立ってないでグラスを出してくれ」
「なんだよ、今から飲むのか?お前が自分から酒を飲みたがるなんて珍しいな」
「たまにはね。そういう気分なんだ」
ビールとつまみを机に並べている猪狩を横目で見ながらオレは黙ってグラスを取りに行くことにした。猪狩の目が少しだけ赤く腫れているのを見てしまったからだった。
こんな時間に猪狩が自分のマンションへ訪ねてくること、苦手なアルコールを飲もうとしていること、コンビニの安い酒とつまみを持参してきたこと、そのすべてが猪狩らしくないのは言うまでもない。
オレはグラスと皿を持って猪狩の真正面に腰を下ろしたのだが、猪狩はさして気にした風でもなく、手渡されたグラスにさっそくビールを注ぎ始めた。とっとっと、注がれた小麦色の液体を猪狩は一口だけ飲んでこちらを向いた。
「たくさん買ってきたから、キミも飲むといいよ」
「てか、買いすぎだろ。ぬるくなるから、残りは冷蔵庫入れとくぞ」
猪狩は黙ってビールを傾けている。残りの酒を冷蔵庫に入れて戻ると、猪狩はスルメをかじっているところだった。
こういうのも意外とおいしいものなんだな、独り言のように言った猪狩はさらに新しいつまみの袋を開けていった。
その様子を見ながらオレもビールの蓋を開けて口をつける。猪狩のようにわざわざグラスへ注ぐことはしない。一気に半分ほど飲み干してぷはっと息をつく。ビールはいつ飲んだって美味いものだ。猪狩がそう思っているのかどうかは分からない。こいつはアルコールが苦手のはずだった。
「進が、来年プロ入りする」
「え、進くんが!良かったなあ」
猪狩はそれだけを言うとまた黙ってしまった。スルメをかじりながらちびりちびりとビールを舐めるばかりである。猪狩とスルメ、似合わない組み合わせだ。
オレは猪狩の買ってきたつまみを勝手に開けて食べ始めたが、猪狩は何も言わなかった。
チーズ鱈をもぐもぐと咀嚼しながらオレはあっという間にビールを一缶開けてしまった。先ほど自分がしまったばかりのビールを冷蔵庫から取り出すために席を立つ。猪狩はそんなオレの様子をぼんやりと眺めながらやっぱりスルメをかじっていた。気に入ったんだろうか。惰性で口に入れているだけのような気もする。
席を立ったついでに、オレは冷凍の枝豆を取り出した。確か猪狩は枝豆が好きだったはずだ。飲み屋に行ってもほとんど飲まない猪狩は枝豆ばかりつまんでいたような気がする。安物の冷凍枝豆が口に合うかどうかは知らないが、適当に湯で流して皿に盛る。まだ半分くらい凍っているだろうがまあいいだろう。
「良かったら食えよ」
机の上に置くと猪狩はさっそく枝豆をつまみ出した。もぐもぐと黙って食べている様子は珍しくかわいかったが、少々不気味でもある(いつもだったらまだ凍っているだの塩気が薄いだのいろいろとうるさい)。
出された枝豆が半分ほどなくなった頃、猪狩はぽつりと言葉を零した。顔が赤い。
「ボクは、もしかしたらずっと間違っていたのかもしれない」
唐突な言葉の意味をオレは理解することができなかった。そもそも独り言のような気もする。
それきり猪狩も黙ってしまったものだから、オレも静かにビールを開けた。ビールはあっという間に空になってしまって、オレはそのたびに何度も腰を上げなければならないのだった。
何本の缶ビールが空いたことだろう、その頃には猪狩は耳まで真っ赤に染め上げて情けない顔をしていた。いつもの嫌味で高飛車な猪狩はどこにいってしまったのだろう。
凛々しい眉がへにょんと垂れているのをみて、オレは不覚にも動揺した。明らかに飲みすぎだ。
「猪狩、もうその辺でやめとけよ。お前もともと酒強くないだろ」
「うるさいな。このくらいどうってことないよ」
「鏡で自分の顔を見てから言えよ。今のお前すっごい情けない顔してるぞ。天才猪狩守の名が泣くぞ」
猪狩は返事をしない。酒がまわってふらふらしているようだった。完全につぶれている。
とうとう机に突っ伏してしまった猪狩を軽くさすりながらオレは声をかけた。
「おい、猪狩大丈夫か」
「すすむが、ボクのことをきらいだっていうんだ」
「なんだって?」
「すすむはボクのことがきらいだそうだよ」
要領の得ないことを言う猪狩にオレの声は届いていないようだった。もごもごと聞き取りにくい声量で猪狩の独り言は続いた。
「“僕は兄さんのことがずっと嫌いでした。プロ入りをして、僕は変わります。もう、兄さんの後ろをついていく僕ではありません”そうやっていうんだ」
「ほんとに進くんがそんなこと言ったのか?」
「ボクのかおをまっすぐみながらいったよ。あんなすすむははじめてみた」
「進くんどうしたんだろう…」
「さすがのボクもこたえたな」
そう言うと猪狩はとろんとした瞼を完全に下してしまった。ベッドへ行くように促すといやいやをするように頭を振っていやがった。
「ボクは、もしかしたらずっとまちがっていたのかもしれない」
先程と同じ言葉を繰り返した猪狩は、少しだけ起き上がってそれきりまた力なく机へ倒れ込んでしまった。
そんなことないだろう、なあ猪狩、舌先まで出かかったオレの言葉は声になることなく胃の中のビールと一緒に腹の中へ溜まっていく。猪狩の目に涙を見たからだった。目じりからほろほろと流れるそれにオレは何も言葉が出てこなかった。
掌で適当に涙をぬぐってやってから、完全に寝入ってしまった猪狩を運ぶためにオレは立ち上がった。
いくら毎日鍛えているとはいえ、同じように鍛え上げられている成人男性を一人でベッドまで運ぶのは骨が折れた。力の抜けた人間というのはこんなにも重いものなのか。以前にも酔っぱらった猪狩を自宅まで送り届けたことがあったが、あのときの猪狩はまだ意識があった。
ベッドへ猪狩を横たえ布団をかける。その間猪狩は全く起きなかった。ぐっすりというよりはぐったりとした様子で眠っている。この様子では明日は二日酔いかもしれない。
あの天才猪狩が二日酔い、らしくない。少しだけくすっと笑ってしまってから、眠る猪狩を見てオレは顔をひきしめた。
彼ら兄弟の間で何があったのかは知らない。オレはずっと、仲の良い兄弟だと思っていた。そして、実際そうだったのだろう。あの猪狩が弟の進くんについて話すときはいつも誇らしげに目をキラキラさせている様子をオレは何度も見ていたし、高校時代にバッテリーを組んでいた彼らは確かに最高のパートナーだった。
あのとき兄さんを尊敬していますと言った進くんの言葉は、きっと嘘ではないんだろう。
ただ、それだけではなかったのかもしれない。こうして思い返してみれば、進くんは猪狩の弟として見られていることが多かったような気がするし、どうしても言動が派手な兄の猪狩の方が目立っていた。
進くんはどうして今になって猪狩にあんなことを言ったのだろう。そう考えると、オレや猪狩にとっては「突然」の話であっても、進くんからすればたぶんそうではなかったんだろう。ずっと思っていたことを、今回たまたま吐き出しただけにちがいない。
そうだとすれば、彼らの間に横たわる問題は、一朝一夕のものではない。そしてそれは、猪狩もうすうす分かっているのではないだろうか。猪狩はばかじゃない。それでも、猪狩は猪狩なりに弟を慈しんできたのだろう。猪狩が家族をとても大切にすることをオレは知っていた。
進くんがどういうつもりで、どういう気持ちで猪狩にあのようなことを言ったのかオレには分からない。
ただ、彼らは、そろそろ兄弟離れをする時期がきたのかもしれないと思った。
猪狩は猪狩、進くんは進くんで歩き出す時がきたのだ。なあ猪狩、お前も本当は分かっているんだろ。進くんの言動は、そのための一歩だった。あのように言わなければその一歩を踏み出せなかった進くんの気持ちはオレには計り知れなかったけれど、それでも、彼ら兄弟が今までとは違う形で道を歩んでいくための大きな一歩だったのだろう。
だから猪狩、しばらくの間はさよならをするんだよ。
お前は悲しむかもしれないけど、たぶんそういう時期がきてしまったんだ。お前って、オレの予想以上にブラコンだったんだな。オレですらそう思うんだから、進くんにそれが伝わっていないはずがないよ。だから、大丈夫。
明日起きたら、二日酔いを訴えるお前を引っ張って河原へ行こう。
キャッチボールももちろんいいし、久しぶりに勝負するのもいいな。
お前の全力ストレート、見えないところまでかっ飛ばしてやる。
だから、今はもう少しだけ眠っていていいよ。
―――――――――――
ピクシブよりお引越し
時系列無視、完全妄想ですがこれも意外と気に入ってます
ワンサイドゲーム
高校生/主守
「好きなんだ、猪狩」
言おうか、どうしようか、やめようか、ああでもそんなことを考えて今日で一体何日目になるのだろう、オレの意気地なし、しかしそれにしても今日の猪狩も格好良かった、絶対口に出して言わないけれど野球をしているときの猪狩はしなやかで美しくて他の誰よりも格好良い、こいつと野球ができるオレは幸せ者だ、オレは絶対に猪狩と甲子園の土を踏む、自信家のこいつは優勝しか目に映っていないようだけれど、ああでもそういうところも好きなんだオレは。
そんなことを考えていたらつい口から零れ落ちてしまったらしい。ちなみに言おうと思っていた言葉とは全く別ものである(今日も絶好調だったなとかなんかそんな感じの賛辞を言おうとしていたはずなのだオレは)。
突然の告白を聞かされた猪狩はぽかんとしていたが、そんなのオレの方が驚いているのだから勘弁してほしい。大きな目をぱちぱちと瞬きさせて言葉を失っている猪狩の様子はとても珍しかった。
実を言うと、オレと猪狩の仲はあまりよろしくない。顔を突き合わせれば喧嘩ばかり、猪狩がオレにかける言葉は嫌味と挑発ばかりだったし、オレもその挑発に甘んじて乗っていたものだから、一緒にいる時はやれ勝負だ今日こそ決着をつけるのだと騒がしい。
むろん、オレも猪狩も互いの実力を認めているからこその行為ではあるが(たぶん。そうだと思いたい)、普通の友人関係とはやっぱり違っているような気がする。
勝負や喧嘩ばかりだったがオレは猪狩のことが好きだったし、誰よりも認めていた。デカイ口を叩く分だけ、それ以上に猪狩が努力することをオレは知っていた。尊敬もしていた。そんなこいつが周りになかなか理解されない現状も知っている。
猪狩は自分で自分のことを天才だ天才だと称するものだから、周りも本当にそうなのだと思い込んでしまっている。猪狩守は天才だから仕方ないのだと、当然なのだと。もちろんそんなことはないのだけど。
そんな猪狩とオレだから、相手を褒める言葉というのは普段めったにでてこない。猪狩はいわゆるツンデレというやつだったし、オレはオレで猪狩の前ではやたら強がったり恥ずかしがったりしてしまうことを自覚していたから、面と向かって褒めたためしがない。
だけど、今日の紅白試合の時に見せた猪狩のストレートがいつも以上に素晴らしかったから。思わず目を奪われてしまったから。とてつもない何かを感じたから。オレは、今日こそ素直に声をかけようと密かに決心していたのだ。
猪狩とオレはだいたいいつも最後まで居残り練習をしている。帰り支度をする頃、部室で二人きりになるのは往々にしてあることだった。
だから、オレは今日こそ猪狩に声をかけるつもりでいた。「絶好調だな、すごいな、今日のストレートどうしたんだよ」そんな感じの言葉をさらっと言うつもりだったのだ。
なのに。オレの口から出たのはあろうことかあんな言葉だったわけだ。
「キミはほんとうにばかだね」
ドキドキしながら突っ立っているオレに対して猪狩はそう言った。確かに言った。
オレの方を一瞥して、自分の荷物を片付けながらそのように言ったのだった。その横顔はいつもの自信満々のふてぶてしい笑みを浮かべていて、口角はしっかりと上がっていた。
オレはすっかり言葉を失ってしまって立ち尽くしていた。そんなオレを尻目に猪狩はどんどんと帰り支度を進めていく。ジッと鞄のチャックが閉められて、猪狩の目がこちらに向く。
「帰らないのかい」、猪狩の透き通るような青い目が問いかけてくる。ああ、帰るよ、帰るとも。オレはいつの間にか握りしめていたタオルを鞄の中に放り込んで、その辺にあるもの全部を鞄に詰めてチャックを閉めた。のそのそと扉へ向かうオレの後ろを猪狩がついてくる。オレは黙って部室を出てやっぱり黙って歩き出した。後ろでガチャリと鍵を回す音が聞こえる。
「パワプロ」
猪狩に呼び掛けられる。今日初めて名前を呼ばれたような気がする。だけどオレの足は止まらなかった。もう一度呼び掛けられる。
歩みを止めないオレに焦れた猪狩は小走りでやってきてオレの横にならんだ。覗き込むように顔を見るその様子が気に入らない。オレは猪狩のことをすっかり無視して、ほとんど駆け出すような早さで歩いていた。
「そんなの、初めから知っていたよ」
すぐ近くで猪狩の声が聞こえたと思って驚いたら、猪狩がオレのユニフォームの裾を引っ張っているのだった。そのままオレの前に立ちはだかった猪狩はなんだか難しい顔をしている。
なんだ、どうした、驚いている間にも猪狩との距離はどんどん近くなって、ついにオレと猪狩のシルエットはひとつになってしまった。外灯に照らされた猪狩の影が動く。オレはといえば身動き一つとれずに猪狩の一挙一動に目を奪われていた。
「なんて顔をしているんだい」
呆れた顔をした猪狩がもう一度近づいてくる。そしてもう一度唇に触れた。
今度はちゃんと分かった、オレは猪狩にキスされている。
「な、なんで、なにいきなり猪狩お前」
舌をもつれさせながらそれだけを言うと、猪狩はいつもの顔でフフンと笑って歩き出してしまった。今度はオレが追いかける番である。早足で歩く猪狩の背中を必死に追いかける。
「そんなことを聞くなんて、キミは本当に野暮だね。だからボクみたいにモテないんだよ」
「だって、ちょっと待てよ、なんなんだ一体」
焦れたオレは猪狩の右腕を半ば乱暴に掴んで振り向かせた。左腕は触らない。こんな時でもオレというやつは結構しっかりしている。少しだけ顔をしかめてみせた猪狩が言う。
「まさかキミはキスも知らないのか?」
「そんなわけないだろ!だから、なんでお前がオレにキスするのかって聞いてるんだよ!」
「ボクはキミの言葉に返事をしただけだ」
つんとそっぽを向いてしまった猪狩の顔をまじまじと眺める。耳まで真っ赤だった。そんな猪狩につられるようにオレの顔もぽぽぽっと染まってしまったに違いない。顔が熱い。熱くて熱くてたまらない。
「猪狩」
「なんだよ」
「オレもお前に返事をするから、目を瞑って」
猪狩の返事は待たない。直前に見えた猪狩の青い目がやたらと脳裏にちらついた。キスの仕方なんて知らないオレは、固く目をつぶって猪狩の口に自分の口をくっつけた。お世辞にも上手いとはいえないお粗末なキスだ。
それでも、唇を離した猪狩が確かに笑ったのを見留めて、オレは腕の中で猪狩を思い切り抱きしめた。猪狩の腕がオレの背に回るまで、さほど時間はかからなかった。
―――――――――
ピクシブよりお引越し
わりと気に入っています。私の中にあるいかにも主守らしい主守
「好きなんだ、猪狩」
言おうか、どうしようか、やめようか、ああでもそんなことを考えて今日で一体何日目になるのだろう、オレの意気地なし、しかしそれにしても今日の猪狩も格好良かった、絶対口に出して言わないけれど野球をしているときの猪狩はしなやかで美しくて他の誰よりも格好良い、こいつと野球ができるオレは幸せ者だ、オレは絶対に猪狩と甲子園の土を踏む、自信家のこいつは優勝しか目に映っていないようだけれど、ああでもそういうところも好きなんだオレは。
そんなことを考えていたらつい口から零れ落ちてしまったらしい。ちなみに言おうと思っていた言葉とは全く別ものである(今日も絶好調だったなとかなんかそんな感じの賛辞を言おうとしていたはずなのだオレは)。
突然の告白を聞かされた猪狩はぽかんとしていたが、そんなのオレの方が驚いているのだから勘弁してほしい。大きな目をぱちぱちと瞬きさせて言葉を失っている猪狩の様子はとても珍しかった。
実を言うと、オレと猪狩の仲はあまりよろしくない。顔を突き合わせれば喧嘩ばかり、猪狩がオレにかける言葉は嫌味と挑発ばかりだったし、オレもその挑発に甘んじて乗っていたものだから、一緒にいる時はやれ勝負だ今日こそ決着をつけるのだと騒がしい。
むろん、オレも猪狩も互いの実力を認めているからこその行為ではあるが(たぶん。そうだと思いたい)、普通の友人関係とはやっぱり違っているような気がする。
勝負や喧嘩ばかりだったがオレは猪狩のことが好きだったし、誰よりも認めていた。デカイ口を叩く分だけ、それ以上に猪狩が努力することをオレは知っていた。尊敬もしていた。そんなこいつが周りになかなか理解されない現状も知っている。
猪狩は自分で自分のことを天才だ天才だと称するものだから、周りも本当にそうなのだと思い込んでしまっている。猪狩守は天才だから仕方ないのだと、当然なのだと。もちろんそんなことはないのだけど。
そんな猪狩とオレだから、相手を褒める言葉というのは普段めったにでてこない。猪狩はいわゆるツンデレというやつだったし、オレはオレで猪狩の前ではやたら強がったり恥ずかしがったりしてしまうことを自覚していたから、面と向かって褒めたためしがない。
だけど、今日の紅白試合の時に見せた猪狩のストレートがいつも以上に素晴らしかったから。思わず目を奪われてしまったから。とてつもない何かを感じたから。オレは、今日こそ素直に声をかけようと密かに決心していたのだ。
猪狩とオレはだいたいいつも最後まで居残り練習をしている。帰り支度をする頃、部室で二人きりになるのは往々にしてあることだった。
だから、オレは今日こそ猪狩に声をかけるつもりでいた。「絶好調だな、すごいな、今日のストレートどうしたんだよ」そんな感じの言葉をさらっと言うつもりだったのだ。
なのに。オレの口から出たのはあろうことかあんな言葉だったわけだ。
「キミはほんとうにばかだね」
ドキドキしながら突っ立っているオレに対して猪狩はそう言った。確かに言った。
オレの方を一瞥して、自分の荷物を片付けながらそのように言ったのだった。その横顔はいつもの自信満々のふてぶてしい笑みを浮かべていて、口角はしっかりと上がっていた。
オレはすっかり言葉を失ってしまって立ち尽くしていた。そんなオレを尻目に猪狩はどんどんと帰り支度を進めていく。ジッと鞄のチャックが閉められて、猪狩の目がこちらに向く。
「帰らないのかい」、猪狩の透き通るような青い目が問いかけてくる。ああ、帰るよ、帰るとも。オレはいつの間にか握りしめていたタオルを鞄の中に放り込んで、その辺にあるもの全部を鞄に詰めてチャックを閉めた。のそのそと扉へ向かうオレの後ろを猪狩がついてくる。オレは黙って部室を出てやっぱり黙って歩き出した。後ろでガチャリと鍵を回す音が聞こえる。
「パワプロ」
猪狩に呼び掛けられる。今日初めて名前を呼ばれたような気がする。だけどオレの足は止まらなかった。もう一度呼び掛けられる。
歩みを止めないオレに焦れた猪狩は小走りでやってきてオレの横にならんだ。覗き込むように顔を見るその様子が気に入らない。オレは猪狩のことをすっかり無視して、ほとんど駆け出すような早さで歩いていた。
「そんなの、初めから知っていたよ」
すぐ近くで猪狩の声が聞こえたと思って驚いたら、猪狩がオレのユニフォームの裾を引っ張っているのだった。そのままオレの前に立ちはだかった猪狩はなんだか難しい顔をしている。
なんだ、どうした、驚いている間にも猪狩との距離はどんどん近くなって、ついにオレと猪狩のシルエットはひとつになってしまった。外灯に照らされた猪狩の影が動く。オレはといえば身動き一つとれずに猪狩の一挙一動に目を奪われていた。
「なんて顔をしているんだい」
呆れた顔をした猪狩がもう一度近づいてくる。そしてもう一度唇に触れた。
今度はちゃんと分かった、オレは猪狩にキスされている。
「な、なんで、なにいきなり猪狩お前」
舌をもつれさせながらそれだけを言うと、猪狩はいつもの顔でフフンと笑って歩き出してしまった。今度はオレが追いかける番である。早足で歩く猪狩の背中を必死に追いかける。
「そんなことを聞くなんて、キミは本当に野暮だね。だからボクみたいにモテないんだよ」
「だって、ちょっと待てよ、なんなんだ一体」
焦れたオレは猪狩の右腕を半ば乱暴に掴んで振り向かせた。左腕は触らない。こんな時でもオレというやつは結構しっかりしている。少しだけ顔をしかめてみせた猪狩が言う。
「まさかキミはキスも知らないのか?」
「そんなわけないだろ!だから、なんでお前がオレにキスするのかって聞いてるんだよ!」
「ボクはキミの言葉に返事をしただけだ」
つんとそっぽを向いてしまった猪狩の顔をまじまじと眺める。耳まで真っ赤だった。そんな猪狩につられるようにオレの顔もぽぽぽっと染まってしまったに違いない。顔が熱い。熱くて熱くてたまらない。
「猪狩」
「なんだよ」
「オレもお前に返事をするから、目を瞑って」
猪狩の返事は待たない。直前に見えた猪狩の青い目がやたらと脳裏にちらついた。キスの仕方なんて知らないオレは、固く目をつぶって猪狩の口に自分の口をくっつけた。お世辞にも上手いとはいえないお粗末なキスだ。
それでも、唇を離した猪狩が確かに笑ったのを見留めて、オレは腕の中で猪狩を思い切り抱きしめた。猪狩の腕がオレの背に回るまで、さほど時間はかからなかった。
―――――――――
ピクシブよりお引越し
わりと気に入っています。私の中にあるいかにも主守らしい主守
チョコレートは甘いか辛いか
2010巨人/主守
とある扉の前で猪狩守は困っていた。
うろうろと歩きながら、ここまで来て何を迷うことがある!と叱責する自分、いやいやもう少し考え直したらどうだと諭す自分の声を永遠と聞いていた。
こんなことをあとどれだけ続けるつもりであろう。自分らしくもなくみっともないことであるし、ドアの前でうろうろする様はいい加減不審者である。
深呼吸ひとつ、心を落ち着けて手に持ったそれを見つめる。
なんの変哲もない、ただの板チョコである。しかし、手に入れるのに少しばかり苦労した板チョコである。ついでにいえば、本日2月14日においては、チョコレート以上の意味を持つ板チョコである。
手に持った赤色の包みを眺めながら、猪狩はこのチョコレートを手に入れるまでを思い返してみた。まさかあそこまで自分が取り乱すとは想像もできなかったので、今も少しだけ胸がどきどきしている。なんたる失態であろうか。売店にいた女性店員の顔が浮かぶ。
ことのきっかけは、自分宛てに届いたメールだった。
自分へ贈られたバレンタインのチョコレートの数が多過ぎるので、保管先をどこにするかというものだった。すぐさま事務所に連絡をして、実家の方へ送る手配をした。ファンからのありがたいプレゼントではあるが、こちらに持ってきてもらっても困るだけだ。到底食べ切れる量ではあるまい。
きっと今頃進も同じようなことをしているだろうから、実家の方はチョコレートで溢れているに違いない。進に至ってはバレンタインに加えて誕生日でもあるのだから、その量たるや大変なことになっているだろう。
ふわふわした笑顔でチョコレートとプレゼントを眺める母の顔が自然と思い返されて、猪狩は知らず頬を緩めていた。
チョコレートを自宅に送ってもらい、さて今日はバレンタインであるということを思い出した。
そのとき真っ先に思い浮かんだのが、パワプロの顔だった。自分でも、なぜそのような子供じみた考えが浮かんだのか分からない、きっとひとつのチョコレートも貰えていないあいつをからかってやろうと思ったのだ。
自分は別にチョコになど執着しないが、バレンタインだチョコレートだと躍起になっているあいつを見るのは愉快である。まだ1軍に上がったばかりのあいつにチョコレートを贈る物好きはそうそういないだろう。きっと、恨みがましい目でこちらを見るに違いない。
猪狩はパワプロのことをからかうのが好きだった。いちいちリアクションが大きいのは面白かったし、こと反応が大きいというのはからかいがいがあるというものだ。
その気持ちがどういう意味を持つのかも知らないで、猪狩は日課のようにパワプロへちょっかいをかけているのだった。
周りの仲間は、そんな猪狩の様子を微笑ましいと思って眺めているのだが、当然猪狩自身は全く気が付いていない。
事実、パワプロが1軍に上がってきてからの猪狩といったら、調子も機嫌も今までにないくらいの絶好調であった。それはパワプロも同様らしく、二人が高校時代から続くライバルだと知っている者たちは、喧嘩をしながらも仲良く競い合う二人のことを温かい目で見ているのだった。
そういうわけで、今日のからかいのネタはチョコレートである。そうと決まれば善は急げ、猪狩は早速売店へと足を運ぶ。珍しくニコニコしている様子がすれ違った仲間を驚かせていたのだが、猪狩には全く与り知らぬ話であった。
売店に着いて、猪狩はきょろきょろと視線をさ迷わせてチョコレートを探した。普段めったに利用しないので、どこに何があるのか分からない。パワプロなんかは好んで菓子やらジュースやらを買い込んでいるようだったが、自分には必要のないものであったし、飲み物はほとんどが自販機でこと足りていた。
「あらぁ、猪狩くん!珍しいわねぇ」
「こんにちは」
愛想の良い売り子の女性がニコニコと人当たりの良さそうな笑顔で話し掛けてくる。微笑みで返しながらも、猪狩は内心でこっそりとため息をついていた。どうやらボクのファンであるらしいこの人には、捕まるとなかなか離してもらえないのだった。
これも、猪狩を売店から遠のかせている理由のひとつだ。パワプロが言うには「仲良くなればオマケしてくれたり、まけてくれることもある」ということらしいが、自分には真似できそうにもない。
「これを、ひとつ」
ようやく見つけたチョコレートを差し出すと、レジにいたおばちゃんは目をまんまるにしてこちらを見た。何となく予想はしていたが、ここまであからさまな顔をされるとどう反応していいのか分からない。
「猪狩くん、自分で買わなくってもたくさん貰ってるでしょ?それこそ食べ切れないくらいに」
「ええ、まあ」
「それなのにわざわざチョコレートを買っていくなんて。しかも、普段は売店に来ることすら珍しいのに」
「ハハハ…そういう気分の日だってありますよ」
「もしかして、誰かにあげるの?」
「!」
予想外の返答に、ボクとしたことが咄嗟に言葉を詰まらせてしまった。
その様子を見たおばちゃんは何かを悟ったのか、ははーん…と言うと次々に質問を繰り出してきた。
「猪狩くんにもバレンタインにチョコレートをあげたい人がいるのね。誰にあげるの?せっかくのバレンタインに板チョコでいいの?他にもまだあるわよ、こっちなんかどう?でも意外ねぇ~、猪狩くんがチョコレートなんて」
「えっと」
「あらもう、照れなくってもいいじゃない!おばさん応援しちゃうわよ!ちょっと妬けちゃうけど…なーんてね!猪狩くんにも好きな子がいるのねぇ…。ねえねえ、どんな子?かわいい子?…猪狩くん?」
次々と畳み掛けられる言葉たちに、猪狩は言い知れぬ場違い感と恥ずかしさを覚えていた。
もしかして、これからボクがしようとしていることはとてつもなく恥ずかしいことではないのだろうか。
顔に熱が集まる。
「あら、猪狩くん」
「お釣りは結構です!」
「あっ、待って!」
置いた千円札の代わりにチョコレートを握りしめて、猪狩は逃げ出すようにその場をあとにした。猪狩くんと何度か呼ばれたが、振り返る勇気はなかった。
いつの間にか小走りで駆けていて、こんなことをしている自分に驚いた。
この程度の距離で息が上がっているのも驚きである。
そういうわけで、猪狩は時価にして千円の板チョコを持ってパワプロの部屋の前をうろうろしているのであった。
ちょっとからかってやるつもりで買ったチョコレートがまさかこんなことになるだなんて。しかしながら、ここまで来てしまっては後に引けまい。しっかりしろ、猪狩守!自分で自分に喝を入れて、猪狩はしっかりとした手つきでドアノブをまわした。いつものことながら、鍵はかかっていない。無用心極まりないが、これがパワプロの常であった。そもそも、こうして勝手に部屋に入るのもいつものことである。
しかし、ノックをするのを忘れてしまった。やはりまだ動揺しているらしい。
「ハーハッハ。どうしたんだい?」
「猪狩!?」
グラブの手入れをしていたらしいパワプロは、勢いよくこちらを振り返るとあからさまに驚いて目をまんまるにさせている。そんな顔を見ていると、先程までしぼみかけていた気持ちがみるみるうちに大きくなっていくのが分かった。パワプロのこういう顔を見るのはいつだって楽しい。
「今、メールが入ったんだが日本の球団事務所にダンプ数台のチョコが届いてね」
「はあ」
「おかげで、ショベルカーで整理しているありさまだ。ホント、参ったよ。どうやらキミには1個もないみたいだね」
ちらっと視線をやって部屋の中を見回す。机の上、ベッド脇、あきっぱなしになっている鞄の中、どうやらそれらしきものはなさそうである。よしよし、ボクの睨んだ通りだ。気分がいい。
俄然調子を取り戻してきた猪狩の舌は饒舌に言葉を紡ぐ。パワプロの前ではついつい口が軽くなってしまうのも猪狩の常であった。そのことに気がついていないのは当人たち二人だけである。
猪狩もたいがい鈍感であったが、そういう意味ではパワプロも負けず劣らずのいい勝負をするのだった。
「チョコなんていらねーよ」
「ははっ、負け惜しみを。そうだ、かわいそうだからキミにも1個あげるよ」
きょとん、パワプロは大きな目をくりくりさせると真正面から猪狩を見つめた。予想外の反応に少しだけひるんだ猪狩であったが、悟られまいと唇に乗せた微笑は崩さぬままにパワプロの視線を受け止めた。
「ファンからもらったのをいいのか?」
「ファンから?そんな大切なチョコを渡すわけないだろ?」
「え?」
「これはさっき、ボクが売店で買ったんだよ。キミに恵んであげるよ」
手に持っていたチョコレートをすっと差し出すと、パワプロは自然な動作でそれを受け取った。パワプロは手にのせられた赤い包みをまじまじと眺めている。それを穴があくほど見つめると、その視線は猪狩に向いた。見ているとみるみるうちにパワプロの眉はつりあがっていって、それにつられるかのように猪狩の唇の端も持ち上がる。
「バカにするな!」
「じゃあね。おっと、食べた後はちゃんと歯を磨かないと虫歯になるよ。ハハハハハ」
目的は果たした、長居は無用ということで猪狩はくるりと背を向けるとさっさと扉を閉めてパワプロの部屋をあとにした。
パワプロの手に握られたチョコレート、確かに自分で買ったチョコレート、それをまじまじと見つめるパワプロ、そんなパワプロの様子を眺めている自分。なんだか、最高の気分だ。
よく分からない高揚感と満足感にみたされた猪狩は、自分でもびっくりするほどの軽い足取りで自室への道を歩いていった。
人のいいパワプロのことである、いくら自分からもらったものとはいえ、食べ物を捨てたりないがしろにしたりしないことだけは確かである。
パワプロは一体どんな顔をしてあのチョコレートを食べるのだろうか。
そんなことを考えるだけで、猪狩の頬は緩んで仕方がないのだった。
+++
バタンと勢いよく閉まった扉と手の中にあるチョコレートを交互に睨み付けていたパワプロは、なんだか急にばかばかしい気持ちになって勢いよくベッドへと倒れ込んだ。
「くそー!来季こそは有名になっていっぱいチョコをもらうぞ!」
叫んでみてもむなしいだけである。少しばかり恥ずかしい気持ちになって、パワプロは布団を手繰り寄せて頭から勢いよくかぶった。
猪狩のやつめ、一体なにを考えているのだろう。猪狩が自分の予想の範疇にないことをするのはしばしばだったが、今回のことは本当によく分からない。
わざわざバレンタインにチョコレートをたくさんもらったという自慢を自分のところへ報告しに来る理由とはなんだろう。自分で買ったチョコを嫌味としておいていったのだから、それは少々手が込みすぎているような気もする。
(猪狩が買ったチョコ…)
そういえば、売店で買ったとかなんとか言っていたが、猪狩が普段売店をめったに利用しないことをパワプロは知っていた。
本当にあいつは何を考えているのだろう。暇なんだろうか。まさか。
少しでも時間が空けば筋トレでも精神鍛錬でも始めてしまうような野球ばかの猪狩である、果たして暇を持て余したとしてそんなことをするであろうか。
チョコレートを眺めながらそんなことをもやもやと考えていたパワプロは、こんなものがあるからいけないのだと思い当たった。猪狩からもらったチョコなんかを見ているのが悪い。考えたって分からないことは考えない方がいいのだ。
くれると言っているのだから、ありがたく頂戴することにしよう。そうだ、それがいい。
がさがさと包みを剥がしてさっそくパワプロは板チョコにかじりついた。
見た目通り、何の変哲もない板チョコである。甘い。
もぐもぐと食べ進めると、意外にも疲れた体は甘いものを欲していたようで、板チョコはあっという間になくなってしまった。
ダンプ数台のチョコレートなんて、一体何日かかったら食べ切れるのかなあ…のんびりと考えていたら急な眠気まで襲ってくる始末である。少し早いが、今日はもうこのまま寝てしまうことにしよう。不思議と気分は悪くなかった。
包みをポイとゴミ箱に放って、パワプロは手について溶けてしまったチョコレートを舐めた。
それはやっぱり甘くて、なぜだかわからないがパワプロは少しだけ笑ってしまった。
―――――――――
ピクシブよりお引越し
ネットでこのイベントを知り、正直これでパワプロにも主守にも転んだような節が
とある扉の前で猪狩守は困っていた。
うろうろと歩きながら、ここまで来て何を迷うことがある!と叱責する自分、いやいやもう少し考え直したらどうだと諭す自分の声を永遠と聞いていた。
こんなことをあとどれだけ続けるつもりであろう。自分らしくもなくみっともないことであるし、ドアの前でうろうろする様はいい加減不審者である。
深呼吸ひとつ、心を落ち着けて手に持ったそれを見つめる。
なんの変哲もない、ただの板チョコである。しかし、手に入れるのに少しばかり苦労した板チョコである。ついでにいえば、本日2月14日においては、チョコレート以上の意味を持つ板チョコである。
手に持った赤色の包みを眺めながら、猪狩はこのチョコレートを手に入れるまでを思い返してみた。まさかあそこまで自分が取り乱すとは想像もできなかったので、今も少しだけ胸がどきどきしている。なんたる失態であろうか。売店にいた女性店員の顔が浮かぶ。
ことのきっかけは、自分宛てに届いたメールだった。
自分へ贈られたバレンタインのチョコレートの数が多過ぎるので、保管先をどこにするかというものだった。すぐさま事務所に連絡をして、実家の方へ送る手配をした。ファンからのありがたいプレゼントではあるが、こちらに持ってきてもらっても困るだけだ。到底食べ切れる量ではあるまい。
きっと今頃進も同じようなことをしているだろうから、実家の方はチョコレートで溢れているに違いない。進に至ってはバレンタインに加えて誕生日でもあるのだから、その量たるや大変なことになっているだろう。
ふわふわした笑顔でチョコレートとプレゼントを眺める母の顔が自然と思い返されて、猪狩は知らず頬を緩めていた。
チョコレートを自宅に送ってもらい、さて今日はバレンタインであるということを思い出した。
そのとき真っ先に思い浮かんだのが、パワプロの顔だった。自分でも、なぜそのような子供じみた考えが浮かんだのか分からない、きっとひとつのチョコレートも貰えていないあいつをからかってやろうと思ったのだ。
自分は別にチョコになど執着しないが、バレンタインだチョコレートだと躍起になっているあいつを見るのは愉快である。まだ1軍に上がったばかりのあいつにチョコレートを贈る物好きはそうそういないだろう。きっと、恨みがましい目でこちらを見るに違いない。
猪狩はパワプロのことをからかうのが好きだった。いちいちリアクションが大きいのは面白かったし、こと反応が大きいというのはからかいがいがあるというものだ。
その気持ちがどういう意味を持つのかも知らないで、猪狩は日課のようにパワプロへちょっかいをかけているのだった。
周りの仲間は、そんな猪狩の様子を微笑ましいと思って眺めているのだが、当然猪狩自身は全く気が付いていない。
事実、パワプロが1軍に上がってきてからの猪狩といったら、調子も機嫌も今までにないくらいの絶好調であった。それはパワプロも同様らしく、二人が高校時代から続くライバルだと知っている者たちは、喧嘩をしながらも仲良く競い合う二人のことを温かい目で見ているのだった。
そういうわけで、今日のからかいのネタはチョコレートである。そうと決まれば善は急げ、猪狩は早速売店へと足を運ぶ。珍しくニコニコしている様子がすれ違った仲間を驚かせていたのだが、猪狩には全く与り知らぬ話であった。
売店に着いて、猪狩はきょろきょろと視線をさ迷わせてチョコレートを探した。普段めったに利用しないので、どこに何があるのか分からない。パワプロなんかは好んで菓子やらジュースやらを買い込んでいるようだったが、自分には必要のないものであったし、飲み物はほとんどが自販機でこと足りていた。
「あらぁ、猪狩くん!珍しいわねぇ」
「こんにちは」
愛想の良い売り子の女性がニコニコと人当たりの良さそうな笑顔で話し掛けてくる。微笑みで返しながらも、猪狩は内心でこっそりとため息をついていた。どうやらボクのファンであるらしいこの人には、捕まるとなかなか離してもらえないのだった。
これも、猪狩を売店から遠のかせている理由のひとつだ。パワプロが言うには「仲良くなればオマケしてくれたり、まけてくれることもある」ということらしいが、自分には真似できそうにもない。
「これを、ひとつ」
ようやく見つけたチョコレートを差し出すと、レジにいたおばちゃんは目をまんまるにしてこちらを見た。何となく予想はしていたが、ここまであからさまな顔をされるとどう反応していいのか分からない。
「猪狩くん、自分で買わなくってもたくさん貰ってるでしょ?それこそ食べ切れないくらいに」
「ええ、まあ」
「それなのにわざわざチョコレートを買っていくなんて。しかも、普段は売店に来ることすら珍しいのに」
「ハハハ…そういう気分の日だってありますよ」
「もしかして、誰かにあげるの?」
「!」
予想外の返答に、ボクとしたことが咄嗟に言葉を詰まらせてしまった。
その様子を見たおばちゃんは何かを悟ったのか、ははーん…と言うと次々に質問を繰り出してきた。
「猪狩くんにもバレンタインにチョコレートをあげたい人がいるのね。誰にあげるの?せっかくのバレンタインに板チョコでいいの?他にもまだあるわよ、こっちなんかどう?でも意外ねぇ~、猪狩くんがチョコレートなんて」
「えっと」
「あらもう、照れなくってもいいじゃない!おばさん応援しちゃうわよ!ちょっと妬けちゃうけど…なーんてね!猪狩くんにも好きな子がいるのねぇ…。ねえねえ、どんな子?かわいい子?…猪狩くん?」
次々と畳み掛けられる言葉たちに、猪狩は言い知れぬ場違い感と恥ずかしさを覚えていた。
もしかして、これからボクがしようとしていることはとてつもなく恥ずかしいことではないのだろうか。
顔に熱が集まる。
「あら、猪狩くん」
「お釣りは結構です!」
「あっ、待って!」
置いた千円札の代わりにチョコレートを握りしめて、猪狩は逃げ出すようにその場をあとにした。猪狩くんと何度か呼ばれたが、振り返る勇気はなかった。
いつの間にか小走りで駆けていて、こんなことをしている自分に驚いた。
この程度の距離で息が上がっているのも驚きである。
そういうわけで、猪狩は時価にして千円の板チョコを持ってパワプロの部屋の前をうろうろしているのであった。
ちょっとからかってやるつもりで買ったチョコレートがまさかこんなことになるだなんて。しかしながら、ここまで来てしまっては後に引けまい。しっかりしろ、猪狩守!自分で自分に喝を入れて、猪狩はしっかりとした手つきでドアノブをまわした。いつものことながら、鍵はかかっていない。無用心極まりないが、これがパワプロの常であった。そもそも、こうして勝手に部屋に入るのもいつものことである。
しかし、ノックをするのを忘れてしまった。やはりまだ動揺しているらしい。
「ハーハッハ。どうしたんだい?」
「猪狩!?」
グラブの手入れをしていたらしいパワプロは、勢いよくこちらを振り返るとあからさまに驚いて目をまんまるにさせている。そんな顔を見ていると、先程までしぼみかけていた気持ちがみるみるうちに大きくなっていくのが分かった。パワプロのこういう顔を見るのはいつだって楽しい。
「今、メールが入ったんだが日本の球団事務所にダンプ数台のチョコが届いてね」
「はあ」
「おかげで、ショベルカーで整理しているありさまだ。ホント、参ったよ。どうやらキミには1個もないみたいだね」
ちらっと視線をやって部屋の中を見回す。机の上、ベッド脇、あきっぱなしになっている鞄の中、どうやらそれらしきものはなさそうである。よしよし、ボクの睨んだ通りだ。気分がいい。
俄然調子を取り戻してきた猪狩の舌は饒舌に言葉を紡ぐ。パワプロの前ではついつい口が軽くなってしまうのも猪狩の常であった。そのことに気がついていないのは当人たち二人だけである。
猪狩もたいがい鈍感であったが、そういう意味ではパワプロも負けず劣らずのいい勝負をするのだった。
「チョコなんていらねーよ」
「ははっ、負け惜しみを。そうだ、かわいそうだからキミにも1個あげるよ」
きょとん、パワプロは大きな目をくりくりさせると真正面から猪狩を見つめた。予想外の反応に少しだけひるんだ猪狩であったが、悟られまいと唇に乗せた微笑は崩さぬままにパワプロの視線を受け止めた。
「ファンからもらったのをいいのか?」
「ファンから?そんな大切なチョコを渡すわけないだろ?」
「え?」
「これはさっき、ボクが売店で買ったんだよ。キミに恵んであげるよ」
手に持っていたチョコレートをすっと差し出すと、パワプロは自然な動作でそれを受け取った。パワプロは手にのせられた赤い包みをまじまじと眺めている。それを穴があくほど見つめると、その視線は猪狩に向いた。見ているとみるみるうちにパワプロの眉はつりあがっていって、それにつられるかのように猪狩の唇の端も持ち上がる。
「バカにするな!」
「じゃあね。おっと、食べた後はちゃんと歯を磨かないと虫歯になるよ。ハハハハハ」
目的は果たした、長居は無用ということで猪狩はくるりと背を向けるとさっさと扉を閉めてパワプロの部屋をあとにした。
パワプロの手に握られたチョコレート、確かに自分で買ったチョコレート、それをまじまじと見つめるパワプロ、そんなパワプロの様子を眺めている自分。なんだか、最高の気分だ。
よく分からない高揚感と満足感にみたされた猪狩は、自分でもびっくりするほどの軽い足取りで自室への道を歩いていった。
人のいいパワプロのことである、いくら自分からもらったものとはいえ、食べ物を捨てたりないがしろにしたりしないことだけは確かである。
パワプロは一体どんな顔をしてあのチョコレートを食べるのだろうか。
そんなことを考えるだけで、猪狩の頬は緩んで仕方がないのだった。
+++
バタンと勢いよく閉まった扉と手の中にあるチョコレートを交互に睨み付けていたパワプロは、なんだか急にばかばかしい気持ちになって勢いよくベッドへと倒れ込んだ。
「くそー!来季こそは有名になっていっぱいチョコをもらうぞ!」
叫んでみてもむなしいだけである。少しばかり恥ずかしい気持ちになって、パワプロは布団を手繰り寄せて頭から勢いよくかぶった。
猪狩のやつめ、一体なにを考えているのだろう。猪狩が自分の予想の範疇にないことをするのはしばしばだったが、今回のことは本当によく分からない。
わざわざバレンタインにチョコレートをたくさんもらったという自慢を自分のところへ報告しに来る理由とはなんだろう。自分で買ったチョコを嫌味としておいていったのだから、それは少々手が込みすぎているような気もする。
(猪狩が買ったチョコ…)
そういえば、売店で買ったとかなんとか言っていたが、猪狩が普段売店をめったに利用しないことをパワプロは知っていた。
本当にあいつは何を考えているのだろう。暇なんだろうか。まさか。
少しでも時間が空けば筋トレでも精神鍛錬でも始めてしまうような野球ばかの猪狩である、果たして暇を持て余したとしてそんなことをするであろうか。
チョコレートを眺めながらそんなことをもやもやと考えていたパワプロは、こんなものがあるからいけないのだと思い当たった。猪狩からもらったチョコなんかを見ているのが悪い。考えたって分からないことは考えない方がいいのだ。
くれると言っているのだから、ありがたく頂戴することにしよう。そうだ、それがいい。
がさがさと包みを剥がしてさっそくパワプロは板チョコにかじりついた。
見た目通り、何の変哲もない板チョコである。甘い。
もぐもぐと食べ進めると、意外にも疲れた体は甘いものを欲していたようで、板チョコはあっという間になくなってしまった。
ダンプ数台のチョコレートなんて、一体何日かかったら食べ切れるのかなあ…のんびりと考えていたら急な眠気まで襲ってくる始末である。少し早いが、今日はもうこのまま寝てしまうことにしよう。不思議と気分は悪くなかった。
包みをポイとゴミ箱に放って、パワプロは手について溶けてしまったチョコレートを舐めた。
それはやっぱり甘くて、なぜだかわからないがパワプロは少しだけ笑ってしまった。
―――――――――
ピクシブよりお引越し
ネットでこのイベントを知り、正直これでパワプロにも主守にも転んだような節が
おめでたいふたり
主守/キスしてるだけの話がふたつ
*高校生のふたり
ファーストキスはレモン味、などということをいちばん初めに言い出したのはどこの誰なのだろう。結論、オレのファーストキスはレモン味ではなかった。あえて何味かと答えるのなら…汗の味?我ながら情緒のかけらも身も蓋もない。だけど実際にそうだったのだから仕方がないだろう。
そんな昔のことがコンマ数秒で頭の中を駆け巡り、現在オレはロッカールームで猪狩の肩を掴んで唇を押し付けている。どうしてこういうことになったのかは自分でもよく分からない。
「いきなりなにするんだ」
唇を離すと、猪狩は開口いちばんそう言って手の甲で唇を拭った。いついかなるときだって上品な動作を欠かさない猪狩にしてはぞんざいな動きである。そうさせているのは自分なのだと思うとなんとなく嬉しくなってしまうのだから、つくづくオレという人間は単純である。猪狩にとってオレが特別であるということが、オレにとっての最重要ポイントなのだ。
驚いている猪狩にもう一度顔を近づけてキスをする。今度は腰を引き寄せて体をぴったりとくっつけた状態で唇をくっつけてみた。むわ、と汗と猪狩の匂いが一気に香った。二人で居残り練習をした帰りである、二人とも汗と砂でどろどろだった。むろん、自分こそよほど汗臭いはずだ。猪狩の匂いを鼻いっぱいに吸い込んでオレは息をする。
髪に指をさしこむと少し湿っていて、やっぱり汗をかいていた。早くシャワーを浴びたい。着替えたい。そう思うはずなのに、思いに反してオレというやつは汗と砂でどろどろになった猪狩に求愛行動を起こしている。
だって仕方がないだろう、好きなんだから。
そんなこんなでオレの下半身は絶好調に反応をしているのだった。分かりやすいやつである。今オレはどうしようもなく欲情しているし興奮している。
キスの最中にオレがこっそり目を開けて猪狩の様子を見ていること、こいつはきっと知らないんだろう。唇と唇がくっついている間、猪狩はいつだってぴったりと瞼を下している。まるでキスの最中は目を閉じるのがマナーだとでも思っているみたいに、猪狩は礼儀正しく瞳を閉じる。そういう猪狩の様子がまたツボなのであった。
猪狩の瞳には力がある。少なくとも、オレにとっては。こいつの目は、口よりもよほどものを言う。だからこそキスの最中にはどんな色を見せるのかとても気になるのだが、唇を離したあとにそろそろと覗く青色がまた好きであったから、やっぱり猪狩はキスの間目を閉じていていいのだ。そうでなければ、こうしてこっそりと様子を眺めて楽しむこともできないわけであるし。
「猪狩」
「なんなんだ、キミはいきなり」
「オレ、お前の匂いが好きだな」
「練習後の汗まみれなのが?」
「うん」
「変態じゃないか」
「うん、そうだね」
「ボクは早くシャワーを浴びたい」
「オレも」
「じゃあ、離してくれないか。べたべたして気持ち悪い」
「もうちょっとだけ、このまま」
「汗くさい」
「でも、お前はいい匂いだ。変なの。汗くさいのになんか甘い匂いがするし」
「それはキミの気のせいだ」
「そうかなあ」
「今日は、キミの家に行く」
「マジで!じゃあ早くシャワー浴びて帰ろ!」
「だから、ボクはさっきからそう言っているだろ。本当にキミは人の話をきかないな」
オレの腕の中からするりと逃げだした猪狩は呆れた顔をしている。そういう顔もやっぱり好きだった。今日猪狩が家に来てくれるという事実だけでオレはどこまでも舞い上がれるのだ。
上機嫌のオレは猪狩の頬っぺたに熱いキッスをかまして愛しているよなどと囁いてしまったのだが、猪狩のやつは相変わらず呆れた顔でオレのことを眺めていた。
おいおいそれは酷いんじゃないの猪狩くん、なんて言いながらシャワールームへと消える猪狩を追いかけるオレはやっぱり上機嫌で幸せなのであった。
*プロ入り後のふたり
「なんだよ猪狩、お前まだいたのかー」
ロッカールームに入ってきたパワプロは間延びした口調でそういうと、心底疲れたと言った様子でベンチに腰かけた。密かに息が上がっていて、ベンチに両手をついてひっくり返ると、大きく息をついた。
「猪狩、お前また走ってたのか?」
「まあね」
「最近よく走ってるよなあー」
取り出したペットボトルを勢いよく飲み干しながらパワプロは言う。練習後はやっぱこれだね、そう言ってニコリ笑うと軽快な仕草で空のペットボトルをゴミ箱へ放る。それは放物線を描いてきれいに収まった。
「なんで猪狩そんなに走ってるんだ?下半身の強化?」
「そんなところだよ」
本当のところは自分でもよく分からない。走っている間は余計なことを考えずに済むから、それがありがたかった。最近はわけもなく心を乱されることが多い。こんな風にパワプロが居残り練習をしている日なんかは特に。
「内海さんと練習していたんだな」
「ああ、うん。内海さんからオレの投球見てくれるって言ってくれてさあ!感激だよな~」
オレの憧れ~とやっぱりパワプロは間延びしたように言う。どうやら相当疲れているらしい。ボクと練習していてもこんな風にはならないくせに。
汗がひかないのだろう、パワプロはしきりにタオルで額を拭っていた。うなじから首元へ大粒の汗が流れる。
「でも、さすがに今日は疲れたかな。今日はもう早く帰って寝る…って、なんだ!?」
パワプロは心底驚いたように目を見開いてこちらを振り返った。
そんなパワプロに、ボクはあかんべーをするようにわざと舌を出して言ってみせる。
「汗って本当にしょっぱいんだな」
「当たり前だろ!ていうかお前なにしてんだよ!」
「べつに。ただ舐めたくなっただけだよ」
「ただ舐めたくなったって…」
ぽかんとした表情でパワプロは口を開けている。なんというバカ面だろう。ボクは急に楽しくなってきて、フフンと笑ってみせた。
「キミはそうしていると本当に頭が悪そうに見えるね」
「なにをー!」
「フン、だからそういう顔だよ。自覚ないのかい?」
パワプロは怒っていたが、彼がわーわーと騒げば騒ぐほどボクは楽しくて仕方がなかった。こんな気持ちはなんと表現したらいいのだろう。認めたくはなかったが、ボクはパワプロといると楽しい。こいつが一軍に上がってきてから、確かにボクの気分はいつだって上々なのだ。
どうしてなのかは分からない。だけど、理由なんてべつにいらないだろう。
パワプロの顎を掴んで上を向かせる。突然のことにびっくりしているらしいその顔をまじまじと眺めてから、ボクは腰をかがめてゆっくりと唇を合わせた。ぺろりと舐めるとやっぱり汗の味がした。しょっぱい。
二、三度軽く唇を合わせてボクは離れた。ベンチに腰かけたままのパワプロはボクの顔を見上げるようにして眺めてはぽかんとしていた。
今日一番のバカ面にボクは思わず笑み崩れると、パワプロはようやく我に返ったように開いたままの口を閉じて、唇に指を這わせた。
何と言っていいのか分からないようにぱくぱくと開いたり閉じたりしている唇にボクの視線は釘付けになる。
「な、な、」
「なんだい」
「なにするんだよ!」
「なにって、キスだよ。もしかしてファーストキスだったのかい?」
「そんなわけないだろ!そうじゃなくて、なんでお前が、オレに、いきなり!」
「そうだな…」
聞かれたのでそれらしい理由を探そうとしたが、やっぱりそんなものはなかった。ただ、パワプロにキスをしてみて、どうやらボクはずっとこうしたかったらしいということに気が付いた。気が付いてしまったのなら簡単だ。
ここから始めようじゃないか。ボクが野球だけの天才だと思ったら大きな間違いである。これから覚悟をしておけよ、パワプロ。
口に出して言うと、パワプロはやはりきょとんとしたままである。
変な顔をしているパワプロを尻目に、ボクは帰り支度をするためにロッカーの扉を開けた。
――――――――
ピクシブよりお引越し
趣味です。好みってぶれないもんだなあ
*高校生のふたり
ファーストキスはレモン味、などということをいちばん初めに言い出したのはどこの誰なのだろう。結論、オレのファーストキスはレモン味ではなかった。あえて何味かと答えるのなら…汗の味?我ながら情緒のかけらも身も蓋もない。だけど実際にそうだったのだから仕方がないだろう。
そんな昔のことがコンマ数秒で頭の中を駆け巡り、現在オレはロッカールームで猪狩の肩を掴んで唇を押し付けている。どうしてこういうことになったのかは自分でもよく分からない。
「いきなりなにするんだ」
唇を離すと、猪狩は開口いちばんそう言って手の甲で唇を拭った。いついかなるときだって上品な動作を欠かさない猪狩にしてはぞんざいな動きである。そうさせているのは自分なのだと思うとなんとなく嬉しくなってしまうのだから、つくづくオレという人間は単純である。猪狩にとってオレが特別であるということが、オレにとっての最重要ポイントなのだ。
驚いている猪狩にもう一度顔を近づけてキスをする。今度は腰を引き寄せて体をぴったりとくっつけた状態で唇をくっつけてみた。むわ、と汗と猪狩の匂いが一気に香った。二人で居残り練習をした帰りである、二人とも汗と砂でどろどろだった。むろん、自分こそよほど汗臭いはずだ。猪狩の匂いを鼻いっぱいに吸い込んでオレは息をする。
髪に指をさしこむと少し湿っていて、やっぱり汗をかいていた。早くシャワーを浴びたい。着替えたい。そう思うはずなのに、思いに反してオレというやつは汗と砂でどろどろになった猪狩に求愛行動を起こしている。
だって仕方がないだろう、好きなんだから。
そんなこんなでオレの下半身は絶好調に反応をしているのだった。分かりやすいやつである。今オレはどうしようもなく欲情しているし興奮している。
キスの最中にオレがこっそり目を開けて猪狩の様子を見ていること、こいつはきっと知らないんだろう。唇と唇がくっついている間、猪狩はいつだってぴったりと瞼を下している。まるでキスの最中は目を閉じるのがマナーだとでも思っているみたいに、猪狩は礼儀正しく瞳を閉じる。そういう猪狩の様子がまたツボなのであった。
猪狩の瞳には力がある。少なくとも、オレにとっては。こいつの目は、口よりもよほどものを言う。だからこそキスの最中にはどんな色を見せるのかとても気になるのだが、唇を離したあとにそろそろと覗く青色がまた好きであったから、やっぱり猪狩はキスの間目を閉じていていいのだ。そうでなければ、こうしてこっそりと様子を眺めて楽しむこともできないわけであるし。
「猪狩」
「なんなんだ、キミはいきなり」
「オレ、お前の匂いが好きだな」
「練習後の汗まみれなのが?」
「うん」
「変態じゃないか」
「うん、そうだね」
「ボクは早くシャワーを浴びたい」
「オレも」
「じゃあ、離してくれないか。べたべたして気持ち悪い」
「もうちょっとだけ、このまま」
「汗くさい」
「でも、お前はいい匂いだ。変なの。汗くさいのになんか甘い匂いがするし」
「それはキミの気のせいだ」
「そうかなあ」
「今日は、キミの家に行く」
「マジで!じゃあ早くシャワー浴びて帰ろ!」
「だから、ボクはさっきからそう言っているだろ。本当にキミは人の話をきかないな」
オレの腕の中からするりと逃げだした猪狩は呆れた顔をしている。そういう顔もやっぱり好きだった。今日猪狩が家に来てくれるという事実だけでオレはどこまでも舞い上がれるのだ。
上機嫌のオレは猪狩の頬っぺたに熱いキッスをかまして愛しているよなどと囁いてしまったのだが、猪狩のやつは相変わらず呆れた顔でオレのことを眺めていた。
おいおいそれは酷いんじゃないの猪狩くん、なんて言いながらシャワールームへと消える猪狩を追いかけるオレはやっぱり上機嫌で幸せなのであった。
*プロ入り後のふたり
「なんだよ猪狩、お前まだいたのかー」
ロッカールームに入ってきたパワプロは間延びした口調でそういうと、心底疲れたと言った様子でベンチに腰かけた。密かに息が上がっていて、ベンチに両手をついてひっくり返ると、大きく息をついた。
「猪狩、お前また走ってたのか?」
「まあね」
「最近よく走ってるよなあー」
取り出したペットボトルを勢いよく飲み干しながらパワプロは言う。練習後はやっぱこれだね、そう言ってニコリ笑うと軽快な仕草で空のペットボトルをゴミ箱へ放る。それは放物線を描いてきれいに収まった。
「なんで猪狩そんなに走ってるんだ?下半身の強化?」
「そんなところだよ」
本当のところは自分でもよく分からない。走っている間は余計なことを考えずに済むから、それがありがたかった。最近はわけもなく心を乱されることが多い。こんな風にパワプロが居残り練習をしている日なんかは特に。
「内海さんと練習していたんだな」
「ああ、うん。内海さんからオレの投球見てくれるって言ってくれてさあ!感激だよな~」
オレの憧れ~とやっぱりパワプロは間延びしたように言う。どうやら相当疲れているらしい。ボクと練習していてもこんな風にはならないくせに。
汗がひかないのだろう、パワプロはしきりにタオルで額を拭っていた。うなじから首元へ大粒の汗が流れる。
「でも、さすがに今日は疲れたかな。今日はもう早く帰って寝る…って、なんだ!?」
パワプロは心底驚いたように目を見開いてこちらを振り返った。
そんなパワプロに、ボクはあかんべーをするようにわざと舌を出して言ってみせる。
「汗って本当にしょっぱいんだな」
「当たり前だろ!ていうかお前なにしてんだよ!」
「べつに。ただ舐めたくなっただけだよ」
「ただ舐めたくなったって…」
ぽかんとした表情でパワプロは口を開けている。なんというバカ面だろう。ボクは急に楽しくなってきて、フフンと笑ってみせた。
「キミはそうしていると本当に頭が悪そうに見えるね」
「なにをー!」
「フン、だからそういう顔だよ。自覚ないのかい?」
パワプロは怒っていたが、彼がわーわーと騒げば騒ぐほどボクは楽しくて仕方がなかった。こんな気持ちはなんと表現したらいいのだろう。認めたくはなかったが、ボクはパワプロといると楽しい。こいつが一軍に上がってきてから、確かにボクの気分はいつだって上々なのだ。
どうしてなのかは分からない。だけど、理由なんてべつにいらないだろう。
パワプロの顎を掴んで上を向かせる。突然のことにびっくりしているらしいその顔をまじまじと眺めてから、ボクは腰をかがめてゆっくりと唇を合わせた。ぺろりと舐めるとやっぱり汗の味がした。しょっぱい。
二、三度軽く唇を合わせてボクは離れた。ベンチに腰かけたままのパワプロはボクの顔を見上げるようにして眺めてはぽかんとしていた。
今日一番のバカ面にボクは思わず笑み崩れると、パワプロはようやく我に返ったように開いたままの口を閉じて、唇に指を這わせた。
何と言っていいのか分からないようにぱくぱくと開いたり閉じたりしている唇にボクの視線は釘付けになる。
「な、な、」
「なんだい」
「なにするんだよ!」
「なにって、キスだよ。もしかしてファーストキスだったのかい?」
「そんなわけないだろ!そうじゃなくて、なんでお前が、オレに、いきなり!」
「そうだな…」
聞かれたのでそれらしい理由を探そうとしたが、やっぱりそんなものはなかった。ただ、パワプロにキスをしてみて、どうやらボクはずっとこうしたかったらしいということに気が付いた。気が付いてしまったのなら簡単だ。
ここから始めようじゃないか。ボクが野球だけの天才だと思ったら大きな間違いである。これから覚悟をしておけよ、パワプロ。
口に出して言うと、パワプロはやはりきょとんとしたままである。
変な顔をしているパワプロを尻目に、ボクは帰り支度をするためにロッカーの扉を開けた。
――――――――
ピクシブよりお引越し
趣味です。好みってぶれないもんだなあ
幸せになれる魔法の紙
2010イメージ/主守
「猪狩、ちょっとお願いがあるんだけど。ここにお前のサインと印鑑が欲しいんだ」
向かいに座ったパワプロはごく真面目な顔でそう言うと、こちらの返事を待つようにじっと見つめてきた。
そんなやつの顔を眺めること数秒、手元に視線を落とすと、一枚の紙とボールペンと朱肉が用意されていた。
こんなものどこから用意した、しかも突然。
返事を待っているらしい、パワプロは真摯な表情でこちらの様子を窺っている。
お茶を濁す意味合いで、猪狩は少し冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
深夜のファミリーレストランである。
客足はまばらで、人目につきにくい角の席に座っているので周りの目を気にすることもない。
食事をとった後、こうしてのんびりとコーヒーをすするのが猪狩のお気に入りだった。
「あのな、パワプロ」
「うん」
「それ、どう見ても婚姻届なんだが」
「うん」
「うんじゃない。キミは一体何を考えているんだ?」
ご丁寧に記入が済まされているその用紙を手に取って猪狩は嘆息する。
なるほど、あとはこちらのサインと捺印さえあれば完成するらしい。こんなもの、一体どうしろというのだ。
普段から突拍子のないことを言ったりしたりするやつではあるが、今回ほど考えが読めないこともそうそうない。
一体何を考えているんだ。
「この前、区役所でもらってきたんだ」
「まあ、そうだろうな」
「必要なとこは書いといたから、あとはお前のサインと印鑑だけだ」
「それは見れば分かる」
「お前、今日印鑑持ってるだろ?」
「そんなの…」
持っていないと言おうとして、そういえば今日は契約の更新をしてきたばかり、確かに印鑑を持っているということを思い出した。
契約更新の内容は、昨年の年俸よりもまたさらに上乗せされた、実績と努力に見合った内容であった。
それはさておきである、わざわざそれを見越してパワプロは今日こんなものを用意してきたわけになる。
ますます意味が分からない。
「パワプロ、ちょっと落ち着け」
「オレは落ち着いてるよ」
「全然落ち着いてない。わけがわからないぞ」
「どこら辺が?」
「まず、ボクたちは男同士だ」
「そうだな」
「男同士は、結婚できない」
「そうだね」
「ついでに、ボクに結婚する意志はない」
「なるほど」
「そもそも、なぜいきなり婚姻届なのかわからない」
「理由を聞いたら書いてくれる?」
「それとこれとは別問題だ。だけど、キミが何を考えてこんなことをしているのか、少し興味があるね」
うーんなるほどー、間延びした返答をよこしながら、パワプロは手元のジュースを一気に飲み干した。
メロンソーダはパワプロのお気に入りである。
ご丁寧にグラスに残った氷までも口に入れて、グラスはあっという間に空になってしまった。
「あのさ、猪狩」
「うん」
「オレ、お前のこと好きなんだよね」
「そんなの、知っている」
「で、お前もオレのこと好きじゃん」
「あえて否定はしない」
「相変わらずかわいくねーなー。ま、そういうとこがいいんだけど」
「で、なんだ」
「オレさ、お前と付き合うようになってから決めたことがあるんだ」
「決めたこと?」
「お前と同じ場所に立てたとき、結婚しようって」
「…」
「なあ、これってプロポーズなんだけど、まだ分かんない?」
ニコニコと笑いながらパワプロは婚姻届を手に取った。
「今日、契約の更新交渉の日だっただろ」
「ああ」
「オレ、一軍に上がって初めての更新なんだ」
「そうだな。まあ、キミにしてはよくやったんじゃないか。少し時間がかかりすぎたけどね」
「お前のおかげだよ、猪狩。オレ、お前に追いつきたくて、高校生だったあの頃の気持ちを思い出したんだ。だから今日まで頑張ってこれた」
「…」
「思えば、オレって高校生の頃からお前のこと好きだったんだよなー。気づいたのは最近だけどさ。お前も、あの時からオレのこと好きだっただろ?」
「思い上がりもはなはだしいな、キミは」
「はは。昔から変わらないな、猪狩。そういうところが好きだよ」
「…今日は本当に、どうしたっていうんだ」
「さっきも言ったけど、オレ決めてたんだ。お前と同じラインに立てたら、お前にプロポーズしようって。プロポーズなんて言うと大袈裟かな…ただ、これからもずっと一緒にいたいって、そういう約束みたいなのが欲しかったっていうか」
「それでこの婚姻届なのか?」
「そうそう」
「突飛すぎるんだ、キミはいつも」
「そんなことないと思うけどなぁ。いい考えだと思うし」
「…」
「さすがにオレだって、男同士で結婚できないことくらい知ってるよ」
「良かった、さすがのキミでもそのくらいのことは知っていたんだな。安心したよ」
これはね…そう言って婚姻届を掲げたパワプロは、今日いちばんの笑顔で言った。
「幸せになれる魔法の紙なんだ」
「なに?」
「一種のおまじないみたいなもんかな。オレとお前の名前がここに並んでるだけで、なんか幸せになれる気がしない?」
「そんなの…」
「結婚とか、婚姻とか、そんなのってただの法律上の問題だろ。男同士が結婚できないのってそういうことだし。だけど、オレのこの気持ちは、法律なんて全然関係ないもん。ただお前のことが好きってだけで。だけどさ、愛を誓う手段としては確かに有効だろ、婚姻届って」
「だから、キミとボクで書くのか」
「そう!なんかよくない?」
「キミの思考回路を一度覗いてみたいものだよ。どうやったらそんな考えにたどり着くのか」
「婚姻届なんて、ただの紙きれだ。だけどこれは、幸せになれる魔法の紙なんだよ。オレとお前の気持ちが詰まった、ね」
「勝手にボクを巻き込まないでくれ」
「そんなこと言って。ほんとはもう結構乗り気だろ、お前。お前がオレのことを好きなのも、案外ロマンチストなのもこっちは全部知ってるんだからな」
「…」
「法的拘束力のないただの紙きれで、ついでに言えばオレの自己満足だ。だけど、これがオレの気持ち。好きだよ、猪狩」
「…」
「二人で、幸せになろう」
そのとき、自分がなんと答えたのかは覚えていない。
覚えているのは、いつの間にか欄の埋まっていた婚姻届と、それを眺めて嬉しそうにしているパワプロの顔だけだ。
若気の至りであったと、今なら思うだろう。どうしてあんなことをしてしまったのかボクにも分からない。
ただ、あの時点で自分の思考も大分パワプロに毒されてしまっていたのだということだけはよく分かった。
「猪狩、なにしてんの?」
「キミは、まだこんなものを持っていたのか…」
「当たり前だろ、オレの宝物だもん。幸せになれる魔法の紙」
「幸せにはなれたか?」
「もちろん。オレはずっと幸せだよ。お前は?」
「不本意ながら、ボクも同じだ」
「なんだよ、不本意って。ったく、お前はほんとに昔から変わんねーなー」
「そういうところが好きなんだろ、キミは」
「おっ、よく知ってるじゃん。お前もほんとオレのこと好きだね」
「フン」
「へへ、懐かしいなあ、これ。よく見つけたな」
「引き出しを整頓していたら出てきたんだ。キミは、もう少し整理整頓を心がけたらどうだ?」
「いいのいいの、猪狩が片付けてくれるから」
「どうしようもないな」
「な、それよりキャッチボールしに行かない?」
「久しぶりのオフなのにか?」
「久しぶりのオフだからだよ」
パワプロは笑って、グラブとボールを持った。ぽいとボールを渡されて、一度だけ思い切り握りしめてみる。
この感覚も、あのときから何も変わらない。
あのときから、ボクとこいつの間には野球があった。そして、今もやっぱり二人で野球をしている。
「そうだ、お前のあれ、受けてやるよ」
「ソニックライジングか」
「そうそう、それ」
「フン、とれないくせに」
「何をー!一緒に特訓してやったのはオレだろ!」
「アハハ、そういえばそうだったね」
「猪狩、行こう」
差しのべられた手を自然と掴む。
ボクとしたことが、こういうのも悪くはないものだとつい頬が緩んでしまったのだが、深くかぶった帽子のおかげでパワプロには見えなかったことだろう。
それでいい。こうしてボクらは、これからも同じ時間を過ごしていくんだ。
―――――――――
ピクシブよりお引越し
全体的に何が起こっているのかよく分かりません
「猪狩、ちょっとお願いがあるんだけど。ここにお前のサインと印鑑が欲しいんだ」
向かいに座ったパワプロはごく真面目な顔でそう言うと、こちらの返事を待つようにじっと見つめてきた。
そんなやつの顔を眺めること数秒、手元に視線を落とすと、一枚の紙とボールペンと朱肉が用意されていた。
こんなものどこから用意した、しかも突然。
返事を待っているらしい、パワプロは真摯な表情でこちらの様子を窺っている。
お茶を濁す意味合いで、猪狩は少し冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
深夜のファミリーレストランである。
客足はまばらで、人目につきにくい角の席に座っているので周りの目を気にすることもない。
食事をとった後、こうしてのんびりとコーヒーをすするのが猪狩のお気に入りだった。
「あのな、パワプロ」
「うん」
「それ、どう見ても婚姻届なんだが」
「うん」
「うんじゃない。キミは一体何を考えているんだ?」
ご丁寧に記入が済まされているその用紙を手に取って猪狩は嘆息する。
なるほど、あとはこちらのサインと捺印さえあれば完成するらしい。こんなもの、一体どうしろというのだ。
普段から突拍子のないことを言ったりしたりするやつではあるが、今回ほど考えが読めないこともそうそうない。
一体何を考えているんだ。
「この前、区役所でもらってきたんだ」
「まあ、そうだろうな」
「必要なとこは書いといたから、あとはお前のサインと印鑑だけだ」
「それは見れば分かる」
「お前、今日印鑑持ってるだろ?」
「そんなの…」
持っていないと言おうとして、そういえば今日は契約の更新をしてきたばかり、確かに印鑑を持っているということを思い出した。
契約更新の内容は、昨年の年俸よりもまたさらに上乗せされた、実績と努力に見合った内容であった。
それはさておきである、わざわざそれを見越してパワプロは今日こんなものを用意してきたわけになる。
ますます意味が分からない。
「パワプロ、ちょっと落ち着け」
「オレは落ち着いてるよ」
「全然落ち着いてない。わけがわからないぞ」
「どこら辺が?」
「まず、ボクたちは男同士だ」
「そうだな」
「男同士は、結婚できない」
「そうだね」
「ついでに、ボクに結婚する意志はない」
「なるほど」
「そもそも、なぜいきなり婚姻届なのかわからない」
「理由を聞いたら書いてくれる?」
「それとこれとは別問題だ。だけど、キミが何を考えてこんなことをしているのか、少し興味があるね」
うーんなるほどー、間延びした返答をよこしながら、パワプロは手元のジュースを一気に飲み干した。
メロンソーダはパワプロのお気に入りである。
ご丁寧にグラスに残った氷までも口に入れて、グラスはあっという間に空になってしまった。
「あのさ、猪狩」
「うん」
「オレ、お前のこと好きなんだよね」
「そんなの、知っている」
「で、お前もオレのこと好きじゃん」
「あえて否定はしない」
「相変わらずかわいくねーなー。ま、そういうとこがいいんだけど」
「で、なんだ」
「オレさ、お前と付き合うようになってから決めたことがあるんだ」
「決めたこと?」
「お前と同じ場所に立てたとき、結婚しようって」
「…」
「なあ、これってプロポーズなんだけど、まだ分かんない?」
ニコニコと笑いながらパワプロは婚姻届を手に取った。
「今日、契約の更新交渉の日だっただろ」
「ああ」
「オレ、一軍に上がって初めての更新なんだ」
「そうだな。まあ、キミにしてはよくやったんじゃないか。少し時間がかかりすぎたけどね」
「お前のおかげだよ、猪狩。オレ、お前に追いつきたくて、高校生だったあの頃の気持ちを思い出したんだ。だから今日まで頑張ってこれた」
「…」
「思えば、オレって高校生の頃からお前のこと好きだったんだよなー。気づいたのは最近だけどさ。お前も、あの時からオレのこと好きだっただろ?」
「思い上がりもはなはだしいな、キミは」
「はは。昔から変わらないな、猪狩。そういうところが好きだよ」
「…今日は本当に、どうしたっていうんだ」
「さっきも言ったけど、オレ決めてたんだ。お前と同じラインに立てたら、お前にプロポーズしようって。プロポーズなんて言うと大袈裟かな…ただ、これからもずっと一緒にいたいって、そういう約束みたいなのが欲しかったっていうか」
「それでこの婚姻届なのか?」
「そうそう」
「突飛すぎるんだ、キミはいつも」
「そんなことないと思うけどなぁ。いい考えだと思うし」
「…」
「さすがにオレだって、男同士で結婚できないことくらい知ってるよ」
「良かった、さすがのキミでもそのくらいのことは知っていたんだな。安心したよ」
これはね…そう言って婚姻届を掲げたパワプロは、今日いちばんの笑顔で言った。
「幸せになれる魔法の紙なんだ」
「なに?」
「一種のおまじないみたいなもんかな。オレとお前の名前がここに並んでるだけで、なんか幸せになれる気がしない?」
「そんなの…」
「結婚とか、婚姻とか、そんなのってただの法律上の問題だろ。男同士が結婚できないのってそういうことだし。だけど、オレのこの気持ちは、法律なんて全然関係ないもん。ただお前のことが好きってだけで。だけどさ、愛を誓う手段としては確かに有効だろ、婚姻届って」
「だから、キミとボクで書くのか」
「そう!なんかよくない?」
「キミの思考回路を一度覗いてみたいものだよ。どうやったらそんな考えにたどり着くのか」
「婚姻届なんて、ただの紙きれだ。だけどこれは、幸せになれる魔法の紙なんだよ。オレとお前の気持ちが詰まった、ね」
「勝手にボクを巻き込まないでくれ」
「そんなこと言って。ほんとはもう結構乗り気だろ、お前。お前がオレのことを好きなのも、案外ロマンチストなのもこっちは全部知ってるんだからな」
「…」
「法的拘束力のないただの紙きれで、ついでに言えばオレの自己満足だ。だけど、これがオレの気持ち。好きだよ、猪狩」
「…」
「二人で、幸せになろう」
そのとき、自分がなんと答えたのかは覚えていない。
覚えているのは、いつの間にか欄の埋まっていた婚姻届と、それを眺めて嬉しそうにしているパワプロの顔だけだ。
若気の至りであったと、今なら思うだろう。どうしてあんなことをしてしまったのかボクにも分からない。
ただ、あの時点で自分の思考も大分パワプロに毒されてしまっていたのだということだけはよく分かった。
「猪狩、なにしてんの?」
「キミは、まだこんなものを持っていたのか…」
「当たり前だろ、オレの宝物だもん。幸せになれる魔法の紙」
「幸せにはなれたか?」
「もちろん。オレはずっと幸せだよ。お前は?」
「不本意ながら、ボクも同じだ」
「なんだよ、不本意って。ったく、お前はほんとに昔から変わんねーなー」
「そういうところが好きなんだろ、キミは」
「おっ、よく知ってるじゃん。お前もほんとオレのこと好きだね」
「フン」
「へへ、懐かしいなあ、これ。よく見つけたな」
「引き出しを整頓していたら出てきたんだ。キミは、もう少し整理整頓を心がけたらどうだ?」
「いいのいいの、猪狩が片付けてくれるから」
「どうしようもないな」
「な、それよりキャッチボールしに行かない?」
「久しぶりのオフなのにか?」
「久しぶりのオフだからだよ」
パワプロは笑って、グラブとボールを持った。ぽいとボールを渡されて、一度だけ思い切り握りしめてみる。
この感覚も、あのときから何も変わらない。
あのときから、ボクとこいつの間には野球があった。そして、今もやっぱり二人で野球をしている。
「そうだ、お前のあれ、受けてやるよ」
「ソニックライジングか」
「そうそう、それ」
「フン、とれないくせに」
「何をー!一緒に特訓してやったのはオレだろ!」
「アハハ、そういえばそうだったね」
「猪狩、行こう」
差しのべられた手を自然と掴む。
ボクとしたことが、こういうのも悪くはないものだとつい頬が緩んでしまったのだが、深くかぶった帽子のおかげでパワプロには見えなかったことだろう。
それでいい。こうしてボクらは、これからも同じ時間を過ごしていくんだ。
―――――――――
ピクシブよりお引越し
全体的に何が起こっているのかよく分かりません
続きはリアルで
9/主守
「あっ、猪狩、この」
「フン、もらった!」
「二人とも、そろそろオイラにも変わるでやんす」
コントローラーを握りしめたまま、矢部くんごめんと言いながら再戦のボタンを選択する。
だって負けたまま終わりにするなんて悔しいじゃないか。
そういうわけでオレと猪狩はさっきからかれこれ小一時間ほどゲームに噛り付いている。
今まで野球にしか興味がないと思っていた猪狩は、意外にもゲームが上手かった。
やっぱり、進くんと一緒に遊んだりするのだろうか。だとしたらちょっとカワイイ。
負けず嫌いなこいつのことだから、ゲームだってたぶん勝つまでやめないんだろう。…今のオレみたいに。
「ふう。結構疲れたな。矢部、交代だ」
「やったでやんす!」
「おい猪狩、勝ち逃げはずるいぞ!」
「ハハハ、キミごときでは何度やったって同じことだよ」
ピコピコとゲーム画面を操作しながら隣にいる猪狩の様子をうかがう。結構機嫌が良さそうだ。
半ば無理やり誘ってしまったが、楽しそうにしている猪狩の様子を見てオレはほっとしていた。
しかし、猪狩が自分の部屋にいるというのはどうにも不思議な感じだ。
しかも、この流れからしておそらく泊まっていくことになるだろう。
ベッドに腰掛けている猪狩をちらちらと気にしていたら、オレは矢部くんにまでもあっさり負けてしまった。
「あー!」
「やったでやんす!勝ったでやんす!」
「負けた…」
「パワプロくん結構たいしたことないでやんす」
「ハハハ、矢部の言うとおりだね」
言っていることはムカつくが、無邪気に笑っている猪狩を見られるのは嬉しい。
こんなに喜んでくれるのなら、もっと早くに誘っていればよかった。
しかし、楽しい時間はすぐに過ぎてしまうものだ。時計を見ると、まもなく0時になるところだった。
「ふー。面白かったね。そろそろ寝ようか」
「フフ、夜はこれからでやんすよ。パワプロくん、実はオイラ面白いモノを持ってきたでやんす」
じゃーん!という効果音付きで出されたそれは、健全な男子高校生ならば誰もが興味のある代物だった。
パッケージだけで、かなりキワドイものだということが分かる。
「こ、これは!」
「秘密のビデオでやんす。先輩からもらったでやんす」
「先輩ってだれ?」
一応聞いてみるが、当の矢部くんはどこ吹く風でにやにやしている
先輩って…いったい誰だろう。すごく気になる。
「おいおい、ボクはこんなものには興味ないぞ!」
今まで黙っていた猪狩がびっくりしたように口を開いた。
ほんのり頬が上気しているように見えるのは、オレの欲目が為せる技か。
珍しくあわてているらしいその様子がカワイイ。
普段は野球の鬼である猪狩だってオレたちと同じ健全な男子高校生だ。
猪狩がコレを見てどういう反応をするのか気になる。とても気になる。
猪狩のことだ、少しでも機嫌を損ねれば「帰る」とでも言い出しそうだが、オレは一か八か煽ってみることにした。
「ほほー、怖いのかい?猪狩?」
「そういうキミこそどうなんだい?」
思った通り、予想通りの反応だ。案の定猪狩は乗ってきた。
オレも甘んじて挑発に乗ることにする。ノリというのは大切だ。
「なに!いいだろう!矢部くん、スイッチオンだ!」
「合点でやんす!」
素早い矢部くんはさっそくビデオを取り出してデッキにセットした。
ぽち、とリモコンを操作すると、さっそく画面が現れた。
「ねえ矢部くん、実はオレ、こういうのテレビで見るの初めてなんだよね」
「実を言うとオイラもでやんす。こんなの居間のテレビじゃ見れないでやんす」
「……」
オレと矢部くんが会話をしている横で猪狩は頑なに口を閉ざしていた。
なんだかんだで黙って見ている猪狩に顔がゆるんでしまいそうになる。
普段、猪狩はどうしているんだろう。
いくら野球一筋だからといって、年頃の男だ。なにをせずとも溜まるもんは溜まるというものだ。
そんなことを悶々と考えていたら、画面の中の人たちの濃厚な絡みが始まった。
うーん、これはすごいな。
「オイラ、トイレに行ってくるでやんす」
「…矢部くん、もっとこっそり行ったら」
てへぺろでやんす、と矢部くんは言い残して部屋を出て行った。
残ったのは、オレと猪狩だけ。
正直オレは、画面の中のことよりも、猪狩のことが気になって仕方がなかった。
目の前のAVよりも猪狩の方が気になるだなんて、オレというやつはどうかしている。
そうは言いながらも、気になるものは気になるので、オレは隣にいる猪狩の様子をそっと窺ってみた。
(真顔って…)
画面の中の人たちは盛り上がりの最高潮だったが、それを見つめる猪狩はいつもと変わらない涼しい顔をしていた。
こういうものを見ても、天才猪狩守は反応しないのだろうか。
「猪狩」
「…なんだよ」
「普段こういうの見る?」
「そんなのキミに話す義務はないだろ」
「見るんだ」
「どうだっていいだろ」
「どういうのが好きなんだ?」
興味津々で聞いてみると、猪狩はいつもの人を心底ばかにしたような目で言い返してきた。
「キミには関係ない」
「関係ないけど、気になるだろ。あ、ちなみにオレは」
「戻ったでやんす!これでスッキリ寝られるでやんす!」
「…矢部くん、もう少しデリカシーってものを持とうよ」
矢部くんが戻ってきたところでビデオも丁度フィニッシュを迎えたので、キリよく鑑賞会は終わりを迎えることとなった。
パワプロくんはトイレいいでやんすか?と矢部くんに聞かれたので、ありがたく席を立つことにした。
オレだって健全な男子高校生だ!
スッキリして戻ると、オレが押入れからひっぱりだしてきた布団がキレイに敷かれていた。
枕代わりの座布団をぱふぱふと叩きながら矢部くんが言う。
「パワプロくんの部屋、やっぱり広いでやんす。布団を敷いてもまだ余裕があるなんて羨ましいでやんす」
「はは、そんなことないよ…って猪狩、お前なにしてるんだよ」
「ボクがキミたちと一緒に雑魚寝なんてできるわけないだろう?ボクはこっちのベッドを使わせてもらうよ。寝心地は悪いがこの際仕方ない。あ、それからさっき洗面所で新品の歯ブラシを見つけたので使わせてもらったよ」
「猪狩、お前人んちでくつろぎすぎだろ…」
「猪狩くんがマイペースなのはいつものことでやんす」
「それもそうだね…」
早速猪狩は布団にもぐりこんで寝ようとしている。なんというやつだろう。
しかし、猪狩らしいと言えば猪狩らしい。
「電気消すでやんすよ」
「あ、矢部くんお願い」
電気が消されて途端に部屋が真っ暗になる。
布団にもぐりこむとさすがに疲れがやってきてすぐに眠くなった。
練習が終わった後に夜中までゲームをしてその後ビデオまで見ていたのだから当然だ。
しかし、心身共にスッキリしていてすがすがしいくらいだった。
寝返りをうつと、もうすでに寝入ってしまったらしい矢部くんの盛大ないびきが聞こえてくる。
矢部くん、相変わらず豪快な寝相だ。
ベッドの方を見ると、もぞもぞと寝返りをうっている猪狩が目に入った。
「猪狩、起きてるんだろ」
「……」
「寝れないのか?」
「寝れるさ」
「あ、やっぱり起きてる」
「……」
「なあ、お前は平気なのか」
「なにがだい」
「なにって、ナニだよ。あんなの見てオレは平気じゃいられないけど。…オレだったら、絶対そのままじゃ寝れないし」
「ボクはキミたちとは違う」
矢部くんのいびきを聞きながら二人でぼそぼそと喋る。気にしなくても、矢部くんが起きる心配はなさそうだ。
オレは布団から起き上がって猪狩を見た。
「猪狩、トイレ行って来いよ。矢部くんには黙っとくし」
「いいって言ってるだろ。しつこいな。ボクは平気だ」
猪狩が寝返りを打ってそっぽを向いてしまったので、オレは立ち上がって猪狩の顔を覗き込むようにして見てみた。
なんだコイツ睫毛長いな、そんなことを思っていたら猪狩はびっくりしたような顔をして布団から起き上がった。
「何をしているんだ、キミは!」
「本当は猪狩、かなり我慢してるんだろ」
「してないって言ってるだろ。いい加減しつこいぞ」
「嘘。だって…」
布団越しに猪狩の下半身に触れると、猪狩は大げさすぎるほどに反応してみせた。
しまった、というように目をそらす様子が何とも言えない。
「ほら」
「…今のはキミが変なところを触ったからだ」
「ふーん」
布団をはぎ取って猪狩のジャージに目をやると、ジャージごしにでも反応しているのが見て取れた。
「これでもまだ我慢してないって言うの?」
「…うるさいな。関係ないだろ」
「すごい、ジャージごしにでもはっきり分かる」
「見るな!」
「な、そんなんじゃつらいだろ?」
ジャージの上から撫でるように猪狩のものに触れる。
オレの手の動きに合わせて猪狩は小さく反応していた。
声を上げないように歯を食いしばっている様子が暗闇の中でもよく分かる。
電気を消してから時間がたっているので、大分目も慣れてきた。うるんだ猪狩の瞳が闇の中でよく映えている。
お前、それは誘ってるって言うんだぞ。
「猪狩、オレが楽にしてやるよ」
「ばか、やめろ!」
ジャージの中に手を突っ込んで、直に触れる。
すでに固く持ち上がっているそれを包むように掌で触ると、気持ちがいいのか猪狩はこちらにしなだれかかったまま動かなくなってしまった。
声を我慢しているらしい、浅い息遣いがオレを刺激する。
「う、あ…」
「猪狩」
「!」
顔を上げたところにチュッと口付ける。驚いたらしい猪狩は目をまんまるにさせている。
こういう顔もするのか、新しい発見だ。
もう一度ゆっくりと唇を合わせると、観念したように猪狩も瞼を下して身を預けてきた。
キスに夢中になりながらも、上下に扱く手は休めない。
先走りで濡れた先端を親指でこすると、猪狩は小さく息をついては快楽をやりすごしているようだった。
ここまできて往生際が悪い。
「猪狩、気持ち良いときは我慢しちゃダメだよ」
「なにを…」
「こうすると気持ちいいだろ?」
「あ、あ…」
「オレも男だから分かるし…そっかー、猪狩もココがいいのか」
「っ…」
「もういきそう?」
「聞くな、ばか…」
「ほんとに素直じゃないな、お前は…」
耳元で囁いて、そのまま舌を耳の中に侵入させる。
猪狩の浅い息遣いがだんだんと荒くなっていって、我慢できないらしい声が漏れていた。どうやら絶頂が近いらしい。
悪態をつく余裕もないようで、猪狩は黙って身を任せている。
苦しそうに掌で口を覆うので、代わりとばかりに唇で塞いでやった。
これで声も漏れないだろう。オレも気持ちが良いし、一石二鳥だ。
「ダメだ…っ」
「いっていいよ、猪狩」
扱く手に少しだけ力を加えると、猪狩はあっけなく果ててしまった。
手の中に吐き出される熱いものに満足をして、オレは猪狩の額にひとつキスを落とした。
汗ばんでいて、少しだけしょっぱい。
「へへ。気持ちよかっただろ」
「…キミは本当に愚かだな」
呆れたような顔をする猪狩の顔が今だけは一段とかわいらしく見えたので、オレはもう一度だけ猪狩の唇を塞いで目を閉じた。
「…っていう夢を見てしまったんだよ矢部くん!どうしよう!オレどうしよう!…もう猪狩の顔まともに見れないよー!!」
「なんでそれをオイラに言うでやんすか…」
「誰かに相談しないとなんかいたたまれなくて!だってありえないだろ、いくら毎日野球野球で飢えてるからって、これはないって!」
「パワプロくんの深層に潜む欲求でやんす」
「それはない!!」
「ハハハ、二軍コンビくんたちは今日も楽しそうだね」
「!」
今日も素敵に嫌味に現れた猪狩は、すがすがしいほどの笑顔を浮かべながらこちらに歩いてきた。
いつもなら売られた喧嘩を買いに行くところだが、今日はあいにくそうはいかない。
ユニフォーム姿のコイツを見てドキドキするなんてオレはどうかしている。
「?なんだい、変な顔が余計に変だよ」
「…。矢部くん、今日暇だよね?」
「暇でやんす」
「じゃあ、いいよね」
「おいおい、ボクにも分かるように話してくれないか。パワプロ、だいたいお前今日はなんだか変だぞ」
矢部くんの顔をちらっと見ると、なんとなく察しがついたようで何も言わずにこちらの言葉を待っていた。
眼鏡の奥の目が笑っているので、どうやらオレの考えはバレバレらしい。
事の顛末を見守ろうという魂胆だ。
「おい、パワプロ」
「猪狩、今日オレの家でゲームするんだ。お前も来ないか?」
続きはリアルで
――――――――
ピクシブよりお引越し
男三人でお泊りゲーム会してさらにAV鑑賞会をする9の破壊力
ライバルで友達で恋人で、ひとつぶで無限においしいのが猪狩守くんと主人公
ということを最初の最初から言っていた辺り主守の軸はこのときから確立されていたよう
「あっ、猪狩、この」
「フン、もらった!」
「二人とも、そろそろオイラにも変わるでやんす」
コントローラーを握りしめたまま、矢部くんごめんと言いながら再戦のボタンを選択する。
だって負けたまま終わりにするなんて悔しいじゃないか。
そういうわけでオレと猪狩はさっきからかれこれ小一時間ほどゲームに噛り付いている。
今まで野球にしか興味がないと思っていた猪狩は、意外にもゲームが上手かった。
やっぱり、進くんと一緒に遊んだりするのだろうか。だとしたらちょっとカワイイ。
負けず嫌いなこいつのことだから、ゲームだってたぶん勝つまでやめないんだろう。…今のオレみたいに。
「ふう。結構疲れたな。矢部、交代だ」
「やったでやんす!」
「おい猪狩、勝ち逃げはずるいぞ!」
「ハハハ、キミごときでは何度やったって同じことだよ」
ピコピコとゲーム画面を操作しながら隣にいる猪狩の様子をうかがう。結構機嫌が良さそうだ。
半ば無理やり誘ってしまったが、楽しそうにしている猪狩の様子を見てオレはほっとしていた。
しかし、猪狩が自分の部屋にいるというのはどうにも不思議な感じだ。
しかも、この流れからしておそらく泊まっていくことになるだろう。
ベッドに腰掛けている猪狩をちらちらと気にしていたら、オレは矢部くんにまでもあっさり負けてしまった。
「あー!」
「やったでやんす!勝ったでやんす!」
「負けた…」
「パワプロくん結構たいしたことないでやんす」
「ハハハ、矢部の言うとおりだね」
言っていることはムカつくが、無邪気に笑っている猪狩を見られるのは嬉しい。
こんなに喜んでくれるのなら、もっと早くに誘っていればよかった。
しかし、楽しい時間はすぐに過ぎてしまうものだ。時計を見ると、まもなく0時になるところだった。
「ふー。面白かったね。そろそろ寝ようか」
「フフ、夜はこれからでやんすよ。パワプロくん、実はオイラ面白いモノを持ってきたでやんす」
じゃーん!という効果音付きで出されたそれは、健全な男子高校生ならば誰もが興味のある代物だった。
パッケージだけで、かなりキワドイものだということが分かる。
「こ、これは!」
「秘密のビデオでやんす。先輩からもらったでやんす」
「先輩ってだれ?」
一応聞いてみるが、当の矢部くんはどこ吹く風でにやにやしている
先輩って…いったい誰だろう。すごく気になる。
「おいおい、ボクはこんなものには興味ないぞ!」
今まで黙っていた猪狩がびっくりしたように口を開いた。
ほんのり頬が上気しているように見えるのは、オレの欲目が為せる技か。
珍しくあわてているらしいその様子がカワイイ。
普段は野球の鬼である猪狩だってオレたちと同じ健全な男子高校生だ。
猪狩がコレを見てどういう反応をするのか気になる。とても気になる。
猪狩のことだ、少しでも機嫌を損ねれば「帰る」とでも言い出しそうだが、オレは一か八か煽ってみることにした。
「ほほー、怖いのかい?猪狩?」
「そういうキミこそどうなんだい?」
思った通り、予想通りの反応だ。案の定猪狩は乗ってきた。
オレも甘んじて挑発に乗ることにする。ノリというのは大切だ。
「なに!いいだろう!矢部くん、スイッチオンだ!」
「合点でやんす!」
素早い矢部くんはさっそくビデオを取り出してデッキにセットした。
ぽち、とリモコンを操作すると、さっそく画面が現れた。
「ねえ矢部くん、実はオレ、こういうのテレビで見るの初めてなんだよね」
「実を言うとオイラもでやんす。こんなの居間のテレビじゃ見れないでやんす」
「……」
オレと矢部くんが会話をしている横で猪狩は頑なに口を閉ざしていた。
なんだかんだで黙って見ている猪狩に顔がゆるんでしまいそうになる。
普段、猪狩はどうしているんだろう。
いくら野球一筋だからといって、年頃の男だ。なにをせずとも溜まるもんは溜まるというものだ。
そんなことを悶々と考えていたら、画面の中の人たちの濃厚な絡みが始まった。
うーん、これはすごいな。
「オイラ、トイレに行ってくるでやんす」
「…矢部くん、もっとこっそり行ったら」
てへぺろでやんす、と矢部くんは言い残して部屋を出て行った。
残ったのは、オレと猪狩だけ。
正直オレは、画面の中のことよりも、猪狩のことが気になって仕方がなかった。
目の前のAVよりも猪狩の方が気になるだなんて、オレというやつはどうかしている。
そうは言いながらも、気になるものは気になるので、オレは隣にいる猪狩の様子をそっと窺ってみた。
(真顔って…)
画面の中の人たちは盛り上がりの最高潮だったが、それを見つめる猪狩はいつもと変わらない涼しい顔をしていた。
こういうものを見ても、天才猪狩守は反応しないのだろうか。
「猪狩」
「…なんだよ」
「普段こういうの見る?」
「そんなのキミに話す義務はないだろ」
「見るんだ」
「どうだっていいだろ」
「どういうのが好きなんだ?」
興味津々で聞いてみると、猪狩はいつもの人を心底ばかにしたような目で言い返してきた。
「キミには関係ない」
「関係ないけど、気になるだろ。あ、ちなみにオレは」
「戻ったでやんす!これでスッキリ寝られるでやんす!」
「…矢部くん、もう少しデリカシーってものを持とうよ」
矢部くんが戻ってきたところでビデオも丁度フィニッシュを迎えたので、キリよく鑑賞会は終わりを迎えることとなった。
パワプロくんはトイレいいでやんすか?と矢部くんに聞かれたので、ありがたく席を立つことにした。
オレだって健全な男子高校生だ!
スッキリして戻ると、オレが押入れからひっぱりだしてきた布団がキレイに敷かれていた。
枕代わりの座布団をぱふぱふと叩きながら矢部くんが言う。
「パワプロくんの部屋、やっぱり広いでやんす。布団を敷いてもまだ余裕があるなんて羨ましいでやんす」
「はは、そんなことないよ…って猪狩、お前なにしてるんだよ」
「ボクがキミたちと一緒に雑魚寝なんてできるわけないだろう?ボクはこっちのベッドを使わせてもらうよ。寝心地は悪いがこの際仕方ない。あ、それからさっき洗面所で新品の歯ブラシを見つけたので使わせてもらったよ」
「猪狩、お前人んちでくつろぎすぎだろ…」
「猪狩くんがマイペースなのはいつものことでやんす」
「それもそうだね…」
早速猪狩は布団にもぐりこんで寝ようとしている。なんというやつだろう。
しかし、猪狩らしいと言えば猪狩らしい。
「電気消すでやんすよ」
「あ、矢部くんお願い」
電気が消されて途端に部屋が真っ暗になる。
布団にもぐりこむとさすがに疲れがやってきてすぐに眠くなった。
練習が終わった後に夜中までゲームをしてその後ビデオまで見ていたのだから当然だ。
しかし、心身共にスッキリしていてすがすがしいくらいだった。
寝返りをうつと、もうすでに寝入ってしまったらしい矢部くんの盛大ないびきが聞こえてくる。
矢部くん、相変わらず豪快な寝相だ。
ベッドの方を見ると、もぞもぞと寝返りをうっている猪狩が目に入った。
「猪狩、起きてるんだろ」
「……」
「寝れないのか?」
「寝れるさ」
「あ、やっぱり起きてる」
「……」
「なあ、お前は平気なのか」
「なにがだい」
「なにって、ナニだよ。あんなの見てオレは平気じゃいられないけど。…オレだったら、絶対そのままじゃ寝れないし」
「ボクはキミたちとは違う」
矢部くんのいびきを聞きながら二人でぼそぼそと喋る。気にしなくても、矢部くんが起きる心配はなさそうだ。
オレは布団から起き上がって猪狩を見た。
「猪狩、トイレ行って来いよ。矢部くんには黙っとくし」
「いいって言ってるだろ。しつこいな。ボクは平気だ」
猪狩が寝返りを打ってそっぽを向いてしまったので、オレは立ち上がって猪狩の顔を覗き込むようにして見てみた。
なんだコイツ睫毛長いな、そんなことを思っていたら猪狩はびっくりしたような顔をして布団から起き上がった。
「何をしているんだ、キミは!」
「本当は猪狩、かなり我慢してるんだろ」
「してないって言ってるだろ。いい加減しつこいぞ」
「嘘。だって…」
布団越しに猪狩の下半身に触れると、猪狩は大げさすぎるほどに反応してみせた。
しまった、というように目をそらす様子が何とも言えない。
「ほら」
「…今のはキミが変なところを触ったからだ」
「ふーん」
布団をはぎ取って猪狩のジャージに目をやると、ジャージごしにでも反応しているのが見て取れた。
「これでもまだ我慢してないって言うの?」
「…うるさいな。関係ないだろ」
「すごい、ジャージごしにでもはっきり分かる」
「見るな!」
「な、そんなんじゃつらいだろ?」
ジャージの上から撫でるように猪狩のものに触れる。
オレの手の動きに合わせて猪狩は小さく反応していた。
声を上げないように歯を食いしばっている様子が暗闇の中でもよく分かる。
電気を消してから時間がたっているので、大分目も慣れてきた。うるんだ猪狩の瞳が闇の中でよく映えている。
お前、それは誘ってるって言うんだぞ。
「猪狩、オレが楽にしてやるよ」
「ばか、やめろ!」
ジャージの中に手を突っ込んで、直に触れる。
すでに固く持ち上がっているそれを包むように掌で触ると、気持ちがいいのか猪狩はこちらにしなだれかかったまま動かなくなってしまった。
声を我慢しているらしい、浅い息遣いがオレを刺激する。
「う、あ…」
「猪狩」
「!」
顔を上げたところにチュッと口付ける。驚いたらしい猪狩は目をまんまるにさせている。
こういう顔もするのか、新しい発見だ。
もう一度ゆっくりと唇を合わせると、観念したように猪狩も瞼を下して身を預けてきた。
キスに夢中になりながらも、上下に扱く手は休めない。
先走りで濡れた先端を親指でこすると、猪狩は小さく息をついては快楽をやりすごしているようだった。
ここまできて往生際が悪い。
「猪狩、気持ち良いときは我慢しちゃダメだよ」
「なにを…」
「こうすると気持ちいいだろ?」
「あ、あ…」
「オレも男だから分かるし…そっかー、猪狩もココがいいのか」
「っ…」
「もういきそう?」
「聞くな、ばか…」
「ほんとに素直じゃないな、お前は…」
耳元で囁いて、そのまま舌を耳の中に侵入させる。
猪狩の浅い息遣いがだんだんと荒くなっていって、我慢できないらしい声が漏れていた。どうやら絶頂が近いらしい。
悪態をつく余裕もないようで、猪狩は黙って身を任せている。
苦しそうに掌で口を覆うので、代わりとばかりに唇で塞いでやった。
これで声も漏れないだろう。オレも気持ちが良いし、一石二鳥だ。
「ダメだ…っ」
「いっていいよ、猪狩」
扱く手に少しだけ力を加えると、猪狩はあっけなく果ててしまった。
手の中に吐き出される熱いものに満足をして、オレは猪狩の額にひとつキスを落とした。
汗ばんでいて、少しだけしょっぱい。
「へへ。気持ちよかっただろ」
「…キミは本当に愚かだな」
呆れたような顔をする猪狩の顔が今だけは一段とかわいらしく見えたので、オレはもう一度だけ猪狩の唇を塞いで目を閉じた。
「…っていう夢を見てしまったんだよ矢部くん!どうしよう!オレどうしよう!…もう猪狩の顔まともに見れないよー!!」
「なんでそれをオイラに言うでやんすか…」
「誰かに相談しないとなんかいたたまれなくて!だってありえないだろ、いくら毎日野球野球で飢えてるからって、これはないって!」
「パワプロくんの深層に潜む欲求でやんす」
「それはない!!」
「ハハハ、二軍コンビくんたちは今日も楽しそうだね」
「!」
今日も素敵に嫌味に現れた猪狩は、すがすがしいほどの笑顔を浮かべながらこちらに歩いてきた。
いつもなら売られた喧嘩を買いに行くところだが、今日はあいにくそうはいかない。
ユニフォーム姿のコイツを見てドキドキするなんてオレはどうかしている。
「?なんだい、変な顔が余計に変だよ」
「…。矢部くん、今日暇だよね?」
「暇でやんす」
「じゃあ、いいよね」
「おいおい、ボクにも分かるように話してくれないか。パワプロ、だいたいお前今日はなんだか変だぞ」
矢部くんの顔をちらっと見ると、なんとなく察しがついたようで何も言わずにこちらの言葉を待っていた。
眼鏡の奥の目が笑っているので、どうやらオレの考えはバレバレらしい。
事の顛末を見守ろうという魂胆だ。
「おい、パワプロ」
「猪狩、今日オレの家でゲームするんだ。お前も来ないか?」
続きはリアルで
――――――――
ピクシブよりお引越し
男三人でお泊りゲーム会してさらにAV鑑賞会をする9の破壊力
ライバルで友達で恋人で、ひとつぶで無限においしいのが猪狩守くんと主人公
ということを最初の最初から言っていた辺り主守の軸はこのときから確立されていたよう
メイド服が魅せる夢
9/主守 あかつき野球部伝統行事
「悪かったって」
「…」
「だけどさ、女の子たちはみんな喜んでくれてたし、お店は大盛況だったし、
悪いことばっかりでもなかったと思うけど。…まあ、カレンちゃんが暴走しちゃったのはご愛嬌だとして」
早足で歩き続ける猪狩を追いかけながらその背中に語りかける。
しかし、完全にオレのことを無視しているらしい猪狩は早足のまま勢いよく階段を駆け上がった。
ひざ丈のスカートが目の前でひらひらと揺れている。
なんでこいつってばこんなに足が綺麗なんだろう…
がっちりと鍛え上げられた男の足をまじまじと見ながらオレは考える。猪狩はキレイだ。
男が男をキレイだと表現するのはどうかと思うが、事実なのだから仕方ない。
自分で自分をいちばんカッコイイと言うだけのことはある、見目の麗しい猪狩はメイドの格好をしても随分と似合っていた。迫力のあるメイドさんではあったが。
おかげで出し物の喫茶店は大成功、あかつき野球部の伝統は猪狩のおかげで今年も無事に守られたというわけだ。
「なあ、いい加減機嫌直せって」
「…」
「猪狩!」
「ついてくるなと言っているだろ」
今まで無視を貫いていた猪狩がぴたりと足を止めて振り返った。
すごんだ顔をしてみても、お花のついたカチューシャとカエルの名札がそれを許さない。
オレはにやけてしまいそうになる顔を叱咤するので精一杯だった。
「おい、猪狩」
猪狩はオレの言葉なんか聞かずにどんどんと歩いていく。
教室の中に入っていったのでそのまま追いかけると、目の前でぴしゃりとドアを閉められた。
もう少しで挟まるところだった、危ない。
だいたい猪狩だって、あんな不用意にドアを開け閉めしたら危ないじゃないか。
自慢の黄金の左腕に何かあったらどうするっていうんだ。
「…なんで入ってくるんだ、キミは」
「だって」
「着替えるんだから、あっちに行ってくれ」
カチューシャをぽいと放った猪狩はまたしてもオレを睨み付ける。
見つめ合うこと数秒、猪狩は唐突に視線を外すと、諦めたのかオレに構うことなくエプロンに手をかけた。
本人ははっきりとした色合いの派手な色が好みらしいが、こういう色も似合うものだなとオレはまじまじと観察する。エプロンは、薄ピンクのふわふわだ。猪狩が動くたびにそれはふるふると震えてオレを誘惑する。
エプロンを脱ごうとするその手を制しながらオレは言った。
「待って待って、まだ記念撮影してないし!」
「バカか、キミは」
「いいじゃん、少しくらい!ていうかほんと、予想外に似合ってるというか」
「フン。このボクがこんな格好までしたんだからね」
「って、お前意外と乗り気だったのか?…まあいいや、写メでいいから一枚とらせてよ」
「いやだ」
えー、だって、というオレの抗議の声は猪狩に届かなかった。
届く前に、猪狩の口内に消えたからだ。
「…いきなりなんだよ」
「べつに、いきなりじゃないだろう」
調子に乗った猪狩は再度唇を寄せてくる。
先ほどよりもしっかりと重ねられたそれはオレの思考を乱す。
ちゅ、とわざと大きな音を立てて猪狩は離れていった。
「確かに、まだ着替えるのはもったいないかもな」
「おいちょっと待て猪狩」
「たまには趣向替えというのもいいだろう」
「お前、キャラ違ってないか?」
「キミはこういうのが好きなのだろう?」
ちがうのか?と挑発的な視線を寄越しながら猪狩は近づいてくる。
なんとなくその迫力におされてオレは後ずさったが、すぐ後ろは壁だった。
近づいてくる猪狩の顔を避けようと体を捻ったが、無理な体制だったおかげで勢いづいたまま二人一緒に床へ倒れこんだ。
「いって…」
「いた…全く、このボクが怪我でもしたらどうしてくれるんだ!」
「何言ってんだよ、もとはといえばお前のせいだろ!」
猪狩め、いきなりキスをしておいて何を言うか。
普段、学校にいる時に猪狩から近づいてくることはほとんどない。
放課後に寄り道を提案することさえ嫌な顔をされるくらいなのだ。それがましてキスだなんて。
猪狩もこんな格好をしているせいで普段とは様子が違っているようだ。
ふと思いついて、ほんの悪戯心から猪狩のスカートの中に手を突っ込んでみた。
「あっ!?」
「なーんだ。下はハーフパンツ穿いてるのか」
がっかり、と言いながら、スカートを捲ってハーフパンツの裾から掌を侵入させる。
さわさわと掌を動かし、わざといやらしい手つきで触ると、猪狩は今までも威勢はどうしたのか、急に黙り込んでしおらしくなってしまった。
太ももを撫で上げならオレは言う。
「せっかくのスカートなんだからさ、脱いでよ」
「キミってやつは…」
「趣向替えなんだろ」
言うが早いか早速ハーフパンツをずり下げる。
ハーフパンツを脱がすと、そこには見慣れたトランクスがあった。
猪狩のお気に入りらしい(とオレが勝手に思っている)真っ赤なやつだ。
「お前、スカートにトランクスはないだろ」
「じゃあ他に何を穿けというんだ」
「うーん、まあ確かに…って、ちょっと待て!」
オレが悲鳴を上げたのは他でもない、猪狩が急にオレの中心を握りこんだからだ。しかも思いっきり。ユニフォームの上から。
痛いくらいに握ったと思ったら、今度は撫でるように優しく触れられる。
いつも白球を力強く握りこむ猪狩の左手。
「いきなりなに!」
「女装した男に組み敷かれてこんなに興奮してるだなんて、キミもなかなかの趣味をしているね」
「メイド服で男を押し倒してるお前には言われたくない!」
「もう黙って」
そのまま唇をふさがれる。
いとも簡単に舌の侵入を許してしまったオレの口内はやつの好きなように弄ばれた。
ねっとりと舌を絡めたかと思えば、猪狩は唇を吸ったり食んだりと忙しい。
猪狩はディープキスが好きだ。もっと、もっとと言いたげに口付けは深くなっていく。
普段他人に何かを求めたりしないやつだからこそ、初めはこういったキスをする猪狩に驚いたものだ。
求められるのは心地良い。だって、オレこそ猪狩を求めてやまないのだから。
しかし、何度も角度を変えて交わされた口付けはオレの酸欠を以て突然に終了する。
「ちょ、待って、長すぎ…」
「普段の鍛え方が足りないからそんなことになるんだ」
「関係ないだろそれ…」
口の端からこぼれた唾液を丁寧に舐めとっていった猪狩は、今度は顔中にキスの雨を降らせながらユニフォームのズボンに手をかけてきた。
心地の良いキスにうっとりとしながらも、オレは我に返って体を起こした。
「待て待て、待て!今度はオレの番!」
猪狩の手を制して、オレは交替とばかりに態勢を入れかえた。
猪狩の上にのしかかって、そのまま下着に手をかける。勢いよく引き下げると、そこにはしっかりと反応した猪狩のものがあった。
「猪狩…お前こそ、しっかり興奮してるんじゃん」
「…フン」
スカートの中からのぞく男である象徴。しかも、他でもない猪狩のものだ。
倒錯したその光景にくらくらとした甘い眩暈を覚えながら、オレは猪狩の中心にそっと触れた。
「んっ」
「声は我慢しろよ。…ん、そうだな、机に座って」
猪狩の手を引いて、手近な机に座らせる。
珍しく言うがままにされている猪狩は大人しくそこへ座ると、ほんのり頬を染めて視線を逸らした。
本当に、こんな様子は珍しい。いつもならやむことのない小言が飛んできて、簡単にさせてはくれないというのに。
スカートを穿いているせいで、猪狩も今だけは女の子のような気分を味わっているのだろうか。
たまにはこんな日があったっていい。文化祭万歳だ。
落ち着かないのか、そっぽを向きながら足をぱたぱたと動かしている様子がかわいらしい。
オレは膝をつくと、スカートの中に頭を突っ込んで、猪狩のものを口に含んだ。
「…あっ」
唐突な刺激に驚いたのか、猪狩はひときわ甲高い声を上げて口をつぐんだ。
痛いほどに固くなったそれは、すでに先走りで濡れていた。
その先端を丹念に舐めあげると、猪狩はか細い声を上げて抗議する。
「そこばっかり、やめろ…」
「なんで、猪狩先っぽ好きじゃん」
「ばか、あ」
もう黙ってと言わんばかりに動きを早くする。
先端を唇と舌で刺激しながら、掌全体で柔らかく触れる。
自分では絶対に言わないけれど、これが猪狩のいちばん好きな触れられ方だ。
上下に動かす手を早めながら先端を吸うと、猪狩は気持ちいいのかオレの頭を抱き込んできた。
少し苦しいが、それ以上に嬉しいのでオレは黙って行為を続けることにした。
声を出さないよう必死に我慢している猪狩の浅い息遣いがオレの中心をダイレクトに刺激する。
「な、猪狩。今オレってメイドさんにご奉仕してるんだよな」
「なに言って…」
「気持ちいい?」
「なんで、そんなこと」
「言わなきゃ触ってあげない」
唇を離して猪狩の顔を見つめる。
上目に様子をうかがうと、猪狩は傍目で見ても分かるほど顔を染めてそっぽを向いた。
耳まで真っ赤にして、ふてくされたような顔をしている。
どうして今日はいちいちそんなにかわいいんだ。
猪狩のものを人差し指でなぞるように触れながら、オレはユニフォームの前を緩めた。
「オレももう限界。二人で触りっこしよ」
ズボンと下着を一気に下して立ち上がる。
触れてもいないのに完全に勃ち上がったそれを目の前に差し出すと、猪狩はなんのためらいもなく口の中に入れた。
ちろちろと舌で刺激されて思わずよろめきそうになる。
「あ、猪狩…」
「気持ちいいのか?」
「…当たり前だろ」
気をよくしたらしい猪狩はさらに深く銜え込んできた。
絡まる舌はどこまでも熱い。そのまま溶けてしまいそうだ。
少し汗ばんでいる額に手を這わせて猪狩の前髪をかきあげる。
「猪狩、すごい気持ち良い…」
「…ん」
「オレも、お前の触るからな?」
手で優しく包み込むように触れると、猪狩のそれは掌の中でさらに質量を増したように感じた。
上下に動かしながら、たまに親指で先端をはじいてやる。
それが気持ち良いようで、猪狩はオレのものを口に入れたまま、低く呻いた。
少し歯が当たったが、正直それすらも気持ちが良い。
恥ずかしいことだが、オレは今すぐにでも出してしまいそうなのを必死にこらえていた。
どうせなら、二人で一緒に出したい。
「猪狩、いきそう?」
「だから、そういうことをいちいち聞くな、っア」
お互いの立てる水音がやけに響いていやらしい。
それきり二人とも黙って、目の前の行為に没頭する。
気持ちいいのはオレだけじゃない。猪狩と一緒に気持ちがいいから、オレはこんなにも気持ちいい。
好きだな。強くそう思ったとき、オレはあっけなく熱を吐き出していた。
「だから、悪かったって」
「…」
「でも、猪狩だって乗り気だったじゃん。やる気満々だっただろ」
「…どうするんだ、これを」
「どうしようか…」
お互い熱を吐き出してスッキリした後に残ったのは、無残にも汚れてしまったメイド服と不機嫌極まりない猪狩の顔だった。
行為後の猪狩が不機嫌なのはいつものことだ。
どうやら照れ隠しらしいと気が付いてからはそういう態度もまたツボだったりするのだが、これ以上話をこじらせたくないので今は黙っておくことにする。
「キミが洗えよ」
「なんでオレが!」
「汚したのはキミだろ」
「そりゃオレもそうだけど、だいたい猪狩があんなに出すから…痛い!」
「ばかなこと言ってないでなんとかしてくれ」
「えー…カレンちゃんに洗ってもらう?」
「なんで姫野さんに!」
「案外喜んで洗ってくれそうな気がするけどな」
だってカレンちゃん、オレたちが仲良くしてると機嫌が良いみたいだし。
そう言いながらオレはメイド服を丁寧に畳んで鞄の中に押し込めた。
適当に洗い流してから、あとでクリーニングに持っていこう。
そうこうしているうちにもさっさと身支度を終えたらしい猪狩は教室から出ていこうとしている。
メイド服からついでにユニフォームへと着替えてしまったようだ。
やっぱり猪狩はこの格好がいちばん似合うし、好きだ。
トレードマークの野球帽が今日もぴょこんと上を向いている。
「あ、ちょっと待って!」
「早くしないと練習に遅れる」
「猪狩、今日も勝負だな。昨日は完全にやられちゃったけど、今日はそうはいかないからな」
「フン」
振り向いて笑った猪狩がかわいかったので、オレはもう一度だけキスをした。
今日もいい天気、ばりばり練習して目指すは甲子園だ!
―――――――――――
初めて書いた主守、及びぱわぷろのお話でございました
話し方もキャラクターもまだ自分の中で全く掴めておらず恐ろしいことになっています
当時ブログを始めていなかったためピクシブのみの掲載でしたが、こちらにも引っ越しです
「悪かったって」
「…」
「だけどさ、女の子たちはみんな喜んでくれてたし、お店は大盛況だったし、
悪いことばっかりでもなかったと思うけど。…まあ、カレンちゃんが暴走しちゃったのはご愛嬌だとして」
早足で歩き続ける猪狩を追いかけながらその背中に語りかける。
しかし、完全にオレのことを無視しているらしい猪狩は早足のまま勢いよく階段を駆け上がった。
ひざ丈のスカートが目の前でひらひらと揺れている。
なんでこいつってばこんなに足が綺麗なんだろう…
がっちりと鍛え上げられた男の足をまじまじと見ながらオレは考える。猪狩はキレイだ。
男が男をキレイだと表現するのはどうかと思うが、事実なのだから仕方ない。
自分で自分をいちばんカッコイイと言うだけのことはある、見目の麗しい猪狩はメイドの格好をしても随分と似合っていた。迫力のあるメイドさんではあったが。
おかげで出し物の喫茶店は大成功、あかつき野球部の伝統は猪狩のおかげで今年も無事に守られたというわけだ。
「なあ、いい加減機嫌直せって」
「…」
「猪狩!」
「ついてくるなと言っているだろ」
今まで無視を貫いていた猪狩がぴたりと足を止めて振り返った。
すごんだ顔をしてみても、お花のついたカチューシャとカエルの名札がそれを許さない。
オレはにやけてしまいそうになる顔を叱咤するので精一杯だった。
「おい、猪狩」
猪狩はオレの言葉なんか聞かずにどんどんと歩いていく。
教室の中に入っていったのでそのまま追いかけると、目の前でぴしゃりとドアを閉められた。
もう少しで挟まるところだった、危ない。
だいたい猪狩だって、あんな不用意にドアを開け閉めしたら危ないじゃないか。
自慢の黄金の左腕に何かあったらどうするっていうんだ。
「…なんで入ってくるんだ、キミは」
「だって」
「着替えるんだから、あっちに行ってくれ」
カチューシャをぽいと放った猪狩はまたしてもオレを睨み付ける。
見つめ合うこと数秒、猪狩は唐突に視線を外すと、諦めたのかオレに構うことなくエプロンに手をかけた。
本人ははっきりとした色合いの派手な色が好みらしいが、こういう色も似合うものだなとオレはまじまじと観察する。エプロンは、薄ピンクのふわふわだ。猪狩が動くたびにそれはふるふると震えてオレを誘惑する。
エプロンを脱ごうとするその手を制しながらオレは言った。
「待って待って、まだ記念撮影してないし!」
「バカか、キミは」
「いいじゃん、少しくらい!ていうかほんと、予想外に似合ってるというか」
「フン。このボクがこんな格好までしたんだからね」
「って、お前意外と乗り気だったのか?…まあいいや、写メでいいから一枚とらせてよ」
「いやだ」
えー、だって、というオレの抗議の声は猪狩に届かなかった。
届く前に、猪狩の口内に消えたからだ。
「…いきなりなんだよ」
「べつに、いきなりじゃないだろう」
調子に乗った猪狩は再度唇を寄せてくる。
先ほどよりもしっかりと重ねられたそれはオレの思考を乱す。
ちゅ、とわざと大きな音を立てて猪狩は離れていった。
「確かに、まだ着替えるのはもったいないかもな」
「おいちょっと待て猪狩」
「たまには趣向替えというのもいいだろう」
「お前、キャラ違ってないか?」
「キミはこういうのが好きなのだろう?」
ちがうのか?と挑発的な視線を寄越しながら猪狩は近づいてくる。
なんとなくその迫力におされてオレは後ずさったが、すぐ後ろは壁だった。
近づいてくる猪狩の顔を避けようと体を捻ったが、無理な体制だったおかげで勢いづいたまま二人一緒に床へ倒れこんだ。
「いって…」
「いた…全く、このボクが怪我でもしたらどうしてくれるんだ!」
「何言ってんだよ、もとはといえばお前のせいだろ!」
猪狩め、いきなりキスをしておいて何を言うか。
普段、学校にいる時に猪狩から近づいてくることはほとんどない。
放課後に寄り道を提案することさえ嫌な顔をされるくらいなのだ。それがましてキスだなんて。
猪狩もこんな格好をしているせいで普段とは様子が違っているようだ。
ふと思いついて、ほんの悪戯心から猪狩のスカートの中に手を突っ込んでみた。
「あっ!?」
「なーんだ。下はハーフパンツ穿いてるのか」
がっかり、と言いながら、スカートを捲ってハーフパンツの裾から掌を侵入させる。
さわさわと掌を動かし、わざといやらしい手つきで触ると、猪狩は今までも威勢はどうしたのか、急に黙り込んでしおらしくなってしまった。
太ももを撫で上げならオレは言う。
「せっかくのスカートなんだからさ、脱いでよ」
「キミってやつは…」
「趣向替えなんだろ」
言うが早いか早速ハーフパンツをずり下げる。
ハーフパンツを脱がすと、そこには見慣れたトランクスがあった。
猪狩のお気に入りらしい(とオレが勝手に思っている)真っ赤なやつだ。
「お前、スカートにトランクスはないだろ」
「じゃあ他に何を穿けというんだ」
「うーん、まあ確かに…って、ちょっと待て!」
オレが悲鳴を上げたのは他でもない、猪狩が急にオレの中心を握りこんだからだ。しかも思いっきり。ユニフォームの上から。
痛いくらいに握ったと思ったら、今度は撫でるように優しく触れられる。
いつも白球を力強く握りこむ猪狩の左手。
「いきなりなに!」
「女装した男に組み敷かれてこんなに興奮してるだなんて、キミもなかなかの趣味をしているね」
「メイド服で男を押し倒してるお前には言われたくない!」
「もう黙って」
そのまま唇をふさがれる。
いとも簡単に舌の侵入を許してしまったオレの口内はやつの好きなように弄ばれた。
ねっとりと舌を絡めたかと思えば、猪狩は唇を吸ったり食んだりと忙しい。
猪狩はディープキスが好きだ。もっと、もっとと言いたげに口付けは深くなっていく。
普段他人に何かを求めたりしないやつだからこそ、初めはこういったキスをする猪狩に驚いたものだ。
求められるのは心地良い。だって、オレこそ猪狩を求めてやまないのだから。
しかし、何度も角度を変えて交わされた口付けはオレの酸欠を以て突然に終了する。
「ちょ、待って、長すぎ…」
「普段の鍛え方が足りないからそんなことになるんだ」
「関係ないだろそれ…」
口の端からこぼれた唾液を丁寧に舐めとっていった猪狩は、今度は顔中にキスの雨を降らせながらユニフォームのズボンに手をかけてきた。
心地の良いキスにうっとりとしながらも、オレは我に返って体を起こした。
「待て待て、待て!今度はオレの番!」
猪狩の手を制して、オレは交替とばかりに態勢を入れかえた。
猪狩の上にのしかかって、そのまま下着に手をかける。勢いよく引き下げると、そこにはしっかりと反応した猪狩のものがあった。
「猪狩…お前こそ、しっかり興奮してるんじゃん」
「…フン」
スカートの中からのぞく男である象徴。しかも、他でもない猪狩のものだ。
倒錯したその光景にくらくらとした甘い眩暈を覚えながら、オレは猪狩の中心にそっと触れた。
「んっ」
「声は我慢しろよ。…ん、そうだな、机に座って」
猪狩の手を引いて、手近な机に座らせる。
珍しく言うがままにされている猪狩は大人しくそこへ座ると、ほんのり頬を染めて視線を逸らした。
本当に、こんな様子は珍しい。いつもならやむことのない小言が飛んできて、簡単にさせてはくれないというのに。
スカートを穿いているせいで、猪狩も今だけは女の子のような気分を味わっているのだろうか。
たまにはこんな日があったっていい。文化祭万歳だ。
落ち着かないのか、そっぽを向きながら足をぱたぱたと動かしている様子がかわいらしい。
オレは膝をつくと、スカートの中に頭を突っ込んで、猪狩のものを口に含んだ。
「…あっ」
唐突な刺激に驚いたのか、猪狩はひときわ甲高い声を上げて口をつぐんだ。
痛いほどに固くなったそれは、すでに先走りで濡れていた。
その先端を丹念に舐めあげると、猪狩はか細い声を上げて抗議する。
「そこばっかり、やめろ…」
「なんで、猪狩先っぽ好きじゃん」
「ばか、あ」
もう黙ってと言わんばかりに動きを早くする。
先端を唇と舌で刺激しながら、掌全体で柔らかく触れる。
自分では絶対に言わないけれど、これが猪狩のいちばん好きな触れられ方だ。
上下に動かす手を早めながら先端を吸うと、猪狩は気持ちいいのかオレの頭を抱き込んできた。
少し苦しいが、それ以上に嬉しいのでオレは黙って行為を続けることにした。
声を出さないよう必死に我慢している猪狩の浅い息遣いがオレの中心をダイレクトに刺激する。
「な、猪狩。今オレってメイドさんにご奉仕してるんだよな」
「なに言って…」
「気持ちいい?」
「なんで、そんなこと」
「言わなきゃ触ってあげない」
唇を離して猪狩の顔を見つめる。
上目に様子をうかがうと、猪狩は傍目で見ても分かるほど顔を染めてそっぽを向いた。
耳まで真っ赤にして、ふてくされたような顔をしている。
どうして今日はいちいちそんなにかわいいんだ。
猪狩のものを人差し指でなぞるように触れながら、オレはユニフォームの前を緩めた。
「オレももう限界。二人で触りっこしよ」
ズボンと下着を一気に下して立ち上がる。
触れてもいないのに完全に勃ち上がったそれを目の前に差し出すと、猪狩はなんのためらいもなく口の中に入れた。
ちろちろと舌で刺激されて思わずよろめきそうになる。
「あ、猪狩…」
「気持ちいいのか?」
「…当たり前だろ」
気をよくしたらしい猪狩はさらに深く銜え込んできた。
絡まる舌はどこまでも熱い。そのまま溶けてしまいそうだ。
少し汗ばんでいる額に手を這わせて猪狩の前髪をかきあげる。
「猪狩、すごい気持ち良い…」
「…ん」
「オレも、お前の触るからな?」
手で優しく包み込むように触れると、猪狩のそれは掌の中でさらに質量を増したように感じた。
上下に動かしながら、たまに親指で先端をはじいてやる。
それが気持ち良いようで、猪狩はオレのものを口に入れたまま、低く呻いた。
少し歯が当たったが、正直それすらも気持ちが良い。
恥ずかしいことだが、オレは今すぐにでも出してしまいそうなのを必死にこらえていた。
どうせなら、二人で一緒に出したい。
「猪狩、いきそう?」
「だから、そういうことをいちいち聞くな、っア」
お互いの立てる水音がやけに響いていやらしい。
それきり二人とも黙って、目の前の行為に没頭する。
気持ちいいのはオレだけじゃない。猪狩と一緒に気持ちがいいから、オレはこんなにも気持ちいい。
好きだな。強くそう思ったとき、オレはあっけなく熱を吐き出していた。
「だから、悪かったって」
「…」
「でも、猪狩だって乗り気だったじゃん。やる気満々だっただろ」
「…どうするんだ、これを」
「どうしようか…」
お互い熱を吐き出してスッキリした後に残ったのは、無残にも汚れてしまったメイド服と不機嫌極まりない猪狩の顔だった。
行為後の猪狩が不機嫌なのはいつものことだ。
どうやら照れ隠しらしいと気が付いてからはそういう態度もまたツボだったりするのだが、これ以上話をこじらせたくないので今は黙っておくことにする。
「キミが洗えよ」
「なんでオレが!」
「汚したのはキミだろ」
「そりゃオレもそうだけど、だいたい猪狩があんなに出すから…痛い!」
「ばかなこと言ってないでなんとかしてくれ」
「えー…カレンちゃんに洗ってもらう?」
「なんで姫野さんに!」
「案外喜んで洗ってくれそうな気がするけどな」
だってカレンちゃん、オレたちが仲良くしてると機嫌が良いみたいだし。
そう言いながらオレはメイド服を丁寧に畳んで鞄の中に押し込めた。
適当に洗い流してから、あとでクリーニングに持っていこう。
そうこうしているうちにもさっさと身支度を終えたらしい猪狩は教室から出ていこうとしている。
メイド服からついでにユニフォームへと着替えてしまったようだ。
やっぱり猪狩はこの格好がいちばん似合うし、好きだ。
トレードマークの野球帽が今日もぴょこんと上を向いている。
「あ、ちょっと待って!」
「早くしないと練習に遅れる」
「猪狩、今日も勝負だな。昨日は完全にやられちゃったけど、今日はそうはいかないからな」
「フン」
振り向いて笑った猪狩がかわいかったので、オレはもう一度だけキスをした。
今日もいい天気、ばりばり練習して目指すは甲子園だ!
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初めて書いた主守、及びぱわぷろのお話でございました
話し方もキャラクターもまだ自分の中で全く掴めておらず恐ろしいことになっています
当時ブログを始めていなかったためピクシブのみの掲載でしたが、こちらにも引っ越しです

