のぼせる
のぼせる(主人公×猪狩守)
よく晴れたある夏の日。青い空、白い雲、風ひとつない真夏のグラウンドは灼熱の暑さで、かげろうが立ち上って見えるほどだった。マウンドに立ち、グラブの中でボールの感触を確かめた時だ。鼻の奥からつう、と伝って垂れる感覚は久しく忘れていたもので、それが鼻血だと気付くまで少し時間がかかった。あまりの暑さにのぼせてしまったのだろうかと、そんなことを考えついた間に横から腕が伸びて来て、鼻を拭われていた。
「猪狩、大丈夫か?こんなので、悪いけど」
いつの間にやって来たのか、パワプロが自分の鼻をおさえている。拭った長袖のアンダーシャツはすっかり汚れてしまったが、全く意に介していないようだ。
「上向くなよ。そう、鼻押さえて」
言われるまま親指と人差し指でそこを押さえ、ベンチまで戻ってタオルを掴んだ。監督に向かって、医務室に行って来ますと言ったのは、ボクよりもパワプロの声の方が早かった。
***
「え?なにそれ、そんなことあったっけ」
猪狩ってさ、いつオレのこと好きになったの。そんな馬鹿げた戯言に真面目に答えてやったというのに、質問した当人はさらにふざけたことを言っている。思わず傾けたグラスを一気に飲み干すと、慌てて心配するような声が降ってきた。こんなこと、酔ってでもいなければ言えるものか。チェーン店の大衆居酒屋だったが、 半個室になっているおかげで周りには見えない。ざわざわと騒がしい喧騒だけが遠巻きに聞こえてくる。
「それって、結構昔のことじゃないか?高校生のとき?」
「そうだよ」
「よく覚えてるなあ。ていうか、なんでそれで好きになるの」
「うるさいな。知らないよ。もう黙れ」
「なに急に怒ってんだよ」
恥ずかしいような悔しいような、なんだかそういう気持ちになって、ボクは店員を呼び止めて追加のビールを注文した。おい猪狩、と嗜める声を無視する。
「あー。なんか、だんだん思い出して来たかも。そうだ、紅白戦のときじゃなかったっけ」
「……」
「あ、それこっちのです」
ビールを持って来た店員に礼を言って受け取ったパワプロは、どうやらこれ以上ボクに飲ませてくれるつもりはないらしかった。空いたグラスを片付けている店員に、今度はソフトドリンクを追加で注文している。
「それで、キミは?」
「ん?」
「だから!キミの方こそ、いつボクのことを好きになったんだい」
ボクがわざわざこんな恥ずかしい話をしてやったのだから、当然パワプロにも同じ目にあってもらわなければ割に合わない。そう思うのにパワプロはビールを傾けては首を捻るばかりで、それを見ていたらボクは本格的に腹が立って来た。飲んでいるビールを頭からかけてやりたい気分だ。
「そんなに怒るなよ」
「うるさい。キミのことなんて全然好きじゃない」
「ほんとに?」
正面から瞳がかち合う。真っ直ぐにこちらを見つめるその顔に、弱かった。逸らされることなく向けられる眼差しは柔らかく、結局何も言えなくなる。観念したボクが呟いた言葉に、パワプロが微笑んだ。
「猪狩のこと、きっかけなんて忘れちゃうくらいずっと前から好きだったよ。それじゃダメ?」
そうやってこちらの顔を見ながら、甘えたような声を出す。いつもの手口だと分かっているのに、何も言えなかった。
「猪狩、顔真っ赤。鼻血出すなよ」
キミといるといつもこうだよ。さっき追加で注文したソフトドリンクを受け取りながら、そんなことを考えていた。
了
ーーーーーーーー
この店員は私です♡と言って読んだ人全員白けさせよかな
(すみません申し訳ございません陳謝主守ラブラブパワー)
よく晴れたある夏の日。青い空、白い雲、風ひとつない真夏のグラウンドは灼熱の暑さで、かげろうが立ち上って見えるほどだった。マウンドに立ち、グラブの中でボールの感触を確かめた時だ。鼻の奥からつう、と伝って垂れる感覚は久しく忘れていたもので、それが鼻血だと気付くまで少し時間がかかった。あまりの暑さにのぼせてしまったのだろうかと、そんなことを考えついた間に横から腕が伸びて来て、鼻を拭われていた。
「猪狩、大丈夫か?こんなので、悪いけど」
いつの間にやって来たのか、パワプロが自分の鼻をおさえている。拭った長袖のアンダーシャツはすっかり汚れてしまったが、全く意に介していないようだ。
「上向くなよ。そう、鼻押さえて」
言われるまま親指と人差し指でそこを押さえ、ベンチまで戻ってタオルを掴んだ。監督に向かって、医務室に行って来ますと言ったのは、ボクよりもパワプロの声の方が早かった。
***
「え?なにそれ、そんなことあったっけ」
猪狩ってさ、いつオレのこと好きになったの。そんな馬鹿げた戯言に真面目に答えてやったというのに、質問した当人はさらにふざけたことを言っている。思わず傾けたグラスを一気に飲み干すと、慌てて心配するような声が降ってきた。こんなこと、酔ってでもいなければ言えるものか。チェーン店の大衆居酒屋だったが、 半個室になっているおかげで周りには見えない。ざわざわと騒がしい喧騒だけが遠巻きに聞こえてくる。
「それって、結構昔のことじゃないか?高校生のとき?」
「そうだよ」
「よく覚えてるなあ。ていうか、なんでそれで好きになるの」
「うるさいな。知らないよ。もう黙れ」
「なに急に怒ってんだよ」
恥ずかしいような悔しいような、なんだかそういう気持ちになって、ボクは店員を呼び止めて追加のビールを注文した。おい猪狩、と嗜める声を無視する。
「あー。なんか、だんだん思い出して来たかも。そうだ、紅白戦のときじゃなかったっけ」
「……」
「あ、それこっちのです」
ビールを持って来た店員に礼を言って受け取ったパワプロは、どうやらこれ以上ボクに飲ませてくれるつもりはないらしかった。空いたグラスを片付けている店員に、今度はソフトドリンクを追加で注文している。
「それで、キミは?」
「ん?」
「だから!キミの方こそ、いつボクのことを好きになったんだい」
ボクがわざわざこんな恥ずかしい話をしてやったのだから、当然パワプロにも同じ目にあってもらわなければ割に合わない。そう思うのにパワプロはビールを傾けては首を捻るばかりで、それを見ていたらボクは本格的に腹が立って来た。飲んでいるビールを頭からかけてやりたい気分だ。
「そんなに怒るなよ」
「うるさい。キミのことなんて全然好きじゃない」
「ほんとに?」
正面から瞳がかち合う。真っ直ぐにこちらを見つめるその顔に、弱かった。逸らされることなく向けられる眼差しは柔らかく、結局何も言えなくなる。観念したボクが呟いた言葉に、パワプロが微笑んだ。
「猪狩のこと、きっかけなんて忘れちゃうくらいずっと前から好きだったよ。それじゃダメ?」
そうやってこちらの顔を見ながら、甘えたような声を出す。いつもの手口だと分かっているのに、何も言えなかった。
「猪狩、顔真っ赤。鼻血出すなよ」
キミといるといつもこうだよ。さっき追加で注文したソフトドリンクを受け取りながら、そんなことを考えていた。
了
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この店員は私です♡と言って読んだ人全員白けさせよかな
(すみません申し訳ございません陳謝主守ラブラブパワー)
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ひとつしかあげない
「キミの言うそれは、どういう意味なんだ」
恋人の耳元で甘い愛を囁いた結果、このように真顔で問い返されるケースというのは、果たしてどの程度発生する現象なんだろうか。腕の中の猪狩は、甘ったるい雰囲気になるどころか、ごく真剣な表情だ。むしろその顔は怒っているようにさえ見えた。
「どういうって、そのままの意味だけど」
「……」
「オレは、猪狩のことが一番好きだよ」
「ふうん」
ふうん、と来た。奥歯が凍るようなとびきり恥ずかしい殺し文句を最愛の恋人に贈った結果がこれだ。若干心が折れそうになったところでさすが猪狩、トドメを刺していくのを忘れない。
「ボクはべつに、一番じゃないけどね」
ゲームセット。胸の真ん中にぐっさり突き刺さった猪狩の言葉が抜けるまで、オレはしばらく身動きが取れなかった。
そういうことがあって、数日、数週間と時間が経っても、猪狩の様子は今まで通り全く変わりなかった。オレは肩透かしを食ったような、拍子抜けのような、情けないような悲しいような、不思議な気分を味わっていた。それでも猪狩から離れるなんて考えられなくて、それもまた哀愁を誘う。猪狩はもう、オレのことなんて好きじゃないのに。
「おい、パワプロ」
あとから布団に入ってきた猪狩が、背を向けて眠るオレの背中にくっ付いてくる。珍しい動作に、嫌でも胸が跳ねた。風呂上がりらしい猪狩の体温はいつもより高くて、石鹸のいい匂いがした。返事をしないでいると、肩を揺すられる。
「キミ、最近変だぞ」
「だって猪狩は、オレのこと好きじゃないんだろ」
「誰が言ったんだ、そんなこと」
「お前じゃん!」
あんまりびっくりしたから、オレは叫びながら勢いよく身体を起こした。突然なんだという目で猪狩がこちらを見ている。
「いや、猪狩が言ったんじゃん!この前!オレ、ほんとにショックだったんだからな!」
「何をそんなに怒っているんだ」
「だから!猪狩がオレのこと、べつに一番好きじゃないって」
「ああ、それのことかい」
猪狩の顔を見ていると、変に高ぶって泣き出してしまいそうだった。悲しいのか、怒れるのか、でもやっぱり好きで、猪狩の顔を見ているとそれしか考えられない。だって、オレはこんなにも猪狩のことが好きだ。猪狩がオレのことを好きじゃなくなっても、オレは。
「キミは何か勘違いをしているようだね」
「なにを」
「あれは、そんな意味じゃない」
「じゃあ、なに」
「キミの他には、いないという意味だ」
「え」
「キミがボクのことを一番だのなんだのと言うから、じゃあ二番がいるのかと面白くない気持ちになって、少しイジワルをした。かもしれない」
「……」
「ボクは比べられるのが嫌いなんだ、だから」
猪狩が言い終わる前に、オレはその身体を腕いっぱいに抱きしめた。苦しいと声を出した猪狩を無視して、オレはその胸に顔を埋める。
「猪狩のばか。好き」
「言っていることとやっていることが支離滅裂だ」
「オレ、そんなつもりで言ったんじゃないよ」
「知っている。だからちょっとしたイジワルだと言っただろ」
「全然ちょっとじゃないよ……」
「悪かった」
「ほんとに悪いと思ってる?」
「まあ」
「オレ、猪狩しか好きじゃない」
「知っている」
「やだこのままじゃ許せない」
どうすればいい?と視線で問う猪狩に、オレは唇をねだった。キス。ゆっくり重なって、すぐに離れた。口付けのあとで猪狩がくれた言葉は砂糖菓子みたいに甘くて、オレはもっと、と言って目を閉じた。
了
ーーーーーーーー
いつものやつー!!をいつもよりねっとり書きました
ラブラブですね
恋人の耳元で甘い愛を囁いた結果、このように真顔で問い返されるケースというのは、果たしてどの程度発生する現象なんだろうか。腕の中の猪狩は、甘ったるい雰囲気になるどころか、ごく真剣な表情だ。むしろその顔は怒っているようにさえ見えた。
「どういうって、そのままの意味だけど」
「……」
「オレは、猪狩のことが一番好きだよ」
「ふうん」
ふうん、と来た。奥歯が凍るようなとびきり恥ずかしい殺し文句を最愛の恋人に贈った結果がこれだ。若干心が折れそうになったところでさすが猪狩、トドメを刺していくのを忘れない。
「ボクはべつに、一番じゃないけどね」
ゲームセット。胸の真ん中にぐっさり突き刺さった猪狩の言葉が抜けるまで、オレはしばらく身動きが取れなかった。
そういうことがあって、数日、数週間と時間が経っても、猪狩の様子は今まで通り全く変わりなかった。オレは肩透かしを食ったような、拍子抜けのような、情けないような悲しいような、不思議な気分を味わっていた。それでも猪狩から離れるなんて考えられなくて、それもまた哀愁を誘う。猪狩はもう、オレのことなんて好きじゃないのに。
「おい、パワプロ」
あとから布団に入ってきた猪狩が、背を向けて眠るオレの背中にくっ付いてくる。珍しい動作に、嫌でも胸が跳ねた。風呂上がりらしい猪狩の体温はいつもより高くて、石鹸のいい匂いがした。返事をしないでいると、肩を揺すられる。
「キミ、最近変だぞ」
「だって猪狩は、オレのこと好きじゃないんだろ」
「誰が言ったんだ、そんなこと」
「お前じゃん!」
あんまりびっくりしたから、オレは叫びながら勢いよく身体を起こした。突然なんだという目で猪狩がこちらを見ている。
「いや、猪狩が言ったんじゃん!この前!オレ、ほんとにショックだったんだからな!」
「何をそんなに怒っているんだ」
「だから!猪狩がオレのこと、べつに一番好きじゃないって」
「ああ、それのことかい」
猪狩の顔を見ていると、変に高ぶって泣き出してしまいそうだった。悲しいのか、怒れるのか、でもやっぱり好きで、猪狩の顔を見ているとそれしか考えられない。だって、オレはこんなにも猪狩のことが好きだ。猪狩がオレのことを好きじゃなくなっても、オレは。
「キミは何か勘違いをしているようだね」
「なにを」
「あれは、そんな意味じゃない」
「じゃあ、なに」
「キミの他には、いないという意味だ」
「え」
「キミがボクのことを一番だのなんだのと言うから、じゃあ二番がいるのかと面白くない気持ちになって、少しイジワルをした。かもしれない」
「……」
「ボクは比べられるのが嫌いなんだ、だから」
猪狩が言い終わる前に、オレはその身体を腕いっぱいに抱きしめた。苦しいと声を出した猪狩を無視して、オレはその胸に顔を埋める。
「猪狩のばか。好き」
「言っていることとやっていることが支離滅裂だ」
「オレ、そんなつもりで言ったんじゃないよ」
「知っている。だからちょっとしたイジワルだと言っただろ」
「全然ちょっとじゃないよ……」
「悪かった」
「ほんとに悪いと思ってる?」
「まあ」
「オレ、猪狩しか好きじゃない」
「知っている」
「やだこのままじゃ許せない」
どうすればいい?と視線で問う猪狩に、オレは唇をねだった。キス。ゆっくり重なって、すぐに離れた。口付けのあとで猪狩がくれた言葉は砂糖菓子みたいに甘くて、オレはもっと、と言って目を閉じた。
了
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いつものやつー!!をいつもよりねっとり書きました
ラブラブですね
おはなしはここでおわり
「そうして二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
「なんだ、それで終わりか」
隣で寝転んでいる猪狩がいかにもつまらなさそうな声で言った。このままだと次を読めとでも言われそうなので、オレは先に牽制する。
「ていうか、なんでオレが猪狩に絵本の読み聞かせしてんの?おかしくない?」
「キミが、自分でも読めると言い出したからだろう」
「それはまあ、言ったけど」
発端は本当につまらないことで、オーディオブックを聞いていた猪狩が構ってくれなくて退屈だったから、そんなものはオレにでも読めるなどと言ってしまったことが始まりだった。読書の時間を邪魔された猪狩は、それなら読んでもらおうじゃないかと、なぜだか知らないが絵本を持って来た。聞けば、わざわざ実家から取り寄せたらしい。猪狩は昔からよく分からないところがあるし、意外とお茶目だ。本人は全くそのような自覚がないところも含めて諸々と。
「ていうか、本増えてない?しかも童話ばっかりじゃん」
「最近、童話の良さに改めて気付いたんだ」
「なんで」
「うるさいな、べつにいいだろ」
昨日は北風と太陽、その前は鶴の恩返し、今日はシンデレラだ。国もジャンルも趣味もバラバラで、猪狩の考えていることはよく分からない。本を置くと、続きをねだる目で猪狩がこちらを見ていた。
「どうした?」
少しだけいじわるをして聞き返すと、猪狩は興味を失くしたようにぷいとそっぽを向いた。本当は分かっている。猪狩がただ甘えるための口実を得ているだけなのも、寝転んで本を読む間は黙ってそばにいられると思っているのも。だから、お話はこれでおしまい。電気を消したら、今度はオレが猪狩に甘えさせてもらう番だから。
了
ーーーーーーーーー
ギャグです!
「なんだ、それで終わりか」
隣で寝転んでいる猪狩がいかにもつまらなさそうな声で言った。このままだと次を読めとでも言われそうなので、オレは先に牽制する。
「ていうか、なんでオレが猪狩に絵本の読み聞かせしてんの?おかしくない?」
「キミが、自分でも読めると言い出したからだろう」
「それはまあ、言ったけど」
発端は本当につまらないことで、オーディオブックを聞いていた猪狩が構ってくれなくて退屈だったから、そんなものはオレにでも読めるなどと言ってしまったことが始まりだった。読書の時間を邪魔された猪狩は、それなら読んでもらおうじゃないかと、なぜだか知らないが絵本を持って来た。聞けば、わざわざ実家から取り寄せたらしい。猪狩は昔からよく分からないところがあるし、意外とお茶目だ。本人は全くそのような自覚がないところも含めて諸々と。
「ていうか、本増えてない?しかも童話ばっかりじゃん」
「最近、童話の良さに改めて気付いたんだ」
「なんで」
「うるさいな、べつにいいだろ」
昨日は北風と太陽、その前は鶴の恩返し、今日はシンデレラだ。国もジャンルも趣味もバラバラで、猪狩の考えていることはよく分からない。本を置くと、続きをねだる目で猪狩がこちらを見ていた。
「どうした?」
少しだけいじわるをして聞き返すと、猪狩は興味を失くしたようにぷいとそっぽを向いた。本当は分かっている。猪狩がただ甘えるための口実を得ているだけなのも、寝転んで本を読む間は黙ってそばにいられると思っているのも。だから、お話はこれでおしまい。電気を消したら、今度はオレが猪狩に甘えさせてもらう番だから。
了
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ギャグです!
話がちがうじゃん
子供の頃、リトルリーグで一緒に野球をしていた女の子がいた。すごくかわいくて、茶色の短い髪がとてもよく似合っていた。かわいいのに負けず嫌いで、ずっと年上の上級生に打ち負かされるたびに本気で悔しがって泣いていたのをよく覚えている。すぐに涙を拭いて練習を始める姿は、子供心にも心の奥深くに印象付いて、今でも忘れない。
それから間もなくして別のチームに行くことになったその子とはそれきりになってしまったけど、いつかまた一緒に野球をしようね、そのときは絶対に負けないよなんて、指切りしながら笑い合った。そんな子供の頃に交わしたかわいらしい約束と、どこかでまたあの子に会える日が来ることを信じて、オレは今日まで野球をして来た。のに。
「話がちがうじゃん!」
「キミはまだその話をしているのか」
暇人は時間があっていいねときれいな顔で笑う隣の男こそ、オレが約束した、子供の頃の思い出の君であった。そんなことって、あるだろうか。猪狩とは高校の入学式の日に再会した。男であることはもちろんすぐに分かったが、あの日の面影も確かに残っていて、胸がときめいてしまったのもまた、事実。
「キミが勝手にボクのことを女だと勘違いしてたんだろ」
「だって、すごいかわいかった!し……」
「それは、どうも」
「タオルとか、水筒とか、持ってる物もみんなかわいくなかった?オレ、すげえ覚えてるんだけど」
「母の趣味だ。あの頃の母は、特にかわいらしいものが好きだったから。髪を伸ばしていた弟の髪は、結われていたぞ」
「そうなんだ……」
再会した猪狩に文句を言いながら帰路を共にするのも、これまた恒例になっていた。猪狩がチームを移ったのは弟と野球を一緒にするためだったらしく、去年までは中学でも兄弟でバッテリーを組んでいたらしい。来年は弟もあかつきに入学予定とのこと、来年の今頃にはまた、猪狩と弟の兄弟バッテリーが見れることだろう。
「それで?子供の頃からの約束が叶った感想は?」
ふてぶてしい顔で笑う猪狩の顔があんまり嫌味ったらしいもんだから、オレは手を伸ばしてその鼻先を摘んでやった。へへ、ざまあみろ、変な顔。
「なにするんだ!」
猪狩は怒っているが、オレは全然、それどころではないのだ。だって、思い出の中のあの子より、いま隣を歩いている猪狩の方がずっとかわいいなんて、そんなこと。一体全体どうしたらそんなことが言えるっていうんだ!
「キミって、しつこいんだな」
そうだよ、今更気付いたか。オレは普通に、女の子が好きだったのに。それなのにお前のせいで、女とか男とか関係なくて、実は猪狩だから好きだったなんて、そんなことに気付いてしまったんだ。あまりにも酷で、あまりにも話が違う。
「面倒だから、もう機嫌を直せ。今日も家で練習するぞ」
そんなかわいい顔で笑うなんて、本当に、本当に、話がちがう!
了
ーーーーーーーーーーーーー
妄想乙!でもたまにはこんなのもよくない?
主守はなんでもいい。
それから間もなくして別のチームに行くことになったその子とはそれきりになってしまったけど、いつかまた一緒に野球をしようね、そのときは絶対に負けないよなんて、指切りしながら笑い合った。そんな子供の頃に交わしたかわいらしい約束と、どこかでまたあの子に会える日が来ることを信じて、オレは今日まで野球をして来た。のに。
「話がちがうじゃん!」
「キミはまだその話をしているのか」
暇人は時間があっていいねときれいな顔で笑う隣の男こそ、オレが約束した、子供の頃の思い出の君であった。そんなことって、あるだろうか。猪狩とは高校の入学式の日に再会した。男であることはもちろんすぐに分かったが、あの日の面影も確かに残っていて、胸がときめいてしまったのもまた、事実。
「キミが勝手にボクのことを女だと勘違いしてたんだろ」
「だって、すごいかわいかった!し……」
「それは、どうも」
「タオルとか、水筒とか、持ってる物もみんなかわいくなかった?オレ、すげえ覚えてるんだけど」
「母の趣味だ。あの頃の母は、特にかわいらしいものが好きだったから。髪を伸ばしていた弟の髪は、結われていたぞ」
「そうなんだ……」
再会した猪狩に文句を言いながら帰路を共にするのも、これまた恒例になっていた。猪狩がチームを移ったのは弟と野球を一緒にするためだったらしく、去年までは中学でも兄弟でバッテリーを組んでいたらしい。来年は弟もあかつきに入学予定とのこと、来年の今頃にはまた、猪狩と弟の兄弟バッテリーが見れることだろう。
「それで?子供の頃からの約束が叶った感想は?」
ふてぶてしい顔で笑う猪狩の顔があんまり嫌味ったらしいもんだから、オレは手を伸ばしてその鼻先を摘んでやった。へへ、ざまあみろ、変な顔。
「なにするんだ!」
猪狩は怒っているが、オレは全然、それどころではないのだ。だって、思い出の中のあの子より、いま隣を歩いている猪狩の方がずっとかわいいなんて、そんなこと。一体全体どうしたらそんなことが言えるっていうんだ!
「キミって、しつこいんだな」
そうだよ、今更気付いたか。オレは普通に、女の子が好きだったのに。それなのにお前のせいで、女とか男とか関係なくて、実は猪狩だから好きだったなんて、そんなことに気付いてしまったんだ。あまりにも酷で、あまりにも話が違う。
「面倒だから、もう機嫌を直せ。今日も家で練習するぞ」
そんなかわいい顔で笑うなんて、本当に、本当に、話がちがう!
了
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妄想乙!でもたまにはこんなのもよくない?
主守はなんでもいい。
一生言わない
一生言わない
帰って来てリビングの扉を開けた瞬間、鼻をつくその匂いに猪狩は眉を顰めた。自分を待っていたのは、酒の匂いと散らばる空き瓶や空き缶、そしてソファにひっくり返って寝ているパワプロの姿だった。換気扇を回し、窓を開けて換気する。真冬の冷たい風が吹き抜けていったが、悪臭こもった室内よりは随分とマシだ。一体いつから飲んでいたのか、赤い顔をして呑気に寝ている家主が起きることはない。
十二月二十四日。何の日かといって、それは勿論、当然にして、猪狩の誕生日であった。一緒に誕生日を祝いたい、そういう要望を口にしたパワプロが、わざわざ猪狩を待っていてこんなことになっているのは、容易に想像がついた。だからこそ猪狩は腹を立てている。待たなくていいと、きちんと伝えていたからだ。それにパワプロも納得をしたはずで、その代わりに二十五日はキミのために一日空けておくと、猪狩にしては大層な大盤振る舞いを約束していたのだ。それなのに、パワプロは待っていたらしい。その心理が、猪狩にはどうにも分からなかった。
パワプロの言葉をそのまま借りるのならば、猪狩の家は、金持ちだ。そんじょそこらの金持ちではない、息子が望んだという理由だけで野球球場をぽんとひとつプレゼントしてしまうくらいの金持ちだった。猪狩コンツェルン。猪狩の父たる猪狩茂が一代で築き上げたという驚くべき経歴を持つ会社であり、子会社も数えきれないほど無数に存在する。手掛ける事業は、小売・製造・インフラ・不動産・金融・農業に至るまで、挙げればキリがないほど多岐に渡る。
そういう家の長男として、猪狩守は産まれた。世継ぎ、長男たる守の誕生を喜び、祝福するのは息をするのと同義であり、当たり前のことであった。要するに、猪狩の誕生日には、毎年盛大なパーティが開かれるのが習わしであるということだ。誕生パーティという名目から、猪狩コンツェルンの跡取り息子お披露目の場となりつつあるのは、ここ数年のことであったが。
だから猪狩は、パワプロに待たなくて良いと言った。ボクは今夜、帰れない。そう伝えた猪狩が、普段よりも早く切り上げてここに来ていること自体が、パワプロの願う気持ちと同じであることを証明しているのだが、いかんせん猪狩は気付かない。なにせ、こんな風に過ごす二十四日は今年が初めてなのだ。パワプロも同じ思いであったが、無論猪狩は知らない。
十二月二十四日。猪狩守の誕生日。クリスマス・イブ。イブの日には恋人同士で過ごすのが習わしなどと、そんなことを言い出したのは、どこのどいつだ。苦々しい気持ちで、猪狩は換気のために開けていた窓を閉める。そんなことがなければ、こいつはこんな風にして待っていることもなかっただろうに。
散々冬の風が吹き込んだ室内は寒いのか、ソファで転がっていたパワプロが小さく丸まっている。そこでようやく猪狩は手袋を外し、巻いていたマフラーをとって、ソファへ近付いた。飲みすぎたせいなのか、猪狩が隣にやって来てもパワプロは全然気が付かない。
しゃがみ込み、頬にキスをしようとして、猪狩は思い直して唇にそれを押し当てた。途端酒臭い匂いが猪狩の鼻をついて、すぐに後悔した。本当に、バカだな。寝顔にそう、言い聞かせた。
野球が出来なくなっても、跡取り息子じゃなくなっても、キミがいればいいなんて、一生言わない。そんなこと、言わなくてもとっくに知っているだろうから。
パワプロが起きるまで、あと少し。二十四日の寿命はまだ、残っている。
了
ーーーーーーーーーー
守さん、おめでとうございます。
今年のあなたも素敵でした。来年のあなたもきっともっとずっと素敵なんだと思います。
ありがとう、おめでとう、大好き!
帰って来てリビングの扉を開けた瞬間、鼻をつくその匂いに猪狩は眉を顰めた。自分を待っていたのは、酒の匂いと散らばる空き瓶や空き缶、そしてソファにひっくり返って寝ているパワプロの姿だった。換気扇を回し、窓を開けて換気する。真冬の冷たい風が吹き抜けていったが、悪臭こもった室内よりは随分とマシだ。一体いつから飲んでいたのか、赤い顔をして呑気に寝ている家主が起きることはない。
十二月二十四日。何の日かといって、それは勿論、当然にして、猪狩の誕生日であった。一緒に誕生日を祝いたい、そういう要望を口にしたパワプロが、わざわざ猪狩を待っていてこんなことになっているのは、容易に想像がついた。だからこそ猪狩は腹を立てている。待たなくていいと、きちんと伝えていたからだ。それにパワプロも納得をしたはずで、その代わりに二十五日はキミのために一日空けておくと、猪狩にしては大層な大盤振る舞いを約束していたのだ。それなのに、パワプロは待っていたらしい。その心理が、猪狩にはどうにも分からなかった。
パワプロの言葉をそのまま借りるのならば、猪狩の家は、金持ちだ。そんじょそこらの金持ちではない、息子が望んだという理由だけで野球球場をぽんとひとつプレゼントしてしまうくらいの金持ちだった。猪狩コンツェルン。猪狩の父たる猪狩茂が一代で築き上げたという驚くべき経歴を持つ会社であり、子会社も数えきれないほど無数に存在する。手掛ける事業は、小売・製造・インフラ・不動産・金融・農業に至るまで、挙げればキリがないほど多岐に渡る。
そういう家の長男として、猪狩守は産まれた。世継ぎ、長男たる守の誕生を喜び、祝福するのは息をするのと同義であり、当たり前のことであった。要するに、猪狩の誕生日には、毎年盛大なパーティが開かれるのが習わしであるということだ。誕生パーティという名目から、猪狩コンツェルンの跡取り息子お披露目の場となりつつあるのは、ここ数年のことであったが。
だから猪狩は、パワプロに待たなくて良いと言った。ボクは今夜、帰れない。そう伝えた猪狩が、普段よりも早く切り上げてここに来ていること自体が、パワプロの願う気持ちと同じであることを証明しているのだが、いかんせん猪狩は気付かない。なにせ、こんな風に過ごす二十四日は今年が初めてなのだ。パワプロも同じ思いであったが、無論猪狩は知らない。
十二月二十四日。猪狩守の誕生日。クリスマス・イブ。イブの日には恋人同士で過ごすのが習わしなどと、そんなことを言い出したのは、どこのどいつだ。苦々しい気持ちで、猪狩は換気のために開けていた窓を閉める。そんなことがなければ、こいつはこんな風にして待っていることもなかっただろうに。
散々冬の風が吹き込んだ室内は寒いのか、ソファで転がっていたパワプロが小さく丸まっている。そこでようやく猪狩は手袋を外し、巻いていたマフラーをとって、ソファへ近付いた。飲みすぎたせいなのか、猪狩が隣にやって来てもパワプロは全然気が付かない。
しゃがみ込み、頬にキスをしようとして、猪狩は思い直して唇にそれを押し当てた。途端酒臭い匂いが猪狩の鼻をついて、すぐに後悔した。本当に、バカだな。寝顔にそう、言い聞かせた。
野球が出来なくなっても、跡取り息子じゃなくなっても、キミがいればいいなんて、一生言わない。そんなこと、言わなくてもとっくに知っているだろうから。
パワプロが起きるまで、あと少し。二十四日の寿命はまだ、残っている。
了
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守さん、おめでとうございます。
今年のあなたも素敵でした。来年のあなたもきっともっとずっと素敵なんだと思います。
ありがとう、おめでとう、大好き!
走れ猪狩
猪狩は激怒した。必ず、かの鈍感鈍間のパワプロを解らせなければならぬと決意した。パワプロには猪狩の心がわからぬ。猪狩は、パワプロの恋人である。学生の頃より二人は白球を追い掛け、野球と共に暮らして来た。けれども猪狩の恋心に対しては、パワプロは人一倍に鈍感であった。
(今日こそは、絶対にボクの方から誘わずに向こうから押し倒させてやる!)
要するに猪狩くんは、なかなかパワプロくんが手を出してくれないことに悶々としているだけでした。
「おい、パワプロ」
ソファに寝転がってテレビを見ていたパワプロくんを端に追いやって、その隣に寄り添うように猪狩くんは腰掛けました。
開けた窓からは、朝の温かな日差しと柔らかな風、そして小鳥のさえずりが聞こえてくるのでした。こんなに素晴らしい朝をだらだらと寝転びながら過ごすなど、言語道断です。わざと身体を密着させながら、猪狩くんはパワプロくんにしなだれかかりました。こちらを見る彼の視線に猪狩くんの胸は小さく飛び跳ねます。
「今日はなんだか少し暑いな」
そう言って猪狩くんは、わざと自分の肌が見えるように、着ているシャツを引っ張りました。もちろん、ボタンは上からひとつふたつ、開けてあります。
「そうか?天気予報だと昨日より涼しくなるみたいだけど」
猪狩くんの火照る身体…もとい火照った顔もなんのその、どこ吹く風で言うパワプロくんは本当に涼しい顔をしています。いつもならばこの辺りで怒ってしまうのですが、今日の猪狩くんは本気です。気持ちをぐっと押し込めて、パワプロくんの腿へ手を這わせました。
(これならどうだ!)
「なんだよ猪狩。ここ座りたいのか?たく、ほんとわがままだよな〜お前」
猪狩くんの気持ちなど露ほども知らぬパワプロくんは、いつものこととさして気にもせず、ソファから降りて、それを背もたれにしてテレビを見るのでした。確かに常日頃猪狩くんは自分の好きな時にソファを占領すべくパワプロくんを退かしますが、今日は違います。違うと言ったら違うのです。
「……キミ、今日は皿洗い当番だろう」
「あっ、そうだった。忘れる前に今からやるか」
もちろん猪狩くんにとっては皿などどうでも良く、新たな作戦に移るべくパワプロくんに席を立たせるのが目的でした。まんまと流しの前で皿を洗い始めるパワプロくんの隣に、猪狩くんもそっと並びました。
「ボクも手伝う」
「珍しいな。助かるけど」
パワプロくんがそう言った瞬間、わざと蛇口に手をかざした猪狩くんは、勢いよく流れ出る水でびしょ濡れになってしまいました。猪狩くんどころか辺り一面水浸しになってしまいましたが、猪狩くんとしては作戦大成功です。水も滴るなんとやら。一枚だけ着ているシャツが肌に張り付いてぐっしょりと濡れそぼっています。
(さあ、ボクをよく見ろ!)
「ばっ、猪狩お前なにやってんだよ、も〜!タオル持ってくるからちょっと待ってて!」
どうだと言わんばかりに顔を上げた猪狩くんでしたが、その時にはもうパワプロくんはタオルを取りにいなくなっていて、ぽかんとしている間に渡されたタオルで全身拭かれ、もちろん床も綺麗に清掃され、ご丁寧に着替えまでさせられているのでした。
しかも、薄手のシャツ一枚では寒いだろうと、きちんと季節に相応なセーターを持って来られてしまいました。生地は上等なカシミヤで織られたもので、猪狩くんのお気に入りの一着でもあります。服を着せてもらった猪狩くんは万歳の姿勢から手を下ろし、ついでにそのままそっぽを向きました。猪狩くん、ここで限界を迎えました。きっとパワプロくんを睨み付け、立ち上がります。
「もういい!ボクは走ってくる!」
「え?ならちゃんとウェアに着替えた方が」
「いい!」
言うが早いか家を飛び出して、猪狩くんは駆け出しました。初めは怒りに任せてがむしゃらに足を動かしていましたが、いったん走り出すといつもの癖でランニングコースをなぞっていました。朝露に濡れる樹木は日の光にきらきらと眩く、吹き抜ける風は爽やかで、いつしか通常のトレーニングのように走っていました。セーターを着て出てきたことを後悔しながら、いつもより少しだけ長めのコースを走り終え、猪狩くんは家に戻りました。リビングの戸を開けると、待っていたようにパワプロくんが顔を覗かせました。
「おかえり、猪狩」
「……」
「さっき頭から濡れてたし、風呂入りたいかと思って沸かしといたぞ」
走ってきたことで頭も冷えていたので、猪狩くんは小さく御礼を言うと素直に入浴することにしました。さっぱりと汗を流したらなんだかいろんなことがどうでも良くなってしまって、気分良く風呂を上がりました。そうして身体を拭いて下着を手に取ったところで、パワプロくんが脱衣所に入って来ました。
「ちょっ…なんのつもりだ、ボクはまだ」
「いやあ、待てなくなっちゃってさ」
「は」
猪狩くんの声はそのままパワプロくんに飲み込まれて、それ以上何も言えなくなってしまいました。パワプロくんの口はまるで猪狩くんを食べてしまうように吸ったり食んだり、時には舌べろを噛んでいくものですから、猪狩くんは何が何だか分からないまま、すっかりとろけてしまいました。
「何なんだ急に、キミは……」
「いや、猪狩が誘ったんじゃん」
「なっ、キミ知ってて」
続きはパワプロくんの唇が重なって、猪狩くんはやっぱり何も言えないのでした。待ち望んでいたそれにうっとりと瞼を下ろした顔は、パワプロくんだけが知っていることです。
おしまい!
ーーーーーーーーーー
ギャグですって言えばなんでも許してもらえると思ってるな?(思ってる)
守さんはかわいーなーーー
(今日こそは、絶対にボクの方から誘わずに向こうから押し倒させてやる!)
要するに猪狩くんは、なかなかパワプロくんが手を出してくれないことに悶々としているだけでした。
「おい、パワプロ」
ソファに寝転がってテレビを見ていたパワプロくんを端に追いやって、その隣に寄り添うように猪狩くんは腰掛けました。
開けた窓からは、朝の温かな日差しと柔らかな風、そして小鳥のさえずりが聞こえてくるのでした。こんなに素晴らしい朝をだらだらと寝転びながら過ごすなど、言語道断です。わざと身体を密着させながら、猪狩くんはパワプロくんにしなだれかかりました。こちらを見る彼の視線に猪狩くんの胸は小さく飛び跳ねます。
「今日はなんだか少し暑いな」
そう言って猪狩くんは、わざと自分の肌が見えるように、着ているシャツを引っ張りました。もちろん、ボタンは上からひとつふたつ、開けてあります。
「そうか?天気予報だと昨日より涼しくなるみたいだけど」
猪狩くんの火照る身体…もとい火照った顔もなんのその、どこ吹く風で言うパワプロくんは本当に涼しい顔をしています。いつもならばこの辺りで怒ってしまうのですが、今日の猪狩くんは本気です。気持ちをぐっと押し込めて、パワプロくんの腿へ手を這わせました。
(これならどうだ!)
「なんだよ猪狩。ここ座りたいのか?たく、ほんとわがままだよな〜お前」
猪狩くんの気持ちなど露ほども知らぬパワプロくんは、いつものこととさして気にもせず、ソファから降りて、それを背もたれにしてテレビを見るのでした。確かに常日頃猪狩くんは自分の好きな時にソファを占領すべくパワプロくんを退かしますが、今日は違います。違うと言ったら違うのです。
「……キミ、今日は皿洗い当番だろう」
「あっ、そうだった。忘れる前に今からやるか」
もちろん猪狩くんにとっては皿などどうでも良く、新たな作戦に移るべくパワプロくんに席を立たせるのが目的でした。まんまと流しの前で皿を洗い始めるパワプロくんの隣に、猪狩くんもそっと並びました。
「ボクも手伝う」
「珍しいな。助かるけど」
パワプロくんがそう言った瞬間、わざと蛇口に手をかざした猪狩くんは、勢いよく流れ出る水でびしょ濡れになってしまいました。猪狩くんどころか辺り一面水浸しになってしまいましたが、猪狩くんとしては作戦大成功です。水も滴るなんとやら。一枚だけ着ているシャツが肌に張り付いてぐっしょりと濡れそぼっています。
(さあ、ボクをよく見ろ!)
「ばっ、猪狩お前なにやってんだよ、も〜!タオル持ってくるからちょっと待ってて!」
どうだと言わんばかりに顔を上げた猪狩くんでしたが、その時にはもうパワプロくんはタオルを取りにいなくなっていて、ぽかんとしている間に渡されたタオルで全身拭かれ、もちろん床も綺麗に清掃され、ご丁寧に着替えまでさせられているのでした。
しかも、薄手のシャツ一枚では寒いだろうと、きちんと季節に相応なセーターを持って来られてしまいました。生地は上等なカシミヤで織られたもので、猪狩くんのお気に入りの一着でもあります。服を着せてもらった猪狩くんは万歳の姿勢から手を下ろし、ついでにそのままそっぽを向きました。猪狩くん、ここで限界を迎えました。きっとパワプロくんを睨み付け、立ち上がります。
「もういい!ボクは走ってくる!」
「え?ならちゃんとウェアに着替えた方が」
「いい!」
言うが早いか家を飛び出して、猪狩くんは駆け出しました。初めは怒りに任せてがむしゃらに足を動かしていましたが、いったん走り出すといつもの癖でランニングコースをなぞっていました。朝露に濡れる樹木は日の光にきらきらと眩く、吹き抜ける風は爽やかで、いつしか通常のトレーニングのように走っていました。セーターを着て出てきたことを後悔しながら、いつもより少しだけ長めのコースを走り終え、猪狩くんは家に戻りました。リビングの戸を開けると、待っていたようにパワプロくんが顔を覗かせました。
「おかえり、猪狩」
「……」
「さっき頭から濡れてたし、風呂入りたいかと思って沸かしといたぞ」
走ってきたことで頭も冷えていたので、猪狩くんは小さく御礼を言うと素直に入浴することにしました。さっぱりと汗を流したらなんだかいろんなことがどうでも良くなってしまって、気分良く風呂を上がりました。そうして身体を拭いて下着を手に取ったところで、パワプロくんが脱衣所に入って来ました。
「ちょっ…なんのつもりだ、ボクはまだ」
「いやあ、待てなくなっちゃってさ」
「は」
猪狩くんの声はそのままパワプロくんに飲み込まれて、それ以上何も言えなくなってしまいました。パワプロくんの口はまるで猪狩くんを食べてしまうように吸ったり食んだり、時には舌べろを噛んでいくものですから、猪狩くんは何が何だか分からないまま、すっかりとろけてしまいました。
「何なんだ急に、キミは……」
「いや、猪狩が誘ったんじゃん」
「なっ、キミ知ってて」
続きはパワプロくんの唇が重なって、猪狩くんはやっぱり何も言えないのでした。待ち望んでいたそれにうっとりと瞼を下ろした顔は、パワプロくんだけが知っていることです。
おしまい!
ーーーーーーーーーー
ギャグですって言えばなんでも許してもらえると思ってるな?(思ってる)
守さんはかわいーなーーー
今夜、二人のベッドで
今夜、二人のベッドで
息を整えている猪狩の前髪をかき上げ、汗を拭き、身体をきれいにしたあとでオレはベッドサイドに置いてあった水を取った。そうしてシャツを着ようとしたところで、布団の中から猪狩の声が飛んでくる。
「おい」
あんまりかわいくなさすぎて、オレは笑ってしまいそうになるが、なんとか堪える。オレには、猪狩の言いたいことが分かる。猪狩のそれは、なんと、たぶんオレにしか分からないと思うが、精一杯のおねだりだった。世界中のどこを探したって、絶対オレにしか分からない自信がある。
「ダーメ。猪狩、声掠れてんじゃん」
「べつに、そんなことない」
「のど飴持ってくるよ」
「そんなのいい」
「おい猪狩」
猪狩の手が伸びてきて、そのまま布団の中に引き摺り込まれる。空になったペットボトルの容器が床に落ちて、カラリと音を立てた。
「キミは、ボクとしたくないのか」
「いや、今したじゃん」
睨め付けるその顔はどう見ても恋人に向けるものではなかったし、まして夜のお誘いを(しかもおかわりを)する表情には到底見えなかった。不機嫌そうな頬に手をやると、大袈裟に払われた後でフンと顔を背けられる。こいつ、本当にオレのこと好きなのかな。だけど、そういう猪狩を好きなのはオレなので、結構どうしようもない。
「オレが我慢してるときに、そういうことするよな猪狩って」
「そんなの、頼んでない」
「お前が大事なんだよ」
そうやって静かにして赤くなっているときは、かわいいのにな。両手で猪狩の頬を挟んで、キスをする。求めるまま、求められるまま深くなっていく口付けの前には、自制も我慢もまるで意味がなくなって、オレは再び猪狩を腕の中に抱いた。
「な、猪狩」
「……うるさいな」
「まだ何も言ってないんだけど」
「好きだ、キミのことが、どうしようもなく」
世界でいちばんかわいい恋人を捕まえて、オレはぎゅうと頬擦りをした。今夜はきっと、眠れない。
了
ーーーーーーーー
好きだな〜
息を整えている猪狩の前髪をかき上げ、汗を拭き、身体をきれいにしたあとでオレはベッドサイドに置いてあった水を取った。そうしてシャツを着ようとしたところで、布団の中から猪狩の声が飛んでくる。
「おい」
あんまりかわいくなさすぎて、オレは笑ってしまいそうになるが、なんとか堪える。オレには、猪狩の言いたいことが分かる。猪狩のそれは、なんと、たぶんオレにしか分からないと思うが、精一杯のおねだりだった。世界中のどこを探したって、絶対オレにしか分からない自信がある。
「ダーメ。猪狩、声掠れてんじゃん」
「べつに、そんなことない」
「のど飴持ってくるよ」
「そんなのいい」
「おい猪狩」
猪狩の手が伸びてきて、そのまま布団の中に引き摺り込まれる。空になったペットボトルの容器が床に落ちて、カラリと音を立てた。
「キミは、ボクとしたくないのか」
「いや、今したじゃん」
睨め付けるその顔はどう見ても恋人に向けるものではなかったし、まして夜のお誘いを(しかもおかわりを)する表情には到底見えなかった。不機嫌そうな頬に手をやると、大袈裟に払われた後でフンと顔を背けられる。こいつ、本当にオレのこと好きなのかな。だけど、そういう猪狩を好きなのはオレなので、結構どうしようもない。
「オレが我慢してるときに、そういうことするよな猪狩って」
「そんなの、頼んでない」
「お前が大事なんだよ」
そうやって静かにして赤くなっているときは、かわいいのにな。両手で猪狩の頬を挟んで、キスをする。求めるまま、求められるまま深くなっていく口付けの前には、自制も我慢もまるで意味がなくなって、オレは再び猪狩を腕の中に抱いた。
「な、猪狩」
「……うるさいな」
「まだ何も言ってないんだけど」
「好きだ、キミのことが、どうしようもなく」
世界でいちばんかわいい恋人を捕まえて、オレはぎゅうと頬擦りをした。今夜はきっと、眠れない。
了
ーーーーーーーー
好きだな〜
意味なしセンチメンタル
意味なしセンチメンタル
今まで生きてきて、悲しいことはたくさんあった。飼っていた犬が死んだとき、友達とケンカしたとき、負けられない試合に負けたとき、ほかにも。数え切れないほどの悲しいことが山みたいにあって、そしてこれから先も生きている限りは続くのだ、なんでか知らないけど、今日はそういうことに気がついてしまった。胸が空くような、せつないような、親とはぐれた子供のような気持ちになって、なんだか無性に悲しくなった。そういう気持ちで目の前の恋人に手を伸ばしたとき、相手がどんな反応を見せるのか、そんなつまらないことも気になった。
「なんだいキミは。暑苦しい」
いつも通りの猪狩だった。オレの悲しみとか切なさとか人肌恋しい気持ちなんて全然全く理解しないし、たぶん理解しようともしていない普段の猪狩だった。いつもと同じなのに、今日は悲しかった。抱き締める腕の力をゆるめないままその肩口に顔を埋めると、珍しく猪狩の腕が背中に回る。背に回る猪狩の温かな体温に包まれる。
「どうした?」
問う音は、柔らかな音色だった。取り留めもなく話し出す自分の声を、猪狩は黙って聞いている。ぽつり、ぽつり。落ちては溶ける静寂の中、一言ずつ要領も得ないまま話していった。そうして全部聞いた後、猪狩は言ったのだ。
「バカだね、キミは。これだから凡人は困るよ」
抱き締めてくれるし黙って話を聞いていてくれる今夜の猪狩は珍しく優しいなんて思っていたら、やっぱり全然優しくなかった。なんだよ。たまに落ち込んでる恋人を優しく元気付けるくらいのこと、してくれたっていいじゃんか。
「キミは、一体何を見ているんだ?」
質問の意味がわからなかったから黙っていたら、背中にある猪狩の手がバシンと叩いた。なんだよ。痛いよ。
「キミにはね、いや、ボクにも、過去や未来なんてないんだよ」
やっぱり、意味が分からない。猪狩の言うことは時々理解し難い。
「今しかないよ。キミにも、ボクにも」
思いのほか猪狩の声の調子が真面目だったから、オレはおそるおそる顔を上げた。真っ直ぐとこちらを見る猪狩の目は落ち着いていて、それでいて勝負の時に見せるような静かな炎が灯っていた。
「いまこの瞬間だけが真実で、変えられることが出来るのも、今だけだ。それには過去も未来も含まれない。キミには、今しかないんだよ」
分かったような、分からないような、猪狩は同じことを繰り返して、こちらを見る。
「いまキミが見ているものはなんだ?」
「……猪狩?」
「なぜ疑問系なんだ。キミの目は本当に節穴か」
「猪狩がいる」
「十分じゃないか」
それこそ、凡人のキミには余りあるほどね。それが猪狩の言うとっておきの殺し文句だと気付いた時にはもう笑ってしまっていて、どうやらキザな猪狩にも羞恥と言う感情はあるようで、さっきの比ではないほどの力で背中を叩かれた。そのたびにごめんごめんと律儀に謝って、腕の中の猪狩を抱きしめ直した。
了
ーーーーーーーーーー
守さんの「バカだね」は「好きだよ」だから、私の書く守さんいっつもそれ言っちゃう
今まで生きてきて、悲しいことはたくさんあった。飼っていた犬が死んだとき、友達とケンカしたとき、負けられない試合に負けたとき、ほかにも。数え切れないほどの悲しいことが山みたいにあって、そしてこれから先も生きている限りは続くのだ、なんでか知らないけど、今日はそういうことに気がついてしまった。胸が空くような、せつないような、親とはぐれた子供のような気持ちになって、なんだか無性に悲しくなった。そういう気持ちで目の前の恋人に手を伸ばしたとき、相手がどんな反応を見せるのか、そんなつまらないことも気になった。
「なんだいキミは。暑苦しい」
いつも通りの猪狩だった。オレの悲しみとか切なさとか人肌恋しい気持ちなんて全然全く理解しないし、たぶん理解しようともしていない普段の猪狩だった。いつもと同じなのに、今日は悲しかった。抱き締める腕の力をゆるめないままその肩口に顔を埋めると、珍しく猪狩の腕が背中に回る。背に回る猪狩の温かな体温に包まれる。
「どうした?」
問う音は、柔らかな音色だった。取り留めもなく話し出す自分の声を、猪狩は黙って聞いている。ぽつり、ぽつり。落ちては溶ける静寂の中、一言ずつ要領も得ないまま話していった。そうして全部聞いた後、猪狩は言ったのだ。
「バカだね、キミは。これだから凡人は困るよ」
抱き締めてくれるし黙って話を聞いていてくれる今夜の猪狩は珍しく優しいなんて思っていたら、やっぱり全然優しくなかった。なんだよ。たまに落ち込んでる恋人を優しく元気付けるくらいのこと、してくれたっていいじゃんか。
「キミは、一体何を見ているんだ?」
質問の意味がわからなかったから黙っていたら、背中にある猪狩の手がバシンと叩いた。なんだよ。痛いよ。
「キミにはね、いや、ボクにも、過去や未来なんてないんだよ」
やっぱり、意味が分からない。猪狩の言うことは時々理解し難い。
「今しかないよ。キミにも、ボクにも」
思いのほか猪狩の声の調子が真面目だったから、オレはおそるおそる顔を上げた。真っ直ぐとこちらを見る猪狩の目は落ち着いていて、それでいて勝負の時に見せるような静かな炎が灯っていた。
「いまこの瞬間だけが真実で、変えられることが出来るのも、今だけだ。それには過去も未来も含まれない。キミには、今しかないんだよ」
分かったような、分からないような、猪狩は同じことを繰り返して、こちらを見る。
「いまキミが見ているものはなんだ?」
「……猪狩?」
「なぜ疑問系なんだ。キミの目は本当に節穴か」
「猪狩がいる」
「十分じゃないか」
それこそ、凡人のキミには余りあるほどね。それが猪狩の言うとっておきの殺し文句だと気付いた時にはもう笑ってしまっていて、どうやらキザな猪狩にも羞恥と言う感情はあるようで、さっきの比ではないほどの力で背中を叩かれた。そのたびにごめんごめんと律儀に謝って、腕の中の猪狩を抱きしめ直した。
了
ーーーーーーーーーー
守さんの「バカだね」は「好きだよ」だから、私の書く守さんいっつもそれ言っちゃう
バズらなくていいよ
バズらなくていいよ
「おい」
休日、朝食を食べて簡単な身支度を済ませてからソファでだらだらテレビを見ている時間、あからさまに不機嫌そうな猪狩に声を掛けられた。思えば、寝起きからそうだった。しかし猪狩のご機嫌斜めはいつものことで、放っておけば治ることも多かったのでそのままにしていた。学生の頃から見ている猪狩のことは、もしかしたら猪狩自身よりも分かっているかもしれない。
「どうしたんだ?」
「これ」
目の前に携帯を突き出されたので、オレはそれを覗き込むようにして見る。スマホの画面に映っていたのは、オレの写真だった。
「なにこれ?」
「ボクが聞いている」
それきり猪狩は黙ってしまったから、オレは携帯を受け取ってもう一度じっくりとそれを眺めた。よく見たらそれは球団が運営している公式SNSの画面で、各選手のプライベートタイムの紹介といった内容の企画のようだった。ますます、どうしてこんなところに自分の写真が載っているのか分からない。球団の公式SNSなのだから、無断に掲載されたというわけはないだろう。
「よく分かんないけど、球団の企画だろ?いつの写真かは分かんないけど。しかもオレ、酔ってるし」
画面の中の自分は、なかなかに酔っ払っていた。どこかの居酒屋で飲んでいるときのもののようだ。背景など映り込まないよう上手く撮られていたし、店の名前や雰囲気なども特定出来ないようさりげなく加工がされている。猪狩が怒るほど、さして問題のある写真とは思えなかった。
「誰と行ってきたんだい」
なるほど、そこか。ようやく合点がいって、オレは納得した。こう見えて猪狩は意外とやきもちを焼くし嫉妬もする。かわいいな。普段は知らぬふりをしているから、余計に。でもそんなことを言ったらまた怒らせるに決まっているので、オレは黙って粛々と真面目な顔をする。
それにしても、誰といつ飲みに行った時の写真だろう。飲みに行った時にわざわざオレの写真を撮る物好きなど全く思い当たらない。ところで全然関係ないが、オレの写真にしては随分たくさんの反応が返ってきていた。リプライもたくさん付いている。それを順に読み始めたところで、再び猪狩の声が飛ぶ。
「答えられないのか?」
「そういうわけじゃなくて……あ、あのときのかも」
「あのとき?」
「ほらお前覚えてないか?友沢も一緒に三人で練習してさ、みんなで飯行くかって言ったらお前断って先に帰ったじゃん」
そうだ思い出した、あのときだ。猪狩が帰ってしまったから友沢と二人で晩飯を食べたのだが、いつもの癖でいきつけの居酒屋に寄ってしまい、まだ未成年の友沢は飲めなかったというオチだ。いつもは生意気そうに振る舞っている友沢がずっとオレンジジュースを飲んでいるのはかわいかった。大人ぶっていても、まだ未成年の子供なのだ。
「いて」
「にやにや笑うな。きもちわるい」
「そういえば、この前友沢から連絡来てたっけ。なんのことか分かんなかったから適当に返事しといたけど、これのことだったんだ」
「キミの危機管理能力のなさには呆れるばかりだよ」
これでようやく全部分かった。写真は友沢と飲みに行ったときのもの、それを球団に渡していいかの了承許可も自分がちゃんと出していた。一件落着。残るのは、目の前の猪狩だけ。猪狩が怒っていたのは誰と飲みに行ったのか分からなかったからだけど、それはもう解決したし、そもそも猪狩の方から断っているのだからこれ以上糾弾することもないだろう。だとしたら、あとは。
「オレの写真がバズってるから?」
フンとそっぽを向いたところを見ると、当たりみたいだ。なるほど。そういうやきもちの焼き方もあるもんかと妙に納得をする。だがそれを言ったら、猪狩の方がすごいだろう。オレも猪狩も自分ではSNSをやっていないから、上げるのは球団やチームメイトであったが(猪狩の場合は進くんの場合も多い)、オレの比ではなく猪狩の写真には莫大な反応がある。学生の頃から、高校球界のプリンスだのマウンドの貴公子だのと持て囃されてきた猪狩の人気は、プロになってからも変わらない。
「猪狩、オレがバズったら、いや?」
「べつにそんなこと言ってない」
「でもさ、猪狩の方がすごいじゃん。それでもオレは、特に気にしないけど」
「ボクに興味がないということか?」
「そうじゃないよ」
携帯を机に置いて、猪狩の手を取る。
「だって猪狩、オレのことしか好きじゃないじゃん」
本当のことを言っただけなのに、ちょっと強めのパンチが飛んできた。なぜだ。利き手はやめろよなと言い置いて、オレはむくれる猪狩の唇にキスをした。
了
ーーーーーーーーー
かわいいなあ主守
食べちゃいたい
「おい」
休日、朝食を食べて簡単な身支度を済ませてからソファでだらだらテレビを見ている時間、あからさまに不機嫌そうな猪狩に声を掛けられた。思えば、寝起きからそうだった。しかし猪狩のご機嫌斜めはいつものことで、放っておけば治ることも多かったのでそのままにしていた。学生の頃から見ている猪狩のことは、もしかしたら猪狩自身よりも分かっているかもしれない。
「どうしたんだ?」
「これ」
目の前に携帯を突き出されたので、オレはそれを覗き込むようにして見る。スマホの画面に映っていたのは、オレの写真だった。
「なにこれ?」
「ボクが聞いている」
それきり猪狩は黙ってしまったから、オレは携帯を受け取ってもう一度じっくりとそれを眺めた。よく見たらそれは球団が運営している公式SNSの画面で、各選手のプライベートタイムの紹介といった内容の企画のようだった。ますます、どうしてこんなところに自分の写真が載っているのか分からない。球団の公式SNSなのだから、無断に掲載されたというわけはないだろう。
「よく分かんないけど、球団の企画だろ?いつの写真かは分かんないけど。しかもオレ、酔ってるし」
画面の中の自分は、なかなかに酔っ払っていた。どこかの居酒屋で飲んでいるときのもののようだ。背景など映り込まないよう上手く撮られていたし、店の名前や雰囲気なども特定出来ないようさりげなく加工がされている。猪狩が怒るほど、さして問題のある写真とは思えなかった。
「誰と行ってきたんだい」
なるほど、そこか。ようやく合点がいって、オレは納得した。こう見えて猪狩は意外とやきもちを焼くし嫉妬もする。かわいいな。普段は知らぬふりをしているから、余計に。でもそんなことを言ったらまた怒らせるに決まっているので、オレは黙って粛々と真面目な顔をする。
それにしても、誰といつ飲みに行った時の写真だろう。飲みに行った時にわざわざオレの写真を撮る物好きなど全く思い当たらない。ところで全然関係ないが、オレの写真にしては随分たくさんの反応が返ってきていた。リプライもたくさん付いている。それを順に読み始めたところで、再び猪狩の声が飛ぶ。
「答えられないのか?」
「そういうわけじゃなくて……あ、あのときのかも」
「あのとき?」
「ほらお前覚えてないか?友沢も一緒に三人で練習してさ、みんなで飯行くかって言ったらお前断って先に帰ったじゃん」
そうだ思い出した、あのときだ。猪狩が帰ってしまったから友沢と二人で晩飯を食べたのだが、いつもの癖でいきつけの居酒屋に寄ってしまい、まだ未成年の友沢は飲めなかったというオチだ。いつもは生意気そうに振る舞っている友沢がずっとオレンジジュースを飲んでいるのはかわいかった。大人ぶっていても、まだ未成年の子供なのだ。
「いて」
「にやにや笑うな。きもちわるい」
「そういえば、この前友沢から連絡来てたっけ。なんのことか分かんなかったから適当に返事しといたけど、これのことだったんだ」
「キミの危機管理能力のなさには呆れるばかりだよ」
これでようやく全部分かった。写真は友沢と飲みに行ったときのもの、それを球団に渡していいかの了承許可も自分がちゃんと出していた。一件落着。残るのは、目の前の猪狩だけ。猪狩が怒っていたのは誰と飲みに行ったのか分からなかったからだけど、それはもう解決したし、そもそも猪狩の方から断っているのだからこれ以上糾弾することもないだろう。だとしたら、あとは。
「オレの写真がバズってるから?」
フンとそっぽを向いたところを見ると、当たりみたいだ。なるほど。そういうやきもちの焼き方もあるもんかと妙に納得をする。だがそれを言ったら、猪狩の方がすごいだろう。オレも猪狩も自分ではSNSをやっていないから、上げるのは球団やチームメイトであったが(猪狩の場合は進くんの場合も多い)、オレの比ではなく猪狩の写真には莫大な反応がある。学生の頃から、高校球界のプリンスだのマウンドの貴公子だのと持て囃されてきた猪狩の人気は、プロになってからも変わらない。
「猪狩、オレがバズったら、いや?」
「べつにそんなこと言ってない」
「でもさ、猪狩の方がすごいじゃん。それでもオレは、特に気にしないけど」
「ボクに興味がないということか?」
「そうじゃないよ」
携帯を机に置いて、猪狩の手を取る。
「だって猪狩、オレのことしか好きじゃないじゃん」
本当のことを言っただけなのに、ちょっと強めのパンチが飛んできた。なぜだ。利き手はやめろよなと言い置いて、オレはむくれる猪狩の唇にキスをした。
了
ーーーーーーーーー
かわいいなあ主守
食べちゃいたい
静謐な夜の隙間に
忘れ物を取りに室内演習場まで戻ると、明かりが漏れていた。こんな時間に、一体誰だろう。当然ながら、練習時間はとうに終わっている。終わっているどころか、こんな夜更けに練習していることがコーチや監督にでもバレたら、大変なことになるのではないだろうか。戸の隙間から、オレは中を窺い見た。
中にいたのは、猪狩であった。猪狩守。同期入団、しかしオレとは違って即座に一軍レギュラー入りしたエリートで、その上相当な自信家かつ嫌味なやつだった。そんな猪狩が、一心不乱に投げ込みをしていた。
猪狩は普段から自分のことを「天才」と称するが、さすがに自称するだけのことはある、どうやらとんでもない練習量をこなして今のポジションを維持しているらしい。しかし、今夜のこれはどうやらそうではないような、滅茶苦茶な練習のように見えた。何かを会得するための投げ込みというよりは、ただ一心不乱に球を掴んでは力任せに投げているだけに見える。
いつも見ている猪狩との違和感と、その気迫に満ちた横顔からオレはすっかり目が離せなくなってしまっていた。忘れた携帯を取りに来たことなんてすっかり忘れてしまって、オレはただ黙って目の前の猪狩を見ていた。
少ししたところで、手元にボールがなくなった猪狩が投球動作を止める。しかし、散らばったボールを拾う仕草も、片付けを始める様子もない。猪狩は、散乱するボールの真ん中で突っ立っていた。やっぱり、何かがおかしい。思わず乗り出して戸に手を掛けようとしたところで、猪狩が俯く。なんだろう、そう思うのも束の間、猪狩の肩が静かに上下し始めて、こちらにまで聞こえるほどの声で嗚咽を漏らし始めるのだった。猪狩は、泣いていた。
オレは、猪狩のことをよく知らない。相当な自信家であること、どうやら資産家の息子であるらしいこと、嫌味を言う割にはチームメイトに誘われたすき焼きパーティにちゃんと肉を持参してやって来ること。オレは、猪狩のことをそれくらいしか知らない。
だから、猪狩がどうしてこんなことになっているのか、さっぱり分からなかった。涙を流す猪狩の姿。成人した男が、肩を震わせながら泣くことなど、そうそうないだろう。猪狩に、何があったのだろう。今日の日中だって、いつもの猪狩のままだった。オレと矢部くんが話しているところにわざわざ割り込んで来て、嫌味と自慢を言っていったが、そういえば妙に浮かれていた。聞いてもいないことを勝手に話していくのは猪狩の癖なのでオレはさして気にしなかったが、そういえば今日は、特別にお喋りだった。こわいくらいにご機嫌で、浮かれながらニコニコしていた。あの、猪狩が。
そこまで考えて、オレはようやく猪狩の話を思い出していた。要するに、自分と同じ巨人軍に入団すると思っていた弟が、逆指名で別球団に行ったという話だ。そういえばあの時の猪狩は、最初から最後までおかしかった。オレはそれを聞くまで猪狩に弟がいたことも野球をしていたことも知らなかったから、ただ単純に驚いて、黙っていたのだけど。
猪狩は、まだ泣いている。正確には俯いていてよく見えなかったが、たぶん泣いているんだろう。いつもは上向きに持ち上がっている帽子のつばまでしょんぼりしたように下を向いている。
オレは、猪狩のことを知らない。猪狩の弟のことは、もっと知らない。だけど、もしかしたら、猪狩が投げ込むその先には、弟の姿があったのかもしれない。そんなことを勝手に想像しながら、オレは佇む猪狩を黙って見つめていた。
2020.5.13執筆
2020.6.6「世界のまんなかで」改題
ーーーーーーーーー
急に昔書いたやつを書き直したくなったので、書いた
言葉を並べて遊ぶのはたのしいな
中にいたのは、猪狩であった。猪狩守。同期入団、しかしオレとは違って即座に一軍レギュラー入りしたエリートで、その上相当な自信家かつ嫌味なやつだった。そんな猪狩が、一心不乱に投げ込みをしていた。
猪狩は普段から自分のことを「天才」と称するが、さすがに自称するだけのことはある、どうやらとんでもない練習量をこなして今のポジションを維持しているらしい。しかし、今夜のこれはどうやらそうではないような、滅茶苦茶な練習のように見えた。何かを会得するための投げ込みというよりは、ただ一心不乱に球を掴んでは力任せに投げているだけに見える。
いつも見ている猪狩との違和感と、その気迫に満ちた横顔からオレはすっかり目が離せなくなってしまっていた。忘れた携帯を取りに来たことなんてすっかり忘れてしまって、オレはただ黙って目の前の猪狩を見ていた。
少ししたところで、手元にボールがなくなった猪狩が投球動作を止める。しかし、散らばったボールを拾う仕草も、片付けを始める様子もない。猪狩は、散乱するボールの真ん中で突っ立っていた。やっぱり、何かがおかしい。思わず乗り出して戸に手を掛けようとしたところで、猪狩が俯く。なんだろう、そう思うのも束の間、猪狩の肩が静かに上下し始めて、こちらにまで聞こえるほどの声で嗚咽を漏らし始めるのだった。猪狩は、泣いていた。
オレは、猪狩のことをよく知らない。相当な自信家であること、どうやら資産家の息子であるらしいこと、嫌味を言う割にはチームメイトに誘われたすき焼きパーティにちゃんと肉を持参してやって来ること。オレは、猪狩のことをそれくらいしか知らない。
だから、猪狩がどうしてこんなことになっているのか、さっぱり分からなかった。涙を流す猪狩の姿。成人した男が、肩を震わせながら泣くことなど、そうそうないだろう。猪狩に、何があったのだろう。今日の日中だって、いつもの猪狩のままだった。オレと矢部くんが話しているところにわざわざ割り込んで来て、嫌味と自慢を言っていったが、そういえば妙に浮かれていた。聞いてもいないことを勝手に話していくのは猪狩の癖なのでオレはさして気にしなかったが、そういえば今日は、特別にお喋りだった。こわいくらいにご機嫌で、浮かれながらニコニコしていた。あの、猪狩が。
そこまで考えて、オレはようやく猪狩の話を思い出していた。要するに、自分と同じ巨人軍に入団すると思っていた弟が、逆指名で別球団に行ったという話だ。そういえばあの時の猪狩は、最初から最後までおかしかった。オレはそれを聞くまで猪狩に弟がいたことも野球をしていたことも知らなかったから、ただ単純に驚いて、黙っていたのだけど。
猪狩は、まだ泣いている。正確には俯いていてよく見えなかったが、たぶん泣いているんだろう。いつもは上向きに持ち上がっている帽子のつばまでしょんぼりしたように下を向いている。
オレは、猪狩のことを知らない。猪狩の弟のことは、もっと知らない。だけど、もしかしたら、猪狩が投げ込むその先には、弟の姿があったのかもしれない。そんなことを勝手に想像しながら、オレは佇む猪狩を黙って見つめていた。
2020.5.13執筆
2020.6.6「世界のまんなかで」改題
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急に昔書いたやつを書き直したくなったので、書いた
言葉を並べて遊ぶのはたのしいな

