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息をする

「あれ、猪狩マスクしてる」
 あと少しで学校に着くというその道で、見知った顔と鉢合わせた。見たままを言っただけじゃないか。そう思ったが、こちらを見るその目からは確かに気遣いと心配の色が滲んでいて、ボクはむずがゆい気持ちになる。そういうことを知られたくなくて、答える声はわざとぶっきらぼうなものになった。
「ちょっと喉の調子が悪いだけだよ」
「病院は?」
 風邪を引いても平気な様子で部活動に参加しようとする人間にしては、大袈裟な物言いだ。お前は、人のことよりもまず自分の心配をしたらどうなんだ。なんとかは風邪を引かないと言うが、こいつは風邪を引くタイプのなんとかであることを知っている。
「病院に行かなくても、家にいる専属トレーナーと主治医が診てくれる」
「へええ」
 変な声を出したパワプロは、やっぱり猪狩の家ってすげーんだなーと間伸びした喋り方で言った。まあねと答えるボクの声はマスクの中でくぐもって、思わず咳払いをするのだった。

 そういう話をしたのが朝のことで、気が付けばあっという間に帰宅時刻である。今日の練習もいつもと違わずしっかりと身体を使うもので、マスクをしたままのそれはさすがにキツかった。布が一枚あるだけでこうも息苦しく、暑いとは。たまになら、いつもとは違ったトレーニングになるのかもしれない。汗だくのアンダーを着替えながら、いつもならばこのタイミングで私設球場での練習に誘うのだが、さすがに今日はそんな気分にはならなかった。パワプロも分かっているのか、黙って着替えている。こいつはユニフォームを脱いで、新しいユニフォームを着る。もう見慣れたものだ。
「猪狩、もう帰る?」
「ああ」
 部室を出るとパワプロが付いてきて、どうやら一緒に帰るつもりらしい。歩調を合わせて、並んで歩く。今日はなんだか疲れたし、特別なにかを話す気にもなれなくて、黙っていた。いつもは騒がしいパワプロも静かにしているから、夜とボクたちの間にはひっそりとした沈黙が下りる。半分に欠けた月の下、歩く夜道は風が気持ち良く、疲れた身体を優しく撫でていった。心地の良い静寂だった。
「じゃあ、また明日」
 たまに寄り道してキャッチボールをしていく公園も通り過ぎて、分かれ道の交差点に差し掛かったところでパワプロが言う。ボクが返事をして別方向に歩き出しても、パワプロはまだ、こちらを見ていた。思わず足を止めて、振り返る。
「なんだい。言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってくれないか」
「いや。今日は猪狩の顔、見てないなと思って」
「なに言ってる。今も見てるじゃないか」
 言いながら、ああマスクのことかと思い付いたが、そう思ったときにはパワプロの顔がすぐそばにあった。マスクの不織布が、唇に押し付けられる感覚。もっと正確に言えば、布ごしにパワプロの唇が重ねられていた。繊維の隙間をすり抜けて届く吐息が熱くて、生々しくて、思わず後ずさろうと身を引くが、首の後ろに回された腕がそれを許さない。パワプロの手の平がうなじを這い、後ろ髪を撫でていく。押し当てられた唇が、小さく動いた。一枚隔てられているせいで、いつもは気にしない感触だとか温もりだとかが妙に鮮明で、ボクは身を震わせた。おそるおそる目を開けたときには、パワプロはもう離れている。
「顔見たいなって思ったら、したくなっちゃった」
 バカだなと言うことすら惜しくて、ボクはマスクを外して、その唇に直接、キスをした。





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タイトルなんも浮かば〜ん

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傘の中の世界

傘の中の世界

 はみ出した右肩は濡れて不愉快だったし、歩くたび跳ねる水は足元を汚した。隣で傘を持つ人間が水たまりも避けずに歩くものだから、そのたびに気に入りの靴に泥が飛ぶ。それでも黙っているのは、まがりなりにも半分傘を借りている身であるということと、どんどん強くなる雨脚にものを言う気も起きなかったからだ。そういうことにしておく。しとしと。ざあざあ。
「でさー。猪狩、聞いてる?」
 聞いてない。応える代わりに横顔で返事をしても特に気にしないらしいその男は、相変わらず一人で喋っている。いつもは通学鞄の中に折り畳み傘が入っているのに、たまたま持っていない日に限って天気予報は外れる。そういうものだ。部活動は中止になって、他の運動部が使うせいで体育館も空いておらず、今日は自主練習の日になった。
「なんか、腹減らない?」
 チームメイトである男はそう言ってこちらの顔を覗き込むように見るものだから、ただでさえ狭い傘の中、猪狩はその近さに驚いた。心臓が変な風に跳ねたのを気取られないよう、「まあな」と適当に答えると、男は嬉しそうに笑った。
 どうしてこんなことになったのだろう。傘を忘れたからといって、わざわざ濡れながら歩いて帰らなくとも、猪狩の連絡ひとつで、迎えの車が飛んで来る。そういう環境で育って来たものだから、猪狩は高校生になるまで、友人と寄り道をして帰ったことなど今まで一度もなかった。まして雨の中、ひとつの傘を半分ずつ使って歩くことなど、初めてのことだった。だから猪狩は今日、新たに覚えた。男二人がひとつの傘の中に収まるのには、少々無理がある。
 さりげなく視線を動かして見ると、猪狩よりも男の肩の方が濡れていた。濡れているというよりはずぶ濡れと表現した方が適切で、よくもまあそんな状態で上機嫌に話していられるものだと猪狩は呆れてしまった。呑気でお人好し、よく言えば純朴で、わるく言えば間抜けな男だった。しかし猪狩は、男のそういうところを気に入っていた。口に出して言うはずもない、猪狩だけが知っている内緒のことだ。しとしと。ざあざあ。世界はここで、傘の中に切り取られている。
「マックでいい?」
 マックが何を指しているのか分からなかった猪狩は、そのまま頷いた。期間限定のあれが食べたいと言って熱弁する男の話を聞いていると不思議と猪狩もそれが食べたくなり、ぐうと腹が鳴った。それも雨の音に掻き消され、猪狩は思わず笑ってしまった。しとしと。ざあざあ。



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雰囲気を感じてほしい。私の書くものはそういうものなので!

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lovin' you

lovin' you

「キミの好きなものを当ててやろう」
「なんだよ、唐突だな」
 休日、さっきまでグラブの手入れをしていた猪狩はいつの間にそれを終えたのか、気が付いたら後ろに立っていた。ゲームのコントローラーを持ったまま、オレは少しだけ首を回して猪狩を見た。どうやら機嫌が良いらしい。いつもなら、オフでもトレーニングを怠るなとか、ゲームをしながらごろごろするなとか、お小言が飛んでくるのに。
「そうだな。野球」
「いや、そりゃ好きだけど。ていうか猪狩、急にどうしたんだ?」
「ラーメン」
「もしかして、飯行くっていうといつもラーメンだから怒ってる?」
「ユニフォーム」
「それは好きっていうかなんていうか。私服、いや、もうこれ以外の格好が落ち着かないんだよ」
 高校までは甲子園行きの切符を争うライバル同士、プロ入り後はチームメイトになったその男は、今にも鼻唄を歌い出しそうなほどの上機嫌で言い切った。
「ボク」
「いや……まあ、好きだけどさ」
「なんだその歯切れの悪い返事は」
 そう言いながらも猪狩は不敵に微笑んでからこちらにのしかかってくる。寝転びながらゲームをしていたオレは猪狩に押し潰されて、いつの間にかテレビにはゲームオーバーの文字が表示されていた。根負けして、やれやれとコントローラーを手放す。空いた手を猪狩の背に回し、ころりと転がしたらあっという間に形勢逆転だ。腕の中、猪狩は楽しくて仕方ないと言った様子で笑っている。
「猪狩、もしかして酔ってる?」
「そんなわけないだろう。こんな真っ昼間から」
「じゃあ、どうしたの?」
「キミが昨日言った」
「オレが?」
 聞き返すと、むっとしたらしい猪狩は眉間に皺を寄せたが、そこへ唇を押し当てると、すぐに元に戻った。首に回る猪狩の腕が、もっと寄越せと催促している。仰せのままに何度か唇を寄せたが、いかにも物足りないという顔をするものだから、物欲しそうにしているそこへゆっくりと唇を重ね合わせた。持ち上がった瞼の下、猪狩の瞳にはオレだけが映っている。
「オレ、昨日何言った?」
「覚えてないならいいよ」
 嘘だ。本当は何を言ったかよく覚えているし、それで猪狩がこんな風になるなんて思いもしなくて、今更恥ずかしくなっている。
「なに考えてるんだ」
「お前のことだよ」
 笑った猪狩がかわいくて、オレはもう一度だけ腕の中の宝物にキスをした。





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たまにはもう、こんなのも良いでしょう
一生ハッピー

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かわいくない

かわいくない(主守)

「猪狩、好きだよ」
「知っているよ」
 ああ、かわいくない。隣を歩く猪狩はオレの言葉なんかどこ吹く風で、知らん顔をしている。
 たまには応えてくれてもいいのに、恋人になってからも猪狩は相変わらずだ。オレはそういう猪狩を好きになったし、本当は猪狩が照れていることも喜んでいることも知っていたけど、今日は特別腹の虫の居所が悪かった。猪狩の態度に腹の底から煮えるような怒りが沸いてきて、たぶん今日はもう一緒にいない方がいいんだろうと思った。このままだと、取り返しのつかない喧嘩でもしてしまいそうだ。どうして猪狩は、たった一言を言ってくれないんだろう。ただ一言、お前の口から好きだと聞きたいだけなのに、それだけでオレは満足できる安い男なのに、猪狩はそれすらもくれない。猪狩の気持ちはもちろん知っているが、口にしてもらいたい日だってオレにもあるのだ。
「オレ、今日は帰る」
「うちの私設球場で練習していくんじゃないのかい」
「帰る」
「ふうん。分かった」
 じゃあねと言って歩いて行ってしまう猪狩はもちろんオレを引き止めないし、それどころか振り向きもしない。なんてことだ。半ば呆然とした気持ちで、猪狩の背中を見る。オレはしばらくそれを眺めていたが、その辺にあった道端の石ころを思い切り蹴っ飛ばしてから、猪狩とは反対方向を向いて歩き出した。ずんずんと風を切りながら歩いていたが、ふいに足を止める。格好悪いとは思ってもどうにも後ろ髪を引かれ、こっそり振り返った。オレは、猪狩が好きなのだ。理屈ではなく、どうしようもなく猪狩が好きなのだ。
 振り返って見ると、猪狩は確かに背を向けていたが、明らかにその歩みは遅かった。普通に歩いていればとっくに見えなくなっていてもおかしくないのに、猪狩の背中はまだ、自分の目で捉えることが出来た。その意味を考えたとき、オレはどうしようもない気持ちでいっぱいになって、駆け出していた。走っている勢いのまま後ろから猪狩に抱き付くと、猪狩は特段驚いた様子もなく、いつものトーンでやめろと言った。ああ、かわいくない。なんてかわいくないんだろう。
「やっぱり、行く」
「帰ると言ったり行くと言ったり、キミは忙しいな」
「行く」
「そうかい」
「オレ、猪狩が好き。ムカつくけど、好き」
「……」
「お前が言ってくれない分、オレが言うからいいよ。もう。オレ、猪狩が好き。好き、大好き、馬鹿、好きだよ」
「バカは余計だ」
「こんなお前が好きでしょうがないオレは、馬鹿なんだ。でも好きだから仕方ない」
「聞き捨てならないな、その言い草は。まるでボクに問題があるみたいじゃないか」
「オレは一言聞きたいだけなのに」
「キミが好きだ」
 バカな、キミのことが。一言余計なことを付け加えた猪狩はやっぱりかわいくなかったけど、オレはかわいくない猪狩が好きなので、今度は真正面から思い切り抱き締めた。もう一回言ってとねだると、腕の中で猪狩はなんのことだとしらを切った。ああ、やっぱりかわいくない。





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いやかわいいよ(マジレス)

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てのひら

てのひら(主守)

 猪狩と付き合うようになっていちばん驚いたのは、その手の平だった。その綺麗な横顔からは想像も出来ないような、固い手の平だった。猪狩はプロ入り後こそピッチャーに専念しているが、高校まではいわゆるエースで四番というやつで、バッティングの方も相当のものだ。それは何度も素振りを繰り返し、そのたびに幾度となくマメが潰れて皮膚が固くなった手の平だった。それでいて自分と違うのは、ピッチャーであるがゆえの洗練された滑らかさと張り、指先にも垣間見える努力の跡。間違いなく、一流の投手である証であった。
 猪狩は間違いなく努力の人だが、それを他人に知られることを良しとしない。泥くさい練習も、重ねた苦労も、それこそ血の滲むような努力さえ、すべて「天才」などという言葉でくるんで自分の実力と主張する。なぜなら自分は天才猪狩守であるからと、自負をする。そういう猪狩を勘違いする人間はたくさんいたが、自分は理解しているつもりだった。つもり、だったのだ。その手の平を握るまでは。

「猪狩、風呂は」
「もうあがった」
 オレの言葉にそっけなく答えた猪狩はなるほど湯上がりのようで、しっかり髪も乾かしてきちんと寝巻きを着ている。かくいうオレはソファでだらだとテレビを見ながら時々うたた寝までしていたので、猪狩が風呂に入ったのも上がったのも全く気が付かなかった。
 ソファまで歩いてきた猪狩は無遠慮にリモコンを手に取ると、見ているオレに断ることもなくテレビを消した。そして机の上に爪を手入れするための道具を並べ、あろうことかオレの座っている足の間に腰を下ろした。まさかここでやるつもりなのか。猪狩は特に気にすることもなく、いつもの手順で作業を始めた。オレは猪狩のせいで動けなくなってしまったので、仕方なくそれを見ている。
 猪狩は爪切りを使わない。やすりで丁寧に削り、整えるようにゆっくりと磨いていく。磨き終わると今度は爪の保護剤と栄養剤を兼ねたマニキュアのようなものを塗っていく。アスリートネイルと呼ばれるもののようだが、オレにはよく分からない。そこまでやるとようやく一息ついて、完全に乾くまでは大人しくしている。猪狩の手。きれいな手。風呂に入るときですら細心の注意を払われる猪狩の手。
 無意識に猪狩の頭を撫でていたが、このときばかりは猪狩も文句を言わず、まして暴れたりもせず大人しくしている。なにしろ爪はまだ乾いていない。猪狩がわざわざオレの足の間に座ってこんなことをやるのも、体の良い暇つぶしなのだろう。そういうことにしておいてやる。視線を落とすと、猪狩の爪はきらきらと光っていた。
 たまらずその手に触りたくなって、オレは代わりに猪狩の顎を持ち上げる。不満そうな顔。いや、これは照れている顔だ。そういうことにする。何しろ今の猪狩は手が使えず、オレにされるがままなのだ。どういうつもりなのか不満そうに唇をとがらせているそこに自分のそれをくっ付けて、オレは笑った。なんだよその顔。照れるにしても、もっとかわいい顔しろよな。
 案の定怒った猪狩をなだめるため、オレはお望み通りもう一度そこへ口付けた。爪はもうとっくに乾いていたが、オレは今夜も知らないふりをして猪狩を甘やかしてやっている。





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主守や主守や主守ちゃん
せかいでいちばんかわいい主守ちゃんはど〜れ?

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夜の小咄

夜の小咄(主守)

 例えば、午前三時と仮定する。夜明けにはまだ少し遠くて、夜というには真夜中にもほどがある時間だ。布団に入ったのが確か午後十一時過ぎであったから、眠ったといえば眠ったし、十分な睡眠時間が取れたかといえばそれには及ばない。何しろ、隣でくっ付いたまま寝ている男が邪魔で時計を見ることすら叶わない。平和な寝顔、それがいつも通りの間抜け面であることに猪狩は口元を緩めた。
 自分からすると、利き腕を枕代わりに使われるなど言語道断であったが、この男はそうではないらしい。今日は寒いから、くっ付いて寝ようぜ。そんなことを言って腕を伸ばし、自分を抱き込んだまま本当にそのまま眠ってしまうのだから呆れてしまう。しかし、今の今までそこで寝ていた自分も自分であるから、猪狩は知らんふりをして目を閉じた。男の腕の中にくるまれながら、猪狩は幸福なまどろみに身を任せた。数時間後には、腕が痺れたと言って隣の男が大騒ぎする、さわがしくもいとしい朝がやって来る。




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急に寒くなったので主守

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誰にもいえない

誰にもいえない(9/主守)

「えっ。猪狩と矢部くん、二人で遊びに行って来たの?」
 部室で珍しく二人が話し込んでいるのでなんだと思って尋ねたら、予想外の返事が飛んできた。それに素っ頓狂な声を上げると、猪狩は目を逸らして不機嫌そうに言う。オレは知っている。これは照れ隠しするときの猪狩がよく見せる仕草だった。日直の仕事を終わらせてから来たオレとは違い、二人はもうスパイクも履いていて野球をする準備をすっかり済ませていた。
「べつに遊びに行ったわけじゃない。ちょっと食事をして来ただけだ」
「でもそのあとバッティングセンターに行ったでやんす」
「腹ごなしにな」
 へえ、と相槌を打ちながら、オレは何故だか胸がドキドキしてきて、自分の意思とは別に跳ね上がる心臓を気取られぬよう静かに息をついた。これがどういう気持ちなのか自分でも分からない。分からないので、せめて気付かれないようにと、オレは一生懸命普段の自分を思い出しながら声を出した。
「それなら、オレも誘ってくれれば良かったのに」
「パワプロくん、見たいテレビがあるって言ってさっさと帰ったでやんすよ」
「ああ、あの日か…」
「ボクは練習が終わったらすぐに帰りたかったんだ」
「あのときの猪狩くんのお腹の音にはみんなビックリしてたでやんす」
「うるさいな」
 相変わらず猪狩と矢部くんは楽しそうに話を続けている。オレがさっさと帰ってしまったあの日、どうやら猪狩が部室で大きな腹の音を鳴らして、それを聞いていた矢部くんと成り行きでご飯を食べに行くことになり、そのついでにバッティングセンターに寄って帰ったということらしい。それだけのことだ。それだけのことがどうしてこんなにも胸をざわめかせるのだろう。
「なに食べに行ったの?今度はオレも一緒にみんなで行こうよ」
「あいにく、ボクはキミたちと違って暇ではないんでね」
「猪狩くん、誘われて嬉しいのがバレバレでやんすよ」
「なんだって」
 隣でじゃれている二人と一緒に笑いながら、オレは飲み込めない感情と口に出せない気持ちが喉で大渋滞を起こしていた。なんと言っていいのか分からなかった。猪狩のような気難しい変人と仲良くなれるのは自分だけだと思ったのに、猪狩って自分以外にも懐くんだな。そういうことが頭をよぎって、一人で勝手に恥ずかしくなる。懐くって、なんだ。猪狩はペットじゃない。もちろんオレのものじゃないし、誰と仲良くしたっていい。オレのもの?ますます思考がこんがらがってわけが分からなくなる。オレは猪狩をなんだと思っているのだろうか。
「おい、もう行くぞ。無駄なお喋りはやめないか」
「元はと言えば猪狩くんが始めたんでやんす」
 部室を出た二人の背中を見ながら、オレも後に続いて戸を閉める。誰にも言えない気持ちには蓋をして、オレはグラウンドに向かって走り出した。




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矢部くんいつもごめんねありがとう
たまには主人公ちゃんの方に妬いてもらったら思いがけず不穏な空気になりました
たまにはいいじゃないかいいじゃないか
主守は約束されたhappyが待っているので安心してなんでも書ける

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デジャ・ビュ

デジャ・ビュ

 耳をつんざくような大歓声、照り付ける太陽光、降り注ぐすべてが熱狂と興奮に満ちていた。その真ん中に立つのは自分だ。マウンド、ここが一番高い場所。
 夏のマウンドは信じられないほど熱かった。甲子園の切符を賭けた地方大会決勝戦。ロジンを掴み、前を見る。けぶる土煙、蜃気楼のように立ち込めるその向こうには、今までに何度も見てきた男が立っている。見慣れた赤いユニフォーム姿、この状況でも集中力が途切れる様子はまるでない。相手にとって不足なし。唇の端を舐めるのは、勝負に夢中になっているときの猪狩の癖だった。
 キャッチャーを務める弟のサインは先程と変わらない。首を振る。もう一度同じ動作を繰り返してから頷いて、大きく振りかぶった。伸びのあるストレートは、いま自分が投げることの出来る最高のものだ。男の振ったバットは空を切り、ミットに収まった白球に思わず拳を握る。これでフルカウント。間違いなく、勝負は次で決するだろう。
 ロジンを拾うと、不思議な感覚が猪狩を襲った。弱小高にも関わらずここまで勝ち上がってきたその男と甲子園の椅子を取り合うのは、これが初めてだ。それでも、猪狩には既視感があった。何度もこんなことを繰り返している気がする。思い出されはしない記憶の端にはいつも男の姿があった。
 何度目でも構わない、何度でも自分が勝つだけだ。打席に立つ男が笑っているような気がして、猪狩は唇の端を持ち上げた。さあ、最高の勝負をしようじゃないか。





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たまに野球してる話書くとそういえばパップロって野球のゲームだよって気付きますね

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夏の終わり

夏の終わり

「ありあとざあーしたー」
 それが、ありがとうございましたの意であることに気付いたのは、猪狩が店を出て、買ったものの封を開けようとしたときのことだ。部活帰りの寄り道、コンビニエンスストア、手には冷たい氷菓子。袋を開けて中身を取り出す。それは真ん中で千切れるようになっていて、猪狩は前に見た通りに真似をしてそれを二つに割いた。ひとつを手に取り、さっそく開けて口元に持っていく。
 冷たくて、甘い。それはコーヒーのようなチョコレートのような味がして、スムージーのような食感であった。人生で二度目のそれは、何故だか前に食べた時よりも味気なくて、猪狩はわざわざ寄り道したことを早々に後悔していた。前回は隣にいた彼がやたらと美味そうに食べるものだから、猪狩もそういうものだと思って食べていた。袋に残ったもう一つを持て余しながら、猪狩は行儀悪く、それを口に咥えたまま歩き出した。
 夏の終わり、日が暮れるのもずいぶん早くなって、この時間にはすっかり辺りは暗くなっていた。遠回りになるのに、癖のようにいつものランニングコースを歩いていることに気が付いて、猪狩は一度足を止める。どうしようかと逡巡したが、やっぱりそのまま歩いて行くことにした。手の中の氷菓子が溶けていく。雫が猪狩の手の平を濡らし、ハンカチを取り出そうとした、そのときだ。名前を呼ばれ、振り返る。
「あれっ、猪狩じゃん」
「パワプロ」
 他校の野球部員、今ではすっかり顔馴染みとなってしまった人間の名前を呼ぶと、そいつはにんまりと笑った。なんだその顔は。反射でつい名前を呼んでしまっただけだ。
「今日は、勝負しろって言わないのか?」
「ボクはキミと違って暇じゃないんでね」
「なんだよ、いつもお前からふっかけてくるくせにー……って、お前いいもん持ってるじゃん!」
 無邪気に笑って手を差し出す仕草に、猪狩は少しだけ考えて、持っていた袋ごとそれを渡した。パワプロは大袈裟に喜んでみせて、猪狩のするようにそれを口に咥えながら隣に並んで歩き出す。
「キミ、ひとつ貸しだぞ」
「いやいや、この前オレのアイス半分食べたの猪狩じゃん!」
「そうだったかな」
 他愛のないやり取りなのにどうしようもなく心が弾んで、猪狩は無意識に口元が緩むのを自覚していた。周りが暗くて良かった。隣のパワプロはあっという間にアイスを食べ終えて、通りがかった公園のくずかごにそれを投げ入れた。ナイスピッチ。そんなことを言ってふざけるものだから、猪狩も同じように投げると、パワプロは楽しそうに笑って言うのだった。
「なあー、キャッチボールしてかない?どうせグラブとボールは持ってんだろ」
「まあ、キミがどうしてもと言うのなら、付き合ってやらないこともない」
「あの辺なら結構明るいから、ボールも見えるだろ」
 言うが早いか、パワプロはあっという間に駆けて行ってしまって、猪狩も後を追うようにして走った。ただ冷たいだけだった甘味はいつの間にか猪狩の心も満たして、その甘さに猪狩はこっそり微笑んだ。





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主人公ちゃんと一緒に食べるとおいしいんだよねえシリーズ何回書いても飽きないから主守はすごい
パピコたべたい

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責任取ってもらおうか

責任取ってもらおうか(主守)

 大変なことになった。夕暮れ時、遠くで鳥の鳴く声を聞きながらオレは途方に暮れていた。
 ことの発端は少し前に遡る。いつもの帰り道、これまたいつもの通り猪狩と出くわしたので、当然のように今日も河原での一打席勝負となった。猪狩というのは他校のいけすかない野球部員のことで、甲子園の常勝校である「あの」あかつき高校の、「あの」猪狩守である。現在高校野球に関わっている人間で、猪狩守の名前を知らないやつはたぶんいないだろう。
 昨年、二年生でありながら甲子園のマウンドにエースとして立った猪狩は大変な話題となり、テレビや雑誌、野球関連のニュースには引っ張りだこだったからだ。その実力は折り紙付で、なんといっても猪狩自身のキャラクターがかなり立っているため、すぐに有名人となった。猪狩と言えば目立ちたがりでビッグマウス、時には不遜なほどでかいことを堂々と口にして、しかしそれらすべてを自らの実力で体現してアンチさえ黙らせてしまうとんでもないやつだった。そういう性格に加えてあのルックス、ついでに家は大層な金持ちらしい。世の中にはいろんな人間がいるのだ。
 そんな猪狩とオレは高校一年のときに偶然道端で肩をぶつけ合ってから、こうして会うたびに河原で一打席勝負をする間柄だ。どんな偶然か因縁か、時間を変えても曜日を変えても道を変えても、猪狩とはどこでも出くわした。こうなったら、もうそういうものだと割り切るしかないと思うようになった高校三年の春。まさかこんなことになるとは思わなくて、オレは目の前の猪狩に何も言うことが出来ずに立ち尽くした。
 今日の勝負は猪狩の勝ちで、いつものように憎まれ口を叩く猪狩にオレが言い返したせいで軽い口論となった。そんなのはいつものことなので初めはいつもの調子だったのだが、今日はなんとなく腹の虫の居所が悪いこともあり、思わず猪狩の腕を掴んでしまった。利き腕ではなく、とっさに右腕を掴んでいたオレはなかなかセンスがいいと思うのだが、川べりの傾斜を歩いていたのがいかんせんよくなかった。よろめいた猪狩、とっさに庇ってしまったオレとで縺れるように転んでしまった。そうして、まさかの冗談のようなことが起きたのだ。一瞬のことだったので知らん顔をしようとも思ったが、びっくりした猪狩が口走った一言がそうさせてはくれなかった。
「ファーストキス…」
 まさか少女マンガでもあるまいに、オレと猪狩は二人してひっくり返った拍子に唇がぶつかってしまった。つまり、熱いキッスを交わしてしまったのである。そんなまさか。冗談みたいなこともあるもんだ。そもそも事故なんてノーカウントだろう。そう思って笑い飛ばそうとしたのに、立ち上がった猪狩が思いがけず真剣な顔をしていたので、オレは地面にひっくり返ったまま息を飲んだ。
「キミには責任を取ってもらう。明日、同じ時間にここへ来い」
 それだけ言うと猪狩はさっさと歩いて行ってしまって、一人取り残されたオレは大の字になって空を見上げた。
 翌日。そういうわけで、別に約束をしたわけでもないし律儀に来なくても良かったのだが、オレは同じ時刻、同じ場所へとやって来ていた。猪狩のような性格の、ついでに金持ちの言う「責任」とはなんなのだろう。もしかして猪狩には幼少の頃から親同士が決めた婚約者なんかがいて、結婚するまでお互い潔白でいる約束だったのにオレのせいで傷物になってしまったから責任を取れとか、そういう意味なんだろうか。まさか、マンガの読みすぎだ。そう思って来たのだが、もしかしたら事態は意外と深刻なのかも知れない。オレより先に待っていた猪狩は、どう見ても後ろ手に何か持っているのだった。もしかしてバットだろうか。殴られる?責任を取るために?まさか。
 戦々恐々、ぎりぎり逃げられそうな距離まで近付いたオレに猪狩が手に持ったものを振りかぶった。殴られる!覚悟してきつく目を閉じたオレに、想像した衝撃はやって来なかった。おそるおそる目を開ける。見えたのは、視界いっぱいの赤、赤、赤。ぶわ、と匂いが香った瞬間に、ようやくそれが真っ赤な薔薇の花束だと気付いた。放心したオレに猪狩が言う。
「キミには責任を取って、ボクの婿になってもらう」
「えっ、そっち!?」
「そっちって、どっちだ」
 そっちの意味の、そっちだよ。言おうと思ったが、薔薇の花に負けずとも劣らず赤い顔をした猪狩に、オレはそれ以上なんにも言えなくなってしまった。差し出された花束を受け取って、きれいだなと思ったのは、もちろん花のことだ。初めて見た猪狩の笑顔に、オレはのぼせたようにそう言い聞かせた。




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事故チュー、主守、少女マンガ、主守、薔薇の花束、主守、わたしの好きなやつ全部乗せ

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