盛夏の候
盛夏の候 (主守)
自販機で二人分のジュースを買って戻ると、猪狩は机に肘をついた格好で眠っていた。ガタンと大きな音を立てて椅子を引いて座っても、猪狩は目を覚さない。今日の部活は、監督の都合で急遽休みになった。放課後の教室は、他に誰もいない。猪狩と二人きり。
次の補習で合格点を取れなければいよいよ野球が出来なくなる!という大ピンチにオレが泣き付いたのは、チームメイトの猪狩であった。猪狩はオレと違って野球だけではなく勉強もうんと出来るということを、オレはこいつの自慢話からよく承知していた。しかし、部室で事情を説明したオレに、猪狩の目は大変冷ややかなものであった。口に出さずとも、まもなく地方予選の始まるこの時期に何をしているんだという猪狩の声が聞こえたような気がした。
それでも結局、猪狩はオレに勉強を教えてやる気になったらしい。練習が休みになり、各々自主練習の流れとなったので、てっきり猪狩もそうするものだと思っていたのに、猪狩の方からオレを引っ張るのだから驚きだ。嫌味ったらしい物言いはいつもの通りであったが、わざわざ分厚い参考書を持参してまでみてくれるのは、正直とてもありがたかった。
「猪狩」
休憩をもぎ取るために買ってきたジュースは、猪狩へのささやかな御礼の意味も込められていた。猪狩は口が悪くて態度もでかい、ついでに高飛車で嫌味だが、決してわるいやつではないのだ。猪狩は不器用で、誰よりも自分に厳しいせいで、他人にも厳しい。そのせいで、周りからはしばしば誤解されていた。オレはそういうこいつのことを考えると、時々どうしようもない気持ちになる。
だから、目の前の猪狩、その明るい栗色の髪に手が伸びたのは、ごく自然な動作だったのだろう。
という現場を目撃してしまったオイラの名前を、矢部明雄と言うでやんす。チームメイトの忘れ物をわざわざ届けに来た善良なオイラに対する、とんでもない仕打ちでやんす。
とても常人には入っていけない空気を醸し出している困ったチームメイトの二人を、パワプロくんと猪狩くんと言うのでやんす。いつもは喧嘩ばかりで騒がしい二人は、ふたりきりになるとこんな風になってしまうのでやんすね。知りたくなかったでやんす。
パワプロくんが猪狩くんの頭に手を伸ばしたところで限界を迎えたオイラは、教室の入り口に忘れ物を置きながら、何も見なかったことにして帰宅することにしたのでやんす。それにしてもパワプロくん、部室に教科書の全部を忘れていって、一体何を勉強しているのでやんすか。オイラは何も知らないし、何も見なかったのでやんす。
パワプロくんと猪狩くんには、昔流行ったあの歌のあのサビがとてもよく似合うのでやんすねえ。今にも大声で歌い出したい気分でやんすよ。
恋のスコアリングポジション、キミのハートにインフィールドフライ、チェンジ!でやんす。
了
ーーーーーーー
オチないときのオチ要員として定評のある矢部氏
最後のは5に出てくるネタなので、実際のルール上インフィールドフライで攻守チェンジになることはございませんあしからず!
自販機で二人分のジュースを買って戻ると、猪狩は机に肘をついた格好で眠っていた。ガタンと大きな音を立てて椅子を引いて座っても、猪狩は目を覚さない。今日の部活は、監督の都合で急遽休みになった。放課後の教室は、他に誰もいない。猪狩と二人きり。
次の補習で合格点を取れなければいよいよ野球が出来なくなる!という大ピンチにオレが泣き付いたのは、チームメイトの猪狩であった。猪狩はオレと違って野球だけではなく勉強もうんと出来るということを、オレはこいつの自慢話からよく承知していた。しかし、部室で事情を説明したオレに、猪狩の目は大変冷ややかなものであった。口に出さずとも、まもなく地方予選の始まるこの時期に何をしているんだという猪狩の声が聞こえたような気がした。
それでも結局、猪狩はオレに勉強を教えてやる気になったらしい。練習が休みになり、各々自主練習の流れとなったので、てっきり猪狩もそうするものだと思っていたのに、猪狩の方からオレを引っ張るのだから驚きだ。嫌味ったらしい物言いはいつもの通りであったが、わざわざ分厚い参考書を持参してまでみてくれるのは、正直とてもありがたかった。
「猪狩」
休憩をもぎ取るために買ってきたジュースは、猪狩へのささやかな御礼の意味も込められていた。猪狩は口が悪くて態度もでかい、ついでに高飛車で嫌味だが、決してわるいやつではないのだ。猪狩は不器用で、誰よりも自分に厳しいせいで、他人にも厳しい。そのせいで、周りからはしばしば誤解されていた。オレはそういうこいつのことを考えると、時々どうしようもない気持ちになる。
だから、目の前の猪狩、その明るい栗色の髪に手が伸びたのは、ごく自然な動作だったのだろう。
という現場を目撃してしまったオイラの名前を、矢部明雄と言うでやんす。チームメイトの忘れ物をわざわざ届けに来た善良なオイラに対する、とんでもない仕打ちでやんす。
とても常人には入っていけない空気を醸し出している困ったチームメイトの二人を、パワプロくんと猪狩くんと言うのでやんす。いつもは喧嘩ばかりで騒がしい二人は、ふたりきりになるとこんな風になってしまうのでやんすね。知りたくなかったでやんす。
パワプロくんが猪狩くんの頭に手を伸ばしたところで限界を迎えたオイラは、教室の入り口に忘れ物を置きながら、何も見なかったことにして帰宅することにしたのでやんす。それにしてもパワプロくん、部室に教科書の全部を忘れていって、一体何を勉強しているのでやんすか。オイラは何も知らないし、何も見なかったのでやんす。
パワプロくんと猪狩くんには、昔流行ったあの歌のあのサビがとてもよく似合うのでやんすねえ。今にも大声で歌い出したい気分でやんすよ。
恋のスコアリングポジション、キミのハートにインフィールドフライ、チェンジ!でやんす。
了
ーーーーーーー
オチないときのオチ要員として定評のある矢部氏
最後のは5に出てくるネタなので、実際のルール上インフィールドフライで攻守チェンジになることはございませんあしからず!
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春と待ち合わせ
春と待ち合わせ (主守)
どこから飛んできたのか、目の前を舞う桜の花びらを追いかけて顔を上げると、そいつは手を上げてこちらに走ってくるのだった。猪狩、と呼ばれる。
頬を撫でる柔らかな風と、穏やかな気候が心地良かった。春という季節は不思議なもので、どこか背筋が伸びるような、それでいて面映いような気持ちにさせる。しかし、そんなボクの気持ちは、今まさに一瞬で吹き飛んでしまった。
「ごめん、待った?」
待ち合わせをしていた人物に対して投げかける定番の台詞であろう。ここでボクが、「今来たところだ」と答えれば、まさしく完璧だ。なんといったって今日は、「初めてのデート」であるのだから。そう、デートだ。そういう気持ちで、ボクはそわそわとした気持ちと共に駅前で待っていた。自慢の愛車で来るつもりだったところを、こいつが、パワプロが、待ち合わせをしたいなどと言うものだから。
ボクの顔を見つけたパワプロは、満面の笑みで笑っている。いつも着ている彼のトレードマークとも言うべき、ユニフォームという出で立ちで。そういえばこいつは学生の頃からそうだった。いつでもどこでも、夏でも冬でもユニフォーム一枚の格好をしている。
「猪狩、どうした?」
こちらを覗き込むパワプロは全くいつもの通りだった。それを見ていると、腹の底からふつふつと込み上げてくるものがある。ボクが昨晩、どれだけ悩んだことか、こいつは知らない。どんな服装をしていこうか、デートにふさわしい格好とはどんなものか。ボクは、キミがどんな服装でやってくるのか、待っている間ずっと考えていたのに。ボクの時間と、この不毛な胸の高鳴りを返せ!
「じゃ、行こっか」
その手は、自然な動作でボクの手を掴んだ。驚いて顔を上げると、きゅ、と少しだけ強く掴まれる。手を繋いだまま歩き出したパワプロが言った。
「だって、今日は、デートだろ」
赤くなったパワプロの顔を、春風が撫でていく。単純なボクはすっかり機嫌を直して、その背中を追いかけた。デートはまだ、始まったばかりだ。
了
ーーーーーーーーーーー
なぜなら、春だからです
どこから飛んできたのか、目の前を舞う桜の花びらを追いかけて顔を上げると、そいつは手を上げてこちらに走ってくるのだった。猪狩、と呼ばれる。
頬を撫でる柔らかな風と、穏やかな気候が心地良かった。春という季節は不思議なもので、どこか背筋が伸びるような、それでいて面映いような気持ちにさせる。しかし、そんなボクの気持ちは、今まさに一瞬で吹き飛んでしまった。
「ごめん、待った?」
待ち合わせをしていた人物に対して投げかける定番の台詞であろう。ここでボクが、「今来たところだ」と答えれば、まさしく完璧だ。なんといったって今日は、「初めてのデート」であるのだから。そう、デートだ。そういう気持ちで、ボクはそわそわとした気持ちと共に駅前で待っていた。自慢の愛車で来るつもりだったところを、こいつが、パワプロが、待ち合わせをしたいなどと言うものだから。
ボクの顔を見つけたパワプロは、満面の笑みで笑っている。いつも着ている彼のトレードマークとも言うべき、ユニフォームという出で立ちで。そういえばこいつは学生の頃からそうだった。いつでもどこでも、夏でも冬でもユニフォーム一枚の格好をしている。
「猪狩、どうした?」
こちらを覗き込むパワプロは全くいつもの通りだった。それを見ていると、腹の底からふつふつと込み上げてくるものがある。ボクが昨晩、どれだけ悩んだことか、こいつは知らない。どんな服装をしていこうか、デートにふさわしい格好とはどんなものか。ボクは、キミがどんな服装でやってくるのか、待っている間ずっと考えていたのに。ボクの時間と、この不毛な胸の高鳴りを返せ!
「じゃ、行こっか」
その手は、自然な動作でボクの手を掴んだ。驚いて顔を上げると、きゅ、と少しだけ強く掴まれる。手を繋いだまま歩き出したパワプロが言った。
「だって、今日は、デートだろ」
赤くなったパワプロの顔を、春風が撫でていく。単純なボクはすっかり機嫌を直して、その背中を追いかけた。デートはまだ、始まったばかりだ。
了
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なぜなら、春だからです
春と病室
春と病室 (5/ 猪狩守)
病室の外がうるさいと思って顔を上げると、弟の声がした。なんだろうと耳を済ませると、弟ともう一人男の声が混じる。それは、自分の記憶違いでなければ、先日河原で一打席勝負をした、他校の野球部員のものに違いなかった。あいつが、なぜここに。いや、弟が、なぜあいつと話をしているのだろう。ここが病院であることも忘れて、ボクは勢いよくベッドから乗り出した。
立ち上がると、痛めた足首がじわりと熱を持った。顔をしかめ、足元をみやる。怪我をするなど、三流選手のすることだ。あの日は朝から体調が優れなかったにも関わらず、練習を強行した己の思慮の浅さが招いたことであった。悔やんだところで時間は戻らないので、今は自分に出来ることをするだけだ。そう思って、大人しくイメージトレーニングにいそしんでいたところだというのに。
扉の向こうでは、相変わらず騒がしく会話をする声が聞こえてくる。無視をしようと思っても、どうにも気が散って仕方ない。そうしているうちに、自分の苛立ちの矛先がおかしな方向に向いてしまっていることに、気が付いた。
弟よ、そいつの相手をするのは、このボクだ。
「あっ、に、兄さん!」
「人が気持ちよくイメージトレーニングしているときに、大声出すんじゃない」
ガチャリ、不躾にドアノブを捻ると、そこには弟と女性の看護師、そして例の野球部員が床に転がっていた。フンと鼻を鳴らすと、弟が情けない声で言うのだった。
「その人、頭から血が出てるよ…」
「ほほう、たしかに。こんな怪我人がいるとは、さすが病院だな」
どうやら、ドアを開けたときにぶつけたらしい。ちら、と見ると、血を流しながらもケロリとした表情でこちらを見ているそいつと目が合うのだった。名前を確か、パワプロといっただろうか。ふうん。ボクの顔を見るといつも目を吊り上げて目の敵にするくせに、弟とはそんな顔で話をするのか。
「もう、いいかげんにしなさい!」
女性の看護師の一喝に、ボクら三人は同時にはっとして、弟とボクは有耶無耶に病室から追い出される格好になった。部屋から出る直前、真正面からパワプロと目が合って、ボクは瞳を瞬いた。
「もう、兄さん、あんまり無茶しないでよ」
「ああ」
「今日はもう僕は帰りますから、くれぐれも安静にしてくださいよ」
「ああ、分かってる」
「…どうかしたんですか?」
「いや」
尋ねたいことはあったが、やめた。パワプロとも、野球をしていれば、そのうちにまたどこかで会うだろう。ボクたちは、長話をするよりも野球をしていた方がずっと自然であろう。そのためにも、こんな怪我など早く治さなくてはならない。そうだろう、パワプロ。
「じゃあ、進。またグラウンドでな」
そう言って、ボクは弟の頭に一度だけ手をやって、自身の病室の戸を開けた。
了
ーーーーーーー
2年め4月4週。進くんの初登場定期イベントのときに入院してると病室で会えるんですね。
知らなかった!
散々遊んだのに、まだまだ知らないことあるなあ
(忘れてることも多数)
病室の外がうるさいと思って顔を上げると、弟の声がした。なんだろうと耳を済ませると、弟ともう一人男の声が混じる。それは、自分の記憶違いでなければ、先日河原で一打席勝負をした、他校の野球部員のものに違いなかった。あいつが、なぜここに。いや、弟が、なぜあいつと話をしているのだろう。ここが病院であることも忘れて、ボクは勢いよくベッドから乗り出した。
立ち上がると、痛めた足首がじわりと熱を持った。顔をしかめ、足元をみやる。怪我をするなど、三流選手のすることだ。あの日は朝から体調が優れなかったにも関わらず、練習を強行した己の思慮の浅さが招いたことであった。悔やんだところで時間は戻らないので、今は自分に出来ることをするだけだ。そう思って、大人しくイメージトレーニングにいそしんでいたところだというのに。
扉の向こうでは、相変わらず騒がしく会話をする声が聞こえてくる。無視をしようと思っても、どうにも気が散って仕方ない。そうしているうちに、自分の苛立ちの矛先がおかしな方向に向いてしまっていることに、気が付いた。
弟よ、そいつの相手をするのは、このボクだ。
「あっ、に、兄さん!」
「人が気持ちよくイメージトレーニングしているときに、大声出すんじゃない」
ガチャリ、不躾にドアノブを捻ると、そこには弟と女性の看護師、そして例の野球部員が床に転がっていた。フンと鼻を鳴らすと、弟が情けない声で言うのだった。
「その人、頭から血が出てるよ…」
「ほほう、たしかに。こんな怪我人がいるとは、さすが病院だな」
どうやら、ドアを開けたときにぶつけたらしい。ちら、と見ると、血を流しながらもケロリとした表情でこちらを見ているそいつと目が合うのだった。名前を確か、パワプロといっただろうか。ふうん。ボクの顔を見るといつも目を吊り上げて目の敵にするくせに、弟とはそんな顔で話をするのか。
「もう、いいかげんにしなさい!」
女性の看護師の一喝に、ボクら三人は同時にはっとして、弟とボクは有耶無耶に病室から追い出される格好になった。部屋から出る直前、真正面からパワプロと目が合って、ボクは瞳を瞬いた。
「もう、兄さん、あんまり無茶しないでよ」
「ああ」
「今日はもう僕は帰りますから、くれぐれも安静にしてくださいよ」
「ああ、分かってる」
「…どうかしたんですか?」
「いや」
尋ねたいことはあったが、やめた。パワプロとも、野球をしていれば、そのうちにまたどこかで会うだろう。ボクたちは、長話をするよりも野球をしていた方がずっと自然であろう。そのためにも、こんな怪我など早く治さなくてはならない。そうだろう、パワプロ。
「じゃあ、進。またグラウンドでな」
そう言って、ボクは弟の頭に一度だけ手をやって、自身の病室の戸を開けた。
了
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2年め4月4週。進くんの初登場定期イベントのときに入院してると病室で会えるんですね。
知らなかった!
散々遊んだのに、まだまだ知らないことあるなあ
(忘れてることも多数)
春と桜
春と桜(猪狩守)
部活動を終えた帰り道、コンビニエンスストアに寄った。二十四時間営業。年中無休。知識としては知っていたが、実際に立ち寄ったのは初めてだった。らっしゃーせー。店員の言ったそれが「いらっしゃいませ」であったと気が付いたのは、会計を済ませて店を出た後のことだ。手に下げた小さなポリ袋の中から、早速それを取り出す。透明のビニールには、確かに「1」と印字されたシールが付いていた。
きっかけは、パワプロが昼食に食べていた菓子パンだった。この頃のパワプロは、昼時になると気紛れにボクのクラスまでやって来ることがあったので、ときどき一緒に昼食をとるのだった。パワプロがなにを考えているのか知らないが、食べ終わったあとにキャッチボールをする時間がボクはきらいではなかった。
「キミ、昨日もそれ食べてなかったかい」
「ん?うん、結構うまいんだな、これが」
「ふうん」
「そんでもって、これ!」
じゃーん!と言いながらパワプロが大袈裟に掲げてみせたそれが、ボクには何なのか分からなかった。
「なんだい、それは」
「春のパン祭りシール!の、台紙!へへ、あとちょっとでたまるんだ〜」
何のことなのかさっぱり分からないボクに、パワプロは聞いてもいないのに意気揚々と説明を始めるのだった。要約するとこうだ。パンを買ったときに付いているシールを集めると物がもらえる。あと少しでそれがたまる。だから毎日パンばかりを食べている。
「集めると皿がもらえるんだけど、今年はなんとダブルチャンスで、ミゾットの最高級グラブが当たるんだ!」
嬉しそうに、パワプロはにこにこと笑っている。ミゾット製の、最高級グラブ。左利きピッチャー用のそれは、もちろんボクも愛用しているものだ。ボクが望めば、そんなものはいくらでも手に入る。「キミの分も」、言い掛けた言葉を飲み込んで、ボクは違うことを尋ねた。
「そのパンは、どこに売っているんだい」
そうして現在、部活動後にわざわざコンビニエンスストアに寄る自分自身を、ボクは不思議に思う。グラブが欲しいのなら、父に一言頼めばいいだけの話だ。息子のために私設球場まで作ってしまった父親からすれば、グラブの一つなど比べるにも値しないことだろう。
手に取ったパンの袋を改めて眺める。桜チーズ蒸しパン。そう書いてある文字を見ると、練習終わりのボクのお腹は確かにぐうと鳴ってみせるのだった。
袋には「桜味」と書いてあったが、桜の味とは果たしてどんなものなのだろう。食べていてもよく分からない。さしずめこれは「春」の味に違いないなどと、ボクはそんなことを考えているのだった。
了
ーーーーーー
猪狩守と春と桜と何かの芽生え
いいですね
部活動を終えた帰り道、コンビニエンスストアに寄った。二十四時間営業。年中無休。知識としては知っていたが、実際に立ち寄ったのは初めてだった。らっしゃーせー。店員の言ったそれが「いらっしゃいませ」であったと気が付いたのは、会計を済ませて店を出た後のことだ。手に下げた小さなポリ袋の中から、早速それを取り出す。透明のビニールには、確かに「1」と印字されたシールが付いていた。
きっかけは、パワプロが昼食に食べていた菓子パンだった。この頃のパワプロは、昼時になると気紛れにボクのクラスまでやって来ることがあったので、ときどき一緒に昼食をとるのだった。パワプロがなにを考えているのか知らないが、食べ終わったあとにキャッチボールをする時間がボクはきらいではなかった。
「キミ、昨日もそれ食べてなかったかい」
「ん?うん、結構うまいんだな、これが」
「ふうん」
「そんでもって、これ!」
じゃーん!と言いながらパワプロが大袈裟に掲げてみせたそれが、ボクには何なのか分からなかった。
「なんだい、それは」
「春のパン祭りシール!の、台紙!へへ、あとちょっとでたまるんだ〜」
何のことなのかさっぱり分からないボクに、パワプロは聞いてもいないのに意気揚々と説明を始めるのだった。要約するとこうだ。パンを買ったときに付いているシールを集めると物がもらえる。あと少しでそれがたまる。だから毎日パンばかりを食べている。
「集めると皿がもらえるんだけど、今年はなんとダブルチャンスで、ミゾットの最高級グラブが当たるんだ!」
嬉しそうに、パワプロはにこにこと笑っている。ミゾット製の、最高級グラブ。左利きピッチャー用のそれは、もちろんボクも愛用しているものだ。ボクが望めば、そんなものはいくらでも手に入る。「キミの分も」、言い掛けた言葉を飲み込んで、ボクは違うことを尋ねた。
「そのパンは、どこに売っているんだい」
そうして現在、部活動後にわざわざコンビニエンスストアに寄る自分自身を、ボクは不思議に思う。グラブが欲しいのなら、父に一言頼めばいいだけの話だ。息子のために私設球場まで作ってしまった父親からすれば、グラブの一つなど比べるにも値しないことだろう。
手に取ったパンの袋を改めて眺める。桜チーズ蒸しパン。そう書いてある文字を見ると、練習終わりのボクのお腹は確かにぐうと鳴ってみせるのだった。
袋には「桜味」と書いてあったが、桜の味とは果たしてどんなものなのだろう。食べていてもよく分からない。さしずめこれは「春」の味に違いないなどと、ボクはそんなことを考えているのだった。
了
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猪狩守と春と桜と何かの芽生え
いいですね
出来レース
出来レース (主人公×猪狩守)
猪狩とケンカをした。その理由は結構くだらなくて、説明するのも憚られるほどだ。世間一般的には「痴話喧嘩」などと称されるのかもしれなかった。
ことの発端はやはり猪狩で、珍しく機嫌の良い猪狩が、テレビを見ていたオレに問いかけたのが始まりだった。
「キミは、ボクのどこが好きなんだい」
なんだその質問。いったいどこで、なにを、どんな風に影響されてきたのか、猪狩の顔はどこか嬉しそうでもあった。気分屋の猪狩は、きっと今日は甘えたい気分なんだろう。オレの返答に期待するその眼差しはかわいらしくもあった。しかしながら、そこまで理解しているにも関わらずオレの口からこぼれたのはとんでもない回答であった。なんでそんなことを言ってしまったのか、分からない。
「え…顔かな」
猪狩の表情がぴしりと固まる。変な沈黙が降りたあと、さっきまで上機嫌だった猪狩は一転して不機嫌を露わにしていた。
「確かにボクはキミと違って見目麗しいから、それをキミが好ましいと思うのは当然のことだろう、だが、それ以外にもあるだろう」
「んー…」
こういうときに限って、何も言葉が出てこない。なんと言っていいのか分からなくて黙っている時間と、それに比例するように猪狩の機嫌はどんどん悪くなっていく。最終的に、猪狩は踵を返してそのまま寝室の方へ引っ込んでいってしまった。
それは、面白くないときの猪狩がよくする癖のような動作だった。やってしまった。リモコンを手に取り、テレビを消す。寝室まで追い掛けると、猪狩は分かりやすく不貞腐れて、布団を被って丸まっていた。ベッドに腰かけると、上質なシルクが手触りよく心地良い。さらりとしたそれを一撫でしてから、オレは布団越しの猪狩に声を掛けた。
「猪狩」
「……」
「そんなことで、怒るなよ」
「キミにとっては「そんなこと」なんだな。よく分かったよ」
「だって「全部」とか言ったらお前怒るだろ」
沈黙。背を向ける猪狩が、思考しているのが分かった。オレは静かに猪狩の言葉を待つ。
「…当たり前だ。適当なことを言ってごまかそうとするな」
「だよな。でも、それ以外になんて言えばいいのか分かんないよ。考えても、出てこないんだよ」
「……」
「考えても、分かんない。お前の好きなところ、それどころかイヤなところも嫌いなところも浮かばない」
「それは、ボクに興味がないということか」
「違うよ。お前の自信過剰すぎるところはどうかと思うし、高飛車な発言も控えた方がいいと思うし、いまだに料理のひとつも出来ないし、ほかの家事だってとんでもない失敗するし、この前は電子レンジ壊したし、そもそもワガママだし、気まぐれで気分屋だし、全然素直じゃないし、人の話は聞かないし」
「おい。そろそろ本気で怒っていいかい」
「でもな」
「……」
「そういうところも含めてお前だと思うと、嫌いじゃないっていうか、結局全部好きなんだよな〜とか思っちゃうわけ」
「……」
「だから、いまさら「どこ」が好きとか聞かれても、困るよ。お前だったら、オレはなんでもいいみたいなんだよ。オレの言いたいこと、分かる?」
「分かるもんか…」
消えるようにして小さくなる語尾を追い掛けて、オレは後ろから覆い被さるようにして猪狩を覗き込む。予想通りの顔をしていた猪狩に、オレは問いかけた。
「それで?今度は猪狩が聞かせてくれる番だろ。猪狩は、オレのどこが好きなんだ?」
緩む頬を我慢もしないでそう言うと、猪狩は怒ったように一言だけ答えるのだった。
「キミと同じだよ!」
おあとがよろしいようで。
了
ーーーーーーーー
きみたちは本当に恥ずかしいな 好きだ
猪狩とケンカをした。その理由は結構くだらなくて、説明するのも憚られるほどだ。世間一般的には「痴話喧嘩」などと称されるのかもしれなかった。
ことの発端はやはり猪狩で、珍しく機嫌の良い猪狩が、テレビを見ていたオレに問いかけたのが始まりだった。
「キミは、ボクのどこが好きなんだい」
なんだその質問。いったいどこで、なにを、どんな風に影響されてきたのか、猪狩の顔はどこか嬉しそうでもあった。気分屋の猪狩は、きっと今日は甘えたい気分なんだろう。オレの返答に期待するその眼差しはかわいらしくもあった。しかしながら、そこまで理解しているにも関わらずオレの口からこぼれたのはとんでもない回答であった。なんでそんなことを言ってしまったのか、分からない。
「え…顔かな」
猪狩の表情がぴしりと固まる。変な沈黙が降りたあと、さっきまで上機嫌だった猪狩は一転して不機嫌を露わにしていた。
「確かにボクはキミと違って見目麗しいから、それをキミが好ましいと思うのは当然のことだろう、だが、それ以外にもあるだろう」
「んー…」
こういうときに限って、何も言葉が出てこない。なんと言っていいのか分からなくて黙っている時間と、それに比例するように猪狩の機嫌はどんどん悪くなっていく。最終的に、猪狩は踵を返してそのまま寝室の方へ引っ込んでいってしまった。
それは、面白くないときの猪狩がよくする癖のような動作だった。やってしまった。リモコンを手に取り、テレビを消す。寝室まで追い掛けると、猪狩は分かりやすく不貞腐れて、布団を被って丸まっていた。ベッドに腰かけると、上質なシルクが手触りよく心地良い。さらりとしたそれを一撫でしてから、オレは布団越しの猪狩に声を掛けた。
「猪狩」
「……」
「そんなことで、怒るなよ」
「キミにとっては「そんなこと」なんだな。よく分かったよ」
「だって「全部」とか言ったらお前怒るだろ」
沈黙。背を向ける猪狩が、思考しているのが分かった。オレは静かに猪狩の言葉を待つ。
「…当たり前だ。適当なことを言ってごまかそうとするな」
「だよな。でも、それ以外になんて言えばいいのか分かんないよ。考えても、出てこないんだよ」
「……」
「考えても、分かんない。お前の好きなところ、それどころかイヤなところも嫌いなところも浮かばない」
「それは、ボクに興味がないということか」
「違うよ。お前の自信過剰すぎるところはどうかと思うし、高飛車な発言も控えた方がいいと思うし、いまだに料理のひとつも出来ないし、ほかの家事だってとんでもない失敗するし、この前は電子レンジ壊したし、そもそもワガママだし、気まぐれで気分屋だし、全然素直じゃないし、人の話は聞かないし」
「おい。そろそろ本気で怒っていいかい」
「でもな」
「……」
「そういうところも含めてお前だと思うと、嫌いじゃないっていうか、結局全部好きなんだよな〜とか思っちゃうわけ」
「……」
「だから、いまさら「どこ」が好きとか聞かれても、困るよ。お前だったら、オレはなんでもいいみたいなんだよ。オレの言いたいこと、分かる?」
「分かるもんか…」
消えるようにして小さくなる語尾を追い掛けて、オレは後ろから覆い被さるようにして猪狩を覗き込む。予想通りの顔をしていた猪狩に、オレは問いかけた。
「それで?今度は猪狩が聞かせてくれる番だろ。猪狩は、オレのどこが好きなんだ?」
緩む頬を我慢もしないでそう言うと、猪狩は怒ったように一言だけ答えるのだった。
「キミと同じだよ!」
おあとがよろしいようで。
了
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きみたちは本当に恥ずかしいな 好きだ
リング
リング (主人公×猪狩守)
「猪狩。オレと結婚してくれ」
場所は、夜景の見える高級レストラン。右手に夜景、正面に猪狩を見ながら、オレは左手でそれを差し出した。清水の舞台から飛び降りる、とはきっとこういうことを言うのだろう。手元に視線を落とした猪狩は、差し出された小さな箱を見つめて黙っていた。音もなく開いたそこから見えるのは、シンプルなシルバーリング。それを見てなお、猪狩は黙っていた。心臓がひっくり返りそうなほど暴れてドキドキとうるさかった。
「それより、ボクからもキミに渡したいものがあるんだが」
ようやく口を開いたと思ったら、猪狩はそんなことを言う。それより。オレの決死のプロポーズを流してまで、今渡さなきゃいけないものって一体なんなんだ。小さな箱を持ったまま、オレの心は宙ぶらりんのまま固まっていた。慣れない高級レストランも、正装も、指輪も、恥ずかしいプロポーズの言葉も、みんなみんなお前のために用意したというのに!
「これが、」
これというのは、オレが差し出した指輪のことだ。猪狩は指輪の箱を右手でつつきながら、もう片方の手で何かを取り出した。
「どのくらいしたのか知らないけど、たぶんキミのものより十倍、下手したら百倍くらいはするかもね」
そんなことを言って猪狩が取り出したのは、やっぱり小さな箱だった。ぱかり、開けられた箱から覗いたのは、照明の光を受けて燦然と瞬くシルバーリング。あまりのことに、オレは何も言えない。猪狩は自分の差し出した指輪をオレの方に押し付けながら、目の前の箱を手に取った。
「もらってあげてもいいけど、ボクは付けないぞ。野球をするときには、必要ないものだからね」
「……」
「キミは、きっとこの先こんなものには一生縁がないだろうから、ありがたく受け取るといいよ」
「お、まえ、なあ…」
とんでもない憎まれ口を叩きながら、猪狩はふてぶてしく笑っていた。一気に脱力したオレは、猪狩からの指輪を受け取って笑った。猪狩も、オレから贈った指輪を大切そうに指でなぞっていた。
「猪狩、結婚しよう」
「いいよ」
「軽っ」
「そんなこと、わざわざ口にしなくても、分かるだろう」
そう言う猪狩の顔は信じられないほど赤かったので、オレは最後に食べたりんごのデザートを思い出していたのだった。
***
「なんてことも、あったよなあ〜。懐かしいな〜」
「そんなことより、早く支度しないかい。今日はキミから出掛けると言い出したんだろう」
探し物が見当たらず、引き出しという引き出しを探し回っていたところ、懐かしいことを思い出していたのだった。猪狩からもらった指輪は、無論今日までもこれからも大切に保管されている。
「でもオレ、結局一回も付けてないや。うっかり失くしたりしたら怖すぎるし」
「ふうん。ボクはたまに付けてるけどね」
「えっ、見たことないけど」
「鈍感で間抜けなキミは気付きもしないだろうけど、オフの日なんかは時々付けてるよ」
「まじで、いつ??」
スッと差し出された左手に、オレは心底驚いた。
「マジじゃん!!えっうそだってお前付けないって言ってたじゃん、てかそんなそぶり今まで全く、えええー!!」
「うるさいな。指輪は、身に付けるものだろう」
「そりゃそうだけど、だってお前練習の邪魔になるし左手なんて絶対付けないって言ってたし」
「だから、オフの日だけだよ」
「全然知らなかった…」
「だろうね」
猪狩はころころ笑っている。機嫌が良さそうだったので、オレはその左手を掴んで、指輪のはめられた薬指をなぞってみた。
「そういえばさ、お前どうやってオレの指のサイズ知ったの?」
「寝てる間に測った」
「古典的だなあ」
「そういうキミこそ、どうしたんだい」
「進くんに聞いた」
「進!?」
本気で驚いているらしい猪狩に、オレは笑いながらかいつまんで説明をした。猪狩のところには驚くべきことに昔から専属のトレーナーが何人もいて、身長だの体重だのあらゆるパーソナルデータを記録していることを知っていた。だから、一か八かで弟である進くんに聞いてみたのだった。予想は大当たりで、猪狩の利き手である左手のデータはとくに事細かにデータベース化されていた。これによって、投げるのに適している変化球やら猪狩の持つ独特の癖なんかが分かるそうな。今更ながら、本当だろうか。
「進くんにさ、理由は特に聞かれなかったけど、さいごに「がんばってくださいね」なんて言われちゃってさ。はは、バレバレ」
「……」
「猪狩?」
「…キミも」
猪狩の言わんとすることが分かったオレは、大切にしまわれていたそれを取り出して来て、目の前で薬指にはめた。ぴたりと収まったそれを見て嬉しそうに笑う猪狩を、オレはぎゅうと抱きしめる。
「もう今日は、出掛けるのやめた」
抗議の声は重ねた猪狩の唇ごと飲み込んでしまったので、オレの耳にはあいにく聞こえてはこないのだった。
了
ーーーーーー
一生イチャイチャしててくれ ただそれだけだ
「猪狩。オレと結婚してくれ」
場所は、夜景の見える高級レストラン。右手に夜景、正面に猪狩を見ながら、オレは左手でそれを差し出した。清水の舞台から飛び降りる、とはきっとこういうことを言うのだろう。手元に視線を落とした猪狩は、差し出された小さな箱を見つめて黙っていた。音もなく開いたそこから見えるのは、シンプルなシルバーリング。それを見てなお、猪狩は黙っていた。心臓がひっくり返りそうなほど暴れてドキドキとうるさかった。
「それより、ボクからもキミに渡したいものがあるんだが」
ようやく口を開いたと思ったら、猪狩はそんなことを言う。それより。オレの決死のプロポーズを流してまで、今渡さなきゃいけないものって一体なんなんだ。小さな箱を持ったまま、オレの心は宙ぶらりんのまま固まっていた。慣れない高級レストランも、正装も、指輪も、恥ずかしいプロポーズの言葉も、みんなみんなお前のために用意したというのに!
「これが、」
これというのは、オレが差し出した指輪のことだ。猪狩は指輪の箱を右手でつつきながら、もう片方の手で何かを取り出した。
「どのくらいしたのか知らないけど、たぶんキミのものより十倍、下手したら百倍くらいはするかもね」
そんなことを言って猪狩が取り出したのは、やっぱり小さな箱だった。ぱかり、開けられた箱から覗いたのは、照明の光を受けて燦然と瞬くシルバーリング。あまりのことに、オレは何も言えない。猪狩は自分の差し出した指輪をオレの方に押し付けながら、目の前の箱を手に取った。
「もらってあげてもいいけど、ボクは付けないぞ。野球をするときには、必要ないものだからね」
「……」
「キミは、きっとこの先こんなものには一生縁がないだろうから、ありがたく受け取るといいよ」
「お、まえ、なあ…」
とんでもない憎まれ口を叩きながら、猪狩はふてぶてしく笑っていた。一気に脱力したオレは、猪狩からの指輪を受け取って笑った。猪狩も、オレから贈った指輪を大切そうに指でなぞっていた。
「猪狩、結婚しよう」
「いいよ」
「軽っ」
「そんなこと、わざわざ口にしなくても、分かるだろう」
そう言う猪狩の顔は信じられないほど赤かったので、オレは最後に食べたりんごのデザートを思い出していたのだった。
***
「なんてことも、あったよなあ〜。懐かしいな〜」
「そんなことより、早く支度しないかい。今日はキミから出掛けると言い出したんだろう」
探し物が見当たらず、引き出しという引き出しを探し回っていたところ、懐かしいことを思い出していたのだった。猪狩からもらった指輪は、無論今日までもこれからも大切に保管されている。
「でもオレ、結局一回も付けてないや。うっかり失くしたりしたら怖すぎるし」
「ふうん。ボクはたまに付けてるけどね」
「えっ、見たことないけど」
「鈍感で間抜けなキミは気付きもしないだろうけど、オフの日なんかは時々付けてるよ」
「まじで、いつ??」
スッと差し出された左手に、オレは心底驚いた。
「マジじゃん!!えっうそだってお前付けないって言ってたじゃん、てかそんなそぶり今まで全く、えええー!!」
「うるさいな。指輪は、身に付けるものだろう」
「そりゃそうだけど、だってお前練習の邪魔になるし左手なんて絶対付けないって言ってたし」
「だから、オフの日だけだよ」
「全然知らなかった…」
「だろうね」
猪狩はころころ笑っている。機嫌が良さそうだったので、オレはその左手を掴んで、指輪のはめられた薬指をなぞってみた。
「そういえばさ、お前どうやってオレの指のサイズ知ったの?」
「寝てる間に測った」
「古典的だなあ」
「そういうキミこそ、どうしたんだい」
「進くんに聞いた」
「進!?」
本気で驚いているらしい猪狩に、オレは笑いながらかいつまんで説明をした。猪狩のところには驚くべきことに昔から専属のトレーナーが何人もいて、身長だの体重だのあらゆるパーソナルデータを記録していることを知っていた。だから、一か八かで弟である進くんに聞いてみたのだった。予想は大当たりで、猪狩の利き手である左手のデータはとくに事細かにデータベース化されていた。これによって、投げるのに適している変化球やら猪狩の持つ独特の癖なんかが分かるそうな。今更ながら、本当だろうか。
「進くんにさ、理由は特に聞かれなかったけど、さいごに「がんばってくださいね」なんて言われちゃってさ。はは、バレバレ」
「……」
「猪狩?」
「…キミも」
猪狩の言わんとすることが分かったオレは、大切にしまわれていたそれを取り出して来て、目の前で薬指にはめた。ぴたりと収まったそれを見て嬉しそうに笑う猪狩を、オレはぎゅうと抱きしめる。
「もう今日は、出掛けるのやめた」
抗議の声は重ねた猪狩の唇ごと飲み込んでしまったので、オレの耳にはあいにく聞こえてはこないのだった。
了
ーーーーーー
一生イチャイチャしててくれ ただそれだけだ
初恋のソーダ割り
初恋のソーダ割り (主人公×猪狩守)
「これは夢だ」
思わず口に出していた。朝起きたら、裸だった。おそるおそる布団をめくると、かろうじて下着は付けているようだ。良かった。いや、よくない。そもそも、全く身に覚えのないここは、一体どこなのだろう。きちんと考えたいのに、未だかつて経験したことのない倦怠感と頭痛がそれを許さなかった。
曖昧な記憶、見慣れない部屋、裸で眠っている自分、ここまで自分の預かり知らぬことばかりだというのに、隣に転がっている男のことだけはよく知っているというのがまた恐ろしい事実であった。しかも、布団からはみ出しているその姿を見るに、どうやら自分と同じく服を着ていないではないか。
引かれたカーテンの向こうから差し込む朝の日差しが眩しかった。その向こうで雀が鳴いている。心なしか、身体のあちこちが痛い。ボクは呑気に寝ている隣の男の頭を引っ叩いた。
「おい」
「んう!?」
「起きろ」
「まだ眠いって…」
「起きろパワプロ」
「ああ、猪狩起きたのか…」
そう言いながらまた布団の中にもぐっていこうとする男は、チームメイトのパワプロだ。ボクが隣に寝ていることに動じていないその様子を見るに、どうやら「こうなった」事情を知っているに違いなかった。
「おい、なんなんだこれは」
「は?猪狩覚えてないの」
「ああ」
「なんにも?」
「ああ…」
「お前、マジでなんにも覚えてないの?ほんとに?昨日はすごかったんだぞ」
それは見ればなんとなく分かる。口には出さずにパワプロの方を見ると、やつは意味ありげに溜息をついてみせるのだった。
「猪狩、どこまで覚えてる?」
「……」
「まさか、なんにも覚えてないの?」
「練習後、一緒に食事に行ったところまでは記憶しているが」
「そうだよ、そこでお前ベロベロに酔っ払ってさあ、帰れないっていうからオレの家まで連れてきたんじゃん!」
「…そうかい、それは悪かったね」
「そんで、なんとか家まで連れて帰って来たと思ったら、お前いきなり玄関でさー」
「げ、玄関…?」
「そうだよお前オレのこと全然離さないし、いきなりだし、しがみついたまますげー激しいし」
「……」
「オレ、あんなの初めてだよ」
「……」
「お前、酔うとあんな風になるんだな」
「……」
ボクが黙るとパワプロも黙ってしまって、妙な沈黙が下りた。果たして何を言うべきなのか、ボクは布団をかき抱いて言葉に詰まった。これはつまり、そういうことで間違いないのだろうか。こんなとき、どんな顔をしたら良いのか分からない。
「あのさあ」
「なんだい…?」
「猪狩、なんか勘違いしてない?」
「かんちがい?」
「いや、なんていうか、そんな顔されると余計困るんだけど…」
ボクはいまどんな顔をしているんだろう。分からない。顔が熱かった。パワプロは、こんなに格好良かっただろうか。いつもの間抜け面が嘘のように真剣な表情をしている。ドキドキして胸が痛かった。ボクは昨日のことを覚えていないのを心底後悔していた。
「いや、あのな猪狩」
「うん」
「オレたち服着てないだろ」
「ああ…」
「それは汚しちゃったから仕方なくこうなったからで…ああなんだろうこの話せば話すほど勘違いが深まる感じ!?あのな、昨日…」
パワプロが話す内容は、確かにボクにとって衝撃的なものだった。
「昨日、お前を担いでなんとか家に帰ったら、酔ったお前がそのままもどしちゃって、玄関でいきなり、しかもオレに抱きついたまま離れないから二人して上も下もめちゃくちゃになって、よっぽど気持ち悪かったのかお前すげー激しく吐いてたし、とにかく汚れた服を脱がせて洗濯に突っ込んで、洗面所で顔やら口やらキレイに洗って、そんでようやく布団まで連れてったところでお前がオレを掴んだまま離さないから、もう疲れてたしめんどいしそのまま寝たの!そんだけ!」
「それだけ?本当に?」
「そうだよ」
「じゃあ、身体のあちこちが痛いのは」
「えっ、痛いのか?玄関で転んだときにどっか打ったのかも、洗面所でも一回転んでたし」
「……、…」
「おい、大丈夫か?見せてみろよ」
パワプロの心配そうにする顔を見たその瞬間、未だかつて経験のない前代未聞の感情が押し寄せて、ボクは身体中の熱が顔に集まるのを感じた。なんなら、耳まで熱い。首も熱い。特大の羞恥。極大の勘違い。
「猪狩、おーい」
「……」
「まあ、そんな日もあるって」
「……」
「猪狩」
「これは、夢だ」
なんなら、正夢にする?少しの間の後、笑ったパワプロはそう言ってこちらに唇を寄せた。重なるそれ。キス。ボクは何が何やら、もう収集が付かなくなっていた。そのあとパワプロの告げた言葉に、ボクはもう一度だけ、同じ言葉を呟いた。
了
ーーーーーーー
しゅ〜まも〜
「これは夢だ」
思わず口に出していた。朝起きたら、裸だった。おそるおそる布団をめくると、かろうじて下着は付けているようだ。良かった。いや、よくない。そもそも、全く身に覚えのないここは、一体どこなのだろう。きちんと考えたいのに、未だかつて経験したことのない倦怠感と頭痛がそれを許さなかった。
曖昧な記憶、見慣れない部屋、裸で眠っている自分、ここまで自分の預かり知らぬことばかりだというのに、隣に転がっている男のことだけはよく知っているというのがまた恐ろしい事実であった。しかも、布団からはみ出しているその姿を見るに、どうやら自分と同じく服を着ていないではないか。
引かれたカーテンの向こうから差し込む朝の日差しが眩しかった。その向こうで雀が鳴いている。心なしか、身体のあちこちが痛い。ボクは呑気に寝ている隣の男の頭を引っ叩いた。
「おい」
「んう!?」
「起きろ」
「まだ眠いって…」
「起きろパワプロ」
「ああ、猪狩起きたのか…」
そう言いながらまた布団の中にもぐっていこうとする男は、チームメイトのパワプロだ。ボクが隣に寝ていることに動じていないその様子を見るに、どうやら「こうなった」事情を知っているに違いなかった。
「おい、なんなんだこれは」
「は?猪狩覚えてないの」
「ああ」
「なんにも?」
「ああ…」
「お前、マジでなんにも覚えてないの?ほんとに?昨日はすごかったんだぞ」
それは見ればなんとなく分かる。口には出さずにパワプロの方を見ると、やつは意味ありげに溜息をついてみせるのだった。
「猪狩、どこまで覚えてる?」
「……」
「まさか、なんにも覚えてないの?」
「練習後、一緒に食事に行ったところまでは記憶しているが」
「そうだよ、そこでお前ベロベロに酔っ払ってさあ、帰れないっていうからオレの家まで連れてきたんじゃん!」
「…そうかい、それは悪かったね」
「そんで、なんとか家まで連れて帰って来たと思ったら、お前いきなり玄関でさー」
「げ、玄関…?」
「そうだよお前オレのこと全然離さないし、いきなりだし、しがみついたまますげー激しいし」
「……」
「オレ、あんなの初めてだよ」
「……」
「お前、酔うとあんな風になるんだな」
「……」
ボクが黙るとパワプロも黙ってしまって、妙な沈黙が下りた。果たして何を言うべきなのか、ボクは布団をかき抱いて言葉に詰まった。これはつまり、そういうことで間違いないのだろうか。こんなとき、どんな顔をしたら良いのか分からない。
「あのさあ」
「なんだい…?」
「猪狩、なんか勘違いしてない?」
「かんちがい?」
「いや、なんていうか、そんな顔されると余計困るんだけど…」
ボクはいまどんな顔をしているんだろう。分からない。顔が熱かった。パワプロは、こんなに格好良かっただろうか。いつもの間抜け面が嘘のように真剣な表情をしている。ドキドキして胸が痛かった。ボクは昨日のことを覚えていないのを心底後悔していた。
「いや、あのな猪狩」
「うん」
「オレたち服着てないだろ」
「ああ…」
「それは汚しちゃったから仕方なくこうなったからで…ああなんだろうこの話せば話すほど勘違いが深まる感じ!?あのな、昨日…」
パワプロが話す内容は、確かにボクにとって衝撃的なものだった。
「昨日、お前を担いでなんとか家に帰ったら、酔ったお前がそのままもどしちゃって、玄関でいきなり、しかもオレに抱きついたまま離れないから二人して上も下もめちゃくちゃになって、よっぽど気持ち悪かったのかお前すげー激しく吐いてたし、とにかく汚れた服を脱がせて洗濯に突っ込んで、洗面所で顔やら口やらキレイに洗って、そんでようやく布団まで連れてったところでお前がオレを掴んだまま離さないから、もう疲れてたしめんどいしそのまま寝たの!そんだけ!」
「それだけ?本当に?」
「そうだよ」
「じゃあ、身体のあちこちが痛いのは」
「えっ、痛いのか?玄関で転んだときにどっか打ったのかも、洗面所でも一回転んでたし」
「……、…」
「おい、大丈夫か?見せてみろよ」
パワプロの心配そうにする顔を見たその瞬間、未だかつて経験のない前代未聞の感情が押し寄せて、ボクは身体中の熱が顔に集まるのを感じた。なんなら、耳まで熱い。首も熱い。特大の羞恥。極大の勘違い。
「猪狩、おーい」
「……」
「まあ、そんな日もあるって」
「……」
「猪狩」
「これは、夢だ」
なんなら、正夢にする?少しの間の後、笑ったパワプロはそう言ってこちらに唇を寄せた。重なるそれ。キス。ボクは何が何やら、もう収集が付かなくなっていた。そのあとパワプロの告げた言葉に、ボクはもう一度だけ、同じ言葉を呟いた。
了
ーーーーーーー
しゅ〜まも〜
ひとりでできるもん!
ひとりでできるもん! (主守)
家に帰ると、玄関に猪狩の靴があった。オレのように適当に脱ぎ散らかしたりせず、きちんと揃えてある様はいかにも猪狩の所作であった。合鍵を渡してあるので別にいつ来てもいいのだが、それにしても猪狩は気まぐれだ。確か、今日は誘いの連絡を入れたら断られたのではなかったっけ。だから他の友人と飲んで来た帰りなわけであるが、結果として二軒目には行ずに直帰したのは正解だったようだ。待たされたことにヘソを曲げる猪狩の顔は安易に想像が出来た。オレの誘いを初めに断ったのは自分の方であるにも関わらず、だ。猪狩のわがままは昔からであるので、オレはもうたいして気にもならない。
猪狩とは、これでもう結構な付き合いになる。高校生の頃から続くこの関係は、果たしてなんという名前を付ければ良いのやら。猪狩とは友人で、ライバルで、チームメイトで、いつの間にかそういう関係になっていて、そういう関係というのはつまり、そういう関係のことだ。淡白な猪狩は自分から求めるようなことはなかったが、オレからの誘いを断ることもまた、ないのだった。天才というのは、性欲もないものなのか。猪狩は昔から色恋に疎く、野球が恋人といった風情があった。猪狩とするときは、いつもオレから誘うのがお決まりのパターンであった。
「おーい、猪狩」
リビングの戸を開けると明かりは付いていたが、そこに猪狩の姿はなかった。洗面所にはいないようだったので、あとは寝室の方だろうか。時間も時間なので、寝ているのかもしれない。
プロ入り後、しばらくは寮暮らしだったが、オレは少し前から一人暮らしを始めたのだった。猪狩は相変わらずの実家暮らしであったので、たびたびオレの部屋にやって来るのだった。どうやらオレの様子を見て一人暮らしの気ままさに惹かれている節もあるようだったが、猪狩が一人暮らしをするなど言語道断である。一体何が起こるのか、想像するだけで恐ろしい。だったらもう一緒に住んでしまえばいいような気もするのだが、なんとなく言う機会を逃し続けて今日まで来ている。だって、同居の提案なんて、それはつまり同棲ということになる。恋人に向かって同棲を提案すること、それすなわち。
「猪狩」
やはり猪狩は寝室にいるのだった。戸を開けると、ベッドへ横になる猪狩が背を向けている。オレが声を掛けても全く気が付かないらしい。なんだか様子がおかしいと思ってオレは猪狩の方へ近付こうとして、足を止めた。背を向ける猪狩は、浅い息をついて時折鼻から抜けるような声を出しているのだった。それはまるで、喘ぎ声のような。さらに、もぞもぞと動く左手は、どうやら下半身へ伸ばされている。これは、まさか。まさか。
猪狩が、オレの部屋でオナニーしてる!!
声にならない叫びが頭の中を駆け巡る。猪狩は気付かない。オレが帰ってきたことにも、部屋に入ってきたことにも気が付かないほど、集中しているのだろうか。どうしたものか、呆然と立ち尽くしたまま、それでも視線は猪狩から逸らせない。猪狩は左利きだから、ナニも左でするんだなあ。そんな馬鹿なことを考えている。もはや思考停止だ。これは本当に現実だろうか。
しかも、猪狩が右手で掴んでいるのは、どうやらオレが寝巻きに着ているスウェットらしかった。脱ぎっぱなしでほかってあったそれを、猪狩は掴んだまま顔を埋めていた。それを認めた瞬間、オレは一気に顔に熱が集まって、火が出そうな思いであった。あれっていつから洗濯してないんだっけ、洗濯してないオレのスウェットをオカズにしている猪狩、もはや恥ずかしいのやら興奮しているのやら、めちゃくちゃだ。もう何も考えられない。だから、気が付いたら手が伸びていた。ジーンズのジッパーを下ろし、自らのものを手を伸ばす。そこは何もしていないのにすっかり立ち上がっていて、オレはそのまま上下にしごいた。それでも猪狩はまだ、気付かない。
オナニーしている猪狩、それを見て、オナニーしているオレ。全くの非日常、ある種の異様な状況にオレはどうしようもなく興奮していた。オレは変態だったのかもしれない。だが、恋人のあらぬ痴態を前にして、欲情しない男などいるのだろうか。
猪狩の浅い息遣いと、密やかな、それでいていやらしい音が響いていた。猪狩は先走りでねっとりと濡れるタチであったので、きっと今もそこはぬるぬるしていて気持ちがいいのだろう。そんなことを思うだけで、オレは今にも暴発してしまいそうだった。猪狩も、オナニーするんだな。性欲、あるんじゃん。オレのスウェットがオカズって、どうなの。猪狩、気持ちいいのか。
そんなことを考えながら、オレは一歩、また一歩と猪狩の方へ近付いていく。猪狩。猪狩。
「猪狩」
いつの間にか、声に出ていた。さすがに気が付いた猪狩が、勢い良く振り返って顔を上げる。その顔を見た瞬間、オレは限界まで高まっていた熱を一気に解き放っていた。
………
「猪狩」
「……」
「いーかーり」
「……」
「ごめんって。なあ。悪かったよ」
「……」
オナニーを見られた上、いきなり顔面にぶっかけられた猪狩は、あまりのことに初めは放心状態であったが、状況を理解した途端固まって一切動かなくなってしまった。お決まりのイヤミも小言も出てこない。これは大変だ、オレは慌ててタオルを引っ掴んで猪狩の顔を綺麗に拭いて、丁寧に謝罪をした上で話し掛けているのだが、猪狩は布団の中で丸まったまま出てこない。天の岩戸状態である。もうかれこれ十数分、膠着状態だ。
「猪狩」
「……」
「ごめんって、ほんと」
「それは何に対して謝っているんだ」
「あ、やっと喋った」
「……」
「猪狩、オナニーの邪魔してごめんな」
「キミは、本当にデリカシーがないな!」
がばり、布団から飛び出した猪狩は、怒っているようだったが、それにしてはあまりに迫力がない。いつもきりりと上がっている凛々しい眉は、ふにゃんと曲がっていた。
「ほんっとう、ごめん!」
「……」
「あれ、猪狩のもうおさまってる」
「バカ、触るな!」
目の前にあったので、猪狩の下着の上からそれを触ると、すっかり萎えてしまっているようだった。柔らかいそこを布の上から扱くと、猪狩はまた静かになってしまった。寸止めされた苦しさを、オレは同じ男としてイヤというほど理解するのだった。
「猪狩」
「……」
「猪狩…」
お詫びの気持ちも込めて、オレは猪狩に口付けた。ぴったりと唇を合わせ、そのまま舌を差し入れると、猪狩は素直に応じるのだった。キスをしながら、手は猪狩のものを揉みしだいている。柔らかかったそこはすぐに芯を持って固くなり、オレは猪狩のものを手の平で優しく扱いた。
「ごめんな。今度は一緒に、いっぱい気持ち良くなろうな」
「ん…」
いつにもなく素直に身を預けてきた猪狩が嬉しくて、オレは大きな声で言った。
「よし、まずは一発、猪狩のを抜いてやるからな!」
直後、ものすごい勢いでビンタが飛んできたのは、言うまでもない。夜はまだ、これからだ。
了
ーーーーーーーーー
趣味は丸出しにしていくものだ
久々にえっちなの書きました 主守〜
家に帰ると、玄関に猪狩の靴があった。オレのように適当に脱ぎ散らかしたりせず、きちんと揃えてある様はいかにも猪狩の所作であった。合鍵を渡してあるので別にいつ来てもいいのだが、それにしても猪狩は気まぐれだ。確か、今日は誘いの連絡を入れたら断られたのではなかったっけ。だから他の友人と飲んで来た帰りなわけであるが、結果として二軒目には行ずに直帰したのは正解だったようだ。待たされたことにヘソを曲げる猪狩の顔は安易に想像が出来た。オレの誘いを初めに断ったのは自分の方であるにも関わらず、だ。猪狩のわがままは昔からであるので、オレはもうたいして気にもならない。
猪狩とは、これでもう結構な付き合いになる。高校生の頃から続くこの関係は、果たしてなんという名前を付ければ良いのやら。猪狩とは友人で、ライバルで、チームメイトで、いつの間にかそういう関係になっていて、そういう関係というのはつまり、そういう関係のことだ。淡白な猪狩は自分から求めるようなことはなかったが、オレからの誘いを断ることもまた、ないのだった。天才というのは、性欲もないものなのか。猪狩は昔から色恋に疎く、野球が恋人といった風情があった。猪狩とするときは、いつもオレから誘うのがお決まりのパターンであった。
「おーい、猪狩」
リビングの戸を開けると明かりは付いていたが、そこに猪狩の姿はなかった。洗面所にはいないようだったので、あとは寝室の方だろうか。時間も時間なので、寝ているのかもしれない。
プロ入り後、しばらくは寮暮らしだったが、オレは少し前から一人暮らしを始めたのだった。猪狩は相変わらずの実家暮らしであったので、たびたびオレの部屋にやって来るのだった。どうやらオレの様子を見て一人暮らしの気ままさに惹かれている節もあるようだったが、猪狩が一人暮らしをするなど言語道断である。一体何が起こるのか、想像するだけで恐ろしい。だったらもう一緒に住んでしまえばいいような気もするのだが、なんとなく言う機会を逃し続けて今日まで来ている。だって、同居の提案なんて、それはつまり同棲ということになる。恋人に向かって同棲を提案すること、それすなわち。
「猪狩」
やはり猪狩は寝室にいるのだった。戸を開けると、ベッドへ横になる猪狩が背を向けている。オレが声を掛けても全く気が付かないらしい。なんだか様子がおかしいと思ってオレは猪狩の方へ近付こうとして、足を止めた。背を向ける猪狩は、浅い息をついて時折鼻から抜けるような声を出しているのだった。それはまるで、喘ぎ声のような。さらに、もぞもぞと動く左手は、どうやら下半身へ伸ばされている。これは、まさか。まさか。
猪狩が、オレの部屋でオナニーしてる!!
声にならない叫びが頭の中を駆け巡る。猪狩は気付かない。オレが帰ってきたことにも、部屋に入ってきたことにも気が付かないほど、集中しているのだろうか。どうしたものか、呆然と立ち尽くしたまま、それでも視線は猪狩から逸らせない。猪狩は左利きだから、ナニも左でするんだなあ。そんな馬鹿なことを考えている。もはや思考停止だ。これは本当に現実だろうか。
しかも、猪狩が右手で掴んでいるのは、どうやらオレが寝巻きに着ているスウェットらしかった。脱ぎっぱなしでほかってあったそれを、猪狩は掴んだまま顔を埋めていた。それを認めた瞬間、オレは一気に顔に熱が集まって、火が出そうな思いであった。あれっていつから洗濯してないんだっけ、洗濯してないオレのスウェットをオカズにしている猪狩、もはや恥ずかしいのやら興奮しているのやら、めちゃくちゃだ。もう何も考えられない。だから、気が付いたら手が伸びていた。ジーンズのジッパーを下ろし、自らのものを手を伸ばす。そこは何もしていないのにすっかり立ち上がっていて、オレはそのまま上下にしごいた。それでも猪狩はまだ、気付かない。
オナニーしている猪狩、それを見て、オナニーしているオレ。全くの非日常、ある種の異様な状況にオレはどうしようもなく興奮していた。オレは変態だったのかもしれない。だが、恋人のあらぬ痴態を前にして、欲情しない男などいるのだろうか。
猪狩の浅い息遣いと、密やかな、それでいていやらしい音が響いていた。猪狩は先走りでねっとりと濡れるタチであったので、きっと今もそこはぬるぬるしていて気持ちがいいのだろう。そんなことを思うだけで、オレは今にも暴発してしまいそうだった。猪狩も、オナニーするんだな。性欲、あるんじゃん。オレのスウェットがオカズって、どうなの。猪狩、気持ちいいのか。
そんなことを考えながら、オレは一歩、また一歩と猪狩の方へ近付いていく。猪狩。猪狩。
「猪狩」
いつの間にか、声に出ていた。さすがに気が付いた猪狩が、勢い良く振り返って顔を上げる。その顔を見た瞬間、オレは限界まで高まっていた熱を一気に解き放っていた。
………
「猪狩」
「……」
「いーかーり」
「……」
「ごめんって。なあ。悪かったよ」
「……」
オナニーを見られた上、いきなり顔面にぶっかけられた猪狩は、あまりのことに初めは放心状態であったが、状況を理解した途端固まって一切動かなくなってしまった。お決まりのイヤミも小言も出てこない。これは大変だ、オレは慌ててタオルを引っ掴んで猪狩の顔を綺麗に拭いて、丁寧に謝罪をした上で話し掛けているのだが、猪狩は布団の中で丸まったまま出てこない。天の岩戸状態である。もうかれこれ十数分、膠着状態だ。
「猪狩」
「……」
「ごめんって、ほんと」
「それは何に対して謝っているんだ」
「あ、やっと喋った」
「……」
「猪狩、オナニーの邪魔してごめんな」
「キミは、本当にデリカシーがないな!」
がばり、布団から飛び出した猪狩は、怒っているようだったが、それにしてはあまりに迫力がない。いつもきりりと上がっている凛々しい眉は、ふにゃんと曲がっていた。
「ほんっとう、ごめん!」
「……」
「あれ、猪狩のもうおさまってる」
「バカ、触るな!」
目の前にあったので、猪狩の下着の上からそれを触ると、すっかり萎えてしまっているようだった。柔らかいそこを布の上から扱くと、猪狩はまた静かになってしまった。寸止めされた苦しさを、オレは同じ男としてイヤというほど理解するのだった。
「猪狩」
「……」
「猪狩…」
お詫びの気持ちも込めて、オレは猪狩に口付けた。ぴったりと唇を合わせ、そのまま舌を差し入れると、猪狩は素直に応じるのだった。キスをしながら、手は猪狩のものを揉みしだいている。柔らかかったそこはすぐに芯を持って固くなり、オレは猪狩のものを手の平で優しく扱いた。
「ごめんな。今度は一緒に、いっぱい気持ち良くなろうな」
「ん…」
いつにもなく素直に身を預けてきた猪狩が嬉しくて、オレは大きな声で言った。
「よし、まずは一発、猪狩のを抜いてやるからな!」
直後、ものすごい勢いでビンタが飛んできたのは、言うまでもない。夜はまだ、これからだ。
了
ーーーーーーーーー
趣味は丸出しにしていくものだ
久々にえっちなの書きました 主守〜
おやすみはもう少し後で
おやすみはもう少し後で
「猪狩。野球とオレどっちが好き?」
グラブの手入れをしていたところ、後ろから声を掛けられた。顔を上げると、いつの間に風呂から上がったのか、冷蔵庫を開けながらパワプロがこちらを見ている。こいつの入浴はいつだって烏の行水だ。
手元のグラブに視線を戻しながら、どうやら先程のテレビドラマの真似をしているに違いないと思い付いた。毎週月曜日、録画してまでパワプロが熱心に見ているそれ、今週は主人公とその恋人との仲が険悪になるシーンがあった。仕事と私、どっちが大切なの?ドラマの中で使われた台詞が反芻される。オイルを手に取りながら、ボクは答えた。
「野球」
「だよな〜」
そう言ったパワプロは、なぜだか嬉しそうにしながら牛乳を一気に飲み干すのだった。パックに口を付けてそのまま飲むなと何度も言っているのに、こいつは聞きもしない。飲み終えた牛乳パックを洗っているのか、ざあざあと水音がする。こういうところだけは昔からきちんとしているのだ。キュ、と蛇口の閉まる音がして、再び呼ばれる。
「猪狩」
その声色に含まれた意味を分かってしまう自分に息をつきながら、ボクは手入れの終わったグラブを置いて立ち上がった。
了
ーーーーーーーーー
野球が好きな猪狩守が好きな主人公
タイトル思い付かないやつぜんぶ無題にしたいし解説入れないと成り立たないポエムはマジのポエム
「猪狩。野球とオレどっちが好き?」
グラブの手入れをしていたところ、後ろから声を掛けられた。顔を上げると、いつの間に風呂から上がったのか、冷蔵庫を開けながらパワプロがこちらを見ている。こいつの入浴はいつだって烏の行水だ。
手元のグラブに視線を戻しながら、どうやら先程のテレビドラマの真似をしているに違いないと思い付いた。毎週月曜日、録画してまでパワプロが熱心に見ているそれ、今週は主人公とその恋人との仲が険悪になるシーンがあった。仕事と私、どっちが大切なの?ドラマの中で使われた台詞が反芻される。オイルを手に取りながら、ボクは答えた。
「野球」
「だよな〜」
そう言ったパワプロは、なぜだか嬉しそうにしながら牛乳を一気に飲み干すのだった。パックに口を付けてそのまま飲むなと何度も言っているのに、こいつは聞きもしない。飲み終えた牛乳パックを洗っているのか、ざあざあと水音がする。こういうところだけは昔からきちんとしているのだ。キュ、と蛇口の閉まる音がして、再び呼ばれる。
「猪狩」
その声色に含まれた意味を分かってしまう自分に息をつきながら、ボクは手入れの終わったグラブを置いて立ち上がった。
了
ーーーーーーーーー
野球が好きな猪狩守が好きな主人公
タイトル思い付かないやつぜんぶ無題にしたいし解説入れないと成り立たないポエムはマジのポエム
オレとおまえとプリンと甘えんぼ
オレとおまえとプリンと甘えんぼ
プリンがない。風呂上り、食べようと思って楽しみにしていたプリンがなくなっていた。冷蔵庫の中を、もう一度くまなく探す。ない。考えられる原因は、ひとつしかなかった。ソファに腰掛けたまま知らん顔している猪狩の横顔にオレは声を掛ける。
「なあ、オレのプリンがなくなってるんだけど」
「ああ、ボクが食べたよ」
「はあ?だってお前、飯食ったあと自分の分食べただろ、あれはオレのじゃん」
「そうだったかな」
本を読んでいた猪狩は、紙面から顔も上げずにそう言った。オレが何と言ってもどこ吹く風で、本の内容に集中しているのか返事すら返さなくなった。さすがにカチンときたオレがわあわあと言い募るも、猪狩は相変わらず涼しい顔をしている。なんてことだ。
やり場のない怒りと、甘味を待ち望んでいたオレの口は、持て余したこの激情をどこにぶつけたらいいのか分からない。仕方がないので、オレは猪狩が持ってきた高級アイスクリームを一人で食べてやることにした。アイスに罪はない、しかし、オレは風呂から上がったらプリンを食べたかったのだ。
しかし、冷たいアイスを食べているうちに、だんだん心も落ち着いてきた。自分が驚くほど単純であることは否めないが、それにしてもこのアイス、めちゃくちゃ美味い。なんだこれ。確かに、猪狩が自慢げに珍しいとか美味いとかなんだかそんなことを言っていたような気もするが、オレはそんなのこれっぽっちも聞いていないのだった。
猪狩め、こんな美味いアイスを持ってきておいて、わざわざコンビニのプリンを食べるとは、とんだ物好きだ。猪狩には、昔からそういう「悪癖」があった。こいつときたら、わざわざオレが食べようと思っていたものを食べてしまうのである。でも、オレは知っている。猪狩がこんなことをする理由を、とっくに見抜いている。
要するに、猪狩はオレに構ってほしいのだった。猪狩の愛情表現は解し難く、それでいて分かってしまえばタネは簡単だった。わざわざオレにちょっかいを掛けて構ってほしい甘えんぼちゃんなのだ、この天才猪狩守とやらは。
アイスを完食し、すっかり機嫌の良くなったオレは、猪狩のことを許してやることにした。かわいい恋人の悪戯じゃないか。そんなにオレに構ってほしいとは、いじらしいやつめ。今もわざと本に集中しているフリをする猪狩に、オレは後ろから抱き付いた。
「猪狩!」
「なんだ、暑苦しい」
「猪狩〜」
「ボクはいま本を読んでいるんだ、邪魔しないでくれるかい」
「ったく、そんなこと言ってオレには分かってるんだからな〜こいつう〜」
「二度は言わないぞ。離れろ、触るな、静かにしろ」
「あ、はい」
猪狩、どうやら今日はマジでプリンが食べたかっただけのようである。思わず真面目に返事を返して、オレは手を離した。恋人に甘えたいというやり場のない衝動を持て余したオレは、途方に暮れる。答えを知っているのは、猪狩に食われてしまったプリンだけだ。
了
ボクとキミとプリンと甘えんぼ
プリンを食べてしまった。ここでいうプリンというのは、本来ならばパワプロが食べる予定だったはずのプリン、という意味だ。自分の分は夕食後に食べてしまったのだから、これで二つ目だった。
この衝動を、なんと説明すれば良いのだろう。パワプロと一緒にいると、たびたび似たようなことがあった。この気持ちの正体を、ボクは今も適切に表現することが出来ない。パワプロのもの、そう思うと、ボクにはどうしようもない感情が湧き上がってくるのだった。
風呂から上がったパワプロは、案の定冷蔵庫の中を確認して怒っている。自分でも上手く理由を説明出来ないこと、そして読み始めた本が存外に面白かったこともあり、適当にあしらってしまった。
そんなボクの態度にパワプロは怒り心頭で、そのままキッチンの方へと消えていった。そうかと思えば、すぐに戻ってきて、今度はソファに座って読書をしているボクを後ろから抱き締めた。相変わらず、わけの分からないやつだ。そして、タイミングが悪い。ちょうど物語の良いところであったので、ボクは感情のまま邪険に振り払ってしまった。
不貞腐れたパワプロは、ソファの端っこに座ってテレビを見ている。そのまま、どのくらい経っただろうか。キリの良いところまで読み終わったボクは、本を閉じてテーブルの上に置いた。それに気が付いているくせに、隣の男はわざと知らん顔をしている。
「おい、パワプロ」
「なんだよ」
「悪かったね」
「それは、何に対して謝ってるわけ?」
ふう、とパワプロは大袈裟に息をついた。
「オレ、怒ってるんだけど」
「そうだろうね」
「ああそうだオレは怒ってる、めちゃくちゃ怒ってる、だから、今日は猪狩の方からキスしてくれるまで許さないことにした!」
「いいよ」
パワプロの顔を捕まえて、そのまま口付けた。間抜け面のそれが面白くて、もう一度。気分が良かったので、唇を吸い上げてそのままぺろりと舐め上げてやった。なんだか甘い味がする。
「これで、許してくれるのかい?」
「ほんと、おまえさあ…」
脱力したように、パワプロはこちらにしなだれかかってきた。抱き締める腕に大人しく収まっていると、パワプロは馬鹿なことを言っている。ボクはこれから、プリンの代わりに食べられてしまうらしい。馬鹿だ。そう思うのに、その首に腕を回したボクは、もっと馬鹿なんだろう。
そのあと、キッチンのゴミ箱から発見されたアイスクリームの空箱を巡ってもう一悶着あるわけだが、それはまた、別の話だ。
了
ーーーーー
書いてて恥ずかしかったです
プリンがない。風呂上り、食べようと思って楽しみにしていたプリンがなくなっていた。冷蔵庫の中を、もう一度くまなく探す。ない。考えられる原因は、ひとつしかなかった。ソファに腰掛けたまま知らん顔している猪狩の横顔にオレは声を掛ける。
「なあ、オレのプリンがなくなってるんだけど」
「ああ、ボクが食べたよ」
「はあ?だってお前、飯食ったあと自分の分食べただろ、あれはオレのじゃん」
「そうだったかな」
本を読んでいた猪狩は、紙面から顔も上げずにそう言った。オレが何と言ってもどこ吹く風で、本の内容に集中しているのか返事すら返さなくなった。さすがにカチンときたオレがわあわあと言い募るも、猪狩は相変わらず涼しい顔をしている。なんてことだ。
やり場のない怒りと、甘味を待ち望んでいたオレの口は、持て余したこの激情をどこにぶつけたらいいのか分からない。仕方がないので、オレは猪狩が持ってきた高級アイスクリームを一人で食べてやることにした。アイスに罪はない、しかし、オレは風呂から上がったらプリンを食べたかったのだ。
しかし、冷たいアイスを食べているうちに、だんだん心も落ち着いてきた。自分が驚くほど単純であることは否めないが、それにしてもこのアイス、めちゃくちゃ美味い。なんだこれ。確かに、猪狩が自慢げに珍しいとか美味いとかなんだかそんなことを言っていたような気もするが、オレはそんなのこれっぽっちも聞いていないのだった。
猪狩め、こんな美味いアイスを持ってきておいて、わざわざコンビニのプリンを食べるとは、とんだ物好きだ。猪狩には、昔からそういう「悪癖」があった。こいつときたら、わざわざオレが食べようと思っていたものを食べてしまうのである。でも、オレは知っている。猪狩がこんなことをする理由を、とっくに見抜いている。
要するに、猪狩はオレに構ってほしいのだった。猪狩の愛情表現は解し難く、それでいて分かってしまえばタネは簡単だった。わざわざオレにちょっかいを掛けて構ってほしい甘えんぼちゃんなのだ、この天才猪狩守とやらは。
アイスを完食し、すっかり機嫌の良くなったオレは、猪狩のことを許してやることにした。かわいい恋人の悪戯じゃないか。そんなにオレに構ってほしいとは、いじらしいやつめ。今もわざと本に集中しているフリをする猪狩に、オレは後ろから抱き付いた。
「猪狩!」
「なんだ、暑苦しい」
「猪狩〜」
「ボクはいま本を読んでいるんだ、邪魔しないでくれるかい」
「ったく、そんなこと言ってオレには分かってるんだからな〜こいつう〜」
「二度は言わないぞ。離れろ、触るな、静かにしろ」
「あ、はい」
猪狩、どうやら今日はマジでプリンが食べたかっただけのようである。思わず真面目に返事を返して、オレは手を離した。恋人に甘えたいというやり場のない衝動を持て余したオレは、途方に暮れる。答えを知っているのは、猪狩に食われてしまったプリンだけだ。
了
ボクとキミとプリンと甘えんぼ
プリンを食べてしまった。ここでいうプリンというのは、本来ならばパワプロが食べる予定だったはずのプリン、という意味だ。自分の分は夕食後に食べてしまったのだから、これで二つ目だった。
この衝動を、なんと説明すれば良いのだろう。パワプロと一緒にいると、たびたび似たようなことがあった。この気持ちの正体を、ボクは今も適切に表現することが出来ない。パワプロのもの、そう思うと、ボクにはどうしようもない感情が湧き上がってくるのだった。
風呂から上がったパワプロは、案の定冷蔵庫の中を確認して怒っている。自分でも上手く理由を説明出来ないこと、そして読み始めた本が存外に面白かったこともあり、適当にあしらってしまった。
そんなボクの態度にパワプロは怒り心頭で、そのままキッチンの方へと消えていった。そうかと思えば、すぐに戻ってきて、今度はソファに座って読書をしているボクを後ろから抱き締めた。相変わらず、わけの分からないやつだ。そして、タイミングが悪い。ちょうど物語の良いところであったので、ボクは感情のまま邪険に振り払ってしまった。
不貞腐れたパワプロは、ソファの端っこに座ってテレビを見ている。そのまま、どのくらい経っただろうか。キリの良いところまで読み終わったボクは、本を閉じてテーブルの上に置いた。それに気が付いているくせに、隣の男はわざと知らん顔をしている。
「おい、パワプロ」
「なんだよ」
「悪かったね」
「それは、何に対して謝ってるわけ?」
ふう、とパワプロは大袈裟に息をついた。
「オレ、怒ってるんだけど」
「そうだろうね」
「ああそうだオレは怒ってる、めちゃくちゃ怒ってる、だから、今日は猪狩の方からキスしてくれるまで許さないことにした!」
「いいよ」
パワプロの顔を捕まえて、そのまま口付けた。間抜け面のそれが面白くて、もう一度。気分が良かったので、唇を吸い上げてそのままぺろりと舐め上げてやった。なんだか甘い味がする。
「これで、許してくれるのかい?」
「ほんと、おまえさあ…」
脱力したように、パワプロはこちらにしなだれかかってきた。抱き締める腕に大人しく収まっていると、パワプロは馬鹿なことを言っている。ボクはこれから、プリンの代わりに食べられてしまうらしい。馬鹿だ。そう思うのに、その首に腕を回したボクは、もっと馬鹿なんだろう。
そのあと、キッチンのゴミ箱から発見されたアイスクリームの空箱を巡ってもう一悶着あるわけだが、それはまた、別の話だ。
了
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書いてて恥ずかしかったです

